馬鹿な子ほど可愛いって言う言葉があるけれど。


よく言ったものだ。









向日岳人。










いつも笑顔で。

いつも楽しそうで。










私にとってテニス部である意味一番分かりやすくて、そして一番、訳が分からない存在だった。










でも・・・・

















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   24 -diritto-



















「おっつかれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪♪」


軽やかな足取りで一直線に私の方へ向かってくる向日先輩に私は反射的に身を強張らせた。

気のせいだろうが、何だか怪我した足が痛むような気がした。








それはきっと体があの時の恐怖を覚えているからだ。



怒り、悲しみ、痛み。







全ての感情だけが走馬灯のように蘇る。













足は地面に張り付いたかのように動かすことが出来ない。






あの時とは違い出口はすぐ後ろにあるのに。














そんな私の態度を敏感に感じ取ったのは欠伸をしながら一歩一歩歩み寄ってくる忍足先輩の方だった。



「がっくん、怯えとるで?よほどがっくんの笑顔が不気味なんやな。」


「はぁ!?笑顔が不気味なのは侑士の方だろ!!世に言うキモエロイってやつ?」












彼らは見詰め合って沈黙する。





先に口を開いたのは忍足先輩の方だった。










「・・・・・・・・よっしゃ。分かった。俺は帰らせてもらうで?」

そう言って出口に向かおうとする忍足先輩の手を向日先輩は焦って掴んだ。







「ちょっとちょっと!!待てよ!侑士!!付き合ってくれるって約束したじゃんかよ。」






「そやなぁ・・・?がっくんの我が侭にこんな遅くまで付き合ってやった優しい男は誰やったかなぁ・・・・?」




「・・・・・・・・・・・・・忍足侑士様です・・・・・・・・。」

小声でそう言うと、忍足先輩はわずかに口元に笑みを浮かべながら、わざとらしく耳に手を当て、向日先輩に近づける。




「んん?誰やって?」








「あーーーーーーーー!!もう分かったって!!ゴメンナサイ!!!俺が侑士を付き合わせました。スミマセンデシタ!!」


半ば投げやりな言い方で言うと、向日先輩はキッと私の方を睨み付けた。








「お前のせいだかんな!!」




彼の意味不明の言葉に私は恐怖が一気に吹っ飛んでしまう。

本当に意味が分からない。







今の話の流れでどうして私が悪くなるのだろう。











「何だよ。その態度は。」


ジトッとした目で向日先輩に睨みつけられ、私はやっと自分が眉間に皺を寄せてわずかに首を傾げていることに気付いた。







そこまでしておいてさすがに『いやぁ、何でもないですよ。あはは。』とはさすがに言えまい。


今度はしっかりと首を傾げながら私は思ったことをそのまま口にする。









「今の話の流れで、どこが俺のせいなのかさっぱり分からなくて・・・。」





本当のことなんだから仕方ないじゃないか。

そう思うが、そんな私の気持ちなんて向日先輩には通じるはずもなく・・・・



淡々とそう言った私に向日先輩の怒りは一層膨らんだようで、今度はピンと伸びた人差し指をこれでもかというほど勢い良く私の方に向ける。












「お前が帰ってくるのが遅いから侑士に嫌味言われたんだろ!!」

















はぁ?






頭の中にはその一言しか浮かばなかった。


理由を聞いてますます意味が分からなくなるというのも凄い。






それとも、もしかしてここは『そっちが勝手に待ってたんでしょ。俺のせいにしないで下さい。』とツッコミを入れるべきなのだろうか。















結局、選んだ言葉は一番無難なものだった。

「・・・・・・一体俺に何の用事が・・・・・・?」


何から尋ねたら良いものか困ってしまい、少し戸惑い気味に私はそう尋ねる。








それがまた彼の癇に障ったようでより一層彼の声が大きくなったのがはっきりと聞き取れた。





「だから!何でそんなに脅えんだよ。そんなんだから苛められるんだよ!!」








「別に脅えているわけじゃありません。ただ、わざわざ先輩方が俺を待ってくれる理由が分からないから不気味なだけです。」

そうは言ったものの、本音というと彼らが私を待つ理由以前に、何もしてないのにこれほどまで怒られるのかという理由の方が知りたかったりしたが、きっとそれは聞くだけ無駄だということが分かった。




どうせ、また同じ言葉の繰り返しになるだけだ。



















私の言葉に向日先輩はようやく本題を思い出したようで、





「そうだそうだ!いやっ、別に何か用事があるって訳じゃないんだけどな。








急にと一緒に帰りたくなったんだ!!」

と、うんうん頷く。




あまりにサラッと言われてしまい、私は思わず聞き逃すところだった。





―一緒に帰ろうと思ったぁ?






一応答えにはなっているのだが、また新たに疑問が生まれる。


何故、彼らが私と帰りたいなどと言い出すのだろう。









答えを聞いたつもりがますます意味が分からなくなっていた。















「・・・・・・はぁ・・・・?」

抜けたような私の返答に、向日先輩は気にも留めずに、





「ほらっ!待っててやるから早く着替えろよ。」


そう言って再び満面の笑みを向けたのだった。






















◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆















「あの・・・・・・向日先輩・・・・?」



「何だよ。早く着替えろよ。」



















「そんなにじっと見られると物凄く着替えにくいんですが。」


恐る恐る後ろを振り返ると、ソファに座って物凄く真剣な眼で私を凝視している向日先輩の姿があった。












先程から、背後で痛いほどの視線を感じていた。





一体向日先輩が何をしたいのかは知らないが、不気味なことこの上ない。









着替えをする私の手が止まったことに気付いたのか、彼は私の背後で

「ほらほら!俺のことは気にせずにさっさと着替えろって。」

と、私を急かす。






「そうそう。はよ着替えてもらわんと、俺が帰れられへんやん。」





向日先輩の隣でやる気無さそうに座っていた忍足先輩はそう言って、大きく欠伸をしていた。


彼の方は本当に向日先輩にただ付き合っているだけのようだ。







向日先輩とは対照的に、忍足先輩は眠そうにテニス雑誌をペラペラと捲っており、私の方など見ようともしていない態度がそれを切実に物語っていた。。










「ほらっ!侑士もやる気だせよ!!」


「あー・・・・はいはい。」





そんな忍足先輩の様子に納得がいかないのか、プゥと頬を軽く膨らます。

しかし、すぐに諦めたようにプイッと彼から顔を背けた。







そして、今度はソファの上に正座すると、再び私の方を凝視し始めたのだった。















私もしばし彼を見つめるが、その必死な様子にこの場でいくら私が『見るな』と訴えようとも無駄であることをすぐに理解する。









別に全裸になる訳ではない。




下着姿になる訳でもない。








こういう場合を考えて、胸の膨らみや体のラインが分からないように対処はしてある。













今まで、一緒に着替えても大丈夫だったんだ。



ここで、どんなに躊躇っても、彼は私を見るのを決してやめないだろう。


むしろ、反対にどんどん彼の目が真剣になっていっている気がするのだ。









だったら、こんなものはさっさと終わらせてしまうに限る。



躊躇するとますます怪しさを増すだけだろう。














そう思って私は一気にジャージを脱ぎ捨てる。




学校内では常時装備している大きめのT-シャツが太腿の半分くらいを覆っており、まるでミニスカートでも穿いているかのような状態だった。

それを見て、向日先輩は感嘆のため息を吐く。







「お前、もやしみたいな足してんなぁ・・・・。だからもやしっコなんて呼ばれんだよ。」













呼ばれてねぇよ。





と、振り返って怒鳴りつけたくなったが、それよりも早くこの嫌な沈黙から逃れてたくて。







私は着替えを進めることにした。


急いでズボンに足を通すと、そのままの勢いで気候にそぐわない今度は長袖のパーカーを脱ぐ。









誰もいない時だったら、Tシャツも着替えたいのだが、今日はそんなことをしている余裕は無い。




汗をかいた大き目のTシャツの上からそのまま半袖のYシャツの袖に腕を通そうとした。


























その時だった。







腰の辺りに何かひんやりとした感触。



すぐには何が起こったのか理解出来なかった。















「お前、色白いなぁ〜〜〜〜しかも腰細っ!」








その言葉に何が起こったか察するより前に手が先に出ていた。


半無意識に私は向日先輩の手を払い除ける。











そして、ようやく彼が何をしたのか理解出来た。












彼はTシャツをその下のタンクトップごと腰の上まで捲り上げていたのだ。

冷たい感触は、何か触れたのでは無く汗でジットリと張り付いた服から解放し、冷房の効いた冷たい空気に晒されたことによるものだろう。









『何してんだ!』

ここはそう言って怒るところなのだろうが・・・。









私が払い除けたことが不快だったのか、向日先輩は自分の手と私の方を交互に睨みつけ、いけしゃあしゃあと


「別に服を捲るくらい良いじゃねぇかよ!女じゃあるまいしそれくらいで怒るなよ!」

と口を尖らせて怒鳴りつける。











全く、怒鳴りつけたいのはこっちの方だというのに。


向日先輩に先を取られてしまい、私は怒る機会を逃してしまったような気分だった。











行き場の無い怒りを発散させるかのように私は彼に背を向けたまま深くため息を吐いた。











「そろそろ、目的をはっきりしてもらえませんか?」




「目的?」



「一体何がしたいんですか。人の着替えをジッと見たり、服を捲ったり・・・・・・何ですか?アナタは男色家なんですか!?」











冗談で言ったつもりだった。


私の予想ではこの後は『そんな訳ないだろ!』と怒りながら言う向日先輩の姿が見られるはずだったのに・・・・・









私の言葉に、ずっと雑誌を読んでいるだけで、無関心だった忍足先輩が笑って私を見た。





「おぉ!さすがちゃんやな!正解正解。岳人ちゃんは男の子に興味があるみたいなんデスヨ。」

小さく奇声を発しながら忍足先輩がパチパチ拍手すると、怒った向日先輩がその手を叩き落す。









「くそくそ侑士!別に俺はホモじゃねぇ!!」


「けど、興味があるのは嘘やないやろ?普通の男の子は同性に興味は持たんで?少しでも興味を持ったちゅーことはそっちの気があるんやないか?」












軽口でそういったつもりが、まさかピンポイントで的を射ていたとは・・・。



驚きのあまり

「・・・・・・・・・本当に向日先輩・・・・・・・・ホモなんですか・・・・・・?」



戸惑いながらそう尋ねていた。










「ちがーーーーーーーーう!!侑士達が女とのセックスより気持ち良いって言ったんじゃねーかよーーー!!気持ち良いことなら試してみたいと思うのが男だろ!!?」









唖然とするしかなかった。


話しの全てを理解出来た訳ではない。












けど、話しの一番重要な部分は理解出来たと思う。










私は確認するように


「つまり、気持ち良いと聞いたから一度試してみたいと思った。そういうことですか?」






そう尋ねていた。










「そうだよ!気持ち良いことならやっぱり知っておきたいからな!!」

ふんぞり返ってそんなことを自信満々に言う向日岳人という人物に私は瞠目してしまっていた。



















何と言う単純思考なのだろう。


気持ち良いからテニスをする。

気持ち良いからセックスをする。




気持ち良いなら男とでもセックスしてみたい。







つまりは常識とかそんなものはブッ飛ばして、ただ本能のままに・・・・・・欲望のままに生きているのだ。彼は。






モラルなどあって無いようなものだ。













「凄いですね・・・・・向日先輩・・・・・。」


それは心からの感想だった。









よく言えば探究心旺盛ということなのだが、














これは単なる馬鹿だ。














けど、こんな素直で一途な馬鹿は嫌いでは無かった。


ふつふつと胸の奥底に込み上げる何かを私は感じる。








それが『何か』は分からないが。

放っておくと、頭の芯まで痺れてしまいそうな。




そんな感情だった。






























「で、がっくん?実験の成果は?」




不意に私は我に返った私の耳に一番に入ってきたのはそんな言葉だった。


どうやら、複雑な私の心の内など彼らが知る由も無く、いつの間にやら彼らは完全に二人の世界に入ってしまっているようだ。




散々巻き込んでおいて、すでに彼らの頭の中に私という人間は排除されているらしく、彼らは私抜きで話し始める。




















「・・・・・・・ダメだった。やっぱり勃ちそうにない。


思ったより綺麗な肌してたからもしかたらと思ったんだけどさ〜・・・・」









ソコまで言って、彼の声が一気に怒りと戸惑い、




そして。

何よりも心底残念がっているのか。




かなり興奮した様子で声を大きくする。
















「だって、下に付いてんだぜ!?


自分と同じものが!!!







さすがにそれを想像すると・・・・・・・・・・・・・
キツイ・・・・・・。」









嘆くようにそう言って、向日先輩は項垂れる。


最後の方は本当に悲しみが含まれているような声だった。











「だから言ったやないか。どんなに女みたいに可愛い男でも下半身見ただけで萎えるで・・・・。ましてやこんな可愛さのかけらも無い男相手に・・・不可能っちゅー話しや。」

「でも、こいつ結構綺麗な肌してたぜ?」

そう言いながら、私の顔も見ずに親指で私を指し示すと、忍足先輩はわざとらしく深くため息を漏らしながら大きく首を振ってみせる。







「肌なんか関係あらへん。どんなに足が綺麗でも、ここまで不細工やと燃えるもんも燃えんわ。」
















言われたい放題だが・・・・。

気になったのは最初だけで、話の大筋が分かった今となってはもはや興味すら失せてしまっていて。






彼らのそんな話を後ろで聞きながら、私はそそくさと着替えを再開していた。













それに。

これ以上付き合っていると、今の勢いだと、今度こそ本当に『一度全裸になってみろ』と言われかねない。



こっちに話しが戻ってくる前に早くこの部屋を出て行きたかった。











本音を言うと、もう少し向日先輩の話を聞いてみたいという気持ちもあった。






けど。

それすらも何だか億劫で、どうでも良いようなことのような気がしたのだ。








そんな想いを微かに胸に抱きながら私はボタンを留める手をより一層早めた。












































それからあまり時間が経たないうちに私は着替えをおえ、ロッカーを閉める。



相変わらず、彼らは口論していたのだが。







バタン!







静かに音を立てないようにしたつもりだったが、ロッカーを閉めた音が部屋の中に響き渡り、言い争っていた二人の驚いたような視線が一斉に私に向いた。











どうせ、黙って抜け出すことは出来ないと思っていたから別にどうでも良いのだが・・・。


そう思って私は開き直ると、ソファに座っている忍足先輩とその前に立っている向日先輩を交互に見て、そして軽く頭を下げた。












「そういう訳なので、俺はこの辺で失礼します。」

それだけ言って私は部屋を出て行こうとする。





何が『そういう訳』なのか、私自身もよく分からなかったが、意味不明な言動はお互い様だ。

この際、言葉で語り合うより態度で語れということなのだろう。













が、予想通り・・・・






「ちょっと待てよ!!」







素直に帰してくれるはずも無かった。













逃げられるはずもなく、私はしぶしぶ振り返って向日先輩の顔を肩越しに見つめる。




「何ですか?」









「今日のこと誰にも言うなよ。言ったらただじゃおかねぇからな。」





強い口調で言っている割には内容があまりに情けないことが私はおかしくて堪らなかった。

けど、同時に少し可哀相にもなっていた。













私は苦笑気味に

「別に誰にも言いませんよ。

あぁ・・・・・一つだけアドバイスするなら、俺なんかじゃ参考にならないですよ。

そうですね・・・・・・・・好みの顔の男の子が出ているAVでも探してみたら・・・・?」







思わずそんなことを口にしてしまっていた。


アドバイスの内容の云々はこの際関係なかった。








私にとって重要なのは自分から誰かに何かをしたこと。



それは私自身を驚かせるのと共に、向日岳人という人間を気に入ってしまったということを私自身に気付かせるものでもあった。














もし、彼と出会ったのがこんな所では無かったら、私は彼を『欲しい』と思ったかもしれない。





だが。
それは『恋』などという甘ったるいものではないだろう。












きっとそれ以上に甘美で魅惑的なモノに違いない。








―惜しいことをした。



何か胸の奥から熱いものが込み上げてくるような感覚を覚える。













お金のためにセックスをするとは言っても、時にはそれ以上の何かを求めることもある。



それを与えてくれるのは信頼に値する、登録された『友達』の中でも1人しかいない。

正しく言うなら、『1人しかいなかった』だろうか・・・・。










今は決して掛かってこないその電話番号。


まだ、それは私の携帯電話の中に消されずに残っていた。

























そんな私の頭の中など知るはずもなく、吹っ飛んでいた思考を戻したのは



「それはホモとしての意見かいな?」

笑いを含んだ声で、綺麗な顔を歪ませながら言った忍足先輩の言葉だった。







その言葉。


私の思考回路をぶった切るようにして言われたその言葉は思いがけない言葉だった。










呆然として意味の分からない言葉を吐いた忍足先輩の方を向く。

彼は嫌な笑みを浮かべていた。





その顔すら色気があるのが恐ろしい。














ちゃんは真性のホモなんやろ?この間も神聖なテニス部の倉庫で男だけの乱交パーティしてたそうやんか。」









『倉庫』



この言葉が合言葉だった。




訳の分からなかった彼らの言動が瞬時に結びつき、一つの答えを導き出す。













そう。


全ての答えは私自身が持っていたのだ。















倉庫でのやり取りがこいつらにバレた。

ただ、それだけだった。













ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべる忍足の様子からして、事情は全て知っているのだろう。


私がただ、彼らに嵌められただけなのだということも。





けど。

それを知っていてわざと彼は私を辱めようとしているのだ。






どこまでも私を堕としてしまいたいらしい。














身の毛もよだつような絶対零度の怒りが一斉に私の体内の血液を全て凍りつかせるようだった。

怒りは湧き上がってくるけど、頭の中はそれと比例せず、逆にどんどん冷静さを取り戻しているようだ。








しかも、私の怒りが向いたのは忍足先輩では無かった。




そして。

もちろん向日先輩でもなかった。
















全ての怒りの矛先は










わざわざ、コトの全てを報告した人物へと向いた。


















もし、跡部があの事件の計画者だとしても、彼がその事をこいつらに話すとは思えなかった。


それに、彼らの言い方からして、彼らに話したのは計画を全て知っていた者では無い。






別にあの倉庫の時の男達は私を犯そうとしていたわけじゃないからだ。










それを『乱交』だとか『ホモ』だとか・・・・・

そういう発言に繋がる言葉で事のあらましを説明出来るのは、コトの全てを知らず、私が押し倒され服を脱がされている状況しか見ていない人間によるもののような気がした。








だとすれば、それは一人に限られる。

















「それ言ったの芥川先輩ですか?」









「ジローが助けてくれたんやろ?良かったなぁ〜・・・輪姦されるようなことにならんで。」






冗談とも本音ともつかない言葉に私はカッと血が上るどころか、逆にますます急激に脳内が冷え込み嫌になるほど冷静になっていた。


同時に、私のあの時の判断が正しかったことに心底ホッとしていた。








―あの時、芥川先輩の手を取らないでよかった・・・・
と。




そう思うと私はむしろ幸福感を感じていた。







また裏切られる所だった。

そして、また傷つくところだった。






やはり彼は私を貶めようとする人間の一人だったのだ。

事の顛末を全てレギュラー達に話して私を嘲笑っていたのだ。










今日の、芥川先輩の態度が鮮明に思い出される。

あの時は。
誰も見ていないところでは私を庇えるけど、見ているところでは話しかけることすらできない典型的な弱虫の行動なのかと思っていたが・・・・・



どうやら、そうではなかったらしい。









彼はそれ以下の最低野郎だ。













「芥川先輩もおしゃべりな人なんですね。人の不幸をこうやって笑いものにするなんて不愉快な人・・・・・・・。」

あまりの腹立たしさに私は思わずそう呟いていた。



















「何やて?」


一瞬にして空気が冷たくなるのを感じる。






胸の奥がジンと痺れるような冷たい口調だった。

普段から私に決して好意的ではなかったが、それ以上に今の彼の声は私に恐怖すら感じさせた。











けど。

それすらも今の私にはただ怒りを増長させるものでしかなかった。









「言葉の通りですよ。助けてくれたなんてとんでもない。むしろ彼が乱入してきたせいでアンタらにもバレて、馬鹿にされて・・・・・・こんな訳の分からない実験台にまでさせられて。本当にいい加減にしてもらいたいですよ。」





「ジローはお前を助けようとしたんやで?自分の肩身が狭くなるのを覚悟で、跡部に意見したんやで?」












『意見した?』

その言葉に私はわずかに驚く。



けど。

それだけだった。




その言葉が私の胸に届くことは無い。




むしろ。

腹を抱えて笑いたいくらいだ。












「だから何ですか?芥川先輩が意見してくれて跡部部長や他のレギュラー達が俺への態度を改めてくれるんですか?部員達が優しくしてくれるんですか?」



跡部部長の態度も他のレギュラー達の態度も全く変わらない。


むしろ、『男に襲われていた』という変な認識が付いた分、余計に立場が悪くなったような気がしてならない。














跡部部長に意見してくれたから、



だから何だと言うのか。


状況は何も変わっていない。

結果に繋がらなければ、例え誰が何をしようともそれは無いことと同じことなのだ。











「何もならない優しさは迷惑でしかないです。そういうのを世の中では偽善、というんですよ。」


『愛』に対する認識はかなり薄いくせに、仲間意識だけは強い彼らに反吐が出そうだった。








自分に必要ない人間は『ゴミ』としか思っていない彼らの『仲間意識』など唾でも吐きかけてやりたくなる。

いや・・・・それだけでも足りない。









そんなくだらないモノは修正不可能なほど粉々に砕いてしまいたい。




















「俺が言うのも何やけど・・・・・・・・・・














お前、めっちゃムカつくわ・・・・。」



そう言った彼の目はゾッとするほど冷たい物だった。










が。





今更、ムカツクと言われたところで私の心には何も響かず、私はクールに答える。








「奇遇ですね。俺もアナタ達が大嫌いです。」

と。







それでも。

やはり口調のどこかに刺々しさが交じっていたからなのか、それとも今まであからさまに言わなかったことを私が口にしたから驚いたのか。



彼らは怒るより前に双眸を瞠っていた。













本当はここまで言うつもりは無かった。


けど、冷たくなった思考からは止め処無く言葉が溢れ出す。











人を人とは思わない彼らに『偽善』を押し付けられていることや、『優しさ』について語られることがこれほどまでに腹が立つことだとは思わなかった。




似合わない『仲間意識』とやらに全身の毛が逆立つような・・・・

血が逆流するような。




そんな感覚に襲われていた。








冷静だと思っていたけど、むしろ私は冷静な時の方が頭に血が上っているのかもしれない。



















「ってかさぁ、お前って本当にホモなんじゃねぇの?」

睨み合う二人の間に入ってきたのは向日先輩だった。




「だから、違うって言っているじゃないですか。」













「だったらコレ。

何で男の名前ばっかなの?」











そう言って彼が掲げたのは



私の携帯電話だった。











私は呆然とする。


― 一体いつ・・・・・・・・・?






そんな声にならない私の疑問を変わりに言ってくれたのは忍足先輩だった。








「岳人・・・・お前いつそれパクったん?」

さすがに、忍足先輩もその行動には呆れたのか、さきほどまで空間を覆っていた怒りが幻のように消え去り、呆然と向日先輩を見る。




「ロッカーの鍵かけ忘れたから、漁ってみた。前から気になってたんだよな〜あの大きな荷物の中には何が入ってるのかって。そしたら、入ってたのは携帯と着替えだけ!ホント意味分かんねぇ〜〜〜〜!」











向日先輩の声など、この時すでに私の耳には届いていなかった。








ただあるのは・・・・・・・・・




















・・・・・・・返せ・・・・・・













「ってかさ、大体お前登録16件って少なすぎ。しかも全部男!女に相手されないから男に走ったんじゃねぇの!!?」









「・・・・・・・・・・返せ・・・・・・・・・・」











アレは・・・・携帯は言わば私の人生そのものだ。



私の全てがアレから始まりそして、アレに残っていくのだ。







何も知らない彼らに汚されるのだけは許せなかった。

















返せって言ってるだろぉぉ!!!!!






ここまで怒りに狂うような声を出したことが未だかつてあっただろうか。











あったとしても、記憶も曖昧な大昔だ。

いつも、どこか心の中が冷めている私にとってはこの溢れかえるような怒りは自分でも予想出来ないものだった。


















私は猛烈な勢いで向日先輩に掴みかかる。



高く掲げられた彼の手から携帯を取り返そうと私は彼の腕に勢いよく手を伸ばした。









「さっさと返せ!!」


「った・・・・・返せと言われて誰が返すか!」


いきなり変貌した私に瞠目し、戸惑っていたようだったが、逆にその様子が彼の『勝負心』を擽ったようだ。







負けたくないとでも思ったのだろう。




彼は携帯を掴む腕をより私から引き離そうとする。















「返せよ!!」



「だから嫌だって言ってるだろ!!



痛いんだよ!放せ!!!」










そう言って今度は彼の方が私の手を振り解こうとした



















―瞬間だった。




















一瞬何が起こったのか分からなかった。









押されて・・・・・よろめいて・・・・・・









横に並んだ彼との身長はさほど変わらない。

けど。





力の差は歴然としていた。








それに・・・・。

怪我した足が上手く動かなくて・・・・













自分自身のよろめきに、向日先輩に突き飛ばされた勢いも加わり。





私は物凄い勢いでロッカーに激突していた。














その瞬間、揺れたロッカーの上からダンボールの中に無造作に投げ入れられていた書類達が私の頭上を目掛けて一気にダンボールごと落ちてくる。





そして。

その事に気付いた時には私は頭を守るようにしてうつ伏せで床に倒れこんでいた。















落ちたものが良かったからだろうか。

そんなに痛みは無かった。




けど、長年掃除されていなかったのか、埃が凄くて私は頭を抑えて倒れたまま顔を上げることが出来なかった。













書類とダンボールに埋もれた私を、何が起こったのか分からないとでもいうような顔で彼らは呆然と見下ろす。




呆れたような声でため息混じりに忍足先輩が

「岳人・・・・・さすがにこれはやり過ぎやで?」
そう言うと



今度は

「お、俺、ただ少し押しただけだぜ!!?こいつが貧弱過ぎるんだよ!!!」






そう叫びながら向日先輩は脅えるように後ずさって一番私から遠いソファの影へと逃げ込んだ。










その様子を見て忍足先輩はまた軽くため息を漏らすと、


少し膝を折って私を見下ろした。










「大丈夫かいな?まぁ、普段の行いが悪いからこんなことになるんやで。」







心配するのか嫌味を言うのか、どっちかはっきりして欲しい。


けど、そんなこと言い返す余裕が埃塗れで、何かしらに埋もれている私にあるはずもなく黙って聞いていた。








「まぁ・・・・・このままほったらかしとってもええんやけど・・・・さすがに今のはどう考えても岳人が悪いからな。今日は特別サービスや。」

そう言う忍足先輩の口調はやはり心配しているというよりもどこか面白がっている中に刺々しさがあった。

しかし。











それでも私の二の腕を掴んで起き上がらせようとした忍足先輩の手は優しかった。
















だが。


それもまた、私にとっては余計なお世話でしか無い。






私は痛みでは無く、埃による涙を目に溜めて、目の前に立っている忍足を見上げた。

















「サービスなんていらないですから。そういうこと言う前に掃除して下さい。埃が目に痛い・・・・・・・」



そう言って私は目を押さえた。






「・・・・・・・足は痛いし、目は痛いし・・・・・・・・・・本当に最悪です。

サービスしてくれるなら、俺なんてほっといて早く出て行ってくださいよ。」








自分でも情けなくなるほどブツブツとそんな文句を言いながら私はゆっくりと体を起こす。








昨日の迷子と言い、本当についてないことばかりだ。



忍足先輩の言うことを鵜呑みにするのも癪だが、それでもやはりどうしても『日頃の行いが悪いからだろうか』と疑ってしまう。






















ふと、私は自分の二の腕を掴む忍足先輩の手が強くなっているのを感じた。







そして。





それと時を同じくして、私とは対照的に何もしゃべらない忍足先輩に違和感を覚え、










顔を上げようとした・・・・・



























その時だった。

私はちょうど私の手元にカタッと何か冷たいものが当たったのを感じ見上げるより前にそちらに視線を向けた。
























そして、それを見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。










同時に、頭上から忍足先輩の声がようやく聞こえた。

































「お前・・・・・・・・・・・・誰や?」


































私の視線の先にあったのは



散らばった書類と
































私の眼を覆っているはずの












大切な眼鏡だった。
























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