冬。僕はきみの傍に、

20.再会

 冬も間近の季節、夜の闇の中に幾筋もの白い線を描いて雨が街を濡らしていく。
 天気予報は外れてはいなかったらしい。
 街を行く人々のほとんどは傘を差し、いつもの景色より色彩を華やかにしていた。
 そんな色とりどりの傘の隙間に、傘も差さず立ち尽くす恭輔を呼ぶ声がした。
「高峰さん」
 あまり馴染みのない声に、呼ばれたのは自分だろうかと多少訝しく思いながら振り返れば、片手に傘を、もう一方の手には近くにある雑貨店の名前が入った袋を下げた見知った相手が立っていて、どこか驚いたような表情で恭輔を見つめていた。
 彼と出会う日はいつも雨だと思ったあとで恭輔は、彼と会うこと自体が今を含めて2度しかないのだと気付いた。その2度ともが雨だっただけで、“いつも”雨だとは限らないというのに。
 ただ、その2度とも恭輔の気持ちが塞いでいた為に、その気持ちに同調したような天気が強く印象に残ったに過ぎないのかも知れない。
「こんな雨の中、傘も差さないでどうしたんですか?」
 自分の傘を恭輔の頭上へかざしながら彼――修哉は、まるで昔からの知り合いのように恭輔に微笑みかけた。
 以前、修哉と会ったときよりも強い雨粒が傘を叩く音を聞きながら、過去に一度しか会ったことのない自分に親しく声をかけてくれる彼の態度が嬉しくて、そして同時に誰に対しても同じ態度をとるのだろうかと思うと恭輔は胸が苦しくなった。
「あの……?」
 彼の差す傘の下で偶然の再会に少なからず驚き、無言で相手を見つめる恭輔に、修哉が戸惑うように再び声をかけてくるので、恭輔は微かに笑みを浮かべた。
「悩みは今も昔も変わらず……ってな」
「え……?」
「ただ、全て終わったってとこだけは変わったかな」
 恭輔の難解な言葉に、咄嗟になんと答えていいのか分からない様子で修哉は、重たそうに袋を持ち直しながら言葉を探したようだった。
 ただ、雨に濡れているせいか物悲しそうに見える恭輔に、かける言葉は探したところですぐに見つからなかったのだろう、修哉は少し戸惑いをみせつつ言った。
「良かったら……僕の家に来ませんか?」
 修哉の言葉に含まれる意味を汲みとるよりも早く、「いや、やめておくよ」と断ろうとした恭輔だったが、以前、堂々巡りを繰り返して自分ではどうしようもなかった悩みを彼が、あっさりと解決してくれたことを思い出して、口から出てきた言葉は「いいのか?」だった。
 返答に一瞬の間が空いた恭輔に、修哉はにこりと微笑んで言った。
「ぜひ」

 時刻は深夜も間近だった。
 修哉の営む喫茶店は当然閉められており、お洒落な外観が街灯に照らされて仄かに浮かび上がっているだけで、中は暗く沈黙していた。
 以前とは違い今回は裏の勝手口から中へ入ると、修哉に案内されるままに2階へと階段を上がる。
 また2階の修哉の部屋へ邪魔するのも悪いかと思い恭輔は、カウンターを指したのだがそれは修哉が嫌がった。
 階段を上りながら、雨で濡れた恭輔に修哉はシャワーを勧めてきたが、それほど濡れていないのと、またそこまで世話になるのは悪いと思い、断った。それに、
(また変な服を着せられんのもカンベンだし)
 以前、修哉に借りた服が少々恥ずかしいものだったことを恭輔は忘れていなかった。
「どうぞ、座って」
 ダイニングキッチンへ入ると、修哉に勧められるまま恭輔はジャケットを脱いでイスの背にかけると腰掛けた。
 修哉は持っていた袋をテーブルへ置くと、すぐにバスルームからタオルを持って恭輔に差し出した。
 そしてキッチンの奥へ向かい冷蔵庫開けながら、
「何か飲みますか?」
 訊かれて恭輔は渡されたタオルで濡れた髪を拭きながら、そこは遠慮しておくべきかと「いや」と答えたのだが、戻ってきた修哉の手には缶がふたつ握られていた。
 目の前に差し出されて思わず受け取ると、カクテルと書かれたお酒だった。
「最近このシリーズにハマってるんです」
 そう言って笑うと修哉は、恭輔の向かいに座って早速缶を開けてグイッと勢い良く、二口三口と喉に流し込んだ。
 美味そうに飲む修哉につられて、恭輔も缶を開けると一口啜ってみたが、実を言えばカクテルなどというお酒を飲むのは久しぶりで、果実の甘さに思わず眉根を寄せてしまった。
 不味いと思うことはなかったが、恭輔には慣れない味だった。
「酒が苦手なのか?」
 何気なく恭輔は思ったので言ってみただけだったのだが、どうやら当たっているらしく修哉は恥ずかしそうに笑ってみせた。頬が赤いのは恥ずかしさからか、それともすでに酔いが始まってるのか。
「それで、今日はどうしたんですか?」
 雨の中、傘もささずにぼうっと立っていた理由を尋ねられて、今日を含めて2度しか会っていないのにすっかり愚痴を言う、言われる間柄になってしまったなと恭輔は苦笑した。
 以前も自暴自棄になって酔っ払った末、肩をぶつけた相手に喧嘩をふっかけて、思い切りのされて座り込んでいるところを修哉に助けてもらった。
 今回はそこまで自棄になってはいないものの、自失する原因は以前と同じくするところにあることに、何も変わってはいないんだなと恭輔は、もう一度苦笑すると言った。
「前に言ったろ。高校のころに好きだった奴がいて、告白できずじまいだったって。だが、同窓会で会ったときに『憧れてた』と言われて、いろいろ悩んだり後悔したりした、と――」
「ええ」
「その時、言われたあんたの言葉で、俺は納得したし落ち着くことが出来たんだ。確かにその通りだなと思って……で、この間あいつから連絡があって会おうという話になって、今日、仕事帰りに会ったんだよ」
 電話で懐かしがっていたその相手――慶永が、恭輔に会いたいと言った気持ちに特別な理由はないと、恭輔自身よく分かっていた。
 実際に会ってからも恭輔は随分と迷ったが、「これからも時々は今日みたいに会おうな」と笑顔で言う慶永に、恭輔は堪えられなくなってカミングアウトした。
 自分は男が好きで、高校の時ずっと慶永のことが好きだった、と。
「これからも親友として会ってくれと言われて、だが今のままじゃあ俺は、辛いと思ったんで……告白した。ずっと好きだったと」
 途端に慶永の顔色が変わった。笑顔が消えて青ざめたように見えた。
「あいつは、ショックだったんだろうな。ずっと親友だと思っていたから……」
 それから、ほとんど言葉も交わさず店の前で別れた。
 告白の返事もなく、また会おうという言葉もなく、もう二度と会えないのだろうと確信した恭輔は、去っていく慶永の背を人ごみであっという間に見えなくなってもずっと見送っていた。
 だが、これでやっと慶永への想いに決着がついたのだ。だから、
「後悔してるの?」
という修哉の言葉には首を振った。
 ただ――
「ただ、あいつを傷つけたのは確かだからな。悪いとは思ってる」
 告げるべきではなかったのかと考えてみても、それではずっと自分自身が後悔したままで、傷つけるよりは黙っていた方が良かったのではと思ってみても、親友として付き合ってくれという慶永の要求に、自分が堪えられなかったのは事実だ。
 たぶん、こういう終わり方しかなかったのだと、そう思うしかない。
「彼のこと、本当に好きだったんですね」
 囁くような修哉の言葉に、恭輔も微笑を返して――そこでハタと一旦思考が止まる。
(――“彼”?)
 想い人が男だということを恭輔は悟られないように話しているつもりだったのだが――。
 そう思いながら恭輔は、思わず修哉の顔をマジマジと見つめると、修哉は少し申し訳なさそうな顔をして言った。
「すみません、さっき見てたんです。見かけたのは偶然だったんですけど、見送ってたあなたの様子で、好きだったのは彼だったんだろうなと……」
 それで、雨脚が強かったわりに体が濡れていなかったのだと、恭輔は初めて思い至った。随分と呆けていたつもりで、実のところ声をかけられるまでの間はそれほど空いていなかったのだ。
 恭輔は修哉の気遣いの上手さに少しだけ感心した。
「あの、怒りました?」
 黙っている恭輔の顔色を上目遣いで窺う修哉に、恭輔は一度笑ってみせた。
「いや、感心してた」
 しかし、つまりは恭輔の指向を知られてしまったということになる。
「だが、あんたは平気なのか? それを知って」
 恭輔の笑顔に安心してお酒を呷っていた修哉が、恭輔の問いに笑顔を返した。
「平気ですよ。だって僕――ひっく」
 だいぶ酔い始めた修哉がしゃっくりをしたのと同時に恭輔の携帯が鳴った。
 「すまん」と修哉に片手を上げて、恭輔はズボンのポケットから携帯を取り出す。恭輔が携帯を取り出す間も修哉は、口の中で何か言っていたようだったが、携帯の画面に表示された名前を見て恭輔はそれどころではなくなった。
(慶永……)
 ついさっき別れたばかりの慶永からだった。
 一瞬、迷った恭輔だったが携帯を開き通話ボタンを押すと耳に当てた。
「もしもし」
『あ、恭輔? 今、大丈夫か?』
 遠慮がちな慶永の声が、携帯を通して恭輔の耳に響く。
 恭輔は先ほどのことが脳裏にチラついて少しだけ胸が痛んだ。
「ああ……」
『その、さっきのこと……謝りたくて――僕、何も言わずに帰ってしまっただろ?』
「ああ……いや、別に――」
『僕、正直言えば驚いたよ、すごく――すごくショックだった』
「すまない」
『いや、謝らないでよ。謝ることじゃないと思うから。そりゃあ驚いたけど……でも、今は嬉しいって思ってるんだよ』
「……そうか」
『本当だよ。恭輔って高校の頃からずっと本心は隠してただろ。周りに壁を作って、親しくなった僕にだって自分の考えてることとか、あまり言わなかったよね』
「……そうだな、ごめん」
『責めてるんじゃないんだ。言うか言わないかなんて人それぞれで、何でも話し合えるからってそれが誰にとっても最善だなんて思わないし。高校の頃に恭輔が僕と親しくしてくれて、それで恭輔も楽しい思ってくれていたら、それが一番良かったんじゃないかと思うんだ』
「ああ」
『そうじゃなくて、今僕に、その、告白をしてくれたのは、きみの中の何かがあの頃と変わったっていうことだよね。それで、告白したことで恭輔の気持ちが軽くなったのなら、高校のときに聞いてあげられなかったことが、僕にはとても申し訳なく思うんだ』
「慶永……」
『だって、卒業してから9年だよ。それを無神経に僕は同窓会のときも恭輔を傷つけていたはずだ』
「慶永、いいんだ。いや、そんな風に思う必要はない。おれが勝手に想っていたことだ」
『恭輔……。でも僕、本当に嬉しいよ。きみの想いを聞くことができて』
「慶永」
『だけど――』
「分かってるよ、答えは。分かってて告白したんだ。お前が何も知らずに親友でいようって言ってくれていることが辛かったんだ。だから……すまない」
『そっか……うん――その、こんなこと聞くの……どうなのかな』
「ん?」
『まだ、僕と親友でいてくれるかい?』
「慶永」
『僕にとって、やっぱり恭輔はずっと憧れだからさ』
「――ああ、ありがとう」
 『それじゃあまた』と言って携帯は切れた。
 まだ親友でいてくれると言った慶永が、本当はどんな思いで言ったのか恭輔は考えると、彼の心遣いに胸が温かくなった。
 だが、向かいに座った修哉と話の途中だったことを思い出して、携帯をしまいながら「悪い」と彼の方を向いた恭輔だったが、目の前の光景に思わず呆れてしまった。
 修哉はお酒の缶を空にしたらしく、そしてお酒が苦手というよりも弱いという表現が的確で、彼はテーブルに突っ伏すと眠ってしまっていた。
「おい、寝ちまったのか? おい、あんた――」
「ん〜……」
 恭輔が声をかけると修哉は顔だけ上げて言った。
「僕ろ名前は修哉れす……しゅーやっ」
「あ、ああ、そうかい、修哉くん。起きたか?」
 しかし、また腕に顔を埋めて寝息を立てる修哉。
「頼む、寝るな」
 修哉が寝てしまうと家に鍵をかけることが出来なくなるので恭輔が帰られない。
 2度会っただけの相手の家の鍵を勝手に持ち出すのもどうかと思うが、かと言って、またこのまま泊まるのも――。
 恭輔が考え込んでいると、再び修哉が顔を上げる――が、目はしょぼしょぼしているし、ろれつが回っていない。
「僕、ろこまれ話しましたっけ?」
「……どこ、とは?」
「一目惚れ体質らとことか」
「――聞いてないな」
「今はフリーらってころろか」
「そうなのか?」
「僕も恭輔さんろ同じゲイらってころろか」
「――なるほど」
「僕は恭輔さんが好きってころろか」
「……」
 恭輔はこの酔っ払いの告白を、今は真に受けるべきではないと思いつつ、酒に呑まれる体質と分かってて飲んだ修哉の心境が分かった気がして苦笑した。
 だが、尚のこと泊まることは出来ないと恭輔は思う。
「ねぇ、ろこまれ僕――」
「ああ、話はお前がシラフの時にまた聞いてやるから」
「お前じゃないれす、しゅーやっ」
「分かった、修哉。家の鍵はどこだ?」
 すると修哉はもたつく手つきでズボンのポケットから鍵の束を取り出した。キーホルダーの先には5つの鍵がついている。
「どれが家の……いや、店の鍵か?」
「これが玄関れ、これがお店のれ、これが自転車――」
「いや、分かった。もういい」
 鍵を指差し言っていく修哉を制して、恭輔は少しだけ頭を抱えたい気分だった。
「じゃあ、鍵は借りていくが明日の朝に返しに来るから」
「うぃ、ひっく」
「だから……お前はもう寝ろ」
 恭輔の言葉を受けて修哉は、また腕に顔を埋めると素直に寝息を立て始めた。  このままでは風邪をひくだろうと、恭輔は修哉の寝室の戸を開けてから、眠ってしまった修哉を担いで寝室のベッドへ運んだ。
 体は細身だったが平均的な身長なのでそれなりに重い。
 ベッドへ寝かせ布団をかけてやってから、無防備な修哉の寝顔を見ると、先ほどの修哉の言葉を思い出して、つい考えてしまったことを恭輔は頭から振り払うと寝室を出た。
 テーブルに置かれた鍵の束を取ると、イスに掛けたジャケットを持って店を出た。鍵をかけて鍵がちゃんと閉まっていることを確認して、恭輔はやっと家路についた。
 幾らか歩いて建物を振り返ると、仄かな街灯の中に静かに佇む喫茶店が見えて、そういえば未だに開店したところを見たことがないのに恭輔は気付いた。
「まだ、お礼もしてないしな」
 それどころか、今日もまた修哉に励まされてしまったような気がする。
 今住むマンションからそれほど離れてはいないし、修哉が淹れてくれたコーヒーは美味しかった。修哉が作る料理も、もっと食べたいと思う。店へ通えば修哉の家計の足しになるだろうし。
 だが、それがお礼と言えるのか、下心がないかと、自分の中の声が言うのは無視して、恭輔は再び歩き出すと静かに帰路についた。

2010.09.01

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