恋の仕方を教えて * 9

 いつもなら頃合いを見計らって勉強会を終了にするのだけれど、今日は悟志が泊まっていくということもあって、切り上げ時が掴めなかった。
 結局三人は、母親に『ご飯だよ』と呼ばれるまで、だらだらと話しながらも勉強していた。
 その日のメニューはハンバーグ。悟志が好きな料理である。久々に悟志が来たから作ったのよ、と笑う母親に悟志は感激して礼を言っていた。父も彼の来訪を喜んでおり、和やかに夕食の時間は過ぎた。
 その後はみんなでクイズ番組なんかの視聴である。答えを当てっこしたり、だらだら話したりしながら時間は過ぎていく。
 そして気がつけば結構な時間になっていた。順々に風呂に入っていき、上がってからは家族に挨拶をして各々が部屋に戻っていく。貴幸も先ほど入浴を済ませた。今は、悟志が入っている番なのだった。
(止まれ、時間……)
 何度となくそう思ったのに、残念ながら時計の針は一秒たりとも休んでくれなかった。
 貴幸はベッドに腰掛けながら、はあ、と溜め息をついていた。
 夜になってしまった。それは、悟志とこの狭い空間で二人きりになる時間が近づいてきたということである。美幸はとっくに風呂を上がっており、楽しそうに悟志としばらく雑談をした後、自分の部屋に帰っていた。だからもう貴幸のところには来ないだろう。
(ああ、もう、どうしよ)
 意識のしすぎなのだとは分かっている。こんなこと、考えなければいいのだ。普通に普通の幼なじみとして接すればいい。だけど今の貴幸には、その普通ができそうにない。
 ベッドの正面には勉強机がある。床に置いたテーブルとは違う、しっかりした机だ。その上には、先ほど置いた加奈子からのクッキーがある。
(そうだ。今の内に食べちゃおう)
 包みを手に取り、またベッドに座る。
 ピンク色のリボンを解き、ラッピング代だけでも高そうな袋の口を開いてみると中には形の整ったクッキーが七,八枚ほど入っていた。星形、丸、鳥、雪の結晶、人。定番の形が揃っているのにハート型は無かった。一つとして被っている形が無くて、どれから食べようか迷ってしまう。
 それでもランダムに近くの一枚を手に取り食べてみる。
(へえ。おいしい)
 固くてパリッとしたクッキーは甘い。ちょっと焦げたような風味も後味のよさに繋がっていた。
(明日、白井にお礼言わないとな)
 一口ずつ味わいながら考える。凝った包装といい崩れのない形といい、かなりの手間が掛かっているのが、お菓子に疎い貴幸にもよく分かった。小さな心配りに感謝する。
 ――コン、コン。
 残り一枚というところになって、部屋のドアがノックされた。
「はい!」
 跳ね上がりそうになりつつ貴幸は答え、急いで最後のクッキーを口に運ぶ。
「失礼します」
 断りながら入ってきたのは勿論、悟志である。
 適当な英単語が並んだパジャマを着た彼は、いかにも風呂上がりという風体で髪を水で濡らしていた。いつもは結んだ後ろ髪も今は解いている。普段以上に長髪に見えて、何だか違う人のようで貴幸はドキドキしてしまった。
「あっ、タカちゃんクッキー食べてたんだ。歯を磨いたあとなのに」
「いいんだよ。後でもう一回磨いてくるから」
「ふうん」
 悟志はごく自然に近づいてきて、貴幸の隣に座った。そして空になったクッキーの袋を覗き込み、くんくん、と短く鼻を鳴らす。
「いい匂いがする」
「ん、甘いクッキーだったからな」
「ううん。タカちゃんの髪」
 ……そんなことを言われても反応のしようがない。今嗅いでいたのは袋の匂いじゃ無かったのか。
 貴幸が何も言えずにいると、悟志は指先で貴幸の首筋に触れた。
「ひゃっ」
 いきなりのくすぐったさに声が出る。悟志はもう一度言った。
「いい匂い」
「は……なれろよ」
「クッキー、おいしかった?」
 普段より低めた、艶っぽさを感じる声で悟志が囁いた。
 すぐ近くで話されているからか、貴幸の鼓動が早くなっているからか、悟志のことを強く意識しているからか。声が心臓に直接響くようである。貴幸は居心地が悪いぐらいに胸がどきどきとして、つい体に力を込めてしまっていた。
「ああ、美味しか――っ……あ」
 言葉は最後まで口にできなかった。自分から聞いておきながら、悟志は答えさせてくれなかったのだ。急にキスをしてきたことによって。
「……んっ……」
 身を起こしたまま寄りかかられるような体勢。首には手を添えられていて、唇だけでなくそこからも熱が走る。
 額に掛かる悟志の髪はやっぱり濡れている。いつもより重たい柔らかさが掛かってくるようだ。
(――って、『いつもより』重い……!?)
 脳裏にふと浮かべた言葉に、貴幸は自分で衝撃を受けていた。
 何だ? いつもって。そんなに何度もキスをしてしまったのだろうか。
 ほんの数秒だけ口づけ、悟志は唇を離していった。
「ね、タカちゃん。今日もいっぱい、『練習』、していいよね……?」
 小さく言う悟志の瞳に、ゆらりと揺れるものがあるのを貴幸は見逃さなかった。イエス以外の答えを許してくれそうにない逸れない視線である。
「待て! れ、練習ならもう、散々しただろ……!」
 貴幸は彼の手を振りほどかんばかりの勢いで否定した。
 今夜は一晩中二人きりなのである。こんな日に『練習』なんてしたら、どうなってしまうことか。気まずいし、寝るまで続きそうだし、それに――下半身が反応してしまっても、どうしようもないし。
 勿論最終手段としては部屋を出てしまえばいいが、キスの直後に外に行くなんて怪しすぎる。キスで興奮しました、と言っているのと同じだ。
 だが悟志は貴幸の拒絶を聞かずもう一度口づけてきた。
「う……」
「まだまだ足りない」
 二度目は本当に触れるだけ。ごく軽いものだった。
「――もう充分だろ、悟志……! もう充分慣れてるよ、おまえ」
「ほんと? 上手くなった? 気持ちいい? ……タカちゃん、クッキーよく貰うの?」
 いつものように甘えた口調。笑みの形を作った口元。だけど何だか瞳が笑っていない。
「それは、……っ」
 自分から尋ねたくせに、やっぱり全然聞いてくれない。今日の悟志は強引だった。
 悟志は貴幸の腕をベッドに押しつけ、今度は長めにキスをしてきた。貴幸がろくに動けないように体重を掛けて口をつけてくる。
 先ほど風呂から出たばかりの彼の唇は、いつもより濡れた感触だった。しっとり吸い付くようである。
「う……」
 ――キスは不思議だ。このまま力を抜いてしまいたくなる心地よさがある一方で、全身の感覚ががぴりぴりしそうなほど鋭敏になって、どうしたらいいのだか分からなくなる。
 悟志は首の角度を深くし、より強く貴幸に口づけてくる。
「……っ!」
 その唇が小さく開いたかと思うと、ぬるり。貴幸の唇の隙間に、舌を滑らせられた。叫んでしまいそうになったが、口で口を塞がれているせいで声が出ない。
 とはいえ悟志には強引に舌を入れる気は無いらしい。つん、つんと舌で弱く貴幸の唇をつつく。その淡い刺激が貴幸に何も考えられなくしていく。
 思わず身じろいで、背と自分の服が擦れる。そんな刺激にすらもどかしいような鋭い痺れが走る。
 始めに『練習』をしたときには、二人ともキスの途中で息なんかできなかった。だから息が苦しかった。でも今では口づけながらでも自然に呼吸し、長くキスができる。貴幸のそれは悟志との経験によるものだ。だけど、悟志は。悟志はどうなんだろうか。恋人とのキスで方法を知ったのかもしれない――。思うと、ちりちり胸が灼ける。
 浅く舌で唇に触れられるたびに、少しずつ彼に内面に入っていかれているようだ。口の中だけでなく心にまで入られているように、思考が浸されていく。
 柔らかくて気持ちが良くて。悟志の吐息を感じるたび、頭が白くなっていくようで。貴幸は無意識に控えめな舌に応えてしまっていた。唇を薄く開くことで。
「っん、う……っ!」
 それを待っていたかのように、すぐに舌は貴幸の口内へ入ってきた。ぬるつく、ざらざらしたその裏側が、撫でるように貴幸の舌の表面に触れていく。感覚に慣れる間もなく奥にまで入れられて、貴幸は反射的にびくんとせずにはいられなかった。
 抑えるように乗せた腕を全く動かさず、むしろ更に刺激を与えるように感触を味わいながら悟志が舌を抜く。ぞくぞくと体が熱くなる。互いの舌が絡んで擦れ合う。触れられてもいない箇所まで高まっていくようである。
 いつしか貴幸からも舌を絡めてしまっていた。
「は、……」
 悟志は一度大きく息を吐き、思いあまったように貴幸に体重を深く掛ける。もっともっと貴幸の口内を味わうためである。けれど、キスにばかり意識がいった貴幸には悟志の体を受け止めきれなくてベッドに倒れ込んでしまった。
「う、っん、……あ」
 そのまま悟志も覆い被さるように体を倒し、まるで押し倒されたかのような体勢になってしまう。
 ――もう駄目だ。駄目だ、駄目だ……。
 ようやく頭の隅に浮かんだのは単調な言葉の繰り返しだった。
 ぬるぬると舌が動くたびに意識がそこばかりに行く。唇とは比べものにならないほど気持ちいい。混じり合った唾液を感じるたび、とてつもなくいやらしいことをしているように思える。だから、じんじんした痺れをズボンの中で強く感じるほどに、……性器が反応してしまっていた。
 しかもこうして押し倒された途端にとんでもないことに気づいた。
(…………悟志も、……だ……)
 パジャマの薄い生地越しだから余計によく分かる。彼の下肢ははっきりと昴ぶっていた。もしかしたら、貴幸以上に。
(やばい)
 悟志の……固い。熱い。ちょっとキスの角度が変わるたびに、その形と硬度を嫌なぐらいにはっきり認識させられる。
 ということは、貴幸が今どうなっているのかも、悟志に伝わっているはずである――。ずきんと、下肢が強く反応した。

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