私が笑ったら。






今度は忍足先輩が驚いたような顔をした。


























さて。







ゲームを始めようか。



















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   31 -giocata-
























忍足先輩は驚いてしまったことに後悔するかのように、俯き、ため息を漏らす。











そして、すぐに踵を返すと、一言「入れ」と言っただけで、そのまま1人部屋の奥へと入っていってしまった。



その彼の背中を私は見送りながら、私もまた少し遅れて彼の促すままに部屋の中へと足を踏み入れた。






















心は自分でも驚くほど穏やかだった。








昨日ココに来た時のような緊張感はない。

















もし、今からの忍足先輩とのやり取りで、選ぶ言葉を間違ってしまったらその時点で私はゲームオーバーだ。



私に興味をすっかり無くしてしまった忍足先輩は

きっと何のためらいも無く、私が女であることを公表してしまうだろう。











つまり今から発言の一つ一つが、大げさでも何でもなく私の人生に多大な影響を及ぼすことになるのだ。











そんな大事な時なのに、こんなにも冷静にいられる自分に、少し悲しくもあり。



それ以上にやはり嬉しかった。











狂わされた時計がようやく元通りに時を刻みだした気がする。















何かが変わったわけじゃない。







ただ、本当の自分を取り戻しただけなのだ。



















ぺちゃ・・・・ぺちゃ・・・・・ぺちゃ・・・・・・・・・・・・・・・・・



忍足先輩の後を歩く私の耳に小さくそんな湿った音が聞えてくる。



それは、数メートル先から聞えてきているかのような錯覚を起こすほど、他人事のような音だった。






だから、私は足を覆っている靴下やズボンが、外の大雨を吸収して生地が肌に密着するくらいかなり重量を増しており、


その上
この湿った音を発していたのは実は私自身だった・・・・



ということに今更ながらに気付いたのは数十歩歩いてからだった。








意識して見ると、確かに何だか足が気持ち悪いし、何だか動きにくい。

それでも、前回の足の重さに比べたらその軽さは比較すら出来ない程軽いのだから・・・・




前回は余程ここに来るのが不安で嫌だったのだろう。






そう思うと、何だか楽しく、別にこれくらいの動きにくさなんてどうでも良かった。











だから、私自身は知らぬふりをしていても良いのだが・・・・。




ふと下を向いた私の眼に私が歩いた通りに線を引いている水達が移る。












これを見るとさすがに、黙っておくのはさすがに気が引けた。










私は少し考え、


足取り軽く、小走りで前を歩く彼に追いつくと




「スミマセン。俺ビショビショで床汚しちゃってますね。」




と、彼の背に話しかける。




言いながら後ろを振り返ると、やはり何処からどう見ても私から滴り落ちた水滴が私の通ったその道順をはっきりと示していた。

















―傘は差してきたのになぁ・・・・






ナメクジ女みたいだ。


とか、そんな訳の分からないことを考える余裕がある自分に驚く。

はっきり言って、今の私に緊張感など皆無だった。





現在の脳内を占めている「忍足侑士」の割合は1/3にもみたないかもしれない。




ナメクジ女の方がある意味重要視されてるくらいだから凄い。










不意に私は外の音に耳を傾けた。



わずかだが、確かに雨が激しく地面を叩きつける音が響いていた。

窓もが近くに無いこの空間でさえその音が聞えてくるのだから、結構激しく降っているのだろう。





あまり意識してはいなかったが、実は私が優雅に傘を差して来た時も、大雨は自分が思っていた以上に大雨だったらしい。



そんなことすら目に入らないくらい意気揚々とここまで来たのか、と思うと何だか可笑しくて。








冷静ながらも私の心は熱を帯びていっているかのようだった。






















太郎さんからゲームを持ちかけられた時の高揚感と同じ。







いや。

やっと自分を取り戻した安堵感と、度重なる刺激への反動から来る楽しさから、実は少なからずあの時以上に気持ちは昂っているのかもしれない。

















「話しする前に風呂でも入るか?」

私の言葉にやっと後ろを振り返った忍足先輩は、私が歩いた跡を示すその水の線に、見た印象以上に私が雨に濡れていることに気付いたらしく、深々と眉を顰めると、半ばどうでもよさ気にそう言った。






「いえ。先に話しを済ませてしまいましょう。余計な気遣いは無用です。」



「そうか。」

忍足先輩はやはりどうでもよさ気にポツリとそう呟くと、再び前を向き歩き始める。








だから私もどうでもよさ気にまた、ペタペタと湿った音を立てながらその後を追いかけたのだった。


























∽     ∽     ∽     ∽     ∽


















忍足先輩が案内したのはやはり、前回と同じ部屋だった。


彼は前回座っていたソファの前に、立つ。








そして。





振り返った。
















その顔に笑みは無く。










制裁者−裁きを下す者−










まさにそんな感じだった。














「で?昨日の答えを聞かせて貰おか?」

そう言いながら忍足先輩はゆったりと腕を組んだ。













もはや、何かくだらない言い訳をする気も無かった。


重要なのも、今から話すのも・・・・これから先のことだけ。








私は僅かに目を伏せる。







焦らすかのように・・・。

覚悟を決めるかのように・・・・。

















―ここからが本番だ




頭の中で2、3回呟くと、























ゆっくりと眼鏡を外し






そして。









目の前に立つ、忍足先輩をその双眸で見据えた。







しっかりと。























「そうですよ。



忍足先輩のおっしゃる通り俺は女です。」











忍足先輩の手が僅かに震えるのが見えて、


私は口の端だけでゆったりと微笑んだ。


















それは、







今日彼に会った時に向けた笑みと同じ笑み・・・・・・・・・・・・。























誰に対してなのか。





何に対してなのか。









分からないけど、忍足先輩は私から少し視線を反らし、チッと舌打ちした。





「今日はやけに素直に認めたな。」


「そのために先輩は私に猶予を与えたのでしょう?





・・・・で、これからどうするんですか?」







ため息混じりに言った忍足先輩の言葉に私は飄々と尋ねた。



その態度が意外だったのか、それとも彼の気に障ったのか。












彼は眉を顰めながら瞠目すると、

わずかに顎を挙げ、



「それは、こっちの台詞やな。」

そう、言い放った。














・・・・思った通り。






彼は私を試しているんだ。
















暇を持て余している彼の手にようやく面白そうな玩具が転がり込んできた。





好きとか嫌いとか関係ない。






玩具は玩具。

つまり面白ければ何でも良いのだ。





どうやら私は彼にとって最高の玩具となりうる素材としての可能性を見出されたらしい。

だからこうやって猶予を与えられた。







そして。


今、彼は私にその資質を試されているのだ。












彼を楽しませるために生きるマリオネット。










それが彼の望むもの。







彼を楽しませることの出来る要素を持っていればいるほどその玩具はより彼の理想へと近付く。





彼の理想から外れた瞬間、物の見事に彼はすっぱり私と縁を切るだろう。



そう。



遊び果たした玩具が無残にもゴミとして処理されるように。












だが、逆を言えば彼の理想の玩具であり続ける限り


つまり彼が私に感情が無くならない限りは





決して私の正体をバラさないということだ。

























それが私にとってチャンスでもある。













だったら・・・・






「忍足先輩は退屈って言ってましたよね。」




「そやな。」












「じゃあ、俺と遊びませんか?」





さらりと言い放った私の言葉に忍足先輩は驚いたように目を見開く。



と、すぐにその肩が震え始める。








口角がクッと上がり、彼は馬鹿にしたような歪んだ笑みを私に向け


「・・・・・・遊ぶ?」




やはり、馬鹿にしたような口調でそう言い捨てた、


















けど、彼がどう思おうが、




どんな反応を示そうが、









そんなのどうでも良かったから。



「はい。楽しいゲームを考えてきたんです。俺と忍足先輩と二人でやるゲームです。」







淡々とそう言った。









すると、


忍足先輩は一層肩を震わせて笑い始める。



















彼の興味を惹き、かつ私が最も確実に勝てるゲームはこれしかなかった。




まぁ、最も勝てる可能性の高いゲームであるとしても、その可能性は決して高いものではないのだが・・・。

















それでも。









私は今ここで諦めわけにはいかない。

いや、諦めたくない。








今まで負け犬人生送ってきた私だけど、




今回だけはこのまま負けたくは無い。













だって。











相手は『私』だから。













もはやお金だけの問題じゃない。


最後の『プライド』という柱を守るためのものでもある。












ただで、玩具になるつもりなど毛頭ない。






誰かの運命に巻き込まれるなどもうウンザリだ。






私は私のもの。










プライドなんて当の昔に捨てたと思ってたけど・・・。



案外そうでも無いらしい。







それに気付いたのはつい最近。































忍足先輩はひとしきり笑い終えると、その綺麗な瞳を私に向けた。




「あんまり興味はあらへんけど、一応話しくらいなら聞いたるわ。」



そう言いながら・・・・。
















特に意味も無く、私は軽く息を吐くと、瞳を軽く伏せた。










「恋愛ゲームです。




ルールは簡単です。







相手に恋しちゃったら負けです。」








「・・・・・・・・・。」

言った瞬間、忍足先輩のこめかみがピクリと引き攣った。

口を半開き状態にしたままで固まっている。



けど、私はそんな忍足先輩をしっかりと見据えながら、心を揺るがすこともなく抑揚の無い口調で話しを続けた。






「俺は忍足先輩を落とすために、頑張りますんで、忍足先輩も俺が貴方に惚れるように頑張って下さい。」


















「・・・・・・・・アホらし・・・・・。そんなの俺に何のメリットがあるんや?」

そう言って手首を振りながら、呆れたようにため息を吐いた忍足先輩を見て、





私はわざとらしく口元に笑みを浮かべる。










さっきのお返しに。







「そろそろ普通の女遊びにも飽きてきたでしょう?ちょっと毛色の変わったヤツを落としてみるっての一興かと思いますが?」





「毛色の変わったヤツって・・・・・・自分で言うか・・・・。」





「俺は絶対に貴方に落ちませんから、結構やってみると楽しいかもしれませんよ?」



あくまで引こうとしない私に忍足先輩は眉間に深々と縦皺を刻みつける。








「しかも判定のつけようがない。」



「そうですね。ですが、本当に好きになってしまったらきっと賭けなんて関係なくなっちゃいますから。いつかポロッと出ちゃうものです。だって、このゲームは期限があるんですよ?本当に好きだったら期限後も一緒にいたいと思っちゃうでしょう?」




「そう簡単に行くわけないやろ。負けず嫌いのヤツやったら仮にどんなに相手を好きになったとしても絶対に『好き』とは口にせぇへんで?」



「それはそれで面白いじゃないですか。簡単に落ちちゃったら面白くないし?そういう相手に自分を好きだと言わせることこそこのゲームの醍醐味じゃないですか。」









「俺をそこまで惚れさせた女なんて未だかつて1人もおらんで?」






「奇遇ですね。俺をそこまで惚れさせた男も1人もいないですよ。」



一度首を軽く傾げながら、満面の笑みを浮かべた私に、忍足先輩は不愉快そうに舌打ちすると、その強い光を放つ双眸で私を睨みつけるように見た。










けど。




私は動揺することなくそんな彼の視線を二つの眼できっちりと受け止めた。











まさに火花が散るとはこのことだろう。






私と彼の間には見えないけれど、確かに火花が見えた気がした。












そして、


そんな彼の表情を見た瞬間。











彼がゲームに興味を持ったということは分かった。






















「で、その期限は?」





「私が卒業するまでです。」










「勝った時の報酬は?」



「その時の貴方の望むままに。





私が勝ったときの報酬は、私が卒業するまでは女だと誰にもバラさないことです。その他は何も要りません。

もちろん、そのゲームの勝敗がつくまでも私が女であることは黙っていて下さい。」




彼の問いに私は何の感情も無く答えを口にする。









それは何だか異様な光景のような気もしたが




私達にとってはどちらかというとこちらの方が普通なんだと思う。








そんな問答を繰り広げ、




ある時、不意に忍足先輩の口端がわずかに上がった気がした。





そして、それは彼が興味を持ったという合図でもあった。






「俺は飽きっぽいで?」




「貴方が飽きたらそこでゲーム終了です。バラすなり何なりお好きなようにどうぞ。」










私のその言葉に



先ほどまでの問答が嘘だったかのように、




凍るような無言の時間が流れた。













その空気を醸し出しているのは、もちろん忍足先輩しかいない。







彼の不穏に凍りつく視線が、まるで私の内面まで探ろうとしているかのようにしっかりと見据えていた。








何を考えているのかなんて知らない。










けど、何かを考えているのだろう。



私にとってそれが良からぬことであることだけはよく分かっていた。











そして。






その空気を壊したのは




「まっ、良えわ。どうせ暇やしそのゲーム、乗ってやる。」



という、先ほどまでとは打って変わったように軽い口調の忍足先輩の言葉だった。
















「ありがとうございます。で、ゲームをする上で少しルールを決めたいのですが。」



「まだ、あるんかいな?」

うんざりしたような口調と相反して、忍足先輩の表情はどこか楽しそうだ。









私はそんな彼を冷たく見遣ると特に気にもせず話しを続ける。


「はい。一つだけ。ゲームが途中で終わってしまった場合はその後はお好きなようにして構わないと言いましたが、さっきも言ったようにゲーム途中では私が女であることは決して誰にもばらさないで下さい。


・・・・というかばれないようにして下さい。もし、ゲーム途中で『貴方のせいで』誰か他の人にばれてしまった場合、その時は私の言うことに従ってもらいます。」














実は、これが一番重要だった。



自分がどんなに必死で隠しても、忍足先輩からバレてしまっては元も子もない。





というより忍足先輩は黙っておいたら、バレそうでバレない状態をわざわざ自分で仕掛け、そしてそれを解決しようとあたふたする私を見て楽しみそうだから。






いちいち遊ばれては、いくら気を張り詰めていても足りない。



















それともう一つ。








「つまり俺に協力しろっちゅー訳やな?」












そう。

確かに誰か1人にバレてしまったということは、その分バレる危険性は増すが、










逆を言えば・・・



忍足先輩という協力者を上手く使いこなせれば、バレる可能性はグッと縮まるのだ。






そのためには、彼には本気になって私を守ってもらわなければいけない。


私の道を阻もうとする奴等から。











私はゆったりと微笑む。


「まぁ、結果的にはそうなりますかね?ですが、その代わりそれ以外の時は基本的に・・・・まぁ女であることがばれない程度であれば私は貴方に従います。」




「そんなこと宣言してええんか?後で後悔しても知らんで?」









「まぁ、女だとバレずに無事学校を卒業すること以外に今の私には失うものがないので。













・・・・・で、





ゲームに乗って下さるのですか?」
















最後の確認。





これ以上説明することは何も無い。















そして。






















「お前の策略に乗ってやろうやないか。」













ゲームの始まり。
























忍足先輩からの承諾の言葉。




それは、私にとって嬉しいことであり、安心すべきところである。















・・・・・はずなのに。








言葉では言い表せない、

何かよく分からない複雑な感情がふと生まれ、




不意に何だかイラっとした。












だけど、今の私は『演技する者』だ。







咄嗟にそれを笑顔で隠すことなど訳もない。




「それは良かった。決して退屈はさせませんよ。」








「さーて・・・・・どうやろうなぁ・・・・・・・・・・・・?」

そう言って口元を緩ませた、忍足先輩の顔は何だか不思議なほど優しくて、恐ろしいほど普通の笑みだった。












それが何だか私の神経を刺激して、




いつの間にか握り締めていた指先がヒクリと痺れるような感覚に襲われる。











そして、それを合図に喉の辺りが一気に熱を帯びたような感じで・・・・ヒリヒリと。




まるで喉を灼き、声を奪おうとでもするかのように、













私を昂らせ、








そして、理性の大半を麻痺させた。


















だから。







「ところで、そこまでしてお前が男装して氷帝に通う理由は一体何なんや?」



と尋ねてきた忍足先輩に












私はつい・・・・





「さぁ?








それも貴方がゲームに勝った時に教えてあげますよ。」










と。

『客』に使うような淫猥で淫靡な微笑みを浮かべ、そう答えてしまっていた。


























さて、第一段階終了だ。















忍足先輩も気付かないうちに





ゲームは早くも第二段階へと移行し始める・・・・・

















さぁ・・・・




火蓋は切って落とされた。




















忍足侑士。













貴方こそ








































私を退屈させないでね・・・・・・・?




























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