冬。僕はきみの傍に、

23.恋人達のイベント

◆◇◆ 恭輔 × 修哉 ◆◇◆

 バレンタインもあと数時間過ぎれば終わるという時刻、恭輔は馴染みになりつつある修哉の喫茶店へ向かった。
 駅前の大通りから路地裏を入ると、少し人気の途切れた場所に小さな喫茶店が佇んでいる。見ると、普段はとっくに閉店している時間にも関わらず、まだ明々とあかりが灯っている。
 歩きながら恭輔は、大きな行事があるときは遅くまで営業すると、修哉が言っていたことを思い出していた。
 店を訪れる家族や恋人達を、修哉があの笑顔で迎えているのだと思うと、あの明かりがとても暖かなもののように恭輔には感じられた。
 恭輔が喫茶店の傍まで来たとき、一組の若い男女が喫茶店から出てきたのが見えた。恋人同士か、あるいは夫婦か、手を繋いで嬉しそうに出てくる彼らは、恭輔がいる方とは反対の道へと歩き出した。
 何気なく恭輔はその2人のうしろ姿を見るともなく見ていると、ふと彼らが上を仰ぎ見ているのに気づいた。
 曇っていた空が晴れて星でも見えたかと、恭輔もつられて空を振り仰ぐと、星ではなく真っ白な雪がまさに今恭輔の上にゆっくりと舞い落ちてくるところだった。
 バレンタインに雪が降るのは何て言うんだろうなと思いながら、今までに何度バレンタインに雪が降っただろうと恭輔は思い出そうとしてできなかった。こういう行事を特別なことのように過ごしてこなかった恭輔には、印象に残るようなバレンタインの記憶も残っていなかったのだ。
 恭輔は思わずコートのポケットに入れてある、修哉へのチョコを思い出して苦笑したが、そんな感慨はすぐに捨てると喫茶店の扉を開けて、暖かい室内へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい――」
 扉の鐘を鳴らして入って来たのが誰か確認すると、カウンターの中の修哉は微笑みながら、いつもの気安い口調で恭輔を迎えた。
 恭輔も修哉に笑みを返すと、入口にあるハンガーに脱いだコートを掛けて、カウンターのいつも決まった席に着いた。
「今日はもう来ないのかと思いました」
 咎める風ではなく、からかうような口調で言う修哉に、恭輔は片方の眉を上げて「そうか?」と返した。
 そんな恭輔にどこか困ったような笑みを浮かべて修哉は、
「バレンタインだし」
と遠慮がちに付け加えた。
 バレンタインといえば、特別な人と一緒に過ごすことが一般的だと修哉は言っているのだろう。恭輔は苦い笑みを浮かべた。
「フラれたばっかだしな……」
 約10年越しの想いを――すっかり封印していた同級生への想いを、同窓会で再会したのをきっかけに打ち明けて恭輔は見事玉砕した。いや、相手はすでに結婚していると知っていたから、玉砕することなど分かりきっていたことではあったのだが。
「お酒でも、飲みますか?」
 過去に思い馳せている恭輔の心情を読み取ってだろうか、修哉がそう訊ねてきたが恭輔はしばし考え込んだ。
 店はもうすぐ閉店する。
 自分が酒を飲んでいるなら、仕事が終わった後に修哉も酒を飲むと言い出さないだろうか。また、この間のように酔っ払って寝てしまわないだろうか、と。
 恭輔は首を振った。
「いや、いつものコーヒーを頼む」
 そう恭輔が返すと、修哉の顔が綻んだ。
 一瞬、恭輔は自分の考えが見透かされたのかと思ったが、どうやらそうではなかった。
「良かった。実はバレンタイン用に作ったケーキが余ってるんです。甘さは控え目に作ってるんで、良かったらコーヒーと一緒にいかがですか?」
 甘い物が苦手な恭輔だったが、余れば処分にも困るのかも知れないと、気を利かせたつもりで頷いた。
 しばらくしてコーヒーと一緒に出てきたのは、バレンタインの印象とは少しかけ離れた、数種類のフルーツが乗った見た目可愛らしいショートケーキだった。
 妙に自分には不釣合いなものだなと、恭輔ははじめ遠慮がちに一欠け口に含んでみたら、意外にも美味しいと感じて更にもう一口食べる。
 もう長いことケーキを食べたことはなかったが、随分昔に友人がどこかで買ってきたケーキを、せっかくだからと食べさせられたことはあった。
 ひどく甘い上に美味しくないと感じたから、たぶんケーキの専門店で買ったのではないのだろう。
 そういう記憶しかなかったので、ケーキが美味しいと思えることが恭輔には驚きだった。
 修哉が言った通り、甘さも控えられていて自分の舌に合う。恭輔にとって新鮮な驚きに、気がつくと感想が口をついて出ていた。
「美味いな」
「本当ですか? 良かった!」
 満面の笑みを浮かべて喜ぶ修哉の様子を見ると、自然と恭輔の顔も綻んで会話は弾んだ。
「今日は朝からずっと働いてたのか?」
「ええ、そうです」
「じゃあ疲れたんじゃないか?」
「そうですね。でも、もう帰りましたけど、友人に午後から手伝ってもらったんですよ」
「へぇ」
「それに、この店をオープンして初めてのバレンタインだったんで、何か特別なことをしたいなって思ったんです」
「そうか、初めてか……」
「楽しかったですよ。みんな笑顔で幸せそうで。この特別な日に僕の作ったケーキを食べてくれてるんだなって思うと嬉しいです」
 そういって本当に嬉しそうに微笑む修哉に、恭輔は少しだけ苦笑をにじませて――
「そういう自分はどうなんだ?」
「僕、ですか?」
「バレンタインを一緒に過ごす相手はいなかったのか?」
「そう……ですね。僕は別に――今はお店のことでいっぱいいっぱいですから」
 言いながら、何か意味ありげな視線をちらりと向けてきたのを、恭輔は気付かないふりをして、ただ「そうか」と相槌を打った。
 二度目に修哉と会った夜から、頻繁にこの店へ通うようになったが、その頃からよく感じる視線ではあった。
 あの夜、修哉が酔ってもらした告白を、修哉自身は自覚があるのかそれとも――
「あっ!」
 下りかけた沈黙を破って、ふいに修哉が声を上げた。
 見ると窓の方に顔を向けて驚いているようだった。
 つられて恭輔も窓を見ると、先ほどよりも一層たくさんの雪が、幾つもゆっくりと落ちていくのが見えた。
「雪……」
「ああ、そういえば」
「知ってたんですか? 教えて下さいよ、もう」
 そう言ってふくれっ面をしてみせて修哉は、カウンターを出ると入口に向かった。
 入口の扉を開けて雪を眺める修哉の背を見つめながら、恭輔は責められたことより今まで見たことのない修哉の表情が印象的で、それに気をとられたせいで謝り損ねた。
 もっと修哉のいろんな表情を見たいと、気がつくと胸のうちで恭輔は欲していた。その想いにつられて、他のたくさんの欲求も沸き起こってくるのを、恭輔は今はまだと懸命に抑制する。
「あ、いらっしゃいませ!」
 修哉の背中を見つめながら恭輔が内心で葛藤していると、修哉は入口で一人の女性客を迎えていた。
「すみません、遅くなって! 予約してた――」
「深水様ですね。少々お待ちください」
 女性を中へ招いてから、修哉は再びカウンターに戻った。
 しばらくして出てきた修哉の手には、両手ほどの大きさのケーキの箱があった。
 それを持って女性の傍まで行くと、一度箱からケーキを取り出して確認を促す。女性は笑顔になって頷き、それを見て修哉もまた微笑む。
 ケーキを袋に詰め、会計をしながら修哉と女性が会話を始める。
「すみません、こんなに遅くに来ちゃって」
「大丈夫ですよ。お仕事だったんですか?」
「そうなんです。でも、今年のバレンタインは絶対ここのケーキをって思ってたんです」
「ありがとうございます。そう言っていただけて僕も嬉しいです」
 そこでお金の受け渡しに一旦会話は途切れ、また出口まで修哉が女性を見送る。
「すごい雪ですね」
「ええ、予報じゃあ一晩中降るみたいですよ」
「そうなんですか? 帰り道、気を付けて下さいね」
「ありがとう」
 笑顔で帰って行く女性をしばらく見送って、修哉は扉の外に引っ掛けたドアプレートを裏返し「Close」にすると、店外の照明を落とした。
 その様子見ていた恭輔は、ふと腕時計に視線を落として、今日の予定の閉店時間が僅かに過ぎているのに気づいた。
「来年のバレンタインも同じようにするのか?」
 カウンターに戻る修哉に問うと、修哉は少し考える仕草を見せた。
「まだわからないですけど、一応そのつもりです。こういう行事には参加したいなって思うんで」
 こんなに長い時間働いて、修哉には辛いという思いはないのだろうか。
 そこが恭輔には不思議だった。
「振り替え休日とか、連休とかはねーの?」
「う〜ん、月曜日が定休日って決めてるだけで、あとは自由にしようと思えばできますけど、今のところ予定もないし」
「休みの日は何してんだ?」
「新作のレシピの研究をしてます」
「ふ〜ん」
「恭輔さんは、お休みの日は何をしてるんですか?」
「バイク弄ったり、乗り回したり、あとは読書」
「へ〜、何だかぴったりですね!」
(ぴったり?)
 今までにない感想に恭輔は些か驚く。
 バイクを弄ったり乗り回したりはともかく、読書と言うと必ずほとんどの人は「意外!」という。もしくは「似合わない」とも言われたことがある。
 かつての初恋の相手が「似合う」とは言ってくれたが。
 どっちを指して「ぴったり」と言ったのかは分からないが、しかし別に拘るところでもないと思いなおして恭輔は「そうか」と受け流すと話を戻した。
「でも、明日休みじゃないみたいだけど起きれるのか?」
「確かに、ちょっと辛いかもですけど……」
 そこでふと沈黙が下りた。
 バイクの話が出たので、恭輔はツーリングに修哉を誘ってみようかと思ったのだが、誘っていいものかどうか逡巡した。
 だが迷っていても仕方がないと思い、「今度ツーリングでも」と言いかけて視線を上げると、同じように何かを言いかけていた修哉の視線とかち合った。
「なんだ?」
「あ、いえ……」
 慌てて視線をそらす修哉の頬に、少し赤味が差したように見えたのは恭輔の気のせいではないだろう。
 思わず苦笑してから恭輔は続けた。
「良かったらでいいんだが、今度ツーリングに付き合ってみないか?」
「え?」
「バイクでいつも適当に走ってるんだが――どうかな?」
「は、はい!――ぜひ!」
 頬を染めたまま微笑む修哉に、恭輔も笑みを返してから席を立った。
「もう帰るんですか?」
 恭輔が立ち上がったのを見て、修哉はレジへと向かいながら問う。
「ああ、雪が積もる前に帰らねぇとな」
「気をつけて帰ってくださいね」
「ああ」
 会計を終えてコートを着込み、店の外に出る恭輔を見送るために修哉も一緒に外までついてくる。
 雪は変わらず降り続けて、すでに地面にはうっすらと積もり始めていた。
「じゃあ、ツーリングは今度の休みでいいか?」
「僕は大丈夫です。恭輔さんは」
「ああ、平気だ」
「どこで待ち合わせますか?」
「俺が迎えに来るよ。昼の1時くらいでいいか?」
「はい」
 それじゃあと帰ろうとして恭輔は、ポケットに入ったままのチョコを渡すのを忘れていたことを思い出した。
「そうだった。これ」
「?」
 ポケットからそれを出して差し出すと、修哉の手にそれを押し付けて
「前に励ましてもらった礼だ」
「そんな、悪いです……」
「安もんのチョコだから遠慮するな。それと――」
 何かを言いかけて恭輔は、自分を見上げてくる修哉を見つめていると、ふいに込み上げてきた想いを抑えることができず、ほとんど無意識に修哉の唇に自分の唇を重ねていた。
 ただ重ねるだけのキスは、だが短くはなく、その間修哉は抵抗することもなく、唇を離すと熱い視線で恭輔を見上げてきた。
 そんな修哉の視線を見つめ返して恭輔は、もう一度今度は先ほどよりも少しだけ深く口付けると、名残惜しい気持ちを押し殺して修哉から離れた。
「じゃ、おやすみ――」
 だが、歩き出そうとしてコートの袖を修哉が掴んでいるのに恭輔は気付いた。
 振り返って見つめると、顔を赤くしながら修哉が言った。
「あの、僕――恭輔さんのことが、好き……です」
 酔った勢いではない告白に、恭輔はもう自分の気持ちを抑えることができなかった。
 修哉の頬に手を添えると、
「俺も、好きだ」
 そうして、2人抱き合い長い口付けを交わした。

 この日、恭輔にとって初めて、忘れられないバレンタインとなった。

2010.10.04

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