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これは、いずこかの地での話。
さて、時代はいつの頃になるのか、まだ国に王が鎮座ましまし、土地を広げ国益を図ろうと、隣国との戦争を繰り返していた頃のこと。
争いのために親を亡くし、孤児になる子供も増える時代。そんな時代だから、自然と子供はいろんな知恵を使って生き延びる方法を編み出す。
盗みを働く者から、悪人の手下になる者や、逆にお上に情報を提供して収入を得る者や、地道に仕事を見つけて稼ぐ者や、あるいは――それらができない者は最終的に体を売った。
体を売るには男も女も関係なかった。
どの時代、どの国にも様々な性の在り方があったのだ。
コニーと呼ばれる少年も、体を売る者の一人だった。
人より目立つ白い肌に、背中まで伸びる少し色の落ちた黒髪。本当なら幼さの残る少年の頬は、年頃の子がそうであるように赤味が差すべきところを、充分に食事が摂れていないのか、形の良い唇と同じように色味のそれが薄い。
ただ二重の大きな目だけが、深く吸い込まれそうなほどに黒く輝いている。
しかし、その瞳にも今、少しずつ陰りが見え始めていた。
数年前に戦争で父親を亡くし、その後ひとりでコニーを育てた母親も1年ほど前に病気で他界した。
親戚も兄弟もいなかったコニーは、家賃を払うことができなかったために家を追い出され、いろいろと仕事をしてみては失敗し、途方に暮れていたところに一人の男と出会った。
男は不思議なことを言った。
「一晩、一緒にいてくれたらお金をあげるよ。暖かいベッドに食事もあげよう。どうだい?」
その時のコニーに男の言葉の意味は理解できなかった。
本当にそんなことがあるのだろうかと思いながら、ただ暖かいベッドと食事が欲しかったから、幼かったコニーはよくよく考えもせず男について行ってしまった。
そして衝撃を受けた。
部屋に入ると男は、今までコニーが経験したことのない事ばかりを強要してきた。
驚いたコニーは抵抗したが、幼い少年が大の男から逃げることなどできるわけもなく、コニーは男に組伏されてしまった。
それでも、朝になるとコニーは柔らかなベッドに寝ていて、ふと見るとテーブルに食事も用意されていた。それは両親と死に別れてから、路上で暮らしてたコニーには初めてのちゃんとした食事だった。
それからコニーは男娼としてよく路上に立った。
華やかな街中の大通りよりも奥まった場所、壊れかけの古い建物が建ち並んだ、いかにもな店が多く並ぶ路地裏で、お金が無くなれば昼も夜もずっと立って客が来るのを待った。
もちろん危険な目にも遭った。酷い扱いをする客もいたし、同じように体を売る男や、あるいは女にも難癖をつけられ、手を上げられることもあった。
それでも、ベッドが恋しいから、お腹が減ったから、コニーはずっと立ち続けた。
また、コニーには夢もあった。
お金をためて旅をするという夢が――。
そんな彼に、ひとつの事件が舞い込んできた。
いつものように深夜路上に立っていると、ふいに辺りが騒々しくなり、しばらく様子を見ていると街のあちらこちらを兵士が駆け回って、どうやら何かを捜しているようだった。
こんな生活をしているものだから世情に疎くなっていたコニーだが、そういえば先日自分を買った男が「隣国との戦争が本格化しそうだ」と言っていたことを思い出した。
その話と兵士が駆け回っているのと、どう関係するのかはわからなかったが、再び戦が起こって自分のような子供がまた増えるのかと、そう思うとコニーは憂鬱な気分になるのだった。
こんな騒々しさでは、今日はもう客も来ないかも知れないと、コニーは路上に立つのをやめて適当に寝る場所を探そうと路地裏の細い道に入った。
そして――
「――!?」
すぐにコニーは“それ”に気づいた。
細い路地裏の端に、無造作に投げ捨てられたゴミと壊れかけた荷車の陰に隠れて、一人の男らしき者の姿がそこにあった。
男もコニーには気づいているようだったが、身をかがめたままじっと動かずこちらの動向を窺っているようだ。
「……誰?」
暗がりの中で睨みあっていても仕方ないと、コニーは恐る恐る声をかけた。
逃げるよりも声をかける方を選んだのは、もし後ろを見せて逃げようとすれば、すぐにも追いつかれて殺されそうだと本能で判断したからだった。
それでも僅かに後退りしながら、本音を言えば返事すらも期待はしていなかった。
だが、コニーの誰何には応答があった。
「誰、だって? そういうお前は誰だ。兵士ではなさそうだが」
男は暗闇の中から顔だけをこちらに向けてそう言った。
少しくぐもったように聴こえたのは、歯を喰いしばってしゃべっているからだろう。
低く男らしい声は、どこか投げやりな感じでもあった。
男の言葉にコニーは目の前の相手が誰であるか、その一端がわかった気がした。
「じゃあ、さっきから兵士が捜しているのはあなたなの?」
推測を確認するために言った自分の言葉を、口にした途端コニーは恐ろしくなった。
コニーの言葉を受けて、発せられた男の威圧感に息も苦しい。
「だったらどうする? 叫んで奴等を呼び出すか? たんまり礼は貰えるだろうな」
そう言って男は急に立ち上がった。
だがその動作も緩慢で鈍く、すぐにふらつくと背を壁に寄りかけた。どうやら怪我をしているらしく、ずっと左手で腹を押さえている。
ふと、その手の先にある剣の鞘がコニーのところから一瞬だけ見えた。ちょうど僅かな月明かりの射す中に、剣の柄の装飾が浮かび上がって見えたのだ。その紋章にコニーは目を奪われる。
(あれは……)
だが、すぐに視線を外すと、もう一度男の顔を見つめた。
痛みのためか額には汗が浮かび、兵士たちの足音が遠くからでも聴こえるとハッとそちらに意識を集中させている。
そんな男の様子を窺いながら、コニーは再び声をかけた。
「怪我、してるんだよね? 痛い? 苦しいの? 兵士にやられたの?」
はじめは相手にしなかった男だが、繰り返される問いにうんざりとした顔でコニーに振り返ると睨みつけた。
「うるさい。お前はさっきから質問ばかりだな。さっさとどこへでも行って助けを呼べばいいだろう。今すぐ殺して欲しいんだったら、望みどおりにしてやるがな」
男は低く唸るような声でそう脅してみせたが、なぜかもうコニーは怖くなかった。相手が怪我をしているからか、殺意がないとわかったからかも知れない。
「じゃあ、うるさいついでにもうひとつ訊くけど、お兄さんお金は持ってる?」
「……は?」
街の端に一軒の宿がある。
宿といって、ほとんど宿の機能を果たしているとは言いがたいが、利用客のほとんどが密やかな情事のためにここへ泊まりに来る、つまりはそういう宿だった。
コニーは受付の男に一泊分の金を渡すと、交換に鍵をひとつ受け取った。
それから、酒と水を買ってあてがわれた部屋に向かう。本当は傷薬も欲しいところだったが、こんなところに置いてあるとも思えなかったし、傷を負っているということを悟られたくはなかったので断念した。
もちろん、コニーにもたれかかるように肩を抱きながら、先ほどの男も黙ってついて来ている。誰からも怪しまれないよう恋人同士がするように肩を抱いているが、男の足はもつれて普通に歩けそうにないので、そうやってコニーが支えて歩いていた。
部屋まで行くと男は早々にベッドへ倒れ込み、見れば傷ついた腹を押さえて息も荒い。灯した蝋燭の僅かな明かりで、先ほどよりもよく見える男の姿は、コニーが思っているよりも傷ついていた。額や腕に幾つかの切り傷も見える。
ここに来るまで黙ってついてきていた男だが、ベッドに倒れ込んでから久しぶりに口を開いた。
「お前は……何のつもりだ」
「え? 何が?」
手当ての用意をしていたコニーは、男の発した問いの意味がわからず聞き返した。
振り返れば、ベッドに倒れたまま男がコニーを睨み上げていた。
「俺は国のお尋ね者だぞ。それを助けるなんて、何の真似だって言ってるんだ!」
コニーの物腰がもどかしいのか、男は苛々とした口調で声を荒げた。傷を庇いながら半身を起こすとコニーを睨みつけるが、それを真正面から受けとめてコニーは見つめ返した。
「お尋ね者っていうか……捕らえられたんでしょう? 敵国の兵士に」
「っ!?――お前、何者だ?」
コニーの言葉に男は少なからず驚いたようだった。一瞬だけ目を見開き、そしてコニーをまじまじと観察する。
だが、何者かと言われてコニーは、男が疑うような身分でもないと肩をすくめて見せた。
「ぼくの名前は――コニー、何者でもないよ。お金が無くなれば路上に立って、客に体を売ってる男娼ふぜいだよ」
「コニー……?」
男が聞きとがめたが、「あだ名みたいなものだよ」とだけ言ってコニーは話を先に進めた。
「ぼくの亡くなった父は兵士だったんだけど、兵士になる前は行商をしていたんだって。もともと異国の人だったみたいで、この国に来て母と会い、この街に住むようになったらしいんだ。その父が時々、他国の話をしてくれて、その中には南にある砂漠の向こう国の話もあった。その国はとても豊かで国章は太陽なんだって」
話しながらコニーは、男が未だ肌身離さず持つ剣に視線をやった。
「――あなたの腰に挿している剣の柄の装飾。一度、父が見せてくれたその国の国章とそっくり……」
そこまで言ってコニーは、持っていた鞄から布を取り出すと、それに水を浸して男の額の血を拭った。せめて傷口から汚れが入らないよう、きれいにしておかないと危険だろうと思ったのだ。
傷の手当てをしながらコニーはさらに続けた。
「ぼくはね、その国の話を聞いて、いつかその国に行けたらと思ったんだ。本当はそのためにお金を貯めたかったんだけど……」
「……どうして、その国に行ってみたいと思ったんだ」
「どうしてかな……。父がね、その国のことを楽しそうに話すんだ。そうだ、父さんが言ってたからかも知れない。いつか争いが無くなったら、あの国にもう一度行きたいなって」
話を続けながら、男はコニーに促されるまま鎧と衣服を脱いで上半身の素肌をさらしていた。印象どおりに逞しい体躯は、拷問でもされたのか新しい痣が幾つもあった。
ずっと庇っていた腹部を見ると、左下の辺りに剣でなぎ払われたような傷があった。そこへ布を当てると、さすがに男は苦痛に顔を歪めて唸った。
深くはないが浅くもなく、出血の量が気になる。
コニーは鞄から自分の衣服を出すと、それを引き千切って男の腹に巻き止血した。
一通り手当てが終わると、コニーは先ほど買った酒を男に差し出した。
「飲む? 少しは痛みが和らぐと思うけど」
「ああ、貰おう」
男はコニーから酒を受け取ると、瓶に直接口をつけて飲んだ。
どうやら酒に強いらしい飲みっぷりで、一気に半分ほど飲むと男はベッドへ横になった。荒かった息は多少治まったものの、まだ痛みは続いているらしい。体中から汗が滲み出ている。
コニーはベッドの端に腰掛けると、甲斐甲斐しくも男の汗を拭ってやる。
そんなコニーを眺めていた男が再び口を開いた。
「どうして体を売っている」
男の問いにコニーは思わずと言った感じで噴出した。突然、笑い出したコニーを訝しげに見ながら男が「何を笑っている」と憮然と訊くと、コニーは笑みはそのままに答えた。
「うん、今度はあなたが質問ばかりしてるなと思って」
ついさっき、路地裏ではじめて会ったときは、コニーが男に質問するばかりだったが、今はそれが逆になっているということが面白かったらしい。
だが男はそれほど面白いとは思わなかったようで、少しだけ不機嫌そうな顔をすると「いいから答えろ」と先を促した。
ちょっと短気な人なのかなとコニーは内心で呟きながら、男の言うままに答えた。
「父さんが戦で死んだあと、母さんも病気で死んだ。ぼくは行くあてもなくて立ち往生していた。いろんな仕事をしてみたけど、ぼくは何ひとつ満足にできなくてね……。そんな時、体と交換にお金とベッドと食べ物をくれた人がいた。こういう生きかたがあるんだって知った……というか、ぼくにはそういう生きかたしかないんだと思ってね」
何でもないというように淡々と答えるコニーの心中には、それほど悲しみというのはなかった。両親と死に別れて淋しいというのはあるが、今はただ生きていくことだけしか考えられない、だから自分の境遇を思って泣く余裕などないのだ。
それに、この時代ではコニーのような、あるいはそれ以上に劣悪な環境で暮らしている者だって多い。上を見ればキリがないが、自分はまだ自由がある方だとコニーは思う。
だから何てことはないと笑うコニーを、男は真剣な面持ちで見つめながら言った。
「お前は強いな。ただ今までは運が無かっただけだ。両親の死がなければ、もっと別の生きかたがあっただろう」
「……そうだね」
ふいに、男の汗を拭うコニーの手に男の手が重なった。
そして、もう一方の男の手がコニーの頬へ伸びて、見つめられる熱いまなざしにコニーも自然と身を屈め――だが、鼻先が触れるほどまで近づいたところで止まった。
「なぜ?」
コニーの口から疑問の声が洩れる。
「“なぜ”? どういう意味だ」
聞き返されてコニーは少々戸惑った。
「あなたは、男が好きなの?」
「お前は違うのか?」
答えになっているような、いないような返答に内心で少しむっとしたコニーは、
「さぁ、どうだろう。路頭に迷わなければ女性を好きになってたかもね」
と投げやりに言った。
すると男が口の端を上げて笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺はお前が路頭に迷ったことを感謝するべきかな。でなければ、お前に今こうして出会えなかったんだから」
よくよく考えれば非道なことを言ってはいるのだが、それでも怒る気がしないとコニーが思ったのは、微笑みかける男の目が優しいと感じたからかも知れない。
だから怒ったり呆れたりするよりも、気がつくとコニーの顔は笑っていて、そんなコニーの反応を見ると男はさらに笑みを深くした。
「金は払ったんだ。やることやらなきゃな」
「お金は貰ったけど、それはかくまったのと水と酒の代金だよ。体の代金までは入ってない。今はそれ以上のお金を持ち合わせていないんでしょう? 残念だったね」
負けじとコニーが言い返すと、今度は男の方がむっとしてコニーを睨み上げた。
「俺はお前が好きになったんだ。お前だって俺をイイ男だと思うだろう? 好きになるだろ? 好き同士でお金がいるのか?」
「あのねぇ、言ってること矛盾してるよ?」
「お前が欲しいゆえだ」
男はコニーを強く引き寄せると、奪うように口付けをした。
最初は戸惑っていたコニーだったが、男の力強さにそのうち我を忘れて唇を重ねた。
長い、情熱的な口付けは、だが階下から聞こえる複数の足音に水を差された。
ハッとして互いに半身を起こすと、身を硬くして階下の音に耳を澄ませた。
硬くて乱暴な足音は兵士のそれに似ていて、時折聴こえる怒鳴り声が民に当り散らす兵士の口調そのままだった。
男を追って現れたのだろうが、階下で宿の主人を相手にしているということは、男がここにいるという確信は得ていないように思う。
コニーは男に身を寄せながら、どうするべきか考えた。
恋人のふりをするにしても、騙されてくれれば運が良いいというもので、一人一人顔を確認されてしまえば終わりだ。
男も剣を持っているくらいだから、戦えないということはないだろうが、この傷ではどこまで戦えるかわからない。相手は何人いるのかもわからないし、戦っている間に仲間を呼ばれてはたとえ戦えたとしても逃げ切れるかどうか。
自分ひとりくらいなら、街の裏路地を知り尽くしているので逃げ切ることはできるけど――とそこまで考えてコニーは、そんな自分の考えを振り払った。
(この人を見捨てることなんてできない)
しかし、コニーには戦う術がない。
どうすればいいのかと考えているうちに、足音は二人の部屋がある二階にやってきた。端から部屋の戸が乱暴に開けられる音がして、どうやらひとつずつ部屋を確認しているようだった。
その後ろから受付の男の声が追う。
「旦那、困ります! お客様に迷惑が――怪しいヤツなんて、この辺じゃ腐るほどいますが、旦那が言っていたような者は来ておりませんよ!」
「隠し立てするとためにならんぞ! しかし……何なんだここは。ここの者たちは一体何をしている!」
「だから、ここにはそういう者しかおりません!」
必死に受付の男が言うが、兵士はついに二人の部屋の隣まで来た。
やはり乱暴に戸が開けられたその時、突然「待てっ!」と兵士が叫び殺気立った。どうやらその部屋にいた者が逃げ出したらしい。「追えっ!」という声とともに、兵士は一斉に宿から去って逃げた者を追った。
そのうち、そんな喧騒も消えると、また宿にいつもの静けさが戻った。
「―― 一体なんだったんだろうね?」
しばらくの沈黙の後、コニーは思わずそう呟いた。
もうダメかと覚悟をしていたコニーだったが、どうやら助かったらしいと安堵したものの、なぜ隣室の人は逃げたのか、兵士が追っていた者は何だったのか、疑問ばかりが残った。
「何かやましいことでもあったんだろう。ま、何にしても助かったな」
しかし、男にとってはそんなことなどどーでもいいのか、いつの間にか持っていた剣を置くと再びベッドに寝転がった。
唐突とも思えるくらい楽観的な男の態度を、少々不審に思いながらもコニーは男に倣って気にしないことにした。
そして、寝転がった男の胸に徐に手をあてる。
「ん?」
「まだ心臓がどきどき言ってる」
言いながら、コニーは胸にあてた手の上に頭を預けた。男が息をするたびに上下して、預けたコニーの頭も一緒に上下する。
頭上から、男が軽く笑う声がした。
「そういうお前だって震えてるだろ。怖かったか?」
「うん……ね、どうして捕まったの?」
「独断で敵情視察してたら、ドジを踏んだんだ。そしたらこのざまだ」
男はコニーの頭に手をやると優しく撫でた。
「なぁ、抱いても?」
「……傷に障るよ」
「もう平気だ。酒が効いたんだな、痛くない」
「うそつき……」
口ではそう言いながらも、求めてくる男をコニーは拒まなかった。
男が求めるまま、苦しくない体位を探しながら、コニーは気の済むままに男を受け入れた。
どちらのものともわからない汗が、微かにもれる月明かりに照らされて光り、艶かしく男たちの体を流れる。
どちらが先に果てたか知らない。
気がつけばコニーは男の隣で眠っていて、夜の静けさの中で男も少し苦しそうではあるがすっかり寝入っているのが見えた。
コニーは男の寝顔にほっとして、また目を閉じると少しだけ眠り、夜明け前にもう一度目を覚ますと、男がすでに服と鎧を身に着けていた。
「気をつけて」
眠気の残るぼんやりとした意識の中、それでも全てを理解していたコニーは、男を困らせるようなことは言いたくないと、それだけを言って微笑んで見送った。
男も微笑を返すと、コニーの額に唇を寄せた。
コニーはまた目を閉じると、心地良い緩やかな眠りに落ちる。
浅い夢現の中で、微かに男が出て行くときの戸の閉まる音をコニーは聞いた気がした。
次にコニーが目を覚ました時には、すっかり太陽は真上まで昇っていた。
昨日のことがまるで夢のようにも思えたが、宿に泊まりベッドの上で眠っていたのだから夢ではないはずだ。
ゆっくりとコニーは起き上がると、脱ぎ捨てた衣服を着て一階に下りた。実のところ、まだ昨日の男から貰った金が残っていたので、一階の食堂で軽い食事でも取ろうかと思ったとき、受付の男に呼び止められた。
この宿の常連客だったコニーは、受付の男とは顔見知りだったのだが、事情が事情だけに昨日のことを説明して礼を言うべきかどうか迷った。
だが、そんなコニーの迷いをよそに、呼び止めた受付の男が何かを差し出した。
「昨日の男が、お前にこれを渡してくれと」
見ると小さな袋と手紙だった。
手に取るとそれはずしりと重く、手の中で硬い音をさせている。見なくてもわかる、大金だった。
「これ――あの人が!?」
「ああ……というか、店の外にいたもう一人の奴が持ってた。たぶん昨日の夜、逃げ出した男だよ」
「えっ!?」
コニーは昨夜、兵士が宿に押し入って来たときのことを思い出した。
兵士はひとつひとつの部屋の戸を開けて、そこに追っていた者がいないかどうか確かめていたが、コニーたちがいた部屋の隣に来ると、兵士は急に「待てっ!」と叫び誰かを追って宿を出て行った。
どうやら、その隣室の人物が逃げ出そうとしたところに兵士が出くわしたみたいだが、実はその人物は昨日コニーと一緒にいた男の仲間で、男を助けようと隣室の男は逃げる真似をしたらしい。
そう、コニーは理解した。
しかし、そうなると昨夜一緒にいた男は何者だったのだろう。
兵士から逃げおおせる男も只者ではないが、自分の身を危険にさらしてまで助けようとするその相手とは一体――
コニーは知るのが怖いと思いながらも、引かれるように小袋と一緒に渡された手紙を開いた。
そこには走り書きの字でこう書かれていた。
『お前の父の夢は、お前の夢ではあるが、俺の夢でもある。この意味わかるか?』
コニーの父親の夢は南の砂漠の向こうにある、かの国に行くことだった。そして、それはいつの間にかコニーの夢にもなっていた。
昨日、確かにコニーは男にそう話した。
だがそれが、男の夢でもあるという。その意味は――?
「ぼくにその国へ行けってこと?」
思わずそう洩らしながら、手紙のさらに下へ視線をやった。しっかりと、でもどこか荒々しい字でこうある。
『ラザフス・ディザードより』
そして、父親が、コニー自身が行きたいと思っていた国の名前を思い出す。
ディザード王国。
砂漠と太陽の国。
豊かで大きく平和な国。
現国王の名は、ルドフス・ディザード。国王には年子の弟がいるとかいないとか。
コニーはこの嘘のような出来事に、しばらく呆然と立ち尽くした。それから何度も手紙を読み返して、一言一句すべてを暗記できるまでになった頃には、コニーの瞳に強い光が宿っていた。
これはもしかしたら転機かも知れない。
男が本当は何者であっても、これは自分にとっての好機に間違いなく、彼との出会いが自分を変えてくれたのだ。
ここで、こんな生活を終わりにして旅に出るのもいい。
口では「夢だ」と言って諦めかけていたそれを、すべてを捨てて追うのも悪くない。
コニーの決心は早かった。
ラザフスと名乗る男がくれたお金で必要なものを集めると、すぐに街をあとにした。
もちろん、行く先は砂漠の向こうにある理想郷、ディザード王国だ。
ディザード王国、コニーにとって憧れの地。
父親の、コニーの夢は自分の夢でもあると言ってくれた彼のためにも……。
戦争が激化する今、危険も多いだろう。何より、行ったからと言って彼に会える保証もない。だが、自分の運命と彼の運命の行く末が同じなら、きっとまた出会えることもあるはずだ。例えそれが一瞬のことだとしても、また一夜の逢瀬だけだったとしても――。それだけでも、コニーには充分だと思えるのだった。
父親の夢と、ラザフスにもう一度会いたいという想いのふたつを胸に抱いて、コニーは生まれ育った故郷をあとにした。
さて、コニーの夢は叶ったのか、再びラザフスと出会えたのか――ディザード王国に行くことが出来たかのかどうか、それは定かではない。
ただ、ディザード王国の史料に残る歴史上の人物名に、コニーという名があったとかなかったとか。
どちらにしても、コニーの苦労は人並みではなかっただろうと思われる。
しかし、それはまた別のお話で――。
[END]