冬。僕はきみの傍に、

3P番外編−塒

 トントンと少し遠慮がちに戸が叩かれると男の声で「もし」と言う。
「どなたかいらっしゃいますか」
 酒をあおっていた筋骨逞しい男は、だが立ち上がりもせず「何だ」と短く問うた。すると、戸の向こうでホッと安心したように息をついて声が言う。
「森に迷いこんでしまったのです。道を探しているうちに夜になり、往生しておりましたところ、こちらの家の明かりを見まして天の助けと思い訪ねました。よろしければ一晩の宿をお願いしたく思います」
 男は助けることも拒否することも面倒に思ったが、相手はおそらく旅人だろうと推測したときに下心がわいて、そうして男は重い腰を上げた。
 戸の傍までいき閂を外して扉を開けると、そこには男が予想した通り旅人風の身なりをした青年が立っていた。
「食事も寝所もないが」
 無愛想な男の言葉に、気分を害した風も無く旅人は笑んだ。
「ええ、構いません。その土間でもお借りできれば」
 男は旅人を中へ入れることにして、だが旅人が言ったように土間から上がるようには促すことなく、自分は居間へ上がって酒の続きを口に含んだ。それを見た旅人は
「そうだ、これを」
と言って荷物の中から何かを取り出した。
「よろしければ、お酒と一緒にいかがですか?おいしいですよ」
 出てきたのは干し肉であるようだった。男はさっそく旅人を入れてやって正解だったと思いながら、礼も言わずに干し肉をいただいた。
 一口食べてみると、今までに食べたことの無い味がしたが、それを男はあまり美味しいとは思わなかった。
「他には無いのか?」
 助けてやったのにこんな物しか持っていないのかと、男は些か腹立たしく思って言った。
「お口に合いませんでしたか。では」
と旅人はまた荷物から何かを取り出した。
 今度は干魚のようだった。
「鯨の肉です」
 それはいい、と思って男はそれを貰うと酒と一緒にいただいた。
 しかし、旅人自身は何も食べようとはせず寝支度をしているのを見て、散々森を歩いただろうに腹が減っていないのだろうかと思い訊ねると、旅人は笑って答えた。
「ええ、少し前にたくさん食べましたから」
 そうか、と相槌を打ちながら男は旅人の身形なり、荷物なりを横目で盗み見た。すると着ているものも持ち物も、長年旅をしていたもののそれではなく、貴族とまではいかないにしても地方の豪族あたりが身に付けていそうな、それくらい質の良さそうなものだった。
 男は自然と口を開いていた。
「ずっと旅をしているのか?」
「いえ、旅をしたり、気に入った土地があれば住んでみたり、いろいろです」
「なぜ、そんな生活をしている?」
「なぜと言われましても、私はもともと周りとは長く付き合えない性質のようでして、気がつくと追い立てられるように町を出ることになる、ということが多いのです」
 盗み、女かは分からないが手癖でも悪いのだろうかと思いはしたが、男はそれ以上は言わずに話を変えた。
「さっきの干し肉は、何の肉だ?」
 だがこの問いには、先に旅人の笑みが返ってきた。
「知らないほうが、いいと思いますよ」
 その笑みがあまりにも妖しくて、男は旅人を入れたことを一瞬だけ後悔したが、一晩だけのことと諦めて、それ以上は言葉も交わさずに床についた。


 深夜、男は寝所を起きだした。
 寝につきながら考えが変わった。旅人を殺して荷物も身ぐるみも全ていただこうと。
 土間で荷物を枕に寝ている旅人の下へ行って、男は立てかけてあった鍬をそっと手に持ち勢いよく振り上げた。
 しかし、鍬を振り上げた男は、旅人の閉じていた目が開いたのを見て、そして男の意識はそこで途切れた。
 サッと辺りに血なまぐさい臭いが広がるが、目を覚ました旅人は意に介した風も無く立ち上がると、土間に転がる男の胴体と首を見下ろしてひとつ舌打ちをした。
「不味そうなんで見逃してやろうと思ったが――干し肉にしたって喰えそうにもねぇし。まぁいい、今度はここを塒にすっか」
 そう言って旅人は手に付いた男の血を舐めると笑んだ。


 そうして旅人は――いや鬼は、男の家を自分の塒にして獲物が来るのを待ち続けるのだった。

2008.05.31

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