本当はもうとっくに気づいていたのかもしれない。



   【花を嵐から守る方法】





 扉をノックして、中に入る。
「兄上、失礼しま……」
「あれっヴォルフラム」
!? ここで何をやっているんだ」
「編物を教わりに来たの」
 あと、あみぐるみも貰いに、と言っては嬉しそうに笑った。ここは兄上・フォンヴォルテール卿グウェンダルの書斎で、確かに兄上の作ったあみぐるみがたくさん置いてあった。現在里親募集中だ。

 高く昇った太陽の光が強く自己主張している。だがそれらは仕事用の机の端にかろうじて差し込んでいるくらいで、ほとんどはカーテンに遮られている。

 部屋の奥に座っている兄上は、いつものように眉間に皺をつくって、その机を使って書類を読んでいる。ソファに座って毛糸をいじっているとは随分距離がある。これで編物を教えているのか、ぼくにはそうは見えないが。

「用があるんじゃないのか、ヴォルフラム」
 視線は落としたまま兄上が尋ねてきた。訝しく思っているのを見透かされているような気がして、ぼくはあわてて用件を述べる。
「午後からの予定が遅れるようです。本当はギュンターが伝えるべきなのですが、忙しいとかでぼくに頼ってきました」
「そうか」
 グウェンダルは頷いてから書類の一番下にペンで素早くサインをした。ついでの方に、声を掛けながら指を動かす素振りをする。
「編めたか? 次はこうだ」
「へえ〜、こうか」
 それでわかるのか!?

 内心叫びたかったが、どうやらは兄上の指示通りにできているようだ。
「結構面白いよ。ヴォルフラムも、やってみる?」
「い、いい! ぼくはそういうのは苦手だからな。一人でやっていろ」
「……そう?」
 幾分か声のトーンを抑えてはそう言った。少しきつ過ぎただろうか。

「……で、でも、作ったのは、貰ってやってもいいぞ」
「ほんと?」
 が顔を上げて聞き返す。自棄になって首肯すると、彼女の顔が綻んだ。その笑顔は、道端に咲く黄色い花のような印象があった。
「じゃ、出来たらあげるね!」

 紙の束の向きを揃えている兄上が、一息をつきながら口を開いた。
「ヴォルフラム。もう昼食の時間だろう、を連れて行け」
「……もうご指導を終えるのですか?」
 の手元を確認してみるが、作り始めらしく完成しそうな気配はない。

「まだだが、そう急ぐことではないだろう。私も休憩を入れる」
「そうですか」
も、気が向いたときに訪ねてみると良い。いつでも教えてやれるとは限らないが……」
「うん。どうもありがとう、ございます」
 敬語の不自然に混ざったの礼に、グウェンは一瞬苦笑のような表情になった。笑っていいものか躊躇ったのかもしれない。それか、微笑ましいと思ったのを隠そうとしたのかもしれない。
 その態度は、我が兄ながらちょっと癪に障った。……あ。

「ヴォルフラム」
「なんでしょうか」
 から先に廊下へ退出しているときに呼び止められ、振り返ると、
「けじめはつけた方がいい」

 兄上に釘を刺された。
 わかっている。ぼくには――。



       *       *       *



 はユーリより一つ年下だ。大人しいとまではいかないが、ユーリよりも落ち着いた感じがする。いや、あいつが騒がしいだけなのか……。
 初めて出逢ったのはつい最近のことだ。ユーリから何も聞かされていなかったらしく、自分の兄がぼくと婚約云々のくだりあたりは、それはもう驚いていた。ちゃんと説明しておけ、へなちょこめ。

 こっちの世界に属しているはずの彼女がなぜ地球で生まれたのか、そこらへんの事情は詳しく判っていないらしい。かなりの魔力の持ち主であることは確かだ。だがまあ、そんなことはどうでもいい。
 いずれにしてもこのぼくが、婚約者の妹を守るのは当然のことだからな!


「違うっつーの、それはおれの役目じゃん」
「な、なんだと!」
 というより今、心中を読まれたぞ!?

 先ほどグレタも交えてこの室内で昼食を取った。最近はこれが常だ。食べて少し経った今、ユーリは半眼になってぼくを見ている。睨んでいるようにも、単にふてくされているようにも取れる表情だ。なんだ、なにかあるのか?

 ユーリはそのまま、何かを言いかける。
「ヴォルフラム、さー……」
 だがその曖昧な目付きはじきに直された。
「まあいいや。おれちょっと謁見行ってくるよ」
「おい、中途半端にするな! なんなんだ、いったい」
「教えてやんねーよ!」

「おとーさま、いってらっしゃーい」
「おう! グレタ」

 何事もなかったかのようにユーリはすたすたと歩いていく。すぐに扉の向こうに消えた。少し離れた所でくつろいでいたが、不思議そうに近寄って来た。
「どうしたの?」
「いや、ぼくにもわからない……」
「……ふーん。変なお兄ちゃん」
 首を傾げていただったが、興味が別に移ったらしくすぐ声をあげる。

「あ! ヴォルフラム、街の方に出てみない?」

「まち?」
「うん。前々から行ってみたかったんだけど、お兄ちゃん、忙しそうだし。――用事とか、ある?」
「な、ないが……」
「出掛けるの? それってデート?」
 傍で会話を聞いていたグレタが無邪気に尋ねた。ぼくには聞き慣れない単語を耳にした途端、は「ち、違うよ!」などと少し慌てた素振りを見せる。
 でえと?



       *       *       *



「うわー、なんかすっごーい!」
 ユーリのときのように変装をしたは、初めて訪れた城下町への感想を、そう語った。こういうときの語彙は兄に似ていると思うと、少し興味深かった。

「本当にヨーロッパみたい。日本じゃこういうレンガ造りの家なんて滅多にないもん」
「よーろっぱ、とは、異世界という意味があるのか?」
 街の様子は、ぼくから見ると特に変わったところがない。建物がたくさん並んでいて、市場では人々が賑わっている。それにしても今日はやけに騒がしくて、人波でとはぐれてしまいそうだ。


 見失わないようにと手を差し出した。は軽く目を見開いてから、ゆっくりと手を握り返す。彼女の細い指が絡んで、互いの温度が伝わる。
 そのとき、心臓が高鳴った。

「あ……、別にやましい魂胆などないからな!」
「……わかってるもん」
 一応念押しをしておくと、彼女は応えてから、少しおかしそうに笑った。変に意識したと思われた、か? 頬が染まるのを止められない。

「ヴォルフ、もしかして照れてるの?」
「う、うるさい! そんなわけないだろう!」
 はにっこりと笑ったまま「行こう」と手を引っ張ってきた。ぼくとは対照的な反応の仕方だ。……なんだかこちらが損しているような気分に襲われる。

 それからしばらくは、あっちこっちの通りを見て回った。ぼくにとっては通常の食品・日常品でも、は面白そうに見ていた。それを観察しているのは、悪い気分ではない。ころころと表情が変わって、退屈しないからだ。
 赤だったり、白だったり、黄色だったり、いろいろな花。
 ずっと、見ていた――。


「きゃっ」
「おいこら、よそ見をしてんじゃねえ、お嬢ちゃん」
 一通りを覗いた頃、の肩が何者かとぶつかった。少し前に進んでいたぼくが振り返ると、そこには昼間なのに酒臭い市民が立っていた。

 ごろつきか。
、構うことはない。行くぞ」
「ちょっと待ちなよ坊ちゃん。こっちは痛かったんだぜ?」
 よしておけばいいのに、そいつは大げさな動作で自分の肩をさすった。いかにも愚民だ。ぼくは一気に勝負をつけようとした。

「いいかげんに……」
「だめっ、ヴォルフラム!」
 牽制しようと腰に提げた剣の柄に手を掛けかけると、が勢いよくそれを止めた。ついでごろつきに呼びかける。
「おじさん、ごめんなさい!」
 しかし、それがいけなかった。

「誰がジジイだぁー!!」
 よっぽどの禁句と勘違いしたのか、ジジイはいきなり絶叫してこちらに手を振り上げた。
「えっ!?」
 とっさに二人とも横に飛びのいてかわしたが、酔ったごろつきはまだ攻撃を続けようとする。周りの市民も、奴が乱暴すぎて近づけない。

 尚もが殴られそうになったとき、ぼくの目の前が真っ白になった。

 守ると決めた。
 そのために、何をすることも厭わない。
 は、ぼくにとって……。

「やめろ!」
「ヴォルフ!?」
 ぼくは奴との間に踊り出て、はそんなぼくに叫んだ。あとから考えてみると、そのとき自分が何をしたかったのか、よく覚えていない。だが酔っ払いの拳が顔に届く直前、思いがけないことが起こった。

「いやー!」
《バシィッ!!》
 ぼくの目の前で、ごろつきが後方に吹っ飛んだ。魔力が発動したのだ。

 飛ばされた距離は思ったよりも長くはなかったものの、男はそのままのびてしまった。きっと酒の量が影響したのだろう。
「君たち、怪我はないかい?」
 周りの市民も、やっと動き出す。これどうしようか、脇に除けておくか、そんな相談も聞こえた。

?」
「あ……」
 振り返ると、彼女は青ざめていた。大丈夫か? と言いかける前に、何を思ったのか、は突然駆け出した。いったいどうした!?

!?」
 放って置けるわけがない。誰かが制止するのを振り切って、ぼくも走り出す。



       *       *       *



 結構長い時間に思えた。はおそらく闇雲に走って、薄暗くて人通りのない路地裏に入った。
「待て、!」
 やっと追いついたぼくは、彼女の腕をつかんで、無理やり動きを止めた。

「ご、ごめんね、私あんなの、初めてだったから……」
 しばらく息を整えてから、彼女は困ったようにそう口を開いた。何のことかと思ったら、男を屈服させた衝撃波のことだった。

「ふん、気にするな。あれは奴が悪いじゃないか。あれぐらいでちょうどいい」
「でも……」
 驚いた。言いよどんだかと思えば、はみるみる目に涙を溜め始めたからだ。わからない。
「お、おい!? なぜ泣く!?」
「……あんなの使えるなんて、びっくりした」
 抑えているようだったが、彼女はとうとう顔を手で覆ってしゃくりあげた。どうすればいい? こんなとき。他の奴はどうしているんだ。手本にすべきは悔しくもコンラート辺りだろうが、あまり注目したことがないため役には立たない。

 彼女の姿は痛々しかった。ごろつきの心配などしてやる必要はないのに。あんな名無しより、の方が明らかに心配だった。

 かなり躊躇ったが、結局軽く腕を回して、抱きしめた。
。大丈夫だ。心配するな――」


 彼女の体は温かかった。そしてかすかに震えていた。肩をさすってやって宥めているうちに、自然と腕に力が入った。
 本当はもうとっくに気がついていたかもしれない。
 ぼくは、彼女のことを、愛しかった。



       *       *       *



「ヴォルフありがとう、もう平気」
 やがて彼女は、腕の中で恥ずかしそうに呟いた。照れ隠しに笑う気配がする。太陽は傾きかけて、既に夕方になりかけている。そろそろ帰らなくてはいけないのだろう。

「あの……ヴォルフラム?」
 まだ離せなかった。自覚してしまったら、もう我慢ができなかった。
 挙句の果てに、言ってしまった。
「――――好きだ」

「すき……、え!?」
「うわ! 耳元で叫ぶな!」
 出し抜けの大声に、ぼくの方が驚かせられた。思わず腕を放すと、急に現実感が戻って、自分の言ったのがとんでもないことに気づいてしまった。

「あ、い、今のは……!」
「ヴォルフ、本当なの!?」
 訂正する前に遮られ、思わずうなづき返してしまった。ってああ違う!
、これは誤解」
 しかし最後まで言い切ることはできなかった。信じられないことを聞いたからだ。

「私も好き」

「……っ、?」
「でっでもね、ヴォルフは、違うって思ってたの! だって最初は信じられなかったけれど、お兄ちゃんの婚約者だもの。グレタちゃんだっているし」
 そこではまた泣きそうになった。しかし今度は堪え切って、続ける。
「でもやっぱり、ヴォルフラムのことが好きなの!」

 我に返ったときには、またのことを抱きしめていた。
「……ヴォルフ、いいの?」
「き、共犯だからな!」
 少し頭が混乱していて、わけのわからないことを言った。だがは理解してくれたようだ。顔を真っ赤にしながらも腕を回して、抱きしめ返してきたからだ。


 ぼくは、婚約者として失格だ。ユーリはなんて言うだろう。
 だがぼくたちは、ずっと長い間そのまま抱きしめ合っていたのだった。










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  ★あとがき★
  すいません。思い詰めさせた割には障害がなくてつまらない話です…。
  しかもヴォルフの語りが意外と難しくて、ちゃんとできてない。
  こんなものを暦ちゃんに献上するなんて! 墓穴に入りたい!(泣)
  と、いうことで、あとがきより下に、ちょっとした後日談を書きます。
  ギャグ風味です。読みたい方はどうぞ。

  暦様、このたびはキリリクがあってからとろくて、申し訳ない!!
  前の日記にもちょこっと書いたけど、「まだ大丈夫」と楽観的になってました。
  それと、すこーし、記憶の中に埋もれてたのと(馬鹿)
  本当にごめんなさい。グウェンに代わって「けじめをつけろ」と言ってくださいまし。

  ――この夢小説は、龍蘭暦様のみお持ち帰り可、です。
  ここまで読んでくださった暦様、そして皆様、ありがとうございました。
  ゆたか   2005/12/11








































(そして、後日……)
「ヴォルフラムー!」
「うわー!? ゆ、ユーリ! ゆさぶるな、吐く……」
「お前、とうとうおれの妹に手を出したな? 様子が変だと思ったら!」
「そ、それは……。だが、決してお前のことを考慮しなかったわけじゃ」
「泣かせたら承知しないぞ!? というか、お前が相手じゃ心配だ!」
「浮気したことに対して怒っているんじゃないのか!?」
「うわきぃ? ってそもそもおれたち男同士じゃん」
「でも、ぼくたちにはグレタという娘がいるじゃないか!」
「父親はおれ一人で十分」
「何をー!?」

「あ、あの、二人とも……」
「「 なんだ、!! 」」
「そこで文章書いてる人が、力尽きそうなんだけど……」
「な、なんだって? おい待て、まだ決着は全然ついてないぞ!?」
「そうだ、ヴォルフにいろいろ言って聞かせないと!」
「それは大丈夫だ!」
『ゴメン、モウ無理デス……(ぱたっ)』
「ぎゃー!」


(完(もしくは、死))

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