【ビオライト 後編】





 ――コンコン。
「……ん」
 軽快な音がした。は目を擦りながらむくりと身を起こす。まぶたが重い。いつの間にか眠ってしまったようだ。

(どのくらい寝てたんだろ。……ていうか、誰?)
 意識が完全に覚醒しきれず、じっと扉を見つめる。すると、タイミングを見計らったかのようにまた音が聞こえた。
 ――コンコン。

「あ……」
 ドアのノックの仕方で気づいた。
 戸を叩く回数、音のくぐもり方、微妙な間合い、すべて有利のそれに共通していたのだ。
「ユーリ!?」
 慌てて扉を開けると、そこには果たして彼がいた。彼は正午ごろだと判る日光に包まれていて、彼女を思わず目眩みさせる。有利はどこか曖昧な表情で、後ろに腕を組んで立っていた。

「こ、コンニチワ」
「どうしたの? 誰か呼んでるの?」
「いやいや! 違うんだけどさっ」
 よくよく考えれば魔王陛下を遣いにやれる人物などいないのだが、有利は大真面目に否定して、あらぬ方を向いた。どう見ても変である。は眉を顰める。

「そう……じゃあ、入る?」
「そーだなー…ってちょっと待てよ」
 招きに応じかけた有利だが、彼はそこで驚いたように声を上げた。

、もしかして泣いてたのか!?」
「え」

「ちょっとだけど、目が腫れてるぜ」
「あっ……」
 は赤くなった。気づけば寝ころんでボサボサになってしまった髪さえ撫でつけていない。今まで何をしていたのか。これでは、少なくとも仕事の口実は使えない。

「その、あのねっ、急に眠たくなっちゃって……」
「誰に泣かされたんだよ」
「だから、眠気が」
 有利は底から心配そうな顔をする。純粋百パーセント、ちなみにスマイルはいつでもゼロ円だ。実はあんたに泣かされたんだよ、とは口が裂けても言えないだろう。

「本当になんでもないの。気のせいよ。そ、それより、ユーリはどうしたの?」

「それが何故かあいつらに……いや、なんでもないんだ。な、

「なに?」
 有利は急に押し黙った。はワケがわからなかったが、とりあえず待ってみる。廊下の方から吹いてくる風が軽く髪をさらった。

 やがて、慎重そうに彼は口を開いた。
「ちょっと付き合ってくれない? ここじゃなんだから」

 まさに寝耳に水の提案である。
 は内心訝しがった。普段こんな風に、しかも彼から申し出られたことなど初めてだ。それに有利が一人でここに来ているのも気になる。コンラートやヴォルフラムやギュンターがいない。特にやかましい後半の二人が不在だなんて。
 まだ夢を見ているのだろうかと、は頬をつねりたくなった。

 しかし、有利のお願いを断る理由もなかった。
 いつまでも部屋の中に逃げ込んでいても仕方ないし……そう彼女は認めざるを得なかった。相手は魔王陛下で、自分は十貴族の若い当主だ。気持ちがどうであれ、この先もずっと顔を合わせるのだし。
 それに、よく考えたら、二人っきりって嬉しいし。

「いいよ!」
 はすっかり平生さを取り戻した笑顔で承諾した。さっきまで泣いていたのに、ゲンキンだなぁ、と自身でも不思議に思いながら。



 有利がを連れ出した場所は中庭だった。

 色とりどりの花々が、美しく咲いている。蔓に棘のある花、水辺に咲く花、人名にちなんだ花……。どれも誇らしげな大輪だ。今日は天気がいいからか、なおさらそう思われた。

(やっぱいいな、ここ……)
 思わずの顔がほころぶ。彼女は花が好きだ。とりわけ血盟城の庭師たちが手入れされたものは最高の見栄えなのだ。つかの間、彼女は花園に見とれていた。
 小さな咳払いが聞こえるまで。

「あのー」
「えっあーユーリ! ごめん何だっけ?」

「いやその」
 有利は口元に手を当てて考えるような素振りをした。言の葉を迷っているようである。今まで彼の様子がおかしいことをとりあえず流していただったが、さすがに気になって仕方がなくなった。

「……何か大事なことなの?」
「うーん、というか」
「そんなに言いにくいの?」
「まあ、そう」
 どうにも歯切れが悪い。

 そのとき、ふと、の頭の中に不安がよぎった。

 先刻の自分の挙動不審さで、もしユーリが秘めた想いに気づいたのなら、そしてもし、彼なりにケジメをつけようとしているのなら……。絶望的なことを言われるのかもしれない。そんな風に考えたのだ。

(いやだ、とどめなんて)
 もしも完璧な拒絶をされようなら、せっかく少し気力が回復していたのに台無しである。は思わず叫んでいた。
「ユーリ! 私気にしないからっ」
「えぇっ! ……て何が?」

「今ユーリが考えてること」
「そっそれはおれが困る!」
 見透かした発言――正しくは見透かしていると思い込んでいる彼女の発言――に、急に有利の声の調子が変わった。呆気に取られ、あわあわとする様子は、むしろいつもの調子に近かったのだが。

 お互い必死な形相で相手を見つめる。
「なんで!」
「おれのこと、す」










「――――え?」
「あーっ!」
 はぴたりと動きを止め、有利は耳まで真っ赤になってあたふたし出した。

 天気がいい。小鳥の囀りが、どこからか聞こえてくる。二人の焦りをよそに、周りは呑気なものだ。
(なに? 今の、まるで……)
「…ユーリ…、もう一回言ってみて? ちゃんと最後まで」
「ちょちょっタンマタンマ! 今のなし! なかったことに」

「ねぇってば」
 は身を乗り出し有利へ詰め寄った。目と目が短い線で結ばれる。可哀相に有利はますます赤面したが、ぐっと堪えるように口元を引き締めた。必死で言葉を紡ぐ。

「つまりさ、今おれは、さっき元気がなかったみたいだからどうしたのかな? ってことを言おうとしたんであって……」
「でもそれって言いかけたことじゃないでしょ? す、が入ってないもん!」

「だからその、そーいうことで」
「どーいうこと!?」
「どうってェ……あぁもう」
 しかしもはや打つ手なしである。

「………………好きなんだ。が」
 よっぽど間を置いたあとで、有利はかすれた声で答えた。そっぽを向き、ぶっきらぼうにではあったが、確かに明言した。
「ずっと前からだよ。いきなりこんなこと言ったら、だって驚くだろうけどさ……」

 はというと息をのんで、遅まきながらに頬を染める。諦めてかけていただけに本当に心底意外だったようだ。有利と同じくらいにおどおどし始めて、やがて小さな声で返した。
「………………私もだよ」

 その声を有利もはっきりと聞き取ったのだろうが、彼はしばらく勘違いをしていた。曰く、
「あーやっぱりなー、だって傍から見てて二人はお似合い……ってえぇっ!? 今何て言った?」
「だ、だから、私もユーリが好きなの!」

「……ウソ」
 有利は真実を見極めようと思ったのか、をじっと見つめた。彼女は顔が熱くて仕方なかったが、見つめ返しつづける。長い長い一瞬が訪れた。

「そう…なんだ。う、嬉しー……」
 やがてそろそろと視線をあらぬ方向に移動させた有利は、口に手をやってポツリと呟いた。
 棒読みのアクセントだったが、彼女には彼が本当に嬉しそうに見えた。漆黒の瞳は嘘をつかない。何より彼はヤカンで湯が沸かせられそうなくらい高熱だ。は微かに笑いかけたが、ふと疑問を感じてそれをやめた。
(さっきユーリ、なんて言ったんだっけ?)

「……ねえ、私と誰がお似合いなの?」
「は? ……あー、ヴォルフのことだよ」
 彼は納得してから苦い物を噛んだような顔をした。一番言いにくいことをカミングアウトした後だからか、今回はさほど渋る様子もなく口を開く。

「だって、あいつと一緒にいるときの方が活き活きとしてるじゃん。朝の起こし方も豪快で気兼ねないし」
 つまり今朝を傷付けた発言も、その思いがあってのことだったのだ。
 自分には声を掛けるだけの挨拶だったのに、他の相手には遠慮のないスキンシップときた。たとえヴォルフラムにとってはこの上ない災難だったとしても、嫉妬してしまうのは無理もない。

 彼の言葉を聞いてはなんともいえない気分になった。すっかりぽんと立場が逆になっている。彼女はあれこれ考えながらポツリと漏らした。
「だって……小さい頃からそうやってたし……」

「……そういう問題?」
「あれくらいしないと絶対起きないし」

「ああもう! わかったよ! そういうことにしとく!」
 とうとう有利が折れた。ひとしきり怒鳴った後で、不思議な間が訪れた。どちらからともなくクスリと笑い出す。

 今この人と同じ気持ちなのだと、疑いなく信じることができた。

「もういーや。なんかどうでもよくなってきた。終わりよければすべて良しってヤツだよな、ビオーライト!」
「……びおらいと?」
 自分の知らない言葉が出てきて、は眉を顰める。異国ならぬ異世界で育った有利から、彼女は度々その文化を教えてもらうことがある。今回もその例に漏れなかった。

「えーと、簡単に言うと『大丈夫』とか『よろしい』とかそんな意味」
 説明してから有利は快活に笑った。の好きな、満面の、太陽のような笑顔。こんなときの彼は、どんなしょげてる彼女さえも笑顔にしてしまうのだ。

「な? 今のおれたちにぴったりだろ?」
「――うん! ビオライトだね!」



       *       *       *



 そう、それはひょんなきっかけだったのだ。
 こうして小さな「いつもと違うこと」が重なって、悲しいことも嬉しいことも訪れる。
 けれど笑顔でいられたなら、それは「結果ビオライト」なのだ。










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  ★あとがき★
  はい、いかがだったでしょうか、後半。
  気味の悪い締めくくりになってますが、これは結果オーライにしたい私の気持ちの表れです。
  だってすごい時間かかっちゃいましたもんね。反省爆発です(←?)
  しかも回りくどい知ったかぶりな文章。私は誰さ? これで哲学史の授業は完璧〜。
  ……どなたか、「私」の修復の方法を教えてください(切実)

  設定を二転三転させた今回の話ですが、ラスト笑い合うところだけは決めてました。
  どんなときでも必ず場を明るくできるのが有利の魅力ですよね?
  実はヒロインを巫女にして不倫チックな話にしようとしていたのは、ここだけの秘密ですよ。

  この夢はお持ち帰り可です。下の名前だけ消さないでください。
  あと、ドリームメーカー2使用なので気をつけてください。
  ここまで読んでくださって、どうもありがとうございます!!
  ゆたか   2006/05/14

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