俊也さんに病院に送り迎えしてもらって、マンションに帰って来たころには昼も近くになっていた。
俺は俊也さんの仕事のことが気になって、「大丈夫?」と訊いたら「半休とったから大丈夫」と笑みが帰って来た。
でも、俺をマンションまで送ったあとで休む間もなく会社へ向かったのを見て、俺はずいぶん俊也さんに無理をさせてるんじゃないかと自分を責めたくなった。
冷たくなったリビングから自分の部屋に戻り、何もする気が起きなくて俺はコートを脱ぐとまたベッドに潜り込んだ。
同居してすぐ俺は俊也さんの親友の陽平さんと問題を起こしてしまったし、家事でも最初は勝手がわからず俊也さんの手を煩わせたと思う。
それでも家事も慣れて来て最近までは俊也さんと俺の生活も、当たり前のようになってきた――と思っていたんだけど。
ここに来て初めて病気をして、さらに怪我をして、俊也さんの生活や仕事に差し支えるようなことをしてしまった。どちらも不可抗力だとはいえ、俺が同居していなければ俊也さんには関係なかった話だ。
しかも、俺が帰りたくないばかりに今回のこと、母さんに黙っているよう半ば強要してしまった。親戚とは言え叔母の子供(俺)を預かる身で、その叔母に子供のことで嘘をつくなんて責任者としてどうか、と思えることを俊也さんにさせてしまってる。
真面目な俊也さんだからどこかでは心苦しいと思ってるんじゃないだろうか。嘘をつかせる俺に腹立たしく思ってないだろうか――と、そう考えて俺は自分自身にムカついた。
俊也さんが俺に腹を立てるのは当然だ。それを拒む権利なんて俺にない。どこまでも自分の保身ばかりで嫌なやつだな!
心の内で自分を叱責したとき、ふいに俺は間壁先輩の言葉を思い出した。
『あんまり自分を卑下するな。それは橋谷の悪い癖だ』
なぜその言葉を思い出したのかと言えば、たぶん今の俺が俺自身を卑下しているからなんだろう。
でも、俺が俊也さんに迷惑をかけてるのは事実で――
『あのなぁ、俊也もカズくんをあずかるっつった時点で、そういうのも承知してるし別に迷惑だとか思ってねぇって』
『俊也ももういい年だし、その辺はちゃんと考えて同居を提案してると思うぜ。そうでなくて、病気の1回や2回したくらいで迷惑だとか思ってたら、そりゃあ俊也の考えが甘かったってことだろう』
今度は陽平さんの言葉を思い出した。
言われてみれば、俊也さんは一度も迷惑そうな顔をしてない。それは俊也さんが優しいからだと思っていたけど、こういうこともあると予想し覚悟していたからでもあるんだろうか。
続けて陽平さんの過去の言葉が続く。
『俊也はカズくんに甘えて欲しいんだって』
本当にそうなんだろうか。そういうことってあるんだろうか。
俺は自分の身に置き換えて考えてみた。例えばこれから後輩ができるとして、その後輩に甘えられてる、もしくは頼られてるところを想像する。――悪い気はしない。でも当たり前だが一緒に暮らすとかは考えられない。
他人だからか? と俺は次に義弟を思い浮かべた。血は繋がらないが一応家族になったわけだから……。だが、義弟が甘える様子は「ジュース買ってこい」とか「宿題しとけ」とか、そんなことを当たり前のように言われてるところしか想像できず断念した。
そこでふと、俺は俊也さんが自分に甘えてる場面を想像してみた。俺が『桃が食べたい』って言ったときのように、「今晩はあれが食べたいな」って言ったり、病気してるところを俺が看病したり――
何だか今までの関係とまったく逆でむず痒い感じもするけど、でも俊也さんに甘えられたり頼られたりしたら、それはそれで嬉しいなと思う。
(――……)
そういう事なんだろうか。俊也さんも今俺が感じたように、甘えられたり頼られたりしたら嬉しいと思うんだろうか。
確かに『桃が食べたい』と言ったあとの電話越しの俊也さんの様子や帰って来たときの様子は、面倒だなと思っている雰囲気もなくどこか嬉しそうな雰囲気もあった――ような気がする。
だとしたら、俺も嬉しい、かも。
そんな風に何だかホッとすると、急に眠気が強くなって目を閉じた。すると、あっという間に俺の意識は薄れていって、浅い眠りに落ちて行く。
浅い眠りの中で夢のようなものを見て、そこから深い眠りに落ちかけたとき何かの音で意識が少し浮上した。その音はずっと続いていて俺は夢から現へと一時引き戻された。
眠りを妨げるその音は携帯の着信音だと認識できたが、消えない眠気が浮上する意識を再び夢に引き戻して、携帯の着信音を聞きながら俺はまたゆっくりと夢の中に戻って行った。
どれくらいかして再び携帯が鳴り、さっきとは逆でパッと目が覚めた。多少夢と現に意識が少し混乱していたが、目が覚めたことを自覚しながら俺は、さっき聴いた着信音を思い出して完全に意識がはっきりした。
そういえばさっき携帯が鳴ってたが、無視してしまったということに気づき焦ったんだ。
ただ、今回の着信音は短かったのですでに鳴りやんでいる。メールだろうと思いつつも慌てて体を起こし、忘れていた足の痛みに少し呻いたあとで、机の上の携帯に手を伸ばす。開いてすぐに時刻を確認すると12時40分を過ぎていて、ほんの少し眠ったつもりが意外にも長かったことにまず驚いた。
着信履歴を見ると約1時間前のは雄樹からの電話で、メールの受信箱を見るとこちらは友明からだった。
『今日休んだんだな。病院は行ったか?』
メールの本文を読みながら脳裏で友明の不愛想な口調が思い出される。
時間的に今は昼休みだろうから電話しても良かったんだろうけども、そんな気分にもなれずメールで返信することにした。
『病院行った。重傷ってほどでもないけど、痛みが引くまでは無理するなって言われた。休んだのは単なる体調不良』
本当は単なる寝不足で寝過ごした流れの休みだったわけだが、そんなことバカ正直に言うのもできず体調不良で誤魔化してみる。
送信したあとついでにトイレに行って、腹が減ったのでキッチンへ行って適当に昼食を作って食べて、1日何もせずにいるのも後ろめたいからと机に向かって少し勉強して――。
久しぶりに勉強に集中できて気分がノッてきた頃、再び携帯が鳴った。
着信音はすぐにやんだからメールだな、今頃友明から返事か? と思いながら携帯を開いて――俺は表示された名前を見て一気に緊張した。
間壁先輩からのメールで、本文を読んでさらに焦った。
『足は大丈夫か? 登下校大変だろ。良ければ僕が送り迎えするよ』
間壁先輩からのメールを凝視しながら、俺は引き出しに入れたままの間壁先輩からのプレゼントを思い出していた。
先輩から受け取ったまま中身は見ず入れたから、それが何だったのかは知らない。それが後ろめたくて俺は尚更、今は間壁先輩のことを考えたくないとか思っていたりする。
そうかと言って返事をしないわけにもいかないので、俺は返信ボタンを押すと20分も費やして返事を書いた。
『お疲れ様です。病院には行ったので足は大丈夫です。無理はするなと言われましたが、固定すれば自転車に乗っても大丈夫とのことなので、登下校には問題ありません。お気遣いいただきありがとうございます』
最後に「嬉しかったです」と付け加えるかどうか迷って、結局、付け加えずに送信した。
今までの俺なら尊敬する先輩にこんな風に気にかけてもらったら、嬉しくてニヤニヤしてたところだが今は何となく心苦しい。
だが、返信をしたあとで俺はプレゼントのお礼を言っていないことに気づいてしまった。
今からでもお礼の言葉をメールするべきかと思ったが、中身を見ていないのにお礼をするというのもおかしな話だ。
先輩だって「捨てていい」と言っていたし、だったら無理にお礼を言わなくてもいいんじゃないか――
そんなことを考えながら手元の携帯を凝視していると、また目の前で携帯が鳴った。間壁先輩からの返信だ。
『わかった。でも、あんまり無理するなよ』
もう一度、間壁先輩に『はい。ありがとうございます』と返信して俺は携帯を机の上にそっと置いた。それから、何となく一番上の引き出しをあけると、先日間壁先輩から受け取ったプレゼントを手に取った。
薄い水色の無地の包装紙に、青のシンプルな小さいリボンがシールで貼り付けられている。
手に持つと小さいという以上に軽くて、包装紙の中の感触はふわふわと柔らかい。恐らくは布製品なんだろうと思うけど、それが何か俺には想像がつかなかった。
ほとんど俺は無意識に開封すると中のものを取り出していた。
透明なビニールに包まれたそれは、スポーツ用品メーカーでかなり有名なロゴの入ったリストバンドだった。ブルーの布地に白のロゴが入っている。
サッカー好きの間壁先輩らしいプレゼントに、どこか安堵した俺だったが、やはりこれが告白される前だったら俺はどう思っただろうと、考えることは結局そこだった。
再びそれを包装紙の中に戻して、元通り引き出しにしまうと机に向かった。
中途半端になった勉強をキリのいいところまで進めてから終わらせると、まだ早かったが夕飯の準備をすることにした。
「ユキ、医者が言っていたことちゃんと覚えてた?」
俊也さんが帰って来たころには夕飯の準備はとっくに終わっていて、暇を持て余した俺はもう一度勉強する気にもなれず、持っていたゲームも何度もプレイして飽きていたし、かといってじっとテレビ見て何もしないのも嫌だったので、風呂場とトイレを中心にちょっと大がかりな掃除を始めてしまった。
俊也さんが帰る頃には終わらせようと、時間を確認しながら進めていたのだが、いつもよりちょっとだけ早く帰って来た俊也さんと玄関入ってすぐのところでバッタリ出くわし、掃除道具を持っているところを見られてしまった。
それを見て俊也さんは俺がちょっと凝った掃除をしたことを知り、わずかにピリッとした真顔でそう言ってきたので、俺は途端に緊張と焦りでアワアワした。
「お、覚えてるよ、もちろん――でも、そんなに足に負担かけるようなことはしてないって」
言い訳にすぎない俺の言葉に、俊也さんはひとつ息を吐くと表情を和らげた。
「ま、体は健康だから動きたくなる気持ちも分かるけどね。でも、足が治るまでは掃除も禁止。代わりにこれ」
そう言って俊也さんは鞄から小さく包装紙に包まれたものを取り出すと俺に差し出した。
一瞬、間壁先輩のプレゼントが脳裏を過り、それとダブって嫌な汗が滲んだが、俺は必死にそれを表情に出すまいと努力しながら「これなに?」と訊きつつ受け取った。
「開けてごらん」
俊也さんはそれだけを言ってから、リビングダイニングに入って行き、ソファにコートやスーツのジャケットと鞄を置くとキッチンへ向かった。
俺もその後に続いてソファに座ると、手の中のそれをマジマジと眺めた。
濃い青と白の細いストライプの包装紙に、ハッピーバースデーと書かれたシールが貼られている。
渡された瞬間、誕生日プレゼントだとは分かっていて、四角くて軽い箱状の中身が何か、そのことも俺は開ける前から分かっていた。その大きさや重さが、俺の持ってるものととてもそっくりだったからだ。
包装紙を解いて中を確認すると、俺の予想どおり携帯ゲームのソフトだった。
俺が中身を見たのを察して、キッチンから俊也さんが声をかけてくる。
「最近、ユキよくゲームしてるだろ。同じのを繰り返してるって言ってたから、そろそろ新しいのをしたいんじゃないかと思って」
俺はそんな俊也さんの心遣いが嬉しくて、自然と顔が綻んでしまう。
しかもゲームタイトルを見て俺はとても懐かしくなった。
「うん……ありがとう」
「どういたしまして」
キッチンで俊也さんが夕飯の仕上げをしているのを聞きながら、俺はゲームの懐かしさと同時に昔のことを思い出して思わず泣きそうになった。
でも、俊也さんには心配かけたくなくて、手元のゲームソフトを凝視しながら必死に泣くのを我慢していた。