コートを脱いだだけでも部屋がわりと寒くて、俺はすぐにリビングの暖房のスイッチを入れてから料理にとりかかった。
陽平さんもジャケットを脱ぎグラサンを外し、買った野菜や肉を調理する準備をしてくれている。
「陽平さん、座っててくれていいですよ」
一応、客人なワケだしと思って言ったのだけど、
「いやいや、結構いっぱい買ったろ。2人でやった方が早いし手伝うって」
と押し切られてしまって、結局2人で準備に取り掛かった。とは言え、これはどう切るのかとか、あれはどこにあるんだとか、勝手が分からない陽平さんに質問されながらやることになったので、それほど時間が短縮された感じはしなかった。
それもそのはずで、準備がやっとで終わったころに俊也さんが帰ってきて、もう帰ってきたのかと思って時計を見たら、別に俊也さんはいつも通りの時間に帰って来てただけで、つまり調理に1時間以上もかかってたんだ。
「なんだ、2人で料理してたのか?」
コートとマフラーと、スーツのジャケットを脱いでリビングのソファに投げると、ダイニングのテーブルに用意したコンロに乗せた鍋の、蓋を開けて覗き込みながら俊也さんが言う。鍋にはまだだし汁しか入れてなくて当然まだすぐに食べられる状態じゃない。
だから、
「僕も手伝おうか?」
って俊也さんが言うので俺は慌てて首を振った。
「俊也さんは座ってて。っていうかコート直して来たら。もう少しかかるし」
陽平さんがいるだけでも手一杯なのに、とか思いながら言った言葉は、思った以上に俺の内心を如実に表していたようで、俊也さんは苦笑しながら「はいはい」と言って自室へ消えて行った。
そうして、俊也さんが部屋着に着替えて戻ってきたころには、野菜やら肉やらご飯やらをテーブルに並べることが出来ていて、それぞれ席についてやっとひと段落したと俺はホッとした。
じゃあ、いよいよ材料を入れて行きますか、と俺がハシに手を伸ばしたら
「俺、今日は鍋奉行だから」
なんてワケ分かんないこと言って陽平さんがハシを奪うと材料を入れて行った。
ま、鍋奉行ってことは要はしたいんだなと思って、じゃあよろしくと俺は陽平さんのハシさばきを見守ることにした。
そうすると俺と俊也さんは特にすることもなくて、出来ることと言えば会話ぐらいで
「そういえばユキ、どうだったんだ? 決勝」
と俊也さんが口火を切ったことで会話が始まった。
「ああ、土都倶高校が勝った」
「土都倶っていうと、地区大会でユキの高校を負かした?」
「そう」
「え? なになに? 決勝って全国高校サッカーの?」
陽平さんもハシを動かしながら会話に入ってくる。どうでもいいけど、陽平さんのハシさばきだと豆腐がくずれそうで怖い。
「うん」
「なんだよ、因縁めいてるなー」
「来年も当たるかも知れないね」
「うん、まぁ……」
「?」
「あれだろ。今の2年が不甲斐ないんで不安なんだろ?」
「そうなの?」
「いや、不甲斐ないっていうか……ついて行けるかなって」
「そうか、不安があるのか」
「うん」
いや、ホントこんなこと俺が言えた義理じゃないんだけど、やっぱついて行く方としては不安を感じずにはいられないし、チームメイトがそういうことを言っていたのを聞いたこともある。
「俺らンときはどうだったかなぁ」
「何部だったんスか?」
「演劇部。ほら俺、顔イイし」
そう言うとハシを止めてニヤと口の端を上げてわざとらしい笑みを作る陽平さんを、俺も俊也さんもジト目で見つめるが、特に気にしてないというようにおどけた表情をしてまた鍋に戻る。
何を言っても駄目そうだと、俺は話を続けた。
「俊也さんは――」
「僕は弓道部だったよ」
そうだった、弓道部だった。
「こいつ、初段まで行ったんだぜ」
「へぇ〜」
俺は弓道のことは分からないけども、初段っていうのが何だかスゴイと思えたし、普段に見る姿勢の良さはそこから来てるんだなと知って、尊敬と嬉しさの眼差しで俊也さんを思わず見つめてしまった。
「そういうお前だって、県大まで行ったろ」
「ああ」
「へぇ、演劇にも大会ってあるんだ」
「あったりめーだ。確かナンタラカンタラって賞ももらったな」
「ナンタラって……」
「まあ、特別賞みたいなもんだったよ」
それでもスゴイなと思って、俺はやっぱり尊敬を込めて陽平さんを見た。
俊也さんも陽平さんも、何だかんだ言って尊敬できる大人の男なんだなと俺は改めて思った。
俺も高校の内に何か残せればいいんだけど……。
「もうそろそろいいんじゃないか?」
俊也さんが鍋を覗き込みながら言うと、陽平さんも「だな」と言って俺の器を取ってよそいはじめた。そして全員のをよそい終わると、手を合わせて「いただきます」と言って食事が始まった。
しばらくは3人とも鍋を喰うのに集中して、「やっぱ冬は鍋だな」とか「次はキムチ鍋が食べたい」とか「いやいや、ちゃんこだろ」とか、そんなことを言い合いながらとにかく食べまくった。
最初は陽平さんがよそってくれたが、それ以降はまるで争奪合戦みたいなもので、
「お前、エノキばっか取ってんじゃねーよ」
と俊也さんが陽平さんに言うと、
「そっちこそ豆腐ばっか喰ってんじゃねーよ」
と陽平さんが言い返し、じゃあ俺は肉を……とかしてたら
「っつーか肉ばっかじゃねーかお前は」
「ユキ、野菜もちゃんと食べなさい」
と2人して言われたりして。
もうそろそろ腹八分もすっかり通りすぎた頃、あんだけあったたくさんの材料が、もしかしたら残るんじゃないかと思ったがほとんど無くなっていて、結構みんな喰ったなぁとか思っていたら
「喰った喰ったぁ。ンじゃ、次はデザートだな」
とかデタラメなことを陽平さんが言って立ち上がった。
「もう喰えねーッスよ、陽平さん。それにデザートなんて買ってないですよ」
ところが、キッチンから帰って来た陽平さんの片手にはしっかりケーキの箱なんてのがあって驚いた。一体いつの間に……と見たら、もう一方の手には紙袋が――ってあの紙袋か。
「何言ってんの。デザートは別腹って言うだろ」
「それは女子だけッス……」
「あとは甘い物が好きな人、とかね」
俊也さんが付け加えるのには、俊也さん自身が甘いものが苦手という理由があるからだろう。俺は別に苦手ってわけじゃないんだけど。
「それにしても、どうしたんスか?」
テーブルの上のものを適当に隅に寄せて、ケーキを取り出す陽平さんに訊ねると意外な答えが返って来てまた驚いた。
「カズくんの誕生日祝いだよ。まだちょっと早いンだけど」
「えっ!?」
「ほら、もうすぐ誕生日だろ? でも俺、その頃はちょい忙しいからさ。んで今日のオフに先に祝ってやろうって、な」
陽平さんに言われて、やっとというか、その為にウチに来たのかと納得したと同時に、苦手だとか嫌だなとか思ってしまったことが申し訳なかったり、誕生日を覚えていてくれたことが嬉しかったりで、なんか複雑な心境になりながら、それでも顔が熱くなるのを感じた。
鍋の材料を買ってくれたのも、もし前もって決めていたことだったとしたら、スーパーに立ち寄るかも知れないと予想して(偶然ってのは嘘で)ずっと待っていたのかも知れないし、普段よりもたくさん買ったのも用意を手伝ってくれたのもつまりそういうことで、全て俺の誕生日を祝うためのものだったというわけで……。
「プレゼントもあるんだぞ!」
そう言うと陽平さんは持って来た紙袋からバッグを取り出した。丈夫そうなエナメルの黒とピンクとグレー3色のスポーツバッグだった。ピンクの色が入ってるのが(今までにもこの色の物は持ったことがなくて)あれだけど、意外にも黒とグレーに挟まれてシャープに見えた。
「今の中学からずっと使ってるヤツだろ?」
もしかしたら俊也さんに聞いたのかも知れない、そんなことを言われてどれぐらい前から用意してたんだろうと思うと、陽平さんのことを否定的に考えていた自分が腹立たしくさえあった。
それにしても、幼い頃に母子家庭になってから、誕生日をまともに祝ったことがなくて、あったとしても母さんかお祖母ちゃんがショートケーキを買ってきて夕食後に食べるくらいで、こんな風に改まってとか滅多に無いから俺はどうしていいのか分からなかった。
「あ、あの……ありがとう、ゴザイマス」
バッグを受け取ると、ちょっと、いや大分恥ずかしくて目を逸らしながら礼を言うと、陽平さんの手が降ってきて頭をグシャグシャっとされた。
「なになに? テレてんの? 可愛いなぁ!」
茶化されてると分かり、頭の上の陽平さんの手をどかしつつも、ムカつくとかよりは感謝の方がまだ強くて
「大事に使います」
と付け加えておいた。
しかし、そういう雰囲気には陽平さんも多少気恥ずかしさがあるのか、手を打つとわざとらしく大きな声を出した。
「うし、じゃあケーキ喰うか。コーヒーはいるか?」
「あ、俺いれますよ」
「いや、主役は座ってなさい。僕がいれよう」
「いれられるのか?」
そんな失礼な陽平さんの質問には、鋭い俊也さんの睨みが返ってきた。
思ってても言わなくて良かったと俺は胸を撫で下ろした。