冬。僕はきみの傍に、

12.天敵

 空は雲ひとつない快晴のもと、ひとつの高校で球技大会が行われていた。
 種目はバスケットボール、バレー、バトミントン、ソフトボールなどなど。
 各々チームを組み、学年クラスで順位を競う。
 ときにジュースなどを賭けながらも、生徒たちは充実した楽しい一時を過ごす。
 そんな中、体育館の真ん中で目の前にいる男を指差し、高らかに宣言する者がいた。
「絶対、お前のクラスには負けないからな!」
 名前を一良という。学年は2年だ。
 指差す相手はひとつ下の1年だが、一良の腕の角度や目線は明らかに上向いている。相手の背が非常に高いというのもあるが、一良の背が非常に低いということもあった。
 指を差された当人はと言えば、困ったような笑みを浮かべて立ち尽くしている。
 どこか背を丸めて申し訳なさそうに一良を見下ろしていた。
「ま、まぁまぁ先輩、落ち着いてください……」
 名前は誠。
 その名の通り誠実そうで真正直な性格が、ともすれば行動の端々に見て取れる。
 今は一良に声高に宣言されて戸惑い、とにかく落ち着いてもらおうと必死のようだった。
 だが、冷静な言葉が相手の闘志に、さらに火をつけることになる等ということは、まだ理解できない年頃なのだろう。
 誠の思惑は外れて、一良はカチンと来たというような表情をした。
 眉間にしわを寄せて誠を睨みつけると、一良は踵を返して自分のチームのもとへ戻っていった。
 そのうしろ姿を、ため息をつきつつ誠は少しだけ悲しそうに見送る。
 そんな2人のつながりは、同じ中学校のバスケット部の先輩・後輩という間柄だった。

 自分のチームが勝利で終わり、誠は体操着の袖で額に流れる汗を拭いながら、その視線は自然に一良を追っていた。誠とは反対にコートへ向かっていく一良の姿を見つけると、誠は胸を締め付けられるような、あるいは何かを掻き立てられるような気持ちになる。
 男たちの中にいて目立って一良の背は低く、誠の近くにいた1年の女子が「あの先輩可愛い〜」と言い合っているのを聞いて、つい誠自身も頷きそうになりながら、でもそれだけじゃないんだと心の内で呟く。
 自分よりも背の高い集団に毅然として立ち向かう一良の姿勢に、誠は憧れにも似た思いを寄せていた。それは中学の頃からずっと変わらない。
 とは言え、中学のときは会話らしい会話をしたこともなく、一年遅れて同じ高校に入学しバスケット部に入って彼と会ったときには、自分のことを覚えてくれているだろうかと心配にもなった。
 そんな誠の心配は杞憂に終わったが、今度はどういうわけか一良に睨まれてしまい、以前より話をする機会は増えたものの、一良から言われる言葉は先ほどのような敵視するものばかりで、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからないと言った状況だった。
 ただ、それでも誠はそんな一良に対し好意的な気持ちを抱いている。
 どんな相手にも怯まない意志の強さと負けん気の強さ、そして男らしい決断力。
 あの小さな体で大きな敵に向かう姿は、誠の中の何かをいつも駆り立てて切なくなった。それは「あんな男になりたい」という思いに近いが、ほんの僅かにそれからは外れている気もする。
 誠が一良に見入っていると、再び体育館に笛の音が響いた。
 試合開始の合図だ。
 ボールが高らかに投げ上げられ、それを両チームが奪い合う。
 一良のチームに相対するチームが先にボールを取った。途端にボールを持った生徒が一良チームのバスケットへ向かい、それを追うように全員が走る。勢いシュートになだれ込む相手が、入れ損なってリングに当たり跳ね返るボールを、一良が誰よりも高くジャンプして奪う。
 ボールを持った一良は敵の阻止をあっさりとかわし、鮮やかなまでの動作で敵のバスケットゴールへ走る。
 流れるようなきれいな動きに、誠は部活中の一良の姿を思い出した。
 あんなに上手いのに、と思う。辺りはバスケ部の人間ではないにしろ、あの中の誰よりも一番背が低くて一番バスケが上手いのに、と。
 それでも、先月突然一良がバスケ部を辞めた理由は、その身長のせい――。
 背が低いということをコンプレックスに思わない者など、ほとんど居ないのではないだろうかと思う。男であればなおのこと。
 それで言えば一良はきっと、その身長にコンプレックスを抱えているのだろうと察することができる。
 しかし、身長で言えば誠にだってコンプレックスはある。それは背の低い者からすれば贅沢な悩みではあるだろうが、身長が高すぎることもコンプレックスになり得るのだ。
 例えば数ヶ月前こんなことがあった。
 入学してすぐバスケ部の先輩から、一良は去年も図書委員だったから今年もするだろうなと聞かされて、誠も迷わず図書委員に立候補した。
 図書委員になると目論みどおり一良と顔を合わす機会が持てた。
 ところが、顔合わせの名目であった集会に参加し、一良に後輩として挨拶をしていると、同じ図書委員で3年の女子生徒が並んだ2人を見てこう言った。
「2人って“お似合い”とも言えないくらい身長差があるよね」
 途端に辺りから笑いが起こり、誠自身も「お似合いじゃない」と言われて少々傷ついたが、ふと隣を見ると一良がムッとしていたのでギョッとした。
 これはやばいと思い、みんなの視線を自分に向ける必要があると、誠は慌てて口を開いた。
「それ言ったら、オレほとんどの人とそうですよ〜。身長ありすぎなんで、身長差で似合うなんて言ったら、バスケ部かバレー部の人しか居ませんよ」
 笑いつつ頭などかきながら冗談めかして言った。
 またしても軽い笑いが起きて、「確かにお前でかすぎ」と辺りから誠へ声が飛び、これで一良から視線をそらすことが出来たかなとホッとした。
 その時はみんなの視線をそらすために言ったが、今までに何度も似たようなことは言われて来ていて、その度に同じことを繰り返しながら僅かながら傷ついたりもしていた。
 身長のありすぎることがバスケに有利だということ以外、誠は良かったと思ったことはなかった。
 ふいに近くで女子の控え目な悲鳴が聴こえ、誠は過去から意識を戻した。
 何が起こったのかと悲鳴を上げたらしい女子の視線を追うと、倒れたのだろう一良が仲間の手を借りて立ち上がるところだった。どうやらバスケットゴール周辺での競り合いで突き飛ばされたらしい。
 試合になればこういう光景も珍しくなく、競り合いに負ければ突き飛ばされてしまうということはよくある。力の弱い方が負けるし、背の低い方が不利で、体格差があれば競り合いにも負ける。今の一良のように。
(だから先輩は――)
 誠が思わず同情するような目で一良を見ていると、立ち上がった一良と視線が合った――ような気がした。もしかしたら本当は、先ほどの女子の悲鳴が聴こえたのかも知れないし、誠のいる方向から「一良くーん、頑張ってー」「可愛い!」という声がしているからかも知れない。
 だが、一瞬こちらに向けた視線は、誠の同情する心をまるで読みとったかのように、同情されることを拒絶しているように見えて誠はドキリとした。
 再び自分よりも背の高い集団に向かって駆けていく一良を見て、誠は改めて一良を「すごい」と思ったのだった。

 自分のチームが幾つかの試合をし終えると、その他のチームの残った試合が終わるまでの間、暇な時間ができた誠は体育館を出ると外の冷たい空気に当たった。
 出入り口の段差に腰掛けて、試合で熱った体に涼しい風が当たるのが心地良かった。
 辺りにも誠と同じように暇を持て余して、球技大会とは全く関係ない話などをしている生徒が行き交っている。
 誠の横や前を通り過ぎていく生徒たちの中から、一人の男子生徒が誠の目の前に立ち止まった。
 不審に思って顔を上げると一良の姿がそこにあった。
「先輩っ」
 慌てて誠が立ち上がろうとしたが、一良が片手を上げてそれを制止した。立たなくて良いということらしい。
 実際、段差に座っている誠と立っている一良の視線は、僅かに誠が見上げるだけでほとんど変わらない。
「負けたな」
 些か――という表現が控え目に思えるほど、悔しそうな顔をして一良が言った。
 誠のチームは順当に勝ちあがって行ったが、一良のチームは1試合目で負けてしまった。当初、「お前のクラスには負けない」と一良が宣言したことを実行できなかったのだ。そのことを一良は言っていた。
 背が低いというハンデがあり、どれだけ相手に突き飛ばされても、それでも自分は勝ちあがって誠のチームに勝つ、という強い意志が見える。
 だけど出来なかった、それが悔しいと、そう表情は言っていた。
 そんな闘争心の強い一良を誠は尊敬の念で見つめる。
 バスケ部は辞めた。
 それは周りの人から見れば諦めたのだというように見えるだろう。でも、一良は確かにバスケを諦めたのだろうとは思うが、だからといって自分の人生を拗ねて悲観することなく、常に新しい目標を見つけてそれに向かっていくことが出来る。
 この人はそんな強い人なんだ、と。
 だがきっと「先輩はすごいです」と正直に言ったところで喜ぶ相手ではないと、誠も多少学んでいる。
 誠は考えた末にこう言った。
「そうですね、何かしてくれますか?」
 僅かに見上げて口の端に小さく笑みを作りながら誠がそう言うと、意外だというように一良は驚いた表情をした。そして返答に窮している。
 しかし、すぐに不機嫌な顔に戻して一良が口を開いた。
「なんで俺がお前に何かしなきゃいけないんだ」
 そう言って見下ろしながら睨みつけてくる一良の視線を受け止めて、だが誠は引き下がることなく笑みを深くした。
「最初に先輩が言ってきたんですよ? 負けないって」
「……」
 再び黙って視線をそらす一良を、やはり見つめ続けて誠は待った。一良が「じゃあ何をして欲しいんだ」と訊いてき時の、その返事を誠はすでに考えていた。
 ふと、観念したように一良がひとつため息をついた。そして誠に視線を戻し口を開き――そのタイミングで一良に声をかける者がいた。
 見るとどうやら一良のクラスメイトのようで、何か慌てているようだった。一良の傍まで来ると「どうした?」と問う一良にクラスメイトが切実な表情で言う。
「加賀がさっきの試合で怪我して欠員が出たんだ。お前、運動神経いいだろ? 出てくれないか」
 さらに付け加えた説明では、次の試合に勝つと1位になれるらしいということだった。
 誠がどうするんだろう? と思うまでもなく「わかった、出るよ」と一良が答えるとこちらに向き直った。
「この試合に負けたら、何でも言うこと聞いてやる」
 そう言って一良が誠の返事も待たずに、踵を返しバレーの試合が行われている第二体育館へ向かったので、慌てて誠もそれについて行った。
 第二体育館へ入るとすでに試合開始の準備は済んでいたようで、コート内に集まった仲間の元へ一良と一良を呼びに来たクラスメイトが合流すると、二言三言何やら相談してからコート内に散った。
 体育館の端で観戦する生徒たちに倣って、誠も端に立ってコート内に視線をやると、一良と決勝を争う相手チームの表情が見えた。その表情はどれも一様で、余裕の笑みさえ浮かべていた。
――欠員の助っ人があんなチビか、楽勝だな。
 そんな言葉さえ誠には聴こえて来るような気がした。
 しかし、当の一良はそんな表情など見慣れているというように、淡々と自分に与えられたポジションについて行く。いや、淡々としているように見えて、きっとその身内には反骨の狼煙をあげているに違いない。
 誠は大声をあげて声援を送りたいのを我慢して心の中で呟いた。
(頑張って下さい!)
 賭け事をしているなどということも忘れて。

 試合終了の笛の音が体育館に響いた。
 フルセットの末、一良のチームは負けた。
 誠はその一部始終を見、その名勝負に感嘆した。
 バレー部員でもない素人同士の試合だったが、一進一退の見ごたえある試合だったし、観戦していた全員が健闘の拍手を送ったほどだった。
 もちろん、一良のチームを応援していた誠にとって負けたことは悔しかったが、それで言えば一良たちの方がずっと悔しかっただろう。
 コートを去りながら一良が汗なのか、あるいは涙なのか、額を拭う仕草をしながら「ごめん」と言ったのが、誠にも聴こえたような気がした――が、実際はそう口が動くのを見ただけだった。
 悔しそうに目尻に涙を浮かべているように見える一良の姿を見て、誠も何か胸に迫るものを感じて泣きそうになる。
(先輩は一所懸命頑張ったじゃないですか。謝ることないのに)
 決して自分が口にできることじゃないが、内心で誠はそう必死に訴えていた。
 一良のクラスメイトも、彼がどんなに頑張っていたか目の前で見て知っているし、一良の活躍が無ければもしかしたらここまで粘れなかったかも知れない、という思いも持っていたのだろう。だから誰も一良を責めたりはしない。
 目元を赤くする一良につられてクラスメイトたちも頬を赤くしながら、「何泣いてんだよ」と肩や背を叩きあい茶化して笑い、お互いの健闘を称えあった。
 そんな彼らの様子を見て誠は、先ほどとは違う胸の締め付けられる感覚を覚えた。
 あんな風に肩を叩きあいながら、互いに頑張ったことを一良と分かち合えることが、誠には羨ましいと思ったのだ。自分もあの輪の中に入りたいと。
 ふと、誠は中学の頃のことを思い出した。
 あの頃も一良と同じバスケ部だった。だったら今の光景のように、自分と一良がお互いの健闘を称え合って笑い合うことがあったのではと誠は思ったのだ。
 だが、どんなに思い返しても記憶にはない。
 思い出せるのは試合中、遠くで一良がコートの中の選手を応援している姿ばかり。中学の頃から――少なくとも自分が入部した頃から、一良は試合にも控えの選手にもなれなかったのだ。
 そう気づいて誠は胸が苦しくなった。あんなに頑張ってるのに、あんなに努力しているのに、それで何が足りないというわけではない。ただ、身長が低いというだけ、それだけだ。
 なぜ一良が自分を敵視しているのか、誠は少しだけわかったような気がした。
(そうだ、自分と先輩の身長差があるために、永遠に先輩の隣に並んで笑い合うことも出来ないんだ、ずっと――)
 そう内心で呟いてから誠はハッとした。
 最初から諦めてしまっている自分に気づく。
 すべて決め付けて何も行動を起こさないでどうするんだと、内なる心が叱咤する。
 せっかく一良が試合に負けたら何かしてやると約束してくれたのだから、これを逃さない手はない。
 球技大会も全ての試合を終えて閉会式も済むと、その日1日の大きな行事がやっと終わりを迎えた。帰りのホームルーム終了と同時に、誠はすぐに図書室へ向かった。
 図書室の中にカウンター当番だった一良の姿を見つけると、誠は「先輩」と呼びかけた。振り返った一良は誠を見た途端、約束を思い出したのだろう渋い顔をする。
 嫌そうな様子の一良を人気のない廊下へ呼び出すと、誠は意を決して言った。
「オレ、先輩と友だちになりたいんです!」
 途端、一良は目を丸めてあんぐりと口を開き呆然とした。
 長くそのまま固まっていた一良だが、その表情が次第にゲンナリとしたものになって、その内「友だち、ねぇ……」と呟いた。その呟きを聞いて誠がハッと我に返ると慌てて取り繕う。
「あっ! いや、その、と、友だちっていうか、その、先輩と普通に話がしたいっていうか……敵視して欲しくないというか……」
 誠の言葉を聞いて再び一良の表情が変わっていく。何か気まずそうに顔を少ししかめた。だが、何か思いを振り払うように大きめの声で言った。
「わかったよ! 普通にしゃべればいいんだろ、しゃべれば!」
 まるで投げやりな言い方だったが、誠にはそれでも嬉しくなって顔を輝かせた。
 だが、そんな誠に一良が釘を刺す。
「だけど、“友だち”とか言うなよ。気持ち悪いし、そんなもん『なって下さい』って言ってなるようなもんじゃないだろ」
「そ、そうですよね」
 一良の言葉に頷く誠だったが、やはり嬉しさを隠せず顔を赤くして微笑んでいると、一良が不思議そうに訊ねてきた。
「お前さ、なんで俺と友だちになりたいとか思うわけ?」
 もしかしたら、今までの一良自身の言動を省みているのかも知れない。
 確かに、あれだけ敵視されていて、それでも「友だちになりたい」などと思うなんて、余程のことがあるのかも知れないと思われても仕方ないだろう。
 誠は満面の笑みを浮かべて、顔を紅潮させながら言った。
「オレ、先輩のこと尊敬してるんです! 今日だってバスケやバレーの試合見てて、すごいなって思ってたんです。だから――」
 誠は途中で言葉を切った。
 目の前にいる一良の表情が険しくなったのに気づいたからだ。
 誠が思わず固まっていると、一良がゆっくりと口を開いた。
「今日、お前のチームは何位だったっけ?」
 表面に張り付いた笑みを引きつらせながら誠は答えた。
「い……1位です」
 瞬間、一良の額に青筋が立つのが見えた気がした。そして言い切る。
「やっぱりお前とは話なんかしてやらねぇ!」
「ええぇーっ!?」
 静かな廊下に誠の悲痛な叫びが木霊した。
 そんな誠を無視して図書室へと戻っていく一良のうしろ姿を見つめながら、誠は大きなため息をつくのだった。
(先輩って、ホント負けず嫌いだよなぁ……)

2010.06.26

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