冬。僕はきみの傍に、

3P−鬼が来たりて−[2-2]

「お前さ、なんか術とか使って部屋きれいにできないのか?」
 和室の押入れ下段に納まっている収納棚に、洋服ばかりか下着まで片付けさせられながら桃也は、洋室でダンボールの中身を整理しているはずの鬼に向けてぼやいた。
 鬼の部屋の掃除は二日目に突入している。
 昨日は二部屋とも掃除機をかけ、固く絞った雑巾で床を拭き、和室の畳は干すためすべて持ち上げ廊下に順に並べ、その間に窓やサッシをきれいに掃除した。その後、廊下の床と窓と、二階にあるトイレの掃除をする。
 それでだいたい一日目が終わった。あまり夜遅くまでやるとこの家の主、貴嶺に迷惑がかかると桃也は思い、外が完全に暗くなる前にやめた。
 次の日、つまり今日は本当を言えば桃也は仕事だったのだが、仕事先に電話して様子を確認し、休めそうだったので少々無理を言って休みを取った。そうして、午前中から貴嶺の家に上がりこんで二階の鬼の部屋の片付けをしている、という次第だ。
 掃除は昨日で大方終わったので、今日は家具の配置を決めて衣類やら何やらの整理に着手していた。
 夏冬用や合服をそれぞれ分けて引き出しに仕舞いながら、まるで普通の人間の引越しみたいだと思ったところで、ふと桃也は鬼なのだから何らかの力を使って物を操り、簡単に片付けができたりしないのだろうかと思ったのだった。
 だが、鬼からの返事はない。
 聞こえなかったのかと思ったあとで、もしかしたら片付けをすべて押し付けてどこかへ行ってしまったのかと、桃也は慌てて洋室を覗き込んだ。
(なんだ、居るじゃん……)
 赤い髪をした鬼はこちらに背を向けて床に座り込み、ダンボールの中身を物色して選り分けてるところのようだった。
(何をそんな真剣に――)
「げっ……」
 洋室に入り鬼が選り分けたそれを覗き見て、桃也は思わず声をもらした。
 床に積み上げられていたのは大量のDVDだったのだが、一番上に置かれたDVDのジャケットを見ても肌色の割合が多い、アダルトもののそれだった。
 桃也に気づいて振り向き見上げてくる鬼に、桃也は思い切り軽蔑の視線で見下ろした。
「なにこれ」
 言いながら桃也が指差す方を見て鬼は、また桃也を見上げながら堂々と言った。
「俺のコレクションだ」
「お前ほんとに鬼かっ!?」
 ついに桃也は声を上げてしまうが、しかし、鬼はあっさりと桃也の叫びを受け流すとコレクションを手に掲げつつ語りだした。
「馬鹿だな。これだけたくさん発売されてんだ。中には名作もあるんだぞ、俺的に」
(俺的に、って……)
 その「俺的」がどういうものか桃也には分からなかったが――というより分かりたくもなかったが、アダルトものを「名作」と言ってしまえることもまた理解しがたいものだった。
「それに、清々しいくらい混沌としていてグロテスクで見ていて愉しいしな」
「……“清々しい”と“混沌”って矛盾しないか?」
「こんな奇妙で変態的なものを量産してく奴らの姿勢が清々しいって言ってんだ」
 何百年も前から変態やってるお前に言われたくないだろうよ、とはさすがに言えない桃也だったが、その代わり冷めた視線で鬼を見下ろす。それでも、鬼はそんな桃也の視線を気にする風もなく作業を再開した。
 桃也はその様子を黙って少しの間眺めていたが、鬼が選り分けていったDVDの山を見て、何を基準に分けているのかそのことが気になり始めた。
「……なぁ、何で分けてんだ? ジャンル?」
「いや、いらん物をはじいてんだ」
「いらないもの? そんなの、箱に詰める前にやればいいのに」
 引越しの手順は大体そんなものだろう。その作業を端折ったせいで、新しい部屋での整理に時間をかけてしまうのはあまり良いとは言えない。
 しかし、珍しく鬼が言いよどんだ。
「――いつやるか、そんなん俺の自由だろ。こっちにも都合があんだよ」
 必要・不必要なものを選り分けるタイミングの都合とは何だろうと、桃也はその疑問を投げかけようと口を開きかけたが、それよりも先に鬼が素早く話題を変えた。
「で、さっきなんか言ってなかったか?」
「さっき?」
 唐突な問いに、つい桃也は先ほどまで抱えていた疑問を見失い、鬼が何のことを言っているのか意図を探った。そうして、今しがた鬼の衣服を片付けながら自分が口にしたことを言っているのだと気づく。
「ああ、だから、鬼だったら術とか何か使って部屋の片付けをさっさと終わらせられないのかって言ったんだ」
 すると、なぜか鬼は不機嫌そうな顔をして床を指差すと言った。
「お前、ちょっとそこ座れ」
「えっ!?」
 まるでこれから叱るとでも言うような前置きに、桃也は不承不承ながらも思わず正座してしまう。
 桃也が座ったのを確認し、鬼も胡坐のまま桃也に向き直った。
「お前はたぶん魔法とかそういうのと一緒くたにしてるんだろうが、いいか、魔女や魔法使いと俺ら鬼とはまったく別もんだからな」
「そう、なのか?」
「ああ。考えたらわかるだろう。あいつらはただの人間だ。呪文使って周りを思い通りにしてるだけだし、逆に言えば呪文を唱えなきゃ何もできないって奴らだ」
「そうか……じゃあ鬼は?」
「俺は、人間じゃない。この身ひとつで邪魔な奴らを蹴散らして来た。誰の力も借りずにな」
 そう言った鬼の声と表情が殺伐としていて、桃也は無意識に身体を強張らせていた。
 燃えるように赤い鬼の目を見ていると、そこには想像もできないような鬼の残虐な過去が潜んでいるのかと思って桃也は微かに震えた。その一方で、もしかしたら自分は鬼の矜持とかそういうものを傷つけるようなことを言ってしまったのかも知れないと、恐れと同時に申し訳ない気持ちも感じる。
「その……ごめん」
 桃也は視線を落とすと思わず謝罪の言葉を口にしていた。
 驚いたのは鬼の方だったようで、「あ?」と言ったきり目を見開いて絶句している。予想外の桃也の反応に戸惑っているのだろう、なぜ謝罪の言葉が出てきたのかすら分からないらしい。
 沈黙が下りた。桃也は桃也で一度落とした視線を上げることができず、鬼もまた返す言葉を見失っていた。その時、
「こら、セッキ。桃也を苛めるんじゃないよ」
「ハクロ――」
「……えっ?!」
 それは確かに白い鬼の声だったが、赤い鬼の口から発せられたものではなかった。今までなら、赤い鬼の姿であっても左目が白く変化し、同じ口から白い鬼の声で白い鬼の言葉が発せられていたはずだが、目の前にいる赤い鬼の左目は赤いままだし、何よりも声は部屋の出入り口から聞こえてきた。
 驚いた桃也が振り返ると、そこに丹木山で会ったときの白猫がいて、こちらへ優雅に歩いてくるところだった。
「あ、あの――え? どうなってんの?」
 軽く混乱した桃也は赤い鬼と白い猫を交互に見て説明を求めた。人の姿をした鬼は面倒そうな顔をして視線をあらぬ方へやっていたが、猫の姿をした鬼は傍まで来ると行儀良く座って桃也を見上げ口を開いた。
「桃也、私たちは元々それぞれ別の身体を持っていたんだよ。それが、憎き寺の坊主の策略で同じ体を共有する破目になってしまったんだが、今はこの姿ならしばらくの間離れていられるんだよ」
「そうなんだ……」
 どうりで今朝から一度も白鬼の声を聴かなかったわけだと思ったあとで、桃也は遠い昔のことを思い出した。
 確かに、幼いころ迷った丹木山の中で出会った鬼たちは、幽霊のような存在ではあったが一人ではなく別々の姿で現れていた。
(じゃあ、それぞれ生い立ちみたいなもんがあるのかな)
 ふと桃也は鬼たちの過去に興味を持ったが、それを口にするよりも早く猫の姿をした鬼が話を戻した。
「それより、セッキ。桃也を苛めるなんて、この私が許さないよ」
 それに反論したのはもちろん当の赤鬼だ。白猫を睨みつけると少々声を荒げた。
「別に苛めてなどいないっ! お前だって聞こえてただろ」
「まぁね。魔法と私たちが使う神通力とを同じように捉えられてしまうことに苛立つ気持ちもわからないではないが、桃也の言葉に他意はない。それくらい、お前にもわかるだろう」
「わかってるさ。だから今説明してたんだろ」
「あれが説明? 一緒にするなと脅してただけだろう。可愛そうに桃也は怖がっていたではないか」
「なっ……そうなのか?」
「へっ!?」
 赤と白で言い合いをしていたはずが、唐突に話を振られて桃也は慌てた。何と答えたら波風が立たないのかと一瞬考えたが、上手い返答が思いつかず結局桃也は思ったことを答えた。
「えっと……おれの言葉が、その、お前のプライドとか、そーいうの傷つけたんだと思って……それで、ごめんって」
「桃也――」
 そう呻くように呟いたのは赤鬼だが、赤鬼がその先を続けるよりも早く白鬼が前両足を桃也の膝に乗せ、俯いた桃也の顔を覗き込んだ。
「優しい桃也、きみのそういうところが私は大好きだよ。でも、セッキのちっぽけな矜持なんて気にすることはない。それより、もっと本音をどんどん言ってやればいいんだよ」
「本音って……」
「そう、むっつり助平とか変態とか両刀とか」
「おいっ!」
「ま、こいつに遠慮はいらないってことさ。もちろん、私にも言いたいことがあれば言ってくれていいんだよ。格好いいとか、素敵だとか、好きだとか――」
「ハクロっ!!」
 我慢ならないと言いたげに青筋立てて赤鬼が怒鳴ると、白猫は床に座りなおして赤鬼に向き直った。
「なんだセッキ。私と桃也の会話を邪魔するんじゃないよ」
「うるせぇ! 好き勝手言いやがって! お前こそ黙ってろ!」
「あー、うるさい。これだから、田舎者の野蛮人は嫌なんだ。叫ぶしか能がない」
「ぐっ――このっ――男女!」
「ふん」
「おかま野郎! ショタコン! 犯罪者!」
「ちょっと待て。犯罪者というならお前も同じだろうが」
「餓鬼を餌食にしてる分、お前の方が性質悪いわ」
「なんだって――」
 言い争いが始まって、初めこそおろおろしていた桃也だったが、言葉を喋る口の達者な猫に対して、大男が本気で憤慨しながら怒鳴る様子に、桃也は仕舞いに噴出してしまった。
(何だかんだ言って、もしかしたら仲いいのかもな、この二人)
 だが、そんなことを言えば余計火に油を注ぐことになると思い、桃也は黙っていた。
 自分たちの言い争いに噴出した桃也を見て、二人の鬼は互いに憮然とした表情で言い合うのをやめた。
 自分が笑ってしまったことで二人の気分を害してしまったかと、桃也は「ごめん」と謝罪を口にするものの、先ほどまでの緊張はなくどこかホッとしていた。そうして立ち上がると大きく伸びをし、
「もうすぐ昼だしご飯作るよ。貴嶺さんの分も作らなきゃいけないし――」
 そこまで言って、二人はどうするのかという意味を込めて赤鬼と白猫を交互に見る。すると赤鬼は再び作業に戻りながら「俺はいらん」と言い、白猫も「私たちのことは構わなくていいよ」と言って赤鬼の方へ向かった。
 赤鬼の傍まで来た白猫が前足を上げて上体を起こすと、その体がまるで霧状になって鬼の身体に吸い込まれていった。その様子を見ながら桃也は、ひとつの身体を二人で共有しなければいけない不憫さに少し同情心を覚えた。

 階段を下りてダイニングキッチンへ向かう途中、廊下でばったり貴嶺に会った。起きたばかりらしく冬用の寝間着姿のままで髪は寝癖だらけだった。
「あ――おはようございます」
「ああ……おはよう……」
 昨日、鬼と桃也で貴嶺の大真に対する思いは何なのかと、勝手な推測や詮索をしていたのを当の貴嶺に聴かれ少々気まずい桃也だったが、貴嶺は眠気の抜けきらない顔で桃也の前を横切ると洗面所へ消えていった。
(貴嶺さんって怒ってるように見えて――いや、怒ってるのか怒ってないのかイマイチ分からないっていうか……怒ってるのかな?)
 常に無表情で無口で感情を顔にも言葉でも表さない貴嶺のことを、出会って一年以上にはなるのに桃也は未だ理解しきれないでいた。
 気にし過ぎても仕方ないと桃也は切り替えると、キッチンへ入って料理の準備を始めた。来てすぐにご飯はタイマーにかけ昼頃に炊けるようにしていたので、あとはおかずを作るだけだった。
 あまり自炊をしない貴嶺の冷蔵庫には、たまに桃也が日持ちする食材や調味料を買い置きしている以外は簡素なものだったが、それでも何とか昼食を作ることはできた。
 食事を作り終える頃には、シャワーを浴びてきたらしい濡れ髪の貴嶺が部屋着姿でダイニングのテーブルに着き、珍しく一緒に昼食をとることになった。
「片付けは、順調?」
 食べはじめてから少しして貴嶺が口を開いた。貴嶺から世間話をするのもまた珍しいと思いつつ桃也は頷いた。
「はい。あとは荷物を整理するだけです」
「そう、変なことはされてないか?」
「え、あ、はい。大丈夫です……今のところ」
「大変だね、きみも。扱き使われて――。鬼も手下にやらせればいいのにな」
「……え? 手下?」
 予想もしていなかった貴嶺の言葉に桃也の箸が止まる。
(手下がいるなんて聞いてないぞ。手下がいるんだったら、おれ必要なくね?)
 内心でぼやき始めた桃也の様子を伺うように眺めながら貴嶺は続けた。
「ああ、でも、不気味な奴だったよ。たぶん妖怪とかいう奴なんだろうな」
「妖怪……」
 呻く桃也に、貴嶺は記憶を手繰り寄せながらそれがどんな妖怪だったか解説し始めた。その貴嶺の説明によると、妖怪の姿形は人型に近かったらしいが、手足の先には獣のような鋭い爪があり、体中どこも毛深く茶色の短毛が服の合間から見え、まるで動物が人間の姿になろうとして失敗したような、そんな感じだったらしい。
「かろうじて顔の部分には肌が見えていたけどな。それでも周りは毛に覆われててさ、目自体は細かったが中の瞳が異様にでかくて不気味だった。一瞬、猿の妖怪かなとも思ったが……どうなんだろうな」
 どうなんだろうなと言われても、実際に見ていない桃也は「さぁ」と言うしかない。だが、桃也の返答にとくに頓着しない貴嶺は、さっさと食事を再開すると、出したものの半分ほどを残して、「残りは夜食べるから」と早々に自室に姿を消した。
 貴嶺は絵を描くことに没頭して食事を忘れるという以前に、もともと食が細かったらしい。桃也などは料理が好きなのでいろいろと作ってしまうが、残されることは毎回と言っていい。
 貴嶺の食が細いと知って桃也は作る料理を少なめにはしているが、それでも今までに完食してくれたことは数えるほどしかない。
 桃也はといえば、もう慣れた様子で料理を残されたことに何を思うでもなく、のろのろと料理を口に運びながら貴嶺が言った「妖怪」のことを考えていた。
(鬼にも手下とか部下とか――友だちとか居るんだろうか。だったら別におれが手伝わなくてもいいんじゃねーの?)
 まず桃也の引っかかったところはそこだった。仕事を休んでまで鬼の部屋の片づけを手伝っている桃也だが、休まないで済んだのだったらそれに越したことはない。
 だが、その一方で不安もあった。
(妖怪って普通、悪いもんだよな。大丈夫、なのか?)
 桃也は時折、夜闇にまぎれて見える、人ならざる影のことを思い出した。
 ぼんやりと断片的にしか見たことはなかったが、それでもあの異形の姿を見れば誰でも恐ろしくなるだろう。普通の人間の姿をした鬼の方がまだ怖くないと桃也は思う。
 それに貴嶺はちゃんと護符を持ってはいるが、一度にたくさんの妖怪に襲われても平気かと考えると不安にはなるし、例えば在宅中に家が妖怪のせいで倒壊したり火事になったりして、そんな災害からも護符が貴嶺を守ってくれるとは思えない。
 たとえ鬼の仲間だったとしても、妖怪がこの家に出入りするのはやはり不安だ。
(おれが手伝わないでいいってんなら嬉しいけど――でも、何が起こるかわからないし貴嶺さんも「不気味」って言ってたし、妖怪は入れるなって言っとくべきかな……)
 どうするべきか、まだ多少迷いながら昼食後の片付けを終え、桃也は何と言って切り出そうかと考えつつ二階の洋室に入り――
「うは……」
思わず引きぎみの声をもらした。
 先ほどまで床に広げられた大量のDVDが、今度は壁面に置かれた天井に付きそうなほどの大きい棚全面に並べられていた。それはいいのだが、中身が中身だけに壮観とも素晴らしいとも言えず桃也は脱力してしまう。
 しかも、満足そうに赤い目の鬼が腕を組んで棚を眺めている姿を見て、桃也はこの男が鬼だなんて実は嘘なんじゃないかと思い始めた。
「……本棚が泣いてるぞ」
 そう思わずぼやいた桃也だが、それが聞こえたのかどうか鬼が桃也に気づき「遅かったな」と言いつつ手招きする。
「?」
 手招きされるまま傍によると、鬼は足元にあったダンボールを指差して「これやる」と言う。貰えるというので桃也はつい期待して中を覗くが、覗いた瞬間にゲンナリしてしまった。そうして、覗く前に中身が何なのか察するべきだったと、期待した自分を内心叱咤した。
「これ、全部アダルトだろ……」
「ああ、見るだろ?」
 当たり前とばかりに言われて桃也は頭を抱えたくなった。「見るかっ!」と突き放したい衝動に駆られたが、否定された鬼が懇々とアダルトの良さを語り出したら困ると桃也は思い、
「いや、おれこういうの苦手だから」
と、やんわり断った。
 すると鬼の表情が不審げなものになる。
「苦手って、AVがか?」
「う、うん……」
「嘘だろ? 男に生まれたからには興味持って然るべきものだぞ!?」
「そ、そんなこと無いだろ。苦手なやつは普通にいるよ」
 少々ムッとしながら桃也が言うと、鬼は珍しいものでも見るようにしげしげと桃也を眺め、それからとんでもないことを言い出した。
「でも、お前経験済みだろ。女の体に興味がないわけじゃねーよな」
「なっ!? なんでっ――」
 なぜ桃也がすでに女性と経験済みなことを知ってるのか、桃也が顔を真っ赤にして目を白黒させながら慌てふためいた。そんな桃也の様子を面白そうに眺め、笑みをもらしながら鬼は続ける。
「なんとなく、な。経験は1、2回ってところか? そいつとはまだ続いてんのか?」
「――」
 自分の問いはさらりと受け流され、さらに質問を重ねられて桃也は答えを迷ったが、隠したところでもしかしたら鬼には神通力か何かでバレてしまうのかも知れないし、しつこく聞いてくることも予想されたのでダンマリは諦めて口を開いた。
「回数は……そうだよ。高校卒業前に、去年の今くらいに別れた……」
「へぇ。お前から?」
 とは、どちらからフッたのかという意味だろう。
「いや、向こうから」
「フラれたのか。何て言ってフラれたんだ」
「何てっていうか……大学行かないなんて考えられない、とか、高卒で就職とか信じられない、とか、そんなん……」
「ふーん――」
 鬼には学歴とかそういうものが分からないのか、眉間にしわを寄せて少し首を捻る仕草を見せた。
「それでお前は素直に別れてやったのか」
「そうだよっ。もういいだろ、おれの話は。それより、これどうするんだよ」
 そう強引に話を戻すと、桃也はDVDが雑然と放り込まれたダンボールを指した。鬼も今はそれ以上聞く気はなかったのか、ダンボールに視線を落としてからまた桃也に視線をやり、
「だから、お前にやるって」
「だからっ、おれはいらないって!」
 つい桃也が声を荒げると一瞬、鬼がムッとした表情をしたが、再びダンボールに視線を落とすと「捨てるか」とあっさり言ってのけた、だけでなく――
「じゃあ捨てて来てくれ」
「な、やだよっ! もし見られたらおれのだって思われるだろ」
「大丈夫だろ。黒い袋に入れて捨てたらいいじゃねーか」
「無理。最近は指定の袋に入れて捨てないと行けないから」
「じゃあもうあれだ、知り合いに押し付けられたとか何とか言って、職場の奴らに配れ」
「もっと嫌だっ!」
 桃也の拒絶に、ついに鬼は険悪な目で桃也を睨んでくるが、押し付けられたくない一心で桃也も必死に睨み返す。
 真っ赤な鬼の目に睨まれて桃也は怯みそうになるが、睨み合いは意外にもすぐに終わった。先に視線を逸らしたのは鬼で、仏頂面でダンボールに視線を落とすとため息交じりに言った。
「仕方ねぇな、あいつに頼むか。見返りやんのが面倒なんだが――」
 独り言だろうぼやきを聞いて桃也はあることを思い出した。鬼が何かを頼む相手なんて普通の人間じゃないはず。とすると“あいつ”とは妖怪の類だろう。そうだ、妖怪をこの家に入れるなと言おうと思っていたところだった――と、こんな具合に。
「その、“あいつ”ってもしかして妖怪、とか?」
 桃也の急な問いに鬼は一瞬不審な顔をするが、あっさりと「そうだが?」と答えてから続けた。
「なんでわかった?」
「あの、貴嶺さんが見たって、さっき聞いたから、もしかしてって――」
「ふ〜ん」
「それでさ、その妖怪って――大丈夫なのか?」
「ああ?」
 途端、鬼の表情が険しくなり、桃也は思わず半歩後退った。
 妖怪が鬼の仲間とかであったら、「そいつは危なくないのか」と言われていい気はしないだろう。
「それはどういう意味だ?」
 凄みを利かせて訊いてくる鬼に、今は確実に怯みながらまた半歩後退る桃也。それでも、なんとか声だけは震えないよう食いしばる。
「だ、だって妖怪、なんだろ。妖怪って大抵はその……悪いもの、じゃないか……」
 言ったあとで逃げ出したい衝動に駆られつつ、桃也は何とか踏みとどまって鬼の鋭い目を見返した――が、やはり受け止めきれず逃げを打った。
「――って昔から言われてきてる、だろ?」
 暗に桃也自身がそう思ってるわけではないことを匂わして、ビビりながら鬼の反応を待った。
 鬼は少しの間、黙って桃也を睨み付けていたが、渋々納得したという表情で息を吐くと視線を逸らした。
「……ま、言いたいことは分かるがな」
 鬼は呟くようにそう言ったあとで再び桃也に視線を戻し、先ほどよりは和らげた声音で答えた。
「前にも言ったが、貴嶺は護符を持ってるから手は出せねぇよ。その点では問題ない。お前にもちょっかい出すなって言ってあるし、それくらいの分別はつく奴だ。それに――」
 そこまで言って鬼が一瞬間を置いた。焦らされているようで桃也は思わず、引き気味だった体を戻し身を乗り出すと「それに?」と先を促した。
 先ほどと打って変わって興味を示す桃也を、憮然とした表情で見下ろしながら鬼は続けた。
「封印のしがらみもあるし、な」
「封印の、しがらみ?」
 鬼の意味深な言葉に桃也は首を捻った。以前、鬼は貴嶺との話し合いの席で、紫穏が見せた札は鬼を拘束するものでもあったが、桃也との繋がりをより強固にするものだ、と言っていた。
 また、貴嶺の推測では桃也に逆らえないはずだ、とも。
 “しがらみ”といって思いつくのは今のところその二つだけだが、もしかしたらそれ以外にも何かあるのだろうか。それに今、鬼は『封印』と言ったが、封印なら桃也が解いたのではないのか、という疑問も出てくる。
 桃也は鬼の表情や口調に違和感を覚え、“封印のしがらみ”とは何なのか問いただそうとした。だが――
『それに貴嶺が私たちに見せた札の影響があったとしても、私もセッキも強い力を持つ鬼だからね。そこらの妖怪は容易に寄ってくることはないよ』
 さっきからずっと沈黙していた白い鬼が、唐突に会話に入ってきて些か強引に話を進めてきた。いつの間にか白く染まった左目を見つめて、桃也は釈然としないままではあったが話を続けた。
「……それってつまり、鬼が怖いから近寄って来ないってこと?」
『まぁ、そういうことだね』
「じゃあ、さっき言ってた妖怪は?」
 すると、その質問には赤い鬼が答えた。
「あいつは俺らが解放されたあとに知り合った奴で、子分みたいなもんだ。ただ、見返りは必要だがな」
「見返りって?」
「さてな」
 答えをはぐらかされた桃也だったが、見返りが何なのかについては今のところそれほど気にならなかったからか、そのことについてそれ以上訊くことはしなかった。
 ただ、先ほど感じた違和感が気になってはいたものの、白い鬼が会話に入ってきたことで何となく訊ける雰囲気ではなくなり、続く言葉も見当たらず沈黙してしまう。
 一方、鬼の方は話は終わったと判断したらしく、再び部屋の片づけに取り掛かる。DVDは片付け終わったようだが、まだ段ボールは幾つか残っている。
「次はこれか」
 鬼は幾つか残っている段ボールのひとつを開けると、そこから無造作に中身を床に広げていった。そのひとつひとつを桃也は目で追いながら、次第に表情が険しくなっていく。
「アダルトDVDの次は、それかよ……」
 赤や黒の縄や赤い蝋燭に加え、鞭や首輪や手錠や――その他、大人の玩具と言われる雑貨類が次々と取り出されていった。
 先日、丹木山にある鬼の家で拘束されたとき少しだけ見たことはあるが、それがほんの一部だったことを桃也は思い知らされるのだった。
 だが、鬼が女性用と思われる玩具を取り出したのを見たとき、ふと基本的な疑問が沸き起こった。
「そういえばさ、これとかDVDとかって買ったの?」
 何気ない質問に鬼は整理を続けながら答えた。
「いんや、全部いただいて来た」
「い、いただいたって……」
 不信感のこもった声で桃也が呟くと、鬼は桃也に顔を向けてニヤリと笑って見せた。
「俺は鬼だぞ」
「まさか盗んで……は、犯罪だぞ!」
 思わず桃也は「出ていけ!」と続けそうになったが、それよりも早く鬼が手を挙げて桃也を制した。
「まぁ、聞けよ。別に盗んではいねぇって。こういうのを売ってる奴に会って『くれ』って言っただけだ」
 一瞬、頭の中にハテナマークを浮かべて鬼の言葉を反駁する桃也だったが、それを理解すると結局はじと目で鬼を睨み付けることになる。
「普通、『くれ』って言っただけじゃくれないんだぞ」
「ま、そこは鬼だからな」
「……」
 やはり肝心なところをはぐらかす鬼だったが、桃也はそれ以上聞く気力もわかず黙ることにした。
 鬼はそんな桃也の反応を気にした風もなく、再び荷物の整理を続ける。
 段ボールから出てくる、どう見ても如何わしいアイテムの数々に、桃也は頭を抱えたい衝動に駆られた。百歩譲って縄や鞭などのSM的なアイテムは認めたとしても、女性用と思しき玩具は絶対に必要なものなのだろうか。鬼が人間の女性にこれを使うのか? マジで? と、そんな場面を想像して――いや、想像しようとしたが失敗して桃也は頭が真っ白になった。
 つい呆然と突っ立つ桃也をまた振り返って、鬼は手にした玩具を掲げながら言った。
「なんだ? 使ってみたくなったか?」
「なるかっ!!」
 鬼のとんでも発言に反射的に拒絶を示した桃也は、フンっと顔を逸らすと和室の方の整理に戻った。
 そんな桃也の反応に鬼はニヤリと笑みを見せただけで、あとは互いにそれぞれの部屋の整理を黙々と続けたのだった。

「これで、大体の片づけは終わったな」
 時刻はすでに夕刻を過ぎて窓の外には世闇が広がっていた。電気のついた部屋の真ん中に立って、桃也は部屋を見渡しながら満足げに一息ついた。
「なぁ、そっちは――」
 開かれた引き戸の向こう、洋室に居るはずの鬼に声をかけようとして桃也はふとあることが気になった。
 桃也は鬼と再会したあと、ずっと鬼たちのことを『お前』と呼んでいた。丹木山で再会してすぐの頃は、桃也も鬼たちのことをすっかり忘れていたので、鬼たちに「セッキ」や「ハクロ」という名前があることなど知らなかった。
 鬼たちのことを思い出して以後も「鬼は鬼だ」という警戒心や敵対心のようなものから、桃也は半ば無意識に鬼たちを名前で呼ぶのを避けていた。
 だが、今開いた引き戸の先に白い鬼の姿が見えて、いつの間に赤い鬼から白い鬼に変わったのだろうと思ったあとで、やはりそれぞれの呼び名で鬼たちを呼ぶべきかと思ったのだ。
 桃也はひとまず洋室に入り、部屋の整理が終わったかどうか確認した。見ると床にあるのは畳まれた段ボールと、不要になったDVDやゴミ等が入れられた段ボールがひと箱あるだけだった。
 さらに、和室へ繋がる引き戸側の壁の窓際に、赤い鬼のDVDが並べられた棚があるのだが、その反対側、廊下側にもうひとつ大きくて立派な本棚が設置され、そこには一面大量の本が収まっていた。
(……良かった、玩具が並べられてなくて)
 桃也は本気でホッと胸をなでおろしながら、さっきからじっと立ち尽くしている鬼に視線をやった。鬼の手には一冊の本があり、片付けが終わったあとでつい読みふけってしまったようだった。
 どうやら、この本の数々は白い鬼の趣味らしい。赤い鬼より断然まともな趣味に桃也は親近感を覚え心を許しかけていたが――
(あ……?)
 何気なく見た本のタイトルに桃也は動揺した。そこには、『禁断の肉欲』とか『少年と背徳』とか、そんな怪しげな文字が並んでいて、咄嗟に桃也の脳はそんな言葉の群れを受け入れるのを拒んだらしく目が滑った。だが、それは明らかに如何わしい系統の本だということを少々時間を費やして桃也は理解した。途端、脱力して肩を落とす桃也。
(こっちもやっぱ同類か……)
 軽蔑した目で見ていると、鬼が視線に気づいたのか顔を上げた。
「やぁ、桃也。もしかしてこれ興味ある?」
「……あるわけない」
 低く抑えた声で断言しつつ桃也はじと目で鬼を見上げた。それでも、そんな視線など意に介した風もなく鬼は「面白いのに」と言いつつ、にこやかな笑みを浮かべながら本を棚に戻した。
「桃也は本は読まないのかい?」
「たまに読むけど、ベストセラーとか話題の本が多いかな。あ、叔父さんの部屋にある本も暇なときとか読むな。あとは料理の本ばっか」
「そうか、桃也は料理が好きなんだっけ」
「そう……だけど、言ったことあったっけ?」
「いや、昨日料理しているのを見たら、誰でもわかるよ」
「そっか」
 言われて昨日、正午前の中途半端な時間に起き出し、あらゆる食材を持ち出してたくさんの料理を作ったことを思い出す。
 料理好きだった母の影響で桃也も小さい頃から料理が好きで、今は料理が趣味と言ってもいいくらいだ。それゆえ、たまのストレス発散に凝った料理をしたくなるという癖があるわけだが。
「そう言えばさっき、何か言いかけてなかったかい?」
 ふと思い出したように問われて桃也は首を傾げた。
「さっき?」
「向こうの和室から、『そっちは』って言ってただろう?」
「ああ、片付け終わった?って聞こうと思っただけ。それよりさ、今更なんだけどおれ、あんた達のことなんて呼べばいいんだ? セッキとハクロでいいのか?」
 桃也の質問に白い鬼は顎に手をやって「ふむ」と呟いた。影の具合で銀色にも見える目で桃也を見つめながらしばし考え込む。
「実を言えば、我々に本当の名なんて無いんだよ。いや、恐らくはあったんだろうけども、忘れてしまったんだ」
「本当の名前を?」
「もう何百年も生きているからね。時代ごとに名前を変えたり誰かに名付けられたりしていくうち、本当の名前が分からなくなってしまったんだよ」
 白い鬼の優しげな声音の奥に、もの淋しさを感じて桃也は思わず胸が痛んだ。
 鬼という存在ゆえ、誰かと長い時間を共有し、ともに生涯を終えることも叶わず、淋しい思いを何百年も続けているのだろう。そう思うと相手は鬼だというのに、桃也はなぜだか哀れに感じてしまったのだ。
 だがそれは鬼の容姿にも関係しているかも知れない。あまりにも整った顔立ちで憂えた表情を見せられれば、誰だって同情心がわくというものだろう。もしかすると、それすらが鬼の――とくに白い鬼の持つ能力なのかも知れない。
 鬼の目が何かを訴えかけていることに気づき、桃也はハッとすると慌てて話を進めた。
「じ、じゃあ、セッキやハクロって……」
「私は封印される前、知り合いに付けられた名だね。白い髑髏の髏でハクロ。趣味が悪いだろう?」
 そう言って鬼はクスクスと笑ったが、存外その名前を嫌ってはいないようだった。
「あと、セッキだがこれは私が付けてやった。赤い鬼と書いてセッキ。そのまんまで分かりやすいだろう?」
 白い鬼がまた笑うと、黙っていられなくなったのか赤い鬼が口を挟んできた。
『俺は別に名前はこだわらないがな。分かりやすいというなら、こいつはシロで十分だ。俺がせっかく名付けてやったのに、こいつと来たら――』
「黙れ。そんな犬のような名前、誰が受け入れてやるものか」
 赤い鬼の言葉に白い鬼はムッとした表情を見せたあとで、今度はパッと表情を明るくすると桃也に微笑みかけた。
「そうだ、桃也。きみが私たちの名前を考えてみないかい?」
「おれが!?」
 唐突の申し出に驚く桃也だが、赤い鬼もあっさりと賛成してみせた。
『ふん、そうだな。それがいい。俺もシロが付けた名前は常々嫌だったからな』
「お互い様だよ」
「で、でも――」
「難しく考えなくていいよ。確かに現代で“ハクロ”や“セッキ”は違和感がないとも言えないしね。現代に合うような私たちの名前を考えてくれないか?」
 戸惑う桃也にさらに重ねて白い鬼が提案するので、断ることもできず渋々桃也は頷いたのだった。
「わかった。ちょっと考えてみる」
「よろしくね」
 面倒なことを頼まれてしまったなと思いつつも、それも片づけを手伝わされてることを考えれば今更か、とひとつ息を吐くと改めて部屋を見渡した。
「それで、おれの方はもう終わったけど、こっちも片づけ終わったんだっけ」
 和室側の壁面に、和室へ続く引き戸を挟んで大きなふたつの棚が並び、反対側の壁にはクローゼットがあるが中がどうなっているかは分からない。棚以外に収納家具が見当たらないところから、玩具の類はきっとその中に入っているのだろう。
 また家電の類も窓側の壁上部に設置されたエアコンのみで、そのエアコンもずっと以前からこの部屋に付いていたものらしく、かなり型の古いもののようだった。
「ああ、終わったよ。あとは追々増やしていくつもりだけどね」
「増やしていくって何を?」
「テレビとかオーディオとかね」
『DVDプレーヤーは必須だな。じゃねーと見れねぇし』
「……別に見れなくてもいいだろ」
『あ?』
 赤い目に睨まれてサッと桃也は視線を逸らした。
「それより、“買う”じゃなくて“増やす”なんだ?」
「私たちはお金を持ってないからね」
「……」
 当たり前のように言う鬼に桃也は複雑な表情を浮かべて押し黙った。
『どうやら引っかかるようだな、桃也』
「まぁね。DVDとかみたいに人を操るかなんかしてタダでもらう気だろ?」
 たとえ自分が実行するわけではないとしても、自分に関係する者がそういう不正を働くことに対して、桃也はもやもやとした気持ちを抱えてしまうのだ。
「丹木山の家に無かったっけ?」
『お前、あそこに電気が通ってると思うのか?』
「そっか……」
『せっかく電気が使えるんだ。テレビとプレーヤーは絶対に必要だ』
 改めて、鬼がそんなものに慣れ親しむなよと、情けない気持ちになりつつ桃也はまた大きく息を吐いた。
「わかった。じゃあ中古になるけどおれが買ってくる。親しくしてるリサイクルショップがあるから、そこで揃えよう」
『そうか。俺は別にどっちでもいいんだが、買いに行くなら俺も行くぞ』
「えっ」
「桃也と初めての買い物か。いいね」
 勝手についてくると決められて桃也は焦った。ついてくること自体が嫌だというわけではないが、鬼の見た目を気にしてのことだった。 片や真っ赤な目と髪の偉丈夫で、片や真っ白な目と髪の風雅な男――どうしたって目立つし異様なものを見る目で見られること必須だろう。
 ただでさえ、丹木山の周辺に昔から住む人たちはよく鬼の話を聞かされている。赤や白の男たちと鬼を結びつけることは容易いだろう。
『何か不満が?』
「いや……その姿じゃちょっと。お前だってよく警察に呼び止められるって言ってたじゃないか」
『……確かに。じゃあ、どうしろと?』
「留守番して買い物はおれに任せるか――それか変身できないのか?」
「昔は出来てたんだけどね。長年封印されて、その力はどうやら無くなってしまったようなんだ」
 そんなこともあるのか、と桃也は他の方法を思案した。目と髪がどうにかなれば他は人間と同じなのだから、目と髪をごまかす方法を考えればいい。手っ取り早いのはかつらとサングラスだが。
「じゃあ、かつらとサングラスしたら? そういうのポンッて出せないのか?」
「桃也。きみ昼間に似たようなことを言ってセッキに怒られたばかりだろう」
「あ、そうか」
 「術とか使って部屋をきれいにできないのか」と訊いて鬼に、「俺は魔法使いじゃない、鬼だ」と桃也は怒られたばかりだった。それを思い出してすっぱり鬼の要望を切ることにした。
「じゃあ、留守番決定だな」
『嫌だね。絶対についていくからな』
「……」
「それに、今後だって外出することは増えるだろうし、桃也が私たちの外見を気にするなら必要じゃないかな?」
 そう言われると確かにそうだ、と桃也は返事に詰まった。
 一瞬、山での封印から解放されたあとの約十五年はどうしていたのかと疑問に思ったが、鬼が各地を転々としていたとしたら変装もそれほど――少なくとも鬼にとっては必要ではなかったのかも知れない。
 だが、今鬼はこの街に定住しようとしている。せめて昼間や人の多い場所に行くときには、やはり変装は必要だろう。
(髪は染めてて目はカラコンって言えば何とかなりそうな気がしないでもないけど、貴嶺さんの家に住んでる限りは、もうこれ以上迷惑かけられないしな……)
 赤や白の男たちが出入りすれば目立って仕方ない。鬼を住まわせることだけでも十分迷惑なのに、周りから注目を浴びるようなことは貴嶺にとっては尚のこと迷惑に違いない。
 桃也は諦めの溜息をつくと「わかった」と絞り出すように呟いた。
「おれが買ってくるよ……」
「そう? ありがとう、桃也」
『格好いいのにしろよ』
「わかってるよ!」
 桃也はやけ気味に返事をすると、再び盛大に溜息をついて肩を落とした。
(確かかつらって高かったよな……)
 加えて家電も買い揃えなければならず、桃也の懐にとっては大打撃だ。
 かつらやサングラスを買って、次に家電を買って、さらに鬼たちの名前を考えなければならない。やらなければいけない事が桃也にはたくさん出来てしまった。
 そもそも、鬼の存在自体をどうにかしなければいけないのだが。
(貴嶺さん、鷺島さんに聞いてくれるかな、札のこと――)
 鬼との話し合いが終わった後で、貴嶺が桃也に「鬼に見せた札のことは自分が鷺島に訊いておく」と言ってくれたが、昨日今日と家から出た形跡はない。
 自分のことではないから焦っていないのかも知れないとは思うが、鬼が自分の家に住んでいるのだからもう少し焦って行動してもいいんじゃないか、とも思う。
 だが、桃也がどう思ったところで貴嶺に任せるしかないわけで、その間鬼が変な気を起こさないように見張るのが自分の役目だ、と桃也は思うことにした。
「とりあえず、片付けが終わったんならおれは帰るよ」
『明日も来るんだろう?』
「――夜になると思うけど」
「最近だと、引っ越しをしたら引っ越し蕎麦っていうのを食べるんだよね? 楽しみにしているよ」
「……引っ越し蕎麦ね、はいはい。ってか、くれぐれも貴嶺さんに迷惑かけるようなことはするなよ」
 牽制のつもりで鬼を睨み上げると、鬼はフンっと鼻で笑いながら桃也を見下ろす。
『あいつが何もしてこなきゃ、何もしねぇさ』
「桃也に嫌われたくないからね。大人しくしてるよ」
(……本当かなぁ)
 不安に駆られながらも桃也は、鬼に見送られつつやっと貴嶺の家をあとにしたのだった。

2015.02.06

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