朝が来る。





真っ白な朝。









あの後、掃除を終えた私は何とかその日中に家に帰りつくことは出来た。










けど、忍足先輩のことが気になって、








結局、一睡も出来なかった。









カーテンを少し開き、その隙間から差し込む白い光にわずかに目が眩む。








これから私は脅えながらあの氷帝学園に通うのだろうか。





忍足侑士にバレてはいないか顔色を伺いながら。

他の人達にバレてはいないか見張りながら。








それだけは御免だった。

そんな面倒臭いことになるくらいなら、さっさとバレた方がマシな気がする。











だから、私は今、こんなにも心が穏やかなのかもしれない。



忍足侑士という人間の得体も知れぬ恐ろしさによって乱された世界も徐々に平静を取り戻しつつあった。










その感情をはっきりと自覚して、私は自嘲気味に笑った。










「いつからこんなに諦めやすくなったのだろう。」




と。















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   26 -alleanza-













朝、私は久しぶりに開始30分前・・・・どころか1時間以上前からテニスコートで準備を始めていた。

こんなに早く来たのはさすがに初めてだ。









眠れないから、眠りたくなくて・・・・










とにかく、何でも良いから気を紛らわしたかった。


それには、あまりにも忙しすぎて他の事を考える余裕も無い、テニス部の仕事が一番打ってつけなのだ。











でも、





誰もいないテニスコート。




普段は選手達が溢れていて入れないテニスコート。





を見た瞬間。






私は、何となくそこに入ってみたくなった。

気になって仕方が無いことがただ、そこに足を踏み入れるだけで分かってしまうような

そんな錯覚に陥る。



そんなことがあるはずも無いのに。













―まだ時間はあるし、仕事は後回しでも良いかな・・・・?





自分を納得させるようにそう心の中で呟くと、


私は一歩踏み出した。






















サービスラインの前で立ち止まる。




そこで、目を瞑ると、テニスをしている普段とは違う彼らの真剣な姿がありありと映し出された。







その中での彼らの表情は常に『楽しい』という感情が存在しているのだ。










彼らに特に異性として何も感じないけど。






その姿だけは、かっこ良くて・・・・










何よりも羨ましい。






そして。

少しでもそう思っている自分がいることが許せなかった。














「もし、私のことがバレちゃったら・・・・・




・・・・・・・・・・・・・・・二度とテニス出来なくしてやろうかな・・・・?」







不意に私の口からはそんな恐ろしい・・・冗談か本気かも分からない言葉が漏れていた。









小さな小さな呟きだったけど、その呟きは私の耳にゆっくりと入ってきて。



私は苦笑いを浮かべる。

















そんな卑劣なことが私に出来るのだろうか。










今の私には出来そうにない。







けど。








過去の私と未来の私だったらそれが出来てしまいそうで・・・・












「ホント、私ってば性格悪い。」






そう呟いた言葉は誰の耳にも・・・・・私の耳にさえ入ることなく、ただただ風に流され舞い上がっていったのだった。





























2〜3分ほどそうしてただ佇んでいた私は前触れも無く踵を返し、


二度と足を踏み入れたくも無いあの倉庫へとテニスボールなどを準備するために向かった。
































◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






いつもだったら、準備している途中で部員達の誰かが5〜6人来て一緒に準備をすることになるのだが、今日は準備を始めた時間が時間だけあって、普段している『準備』を全て終えても誰一人現れることはなかった。









私は腕時計を見る。





そろそろ、1人〜2人くらい来てもおかしくない時間だ。



















そう思うと、何だか急に胸が苦しくなって、イライラし始める。






ムカムカして。


胸の鼓動がドクドクと逸る。

















―人はどうして群れて生活するのだろう。







1人はこんなにも楽なのに。

心地良いのに。







1人だったら誰の顔色も窺わなくて良いし、誰にも口うるさく言われない。












そして。



誰に裏切られることもないのだ。















「馬鹿みたい・・・・」





無意識に出た言葉。




それは一体誰への言葉なのか。











きっと。





誰でもない、自分自身への・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



















私は手に持った杖を引き摺りながら、ふらふらと普段マネージャー達が屯しているベンチへと座った。








こうやって、休むとどれだけ自分が疲労しているのかが分かる。



足がキーンと痛んで、結構無理してたんだと実感する。









ゆっくりと背凭れに背を預けると、自然と顔が空を仰いだ。


















―今日も暑くなりそうだ。














本当に・・・。
























「あれ?」


突如背後から聞こえてきた声に私は驚いて勢いよく背凭れから体を起こすと、そのままの勢いで背後を振り返った。






そこにいたのは





普段は練習開始ギリギリに現れる正レギュラー陣の中の1人


向日先輩だった。












彼は私がいたのがそんなにも意外だったのか、一瞬大きく目を瞠る。







「どうしたんや、急に立ち止まって・・・・・・・・・・・」



その後から続いて現れた忍足先輩もまた、そう言い掛けて私の顔を見た瞬間言葉を留めた。











いつも通りの態度で現れたのは、少し送れて登場した






跡部部長だけだった。












「あーーーん?・・・・てめぇやけに来るのが早いじゃねーか。」



そう言いながら、彼は完璧に準備されているテニスコートを見渡す。












本来なら立ち上がって我らが跡部様にきちんと挨拶すべきなのだろうが、そんな気がおきるわけも無く、私は座ったまま、しかも顔だけ後ろを振り返っただけで答えた。







「はい。今日は朝早く目が覚めてしまったので早く来てしまいました。」







本当は『早く目が覚めた』ではなく単に『寝られなかった』だけなのだが・・・・・


それくらいの嘘は許されるだろう。








私がそう言うと、跡部部長は何を思ってか


「そうか。お前もやっとマネージャーとしての自覚が出てきたようだな。」


と、いつもの傲岸不遜な笑みを浮かべた。









失礼な態度だと怒られるかと思ったが、彼はそんなこと気にも留めてないようだ。


度量が狭いわけではないらしい。







何だか物凄くそれが意外で、私はわずかに肩を竦める。











にしても意外な3人組の登場だ。


彼らレギュラー達は開始直前に来ることが多いのだが・・・・・














まるで、何かに導かれているかのようだ。















―運命ってやつか?







私は嘲笑しながらそう心の中で呟くと、











こいつらと運命が交わるだなんて、絶対ゴメンだ。




と心の底から思ったのだった。



















跡部部長が優雅なステップでコートへと降り立つと、遅れて忍足先輩達も私のいる方向―正しくはただテニスコートに向かっているだけなのだが―へと向かってくる。









そして、彼らは擦れ違い様に



「もやしっこ、おっはよ〜ん」



「おはようさん。」









と、挨拶をしてきたのだ。

それがあまりにも意外で

「お、おはようございます。」

思わず、声がどもる。




不覚にも物凄く驚いてしまった。








この学校に来てから私に挨拶をしてきたのなど、同じクラスの日吉くらいだ。



よりにもよって、一番こっ酷く無視してくれたこの二人に挨拶される日が来るとは・・・・












本当に・・・・・吃驚だ。















私達の間の空気が少し和らいでいるのをいち早く感じれる跡部部長は流石だというべきか・・・

それとも、一見して分かるほどまでに、今までと何かが違うのか



どちらとも取れるが、


「何だ、てめぇら。いつも間にか仲良くなってんだよ。」


すぐにそう言って嘲笑した。

















「別に仲良くなってねーよ!」


「そうそう。不愉快なほど気のせいやな。」

握りこぶしを作り、口を尖らせて大声でそう言う向日先輩と、特に態度を変える訳でもなく、少し苦笑して言った忍足先輩を見て跡部部長はクッと笑いを漏らす。



「そうは見えないがな。」







そんな跡部の言葉が余程納得がいかないのか、向日先輩はプゥっと頬を膨らませる。






眉を潜ませてわずかに小首を傾げて少し考え込んだ後、


「まぁ、ある意味同情ってヤツ?」
と言った。







「同情?」


「だって、こいつもやしっこなんだぜ?」

















「意味不明だな。」

わずかな空白の後、
跡部部長はため息混じりにそう呟く。







確かに意味は分からない。

そう思うと、私の口からも自然とため息が漏れていた。











けど、そんな跡部の態度にあの向日先輩が黙っているはずもなく

「不明じゃねーって!!だって昨日・・・・・」

より一層興奮して跡部に詰め寄る。





そんな様子を見かねて助け舟を出したのは

「はいはい。ストーップ。岳人は黙っとき。」

忍足先輩だった。










背後から両手で彼の口を塞いては見るものの、それは今の向日先輩に通じるはずもなくすぐに向日先輩の手により振り解かれてしまう。









「何すんだよ!!」


「そやかて・・・・・・・・・・・・・・・・自分の変態趣味についてばれてもええんか?」




「変態趣味じゃねーっていってるだろ!!興味だ興味!!」











「変態趣味だと?」

彼らの会話を黙って聞いていた跡部先輩が気になったのはやはりソコらしい。





彼の整った綺麗な眉がわずかに顰められる。









「だから違うって!!」



「跡部〜岳人なぁ・・・・・の服を脱して興奮するか試したんやで?」












「本気か・・・・・・向日・・・・?」

そう呟いた、跡部部長の口元は思いっきり笑っていた。











「だからーーーー!それはただの興味でーーーーーーーーーーーーー!!」




もはや、煩わしい向日先輩の言うことなど全く聞く気が無いようで


「それでもやしっこか・・・。」

と右手を口元に当て、跡部部長は考え込むようにわずかに俯いた。











「そうそう。あまりに色が白くてひょろひょろしてたからもやしっこ・・・・・じゃねぇって!!」

見事なノリ突っ込みだった。

ムキになっているのは向日先輩だけで、忍足先輩と跡部部長の顔を見れば分かる。











―あぁ・・・・・向日先輩完璧に遊ばれているな


と。




同い年であるはずなのにここまで違うものだと思うと感嘆に値するような気がして、私は彼らを凝視して見つめていた。










「で、興奮はしたのか!?」


「する訳ねーだろ!!全く反応もしなかったっての!!」



「残念だったな。折角ゲイの世界へ足を踏み入れるチャンスだったのにな。」






「だからーーーーーーーちーーーーーーがーーーーーーーうーーーーーーーーー!!」









まるで、呼吸困難に陥っているかのように彼は自分の首を両手で締め付けると、苦しそうに立ったままのた打ち回る。



「嘘嘘。がっくんは立派な男や。よっ、この女好き!!」




「って・・・・・侑士!!それも微妙!!」










そんな彼らの様子に跡部部長はため息混じりに

「お前の思考回路には呆れるが・・・・・・・・・まぁ、勃たなかったなら良いんじゃねぇか?良かったな。結果オーライってやつだ。」



と言うが、その顔に浮かぶ笑みが決して本当に呆れている訳ではないことを表していた。






跡部部長にとってきっと彼は同い年でありながら、まるで手の掛かる弟のような感じでからかいがいのある、けど目の離せない存在なのだろう。

きっとそれは向日先輩だけに限らず、そして跡部先輩だけにも限らない。







こんなにも自己中で自分さえ良ければそれで良いと思ってそうな彼らだというのに、私の想像以上に仲間を大切に思っているらしい。







まるで、一つの家族のように。








それが最近になって徐々に私にも分かってきた。













やはり彼らは私に似ている。








人とは違う世界を生き過ぎて、何かを媒介としてでしか人を信じられないのだ。





それが、彼らにとってはテニスであり、私にとってはお金である。













そして、私と彼らの最も大きな違いは


きっと




信じられる人の多さと、




何より、相手をどれだけ信頼出来ているのかの度合いだろう。















それが最も大きな違いであり



彼らと私の世界を隔てる大きな壁でもあるのだ。





―私は、信頼出来ると思っている人間にこんなにも柔らかに微笑みかけることが出来るだろうか。












胸が少しだけチクリと痛んだ。



















跡部部長の言葉を受けて、忍足先輩は急に真面目な顔で

「そやで?あんまり興味本位で動いとると・・・・・・・」


と、何か言おうとするが、向日先輩が力いっぱい



「分かった、分かったって!!それ昨日から何十回も聞いた!!」

そう叫びながら、頭を手を振って言葉を留めたためにその先は分からなかった。










「分かれば、良えんや。素直な子は好きやで?」

言いながら、忍足先輩は向日先輩の肩に手を乗せる。






満面の笑みを浮かべて自分よりも身長の低い向日先輩を見下ろした。






「侑士に好かれても嬉しくない!!」








本当に朝からハイテンションだ。

辺り構わず怒鳴り散らす向日先輩の頬を「ほら!がっくんがあんまり頬を膨らませ過ぎるからこんなに緩んどるで?」とか何とか言いながら両側から引っ張りると、

また、怒りを増徴させ、暴れまわる。








そんな、

彼の姿を見て、楽しそうに笑い出す忍足先輩。









練習中ではなかなか見れないほど微笑ましい光景だ。










きっと、この光景をあの女狐どもが見たら卒倒するだろう。





































その時だった。








ゾクリ












急激な寒さと同時に、激しい電流が私の中を走りぬけたような・・・・


そんな感覚で。






私はかすかに身を震わせた。














見なくても分かった。


このオーラを醸し出してるのが誰なのかは。








だが、

私は怖いもの見たさで、視線をゆっくりと向ける。

















「忍足、てめぇ何企んでやがる。」



そう言った跡部部長の目は恐ろしいほど鋭くて、厳しい。















一体今の忍足先輩の何が彼の警戒網に引っかかったのだろうか。





私には全く分からなかった。









ただ、

見なければ良かった。

それだけはよく分かった。

正直な私も気持ちだから。






そう後悔して私は無意識に彼から視線を逸らしてしまう。








彼の目は嫌いだ。


人の心の裏を暴こうとする彼の目の光が大嫌いだ。








私は彼らの輪の中には入っていないはずなのに、ただこの場にいるというだけでまるで自分が問い詰められているかのような、そんな恐怖を感じずにはいられなくて身を縮まらせる。












なのに、当の忍足先輩は



「何のことや?」



そう言って、不思議そうに肩を竦めて笑っただけだった。










「相変わらずとぼけたやろうだな、てめぇは。」









口だけ笑みを浮かべた彼らの視線は激しく音を立てて交わる。





向日先輩はというと、いつものことだ、と高を括っているのか頭の後ろで腕を組みただ傍観していた。












そして。


その向日先輩の行動は正しかった。







どちらにしろ、この間に割って入ったからと言って向日先輩にこの二人を止められるわけもない。

むしろ、標的が自分になってしまうだけだ。






もう少し言えば、跡部部長と相対するのが忍足先輩だから大丈夫なのだ。










このテニス部で跡部部長と最も対等に張り合えるのはきっと忍足先輩だから。












テニス部のことをまだあまり知らない私にでも笑顔で睨み合う彼らの姿を見れば一発で分かる。




そして、だからこそ二人は互いを貶めあったりしない。











だから放っておいても大丈夫なのだ。





彼らは頭が良い。



無意味なことや、引き際を良く知っている。





















不意に遠くからザワザワと小さく声が聞こえ始める。



私はハッとし、時計を見遣ると、すでに時間は開始10分前に近付いていた。









そのざわめきを跡部部長も聞いたのか、僅かに瞳を伏せると



「まぁ、良い。あまり面白いことを独り占めしようとするなよ?」






そう言って、踵を返した。


そして。

忍足先輩はその言葉にただ、笑みを浮かべただけだった。















が、

突如思い出したように、忍足先輩が跡部部長に声を掛ける。




「そや!跡部。今日俺、親戚の家に行かなあかんから、部活休ませてもらうで?」










その言葉に跡部部長は振り向き様に忍足先輩を睨みつける。

その目はさすがに恐かったのか、忍足先輩は冗談っぽく肩を竦める。


「ええやんか。家庭の事情なんやから。」









「分かった。許可する。今日一日でその家庭の事情とやらは大丈夫なのか?」





「おっ!今日は物分りがええなぁ。もちろん一日で十分十分!!」



そう言って、忍足先輩が視線を向けたのは跡部部長ではなく、もちろん向日先輩でもなく・・・











のそのそとベンチから立ち上がろうとしている途中であった








私だった。

















「なっ?くん?」



「なっ」にかかる言葉が分からず、私はボケっと彼を見つめ返す。







「意味を理解しかねますが・・・・・・」

ボソリとそう呟いた私に、跡部部長はクッと笑うと





「忍足。あまりこいつを苛め過ぎるなよ?」



そう言って、再び踵を返したのだった。








「跡部に言われたないわ。」


跡部部長の背にそう呟いた彼だったが、それは跡部部長に届いたのか届かなかったのか・・・




跡部部長は振り返ることはなかった。


























とりあえず、私は特に気に留めていなかった。




些細な日常の一ページとして私は受け止めていたんだ。











普段とは違う彼らの一面を見て、気を緩ませている場合ではなかったのに。





和やかな雰囲気に騙され、一瞬でも平和ボケしてしまった私は何も気付いていなかった。











私を縛り付けるような忍足先輩の視線にも。


跡部部長が本能で悟った忍足先輩の不可解な態度にも。







何にも気付いていなかったのだ。












跡部部長だって、決して全てを理解している訳では無いだろう。


彼はただ、忍足先輩の異様な視線と不自然過ぎるその態度に引っかかりを覚えたに過ぎない。










けど、その半分でも・・・・



いや。



その10分の1でも私が何かに気付いていたら、何か出来たはずだった。














けど、もう遅い。




全ては私の愚かさが生んだ物語。












そのことに気付いた時、


私はまた一つ何かを失った。




きっと、それは人形に生命を与えた、大切な感情の一つ。









失っても、私はきっとその大切さにすら気付かないのだ。







































私の靴箱の中に熱烈なラブレターが入っていたのは



それから一週間後のことだった。









差出人は

















忍足侑士
























BGM:CONSIDER





















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