ここのストリートテニス場が以前、間違ったバスに乗った上に、加えてそのバスを居眠りして乗り過ごしたことで偶然辿り着いた場所だった。
もともとこの町の人口自体が少ないのか、それともテニスをする人がいないのか・・・。
初めて来たときもここには人一人として見えなかった。
けど、俺はそれが気に入って時々来るようになって、その内にジャッカル先輩も強引に連れてくようになり・・・・
それからというもの、いつも通っているところがいっぱいの時は、ジャッカル先輩とここによく来るようになったんだ。
別にそんなに遠い訳でもないし、それさえ補って余りあるくらい俺はこの場所を気に入っていた。
普段ほとんど人と鉢合わせたことはない。
もちろん、千石さん達と会ったのも今日が初めてだった。
だから、まぁ・・・・・・俺の秘密の場所を取られたようで腹が立ってちょっと喧嘩を吹っ掛けてしまったわけだが・・・・。
それにしても、今日は変な女も現れるし・・・・・
対人運が悪い日なのだろうか。
そう言えば・・・・・
今日、朝見た学校に行く前に何となく見てたテレビ番組の占い。
それでは結構俺、運勢良かったんだよな。
やっぱ、占いなんて当てにならないもんだな。
110
22 -conoscere-
不意に青い空の中高く上がった黄色い球。
それを目掛けて俺は高くジャンプし、
「うっしゃぁぁぁぁぁ!!」
ラケットを振り下ろした。
少し高めの俺の声が静かなテニスコートに響き渡った直後。
シュパンッと黄色い小さな球が相手のコートを勢いよく付き抜ける。
「へん!俺の勝ちッスね、ジャッカル先輩!!」
「ったく・・・・・お前は、やっぱ凄えヤツだよ。」
「当然ッス!まぁ、ジャッカル先輩もなかなかやりますね。」
疲れて地面に直に座り込んでいるジャッカル先輩に勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべる。
そんな俺にジャッカル先輩は呆れたように鼻で笑うと、立てた膝の間に頭を沈めるようにして、黙り込んでしまった。
もはや、話す気力もないといった感じだ。
呼吸と共に肩が激しく上下に動いているのだけははっきりと見えた。
それが何だか、俺の優越感を倍増させ、「やっぱり自分は凄いんだ」と思わせるんだ。
バシィィィーーーン!!
俺は突然聞こえてきた大きな音に少し驚き、不覚にも肩を震わせてしまう。
どうやら亜久津さんの打った球が見事にコーナーに決まったようだ。
「なんっつー音、出してんだよ。」
ボソッと呟きながら、俺はさり気なくそちらを見る。
球を拾いに行っている千石さんを横目で見ながら、
ふと俺はあることを思い出す。
試合中すっかり忘れてしまっていたんだが・・・・・・
あっちのコートへと向いていた顔をそのままもう少し動かすと、そこには数十分前と変わらず、ちゃんと座っている女の姿があった。
半ば強引に試合を見学させられたような感じだったから、ボーっとしているんじゃないか・・・・・もしかしたら居眠りしてたりして・・・・とかなり期待していた俺としてはその彼女の様子に少しガッカリするのと同時にかなり驚いた。
ベンチに座っている女はクールな顔をしながら、その両目にはしっかりと目の前のコートを捕らえているのだ。
その視線には物凄いパワーを感じる。
小さな子どもが興味を持ったものをジッと眺めるように・・・・
女もまたクールな表情や態度とは不釣合いなその力を持った真剣な眼で千石さん達の試合を凝視していた。
その様子が何だか面白くて、けどやっぱり何か分からないけどムシャクシャして、俺の足は自然ととかいう女のベンチへと向かう。
「何、そんな真剣に見てんだよ。」
斜め後ろから話しかけた俺に彼女は振り向くことなく、
「いや、この際だからしっかり観察しておこうと思いましてね。」
と言った。
その態度がまた不愉快で、俺は少しムキになって言い返す。
どうしてこの女はこういつも喧嘩腰なんだ?
俺に喧嘩を売られてビビらないヤツも結構珍しいが、逆に自分から喧嘩を売ってくるヤツは本当に稀だ。
しかも・・・・・相手は女。
―意味、分かんねぇ・・・・
「見るだけで何が分かるっつーんだよ!」
「さぁ。でも、まぁ楽しそうにしてるなということだけは分かります。」
首を僅かに傾げるようにして、言った女の言葉に俺は呆然とするしかなかった。
笑い飛ばすか馬鹿にするか出来れば良かったんだが、それも無理だ。
何も言えなかった。
単純だけど間違っていない感想。
まさか、そんなことを言うとは思わなかった俺は少し驚いてしまう。
何かこいつと話していると調子が狂うのだ。
俺は今のでそのことをやっと理解した。
さっきから調子が出ない理由。
それはきっと相手がこの女だからだ。
この女絶対どこかおかしい・・・・俺の直感がそう言っていた。
「なら、俺の試合はしっかり見たのかよ!」
何が『なら』なのか俺自身さっぱり分からない。
けど・・・・・・・何故か物凄くこの女に俺の試合を見てもらいたいと思ってしまっている俺はそんなことを言っていた。
俺のこの言葉にようやく初めてが俺の方を振り返る。
先程まで千石さん達へと向かっていたその視線が俺の方へ向いた。
さっきも思ったけど・・・・
こいつの目だけで言えばうちの部の副部長より恐い。
それくらい物凄い力を持っていて、けど・・・・
凄く綺麗だとそれは素直に思える。
「見てないですよ。だって、私はアナタに試合を見ろだなんて一度も言われて無いですから。」
「ってめぇ・・・・・・・・・・屁理屈を・・・・・・・!」
ほらっ、また喧嘩腰。
はっきり言って『ムカツク女』としかこの女のことを思えなかった。
―けど、今は・・・・
不愉快というより・・・・何だか結構ショックの方が大きい自分により一層ショックを受ける。
本当に何処までも生意気で腹の立つ女なんだ、こいつは・・・・
そんな俺の心境などまるで興味がないとでも言うように、彼女はすでにコートへと視線を戻し、俺の方を見ていなかった。
行動の一つ一つが癪に障る。
「はん!折角もっと面白いテニスが見れたのに残念だったな。」
そう言った俺と彼女の間を小さな風が通り過ぎる。
一時の間があった。
「・・・・・・見ましたよ。」
その後に聞こえてきた言葉は、俺が全く予想してない返事だった。
「はぁ!?まだ喧嘩売るつもりかよ?」
彼女の言葉の意味が全く分からなくて、俺は吐き捨てるようにそう言う。
が。
「だから、あなたの試合ちゃんと見ましたよ。」
その彼女の言葉に俺はまた何も言えなかった。
「・・・・・・・・・。」
無言の俺。
女の・・・・の言葉の続きを俺は待ってしまっていた。
やはりしばしの間があった後、
は
「楽しそうだけど、つまんなさそう。」
とだけ、言う。
どういう日本語だ、と思わずツッコミそうになった。
しかし、そんな俺の心情を察することなくは話を続ける。
「口で説明するのはあんまり得意じゃないけど・・・・・」
「さっさと言えよ!」
別に怒っていた訳じゃない。
ただ、早く彼女の・・・・の話を聞きたいと思っている自分がいたんだ。
「何だか脅えてテニスしてる感じがする。」
「はっ!?」
やっぱり意味が分からなかった。
というか、分かるが、あまりに突拍子がなくて理解不能だった。
俺のテニスに恐怖や、ましてや脅えているなどあるはずがない。
あってたまるものか。
初対面のくせに何を分かったようなこと言ってるんだ。
そう思った瞬間、一気に俺の怒りは爆発した。
「てめぇ!さっきからふざけんなよ!!てめぇに俺の何が分かるっつーんだ!!
今日初めて会ったてめぇに!!」
俺の大声に俯いていたジャッカル先輩が驚いて顔を上げる。
試合途中だった亜久津さん達も中断して俺の方を振り返った。
全く反応が無かったのは目の前にいる・・・・怒りの対象であるだけ。
その反応の無さが俺の怒りを増徴させる。
「聞いてんのかよ!?クールぶってんじゃねぇよ。さっきみたいに喧嘩売ってこいよ!!」
もはや、言っていることが八つ当たりに近くなっていることは自分にも分かっていた。
少しずつ溜まっていたモノが俺のテニスを馬鹿にされた怒りと一緒に吐き出されているような感じだった。
はゆっくりと俺の方を見る。
「私はアナタみたいに喜怒哀楽が激しい人が凄く羨ましいです。
私もさっきみたいに喧嘩を売れれば良いんですけどね・・・・。さっき疲れてイライラしていたにしても、何であんなことが言えたのか不思議で堪りません。」
まるで、他人事のように淡々とそう言う彼女に俺は一瞬怯む。
俺の通う立海もどこか一風変わった人間が多いが、この女と接しているとその人達すら普通に感じてしまう。
「お前・・・・・・イかれてんじゃねぇか・・・・・?」
物凄く失礼な言葉だ。
思わず言ってしまってかなり後悔した。
でも、言ってしまったことが無しになる訳もなく・・・。
けど、はわずかに眉を動かし
「そうかもしれませんね。でも、私から言わせて貰えば十分アナタもイかれてますよ。」
淡々とそう言っただけだった。
その言葉に俺はすぐに『後悔』したことを後悔した。
自分でも情けないと思っているが、怒りをコントロールする方法を知らない俺は、考える前に女であるの肩を思いっきり掴んでいた。
指が、爪が肉に食い込むくらい・・・・ギリギリと音が聞こえてきそうなくらい・・・・・俺は強い力で握りこむ。
けど、こいつは・・・・・
一度掴まれた肩に視線だけ送っただけで・・・
痛みに顔を歪めることも、払いのけるような様子も全く見られない。
けど。
鋭い双眸は俺を捕らえていた。
―くそ・・・・・・。
その眼に見つめられただけで、怯んでしまいそうな自分が本当に情けなくて。
俺はその気持ちを打ち消すために彼女の肩を握る力をより一層強めた。
さすがに痛いのかわずかにの眉が顰められた。
その時だった。
「はいはいはーーーーーーーい。ストップ!」
暢気な声そう言いながら割って入ってきたのは千石さんだった。
千石さんの不意打ちの登場により、一瞬俺の手が緩んだ瞬間に彼は俺の手を素早く払いのけた。
そして、の背後からまるで彼女を羽交い絞めにでもするかのようにそっと抱き抱きしめる。
「ちゃん大丈夫?」
「大丈夫ですから。抱きつかないで下さい。暑苦しいです。」
「良いじゃん、良いじゃん!」
千石さんは抱きついたまま、背後から彼女の顔を覗き込む。
満面の笑みで。
「・・・・・・何だよ・・・・・。俺が悪者みたいじゃねぇか・・・・。」
思わずそう呟いた声が聞こえたのか、千石さんがわずかにコチラを向く。
その視線に・・・
俺の体がブルリと大きく震えた。
鋭い眼光。
先程までとは打って変わったような冷たい眼だった。
お調子者と思っていただけに余計に恐ろしかった。
そんな彼の引き締まった唇が馬鹿にするようにわずかに歪められ、そして言葉を紡ぐ。
「女の人に暴力ふるっちゃぁ駄目だよ。
今度したらただじゃおかないから・・・」
そう言った瞬間、彼はニコッと微笑んだ。
その彼の笑顔には冷たさは全く無い。
千石さんはパッとを解放する。
そして、彼女の前に歩み出ると
「じゃぁ、もうそろそろ帰ろっか。」
そう言って目の前の女の手を取り、ベンチから立ち上がらせた。
駅までの短いその道を俺たちは歩いた。
何だか、の傍にいたくなくて俺は少し送れて歩く。
千石さんが「いらない!」と拒否する彼女のポケットに半ば強引に自分の携帯の番号とアドレスが書かれたカードのようなものを入れ込んでいる。
そんなほのぼのとした様子を見ながら、
何でか分からないけど、俺は・・・・・
疎外感を感じていた。
何だか物凄くイライラしてて・・・
結局、駅に着くまで俺は誰とも話さなかった。
駅の改札口の前まで来て、俺たちは立ち止まる。
俺は早々に帰りたかったんだが、ジャッカル先輩が何だか最後まで彼女を見送りたそうだったので、仕方なく俺も最後まで付き添う。
「じゃぁ、ここでお別れだね。」
千石さんが旅立つ恋人との別れを惜しむように言うと、
「そうね。」
やはりこの女は何の感情も無いように淡々と答えた。
「連絡待ってるからねー!」
「分かった、分かった。気が向いたらね。」
「気が向かなくてもしてね。そうしないと俺、ストーカーしちゃうかもよ?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
そんな二人の仲の良い様子を俺は少し離れて見ていた。
出会った時間も場所も全く同じなのに。
どうして、今の立場はこんなに違うんだろう。
そう思ったら、何だか寂しくて。悲しくて。
悔しくて。
それは
自分だけ仲間外れされてるみたいで?
よく分からないけど・・・・
俺は・・・・
「お前、ここからちゃんと帰れるんだろうな!?」
そう叫ぶように言っていた。
俺の言葉には不愉快そうに眉を顰める。
「ホント、最後まで失礼な人。ここまでくれば流石に帰れます。」
何だか、少しでも反応が見られたことが嬉しかった。
物凄く嬉しかった。
「まぁ、頑張って家に帰れよ。また迷子にならないようにな。」
俺は意地悪く笑いながら馬鹿にするような視線を送る。
「あなたも頑張ってね。・・・・・・・・赤也くん・・・?」
自信なさ気に俺の名前を初めて読んだに
そう言えば、自己紹介も何もしてなかったということに気付いた。
―『頑張ってね』か・・・・。
一体何に頑張ってなのか。
この女の言葉は本当に、分かりにくくて困る。
でも、今の言葉は・・・・
腹が立たなかった。
無意識に口元が歪んでいたことも俺は知らない。
「一つ訂正しといても良いかよ?」
その俺の言葉には何も答えなかったが、足が動いてないところからも話しを聞く気はあるという風に勝手に解釈し、俺は話を続ける。
「ブスって言ったけど、それは訂正するよ。
お前は
『性格ブス』だ。」
突然の俺の意味不明の発言に、ややあって千石さんが大爆笑し始め、ジャッカル先輩と亜久津さんは呆れたようにため息を吐いた。
けど、
言われた本人のは瞠目し、何も言わずに俺を見つめていた。
そして、
次の瞬間。
「よく言われる。」
そう言って・・・・
わずかだけど。
ほんの僅かだけど・・・。
彼女は微笑を浮かべた。
ドキン!
一瞬大きく胸が激しく音を立てた。
その音は徐々に激しさを増し、
彼女が・・・が改札口の先へと消えて行ったその後も・・・・・・
それは続いていた。
テニス以外でこんな状態になったことは無い。
逆に言えば、テニスをしている時の興奮と少し似ていた。
これが、世間一般で言われる『恋』というものへと繋がるのは
もう少し先の話・・・・。