恋の仕方を教えて * 1

「いきなりゴメン。タカちゃん、勉強教えてもらえないかな」
 目元をほんのりと赤く染め、気恥ずかしそうに悟志が言うものだから、貴幸は思わず聞き返していた。
「……は? えと、ごめん。何だって?」
「だからさ。週に一回ぐらい、勉強教えて欲しいと思って来たんだ。タカちゃんに」
 えへへと悟志が照れ笑いをする。
 唐突に彼にそんなことを言われた意味が分からず、貴幸は思わず眉を寄せていた。可愛らしく笑う悟志に目を向け、玄関口に突っ立ったまま質問を重ねる。
「何でだよ? おまえ、確か成績良かったはずじゃないのか」
「うん、中学ではね。でも高校入ったら難しくってさ。夏休み明けてから、僕、授業ついてくの厳しいんだ」
 悟志は言いづらそうに苦笑いして頬を掻いている。
 しばらくまともに顔も見ないでいるうちに、悟志はすっかり背が伸びていた。けれど仕草は貴幸の記憶通りで、幼い頃と同じに見える。
 ――相田悟志という少年は、三村貴幸の幼なじみだ。家が近くにあるために物心づく前からの付き合いである。
 しかし彼とは、貴幸が中学三年の頃から話さなくなっていた。思えばあの頃からもう二年も経つ。つまりはそれだけの期間、彼とはろくに会ってすらいなかった。いなかった、のだけれど――今日、いきなり。彼は貴幸の家に来たのだった。まるで仲の良かった頃みたいに自然に、邪気のない笑顔を浮かべて。
 貴幸は未だ、その状況に戸惑っていた。首を傾げてぎこちなく会話をするのが精一杯だ。
「悟志が……? へえ、意外だな。でも、それだったら美幸に聞いた方がいいんじゃないのか。クラス同じだろ?」
「確かにそうだけど。ユキちゃん、女の子だろ。恥ずかしくって声掛けられないよ」
 本当に恥ずかしそうに悟志が言うものだから、貴幸は反射的にプッと吹き出してしまった。悟志はそれとは対照的に、うう、と赤くなって俯いている。
 別に、嫌いになって距離を置いた仲ではない。一度そうして笑ってしまうと気まずさが解れていくようだった。
「はは! 何だよそれ。思春期だな、悟志。美幸はまだまだ子どもだってのに」
 美幸は貴幸の一つ下の妹だ。彼女は、照れたように唇を噛んでいる目の前の悟志と同学年、同級生である。
 だからわざわざ貴幸に聞きに来るより、彼女に聞く方がよっぽど早いのではないだろうか。それも、貴幸と悟志はここしばらくすっかり疎遠になっていたのだし。そう思って提案したのだけれど、悟志は首を振った。
「だってユキちゃん、最近女の子らしくなって可愛いんだもん」
「そうか? 昔と変わらないだろ」
「ううん、そんなことないよ。……それに、やっぱり、同級生より年上に聞く方が分かりやすそうだなあって。……どうかな? タカちゃん。教えてもらえない?」
「う!」
 縋るような、捨てられた子犬のような目で真っ直ぐに見つめられ、貴幸は言葉に詰まってしまった。
 正直言ってあまり受けたくない。だって貴幸は誰かに勉強を教えたことなんてないのだ。成績はいい方だけれども、うまく教えられるとは思えなかった。
 それに――悟志とはずっと話していなかった。正直言って、どう接したらいいのか分からない。
 だけど。
「タカちゃん、お願い!」
 いつの間にか自分と同じぐらいの背になった悟志が、顔も声も大人っぽくなった悟志が。昔のまんまに貴幸を呼ぶものだから、胸にズンとくるものがあって、とても断ることなどできなかった。
「……うう。べ、別にいいけど……」
「本当!?」
 途端にパアッと明るい表情になる悟志。
「でもさ悟志。俺、勉強苦手なんだよ。教えるのも多分下手だぜ。却って成績下げちゃうかも」
「ならないよ! 嬉しいな、タカちゃんと勉強!」
 今にもその場で飛び跳ねそうな喜びようである。何がそんなに楽しいのかな、と苦笑しながらも貴幸は、早速部屋に悟志を連れて行くことにした。

 思えば昔から悟志は貴幸にべったりだった。
 ほんの小さな頃からタカちゃんタカちゃんと言っては後をついて回り、小学生のときには同級生よりも貴幸と遊びたがって、とにかくいつも甘えてきていたものだ。
 ――タカちゃん、今日ね、算数のテストで100点だったんだよ。
 ――た、タカちゃあん。あのね、お母さんが、わがまま言う子はうちの子じゃありません! って、言うんだよ!
 ――タカちゃん、タカちゃん。
 目を閉じればいくらでも貴幸を呼ぶ姿を思い出せそうである。
 色素の薄い髪をふわりと揺らして甘えてくる小さな彼は、貴幸にとって弟のような存在だった。美幸も同じく泣き虫で甘えん坊だったから、貴幸はよく二人の面倒を見てやっていたものだ。
 それにしても――と、部屋までの道のりを歩きながら貴幸は思った。チラリと後ろに目をやって。
 目を向けられた悟志はすぐに、にっこり笑い返してきた。
「何?」
「いや、何てゆーかおまえさ……」
「ん?」
「……背、伸びた、なあ」
 しみじみ呟く貴幸に、悟志は意外そうな顔をした。
「ええー、そうかなあ。まだタカちゃんよりちょっと低いくらいだよ」
 でも、僕はまだまだ伸びるけどね。
 だぼついたシャツを掴んで悟志が言う。ふふん、と無邪気な笑みを浮かべながら。どうやら今後の成長を仮定して大きめの服を買っているらしい。
(言い方、ちょっと間違えたかな)
 貴幸はそんなことを思っていた。本当に言いたかったのは身長のことではない。彼の全体の雰囲気についてだった。
 二人は最近ではずっと、学校や家の近くですれ違うだけの仲になっていた。だから今日久しぶりに悟志をじっくり見たのだけれど――成長期の彼は、面影は残しつつも、昔とは随分変わっているような気がした。
 優しげな目元や表情の作り方や、柔らかそうな細い髪は幼い頃と変わらない。けれど、いつも自信なさげだった瞳には芯の強そうな光が宿り、体の骨格もしっかりしている。元々顔の作りが良いのもあって、……格好良くなったなあ、なんて思ってしまう。後ろでまとめられた長めの髪も、彼の柔和な雰囲気によく合っていた。
 それに、いつの間にか声だって変わっていた。二人が疎遠になる前には悟志はまだ声変わりが終わっていなくて、少年特有のちょっと舌足らずな声だった。だけど今こうして話す悟志は、すっかり声音が低くなっている。なのに、甘えるような話し方も優しげな語尾も変わらない。悟志なのに悟志じゃないような、でもこの上なく悟志であるような、不思議な感覚だった。
 そういえば悟志は生徒会なんかに入っている。だから全校集会などで時々遠目に見かけるのだけども、そのときにクラスの女子が彼についてキャアキャア言っているのを聞いたことがある。あの書記のコ格好いい、相田くんって言うんだよ、なんて。同じ男としては悔しいけれど、なるほどこれなら騒がれるのも納得である。
「汚い部屋だけど、入れよ」
「わあ。本当だ、汚い」
「し、仕方ないだろ! 急なことだから、片づけてなかったんだよ」
 貴幸の部屋に案内するなり、悟志は嫌みなく笑った。そしてすぐには座らずに辺りを見回し始める。
「あ、ユニフォームだ。タカちゃんバスケ部だったよね」
「ああ、そうだよ」
「中学の頃とは結構違うなあ、部屋。何だか全体的に大人っぽくなってる気がする」
「そうかな」
「ベッドの下にエッチな本ある? 見ていい?」
「みみ、見るな!」
 本当にベッドに近づこうとする悟志の腕を慌てて掴む。それから、こほんとわざとらしく咳をして、貴幸は本来の目的を思い出させた。
「勉強しに来たんだろ、悟志は!」
「怪しいなあ」
 そんなことを言ってにやにや笑いを浮かべながらも、悟志は机に向かって腰を下ろした。
「苦手なのはどの教科だよ?」
「えと……数学かな。それと英語」
「主要教科の二つかよ。苦労するぞ、受験」
 とはいえその二つなら、積み上げ教科だけあって貴幸にも分かりそうだ。やれやれと笑いながらも内心ホッとしていた。
「それで、どこが分からないんだ?」
「えっと、仮定法の時制なんだけど……」
 ごそごそと悟志が鞄を探り、教科書とノートを取りだす。貴幸は悟志の近くに座り、教科書を覗き込んだ。
「ふむ」
「この例文だと動詞が過去形になってるでしょ? だけど――」
 こっちの文章だと、これこれこうで。悟志は困り声で例文を読み上げた。
 どうやら彼が躓いているのは基礎の部分であるらしい。英語の発音はやけにいいのだけれど、文法の初歩で引っかかっているのではこの先大変だろう。
「えーと、これはだな」
 貴幸は教科書に指を伸ばし、できる限り分かりやすく解説してやった。視界の隅に、真剣な顔で指の先を追う悟志が見える。しかし、そんな真面目な表情を浮かべていても悟志の雰囲気はどこかあどけない。一生懸命さとのギャップが何だか面白かった。
「――で、この場合のhadは現実には起きないことだから……」
 こうして話すのは本当に久しぶりだ。だから、勉強を教えるだけでも気まずく感じてしまうのではないかと思っていたのだけれど、そんなことはなかった。多分、外見こそ変わった悟志の内面が変化していなかったからだろう。
「なるほどね」
 悟志の理解が良いこともあり、勉強は思ったよりもスムーズに進んだ。うんうんと頷く彼に質問を受けたり、練習問題を一緒に解いたりして、気がつけば約一時間。
 結構進んだようだし、今日はこの辺りだろうと貴幸は顔を上げた。そして、同じくノートから目を離した悟志とばちりと目が合う。
「あ」
 何となく恥ずかしくなって、貴幸は慌てて目線を逸らした。
「そ。そろそろ、今日は止めにしておくか」
「うん」
 えへ、と同じく恥ずかしそうに悟志は頷いた。その整った顔立ちに目を奪われてしまう。
 さっきも思ったけれど――やっぱり、悟志は格好いい。
「悟志、おまえ、モテるだろ」
「まあね」
 随分とあっさり頷かれた。
「でもタカちゃんこそ、そうじゃない? 面倒見いいし、バスケうまいし。一年でレギュラーになったんだろ?」
「別に面倒見なんてよくないよ。っていうか、よく知ってたな。バスケのこと」
「勿論知ってるよ。それに――」
「それに?」
「顔もいいし」
「…………」
 裏の無さそうな言葉だけれど、貴幸は黙り込んでしまった。確かに容姿は時々褒められる。何気に結構いい顔だよな、なんていう微妙な表現で。しかし、悟志のように本当に格好いい奴に言われてしまうと、反応のしようがなかった。
 黙っていると悟志の方から声を掛けてくる。
「今日はありがとうね。タカちゃんと久々に話せて楽しかったよ」
「ああ。また教えてやるから、頑張れよ」
 言いながら部屋の扉を開けると、少し遅れて隣のドアも開いた。中から出てきたのは制服姿の可愛らしい少女である。貴幸の妹、美幸だ。音や話し声から、悟志が来ているのに気づいていたのだろう。
 美幸はゆっくり扉を閉めると、控えめな笑顔で悟志に声を掛けた。
「悟志くん、帰るの?」
「うん。お邪魔しました」
 ひらひらと手を振って悟志もそれに答えている。来たときに『ユキちゃんとは恥ずかしくて話せないよ』なんて言っていた割りに自然な様子だった。日ごろ大人しい美幸も、リラックスした様子で微笑んでいる。
「悟志くんがうちに来るの、久しぶりだね。……また来てね」
「ありがとう。じゃあまた明日。タカちゃんも、それじゃあね」
「あ。ああ」
 何だか釈然としないものを感じつつ、彼を見送る貴幸だった。
 それから、最初に言われたように週一回。部活がない木曜の夕方に、悟志は貴幸の部屋に来ることになったのだった。

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