冬。僕はきみの傍に、

001.告白

 放課後、紅い夕日に染まる教室で、僕と藤井は机をひとつ挟んでいつものように駄弁っていた。
 中学3年の夏も終わり、部活動も引退した僕らに残されたのは、高校受験とそれに向けた猛勉強だけだった。
 だが、学校の授業が終わり家に帰るまでの短い時間を、僕らはこうやって駄弁ることで引き伸ばし、少しでものんべんだらりと過ごそうと努力していた。
 こういう息抜きの時間を作ってこそ、勉強もはかどるってものだ。
「篠丘、写すならはよ写せ」
 机を挟んだ向こう側で、慣れた手つきで携帯をいじりながら、顔を上げないまま藤井が言った。
 窓の外の夕日を見ながらぼぉ〜っとしていた僕は、ハッと意識を取り戻して机に向かった。
 藤井は見かけによらず頭が良くてマメなので、僕が睡魔に襲われ取りそこなった授業の内容を、時々こうやって写させてもらっている。
 なんて、本当はほぼ毎日放課後にノートを見せてもらってるんだけど。
 藤井は見た目の印象も会話での印象も「無愛想」という言葉がぴったりで、そこから連想して「怠け者」とか「不調法者」とか、不名誉な印象を持たれていたりする。
 だけど、確かに無愛想なんだけど実はとてもマメな奴で、ノートとか奇麗にとってるあたり、そこはかとなくA型の性格が見え隠れしている。
 「人は見かけによらない」って言葉がぴったりな奴だと、僕は藤井の几帳面なところを見るたび思って一人笑ってしまう。
「なにニヤついてんだよ」
 藤井の奇麗なノートを見て、つい笑みが漏れてしまっていたみたいだ。
 不意に携帯から顔を上げた藤井に、ニヤニヤしているところを見られてしまった。
「いや、別に……」
 慌てて笑みをひっこめ誤魔化しながら、いそいそとノートを取る僕。
 その時、廊下をどやどやと人の通る気配がしたと思ったら、野次るような男子どもの声がこちらへ飛んで来た。
「よぉ、藤井。彼女によろしくなっ!」
「熱いね!このっ」
「うっらやましぃ〜」
 下品に囃す奴らの言葉や様子に、僕は思わず顔をしかめていた。
 囃し立てられた当の藤井も眉間にしわを寄せ、男子らを睨みつけていた。だが、睨みつけただけで相手にしようとはしなかった。
 相手にしないのが正解だろう。というか、もう相手にするのも疲れたんだろうな。
 今日一日、藤井はとあることでクラス中から好奇の目で見られ、デリカシーのない奴からは野次られまくり、怒りMAXの上苛々でストレスが溜まり、きっと相当に疲れているんだと思う。
「もう、あいつらのことは気にするなよ。どうせあーいう奴は会社員になってからも、女子社員にデリカシーないこと言って、『それセクハラです』とか訴えられる羽目になるんだから」
 またノートに視線を落としながら僕は藤井の気を紛らわせようとそう言った。
 成功したかと上目遣いにチラリと藤井を見ると、携帯に視線を戻した藤井の顔は少し笑っているように見えた。
 だけど、明日もまたあいつらは藤井を囃したてるんだろうか。
 一緒に居る僕の身にもなって欲しい。
 今日だって教室でからかわれてる藤井の横で、いつ藤井の怒りが爆発するかとハラハラしっぱなしだったんだからな。
 しかし、気丈というか我慢強いというか、藤井は「うるせぇ」とか「黙れ」とか言うことは言ったが、怒鳴ったり暴れだしたりということはしなかった。
 ところで、そもそもどうしてこんな事になったかと言うと、藤井がメールを打っているとき、うしろからそれを盗み見た奴が、そのメールの内容をクラス中にバラしたことから始まった。
 メールを盗み見た奴はこう言った。
「藤井は森が好きなんだってさ」
 そうして、それは広まり心無い男子らにからかわれる羽目になったのだった。
 だが実はそれを聞いて「やっぱり」と思う人も少なくなかった。僕も「やっぱりな」と思ったうちの一人だ。
 僕と藤井は中学に入り同じクラスになって、すぐに不思議と気が合い一緒に居るようになったが、それと同じくもう一人、森という女子とも仲良くなった。
 飛びぬけて明るいという訳ではないが、そこそこに人当たりもいい話しやすい奴で、僕と藤井の間に時々割って入っては、くだらない話で盛り上がったりしたこともあった。
 中学1年、2年と僕ら3人は同じクラスだったのだが、残念ながら3年に上がるとき、森だけが別のクラスになってしまった。
 それでも、廊下で会えば話はするし、放課後に時間が空いていれば僕らの教室に来ておしゃべりしていくこともある。
 ところがここ最近、森が放課後に来ることは無くなり、僕と廊下で会えば話はするのに、藤井が側に居るとあいさつだけしてさっさとどこかへ行ってしまったりする。
 どうも変だなと思い、よくよく森を監察していると、藤井とすれ違うとき森が頬を染めているのを目撃してしまった。
 藤井も藤井で、そんな森をじっと見つめていることがよくあった。
 「なんだよ、そういうことかよ」と納得すると同時に、どうして僕に何も言ってくれないんだ2人とも、と少しショックを受けてる自分も居たりした。
 だが、そういうことなら仕方ない。なるようになるだろう、と淋しさを噛み締めつつ2人を見守っていたのだが、結局「俺、森が好きなんだ」とかそう言った話も聞かないまま、今日に至ってしまった。
 だから、「藤井は森が好き」とか言われても「やっぱりな」と思うだけだった。
 今のクラスメイトの中にも、以前と同じクラスの奴がいて、仲のいい僕らを知っているから、「やっぱり」という声はちらほらと聴こえて来た。
 だけど本当のところどうなんだろう。
 僕の見た限りでは付き合ってるという感じではないけど――。
 こんな風に騒ぎになって森のクラスまで飛び火していないとも言い切れない。
 藤井だって腹は立っているだろうけど、女子である森の方がからかわれているとしたら可哀想だ。
 人の噂も七十五日と言うけど、もし付き合ってるんじゃないとすれば、森にとってもハッキリさせてあげた方がいいんじゃないだろうか。
 それは僕のお節介かも知れないけど・・・。
 というよりは、僕が知りたいという思いが無きにしも非ずなんだけど。
「藤井」
「ああ?」
「お前、どうすんの?」
 机に向かったままで、僕は何気なくを装って訊いてみた。
「なにが?」
 藤井もまだ携帯に視線を落としたまま返事をする。
 僕は悟られないようゴクリと生唾を飲み込み、意を決して次の言葉を言った。
「森のことだよ」
 途端に顔を携帯からこちらに向けて鋭く睨んでくる藤井。
 だが、それも一瞬でまた携帯に視線を戻すと、黙って携帯をいじりはじめた。
 無視かよ。
 でも僕は諦めないぞ。
「そもそも、お前が無用心にもメールを見られたから、こんなことになったんだろう?」
「……」
「やっぱさ、冷やかされて可哀想なのは女子の方かなって思うんだよ、僕は」
「……」
「ここは、お前がはっきりしてさ、噂に終止符を打つべきなんじゃないか?」
「……」
 何を言っても藤井からの返事はなく、そのうち聞いているのかすらも不安になってくる。
 藤井は見事に僕を無視して携帯ばかりいじっていた。
「それにしても、誰にメールしてんの?」
「妹」
 あまりにも返事がなくて途方に暮れて、ためしに別の事を質問してみた。
 一瞬、それにも答えてくれないかもと思ったが、ちゃんと答えは返ってきた。
 僕は少しホッとして微笑んだ。
 そして脳裏に以前何度か会った藤井の妹の姿を浮かべた。
 藤井より1歳下で、背が低くよく笑い、よくあちこち動き回る元気のいい女の子の姿が思い浮かんだ。
「ああ、アキラちゃん。元気?」
「元気も元気。有り余りすぎて超うるせー」
「あはは。藤井と違って明るくてバイタリティあるよね、アキラちゃんって。一緒にいるとこっちまで元気になる気がするよ」
「なに、お前、俺の妹が好みか?」
「は?いきなり何言うんだよ、馬鹿」
「だよな」
 突然なにを言い出すのかと思ったら……。
 だけど、言い出すのも突然なら、僕が否定して納得するのもあっさりし過ぎていた。
 一体何を考えてるんだ、こいつは。
「それよりも、どうするんだよ?」
 また無視されるのだろうと思いながら、僕は思い切ってもう一度問う。
 だが、すぐに藤井の返答はない。
 やはり無視されるのかと諦めかけていたが、携帯を見つめる藤井の表情に変化があるのに気づいた。
 何か考えているように見える。
 僕は藤井の言葉を待った。
 しかし、時計の秒針がゆうに1周しても、藤井は何も言わなかった。
 「駄目か」と今度こそ諦めてノートに視線を落としたその時、携帯をいじりながらぼそっと藤井がぼやくように言った。
「やっぱ告るっきゃねーか」
「え?!」
 僕は驚いて顔を上げると藤井を見つめた。
 何故だか心臓が鳴る。
 「告る」って、それって森に告白するってことか? マジでか?
「でもなぁー……」
 僕のことは念頭にないのか、独り言をぼやきながら藤井が頭をかき、とても迷っているような表情をした。
 藤井が人前でこんな表情をするのは珍しいかもしれない。
 無表情で無愛想が常なやつだから、もちろん心の底から笑った顔なんかもそうそうない。
 僕は藤井の本心が聞けるのかとドキドキし、慌てて話しかけた。
「『でも』なんだ? 恥ずかしいとか勇気が出ないとかか? それとも、告白なんかしたことなくて、どうすればいいか迷ってるとかか?」
「んー、まぁな……」
「よし、じゃあこの篠丘くんが一肌脱いで――」
「いや、いい」
「はやっ!」
 なんなら藤井の気持ちを僕が森に伝えるのもありかなって考えていたのに、それを言う前に速攻拒否られてしまった。
 じゃあ、あと僕が出来ることと言えば――。
「分かった。仕方がない。僕が練習台になってやるよ。僕を森だと思って告白してみ?」
 どうせこれも拒否されるんだろうと、自棄になりながら言うと、藤井はしばらく僕を見つめてどうしようかと考えているようだった。
 ほんの少し、冗談のつもりで言ったんだけどな――。
「いいんだな?」
「お、おおっ」
「じゃあ言うぞ」
 携帯をいじっていた姿勢はそのままで、藤井は僕を見つめると言った。
「俺はお前のことが好きだ」
「ふむふむ、それで?」
 練習のはずなのに本気な表情で告る藤井を、僕はもう見つめ返すことも出来ず、やたら大袈裟に頷きながら早く終わってもらおうと先を促した。
「中学1年で同じクラスになってからずっと好きだった」
「ふ〜ん、どんなところが?」
「一緒に居て飽きない。側にお前がいると落ち着く。笑った顔が無邪気でいい」
「そっか」
 人の告白がこんなにくすぐったいものだとは思わなかった。
 体のあちこちが痒い感じがしてたまらない。
 でも、これは自分に向けられたものじゃないんだと思うと、何故か苛立ち悲しくなった。
「意外にズボラなところもツボだった。人に気を使ったりするのに、かなり鈍感なところも――」
 ん? 森はズボラだったかな? 人に気を使うところは確かにあるけど、鈍感ではないと僕は思ったけどな。
「たぶん、お前は俺のことそんな風に見てないんだろうが、俺はお前が振り向いてくれるまでずっと想ってるつもりだからな」
 え? いや、森はお前のこと好きだろ――?
 一体誰のことを言っているんだ?
 僕はわけが分からなくなって思わず藤井の方を見た。
 藤井は相変わらず真剣な表情で僕を見つめ、僕と視線が合うともう一度言った。
「俺はお前が好きだ」
 その時、初めて僕は藤井が僕に対して告白しているのだと気づいた。
 気づくと同時に頭が真白になった。
「まさか……だよな?」
「いや、俺はお前が――篠丘が好きだ」
 嘘だ。
 たった今、藤井の言っている言葉が僕には信じられなかった。
 嘘だ、そんなことあるものか。
 だが、藤井は嘘や冗談を言うような奴じゃないと、2年と半年ずっと一緒に居たこの僕が誰よりも知っている。
 嘘じゃない。じゃあ、藤井は本当に僕のことが――?
 戸惑う僕の視界に藤井の携帯が見えた。
 そうだ、だったらあのメールはどうなるんだ?
 僕の視線に気づいた藤井が、僕が質問する前に答えた。
「あれは、あいつが勘違いしただけだ。俺は『きっと篠丘は、俺は森が好きなんだと勘違いしている』とメールしたんだ。それを『俺は森が好き』という部分だけ読んで、あいつが勝手に言っただけだ」
 そうだったのか……。
 でも、それにしては藤井だってよく森のことを見つめていたような気がしたけど――。
 森だって藤井が側に居ると赤くなって――両思いだとばかり思ってた。
「言っておくが、森の好きな奴は俺じゃない」
「え!?」
「夏休みに学校で森と会ったとき、俺が森の好きなやつを偶然知ってしまって、それで森は恥ずかしいんか知らんが、やたらに俺を避けるようになったんだ。俺は気にするなと言ってやりたかったんだがな」
 僕の知らないところで、そんなことが2人の間にあったのか。
 じゃあ、森の好きなやつって誰だ?
「森の好きなやつを言うつもりはないが、これで俺の気持ちを信じる気になったか?」
「え、っと……」
 やっぱり、どうもピンと来ない。
 やたらに緊張して手が震えたりするんだけど、藤井が僕をからかってるんじゃないかとか、真顔で冗談を言い続けているだけなんじゃないかとか、そんなことばかりが頭の中をぐるぐる回っている。
 そんな僕を藤井がじれったそうに睨みつけた。そして――
「じゃあ、これなら信じるか?」
 ムスッとしながらそう言うと、藤井が顔を近づけて来た。
 咄嗟に何をされるのかと察知することも出来ないほど、僕の脳は働きを失っていた。
 藤井の顔がどアップになって、自分の唇にゾクッとするほど柔らかい藤井の唇が重なって――。
「っ!?」
 やっと僕はキスされているのだと判断できた。
 僕は藤井にキスされながら身じろぐことも出来ず、ただ藤井が離れていくのを待った。
 触れただけの唇が離れ、藤井がまた僕を見つめると今日何度目かの言葉を囁いた。
「お前が好きなんだ」
 それが僕の初めて人からされた告白で、その日より僕と藤井の親友関係は終わった――。

[終]

2007.02.25

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