【準備体操は念入りに】
部屋に戻ってみると、ゲーゲンヒューバーさんの容態は安定したみたいでほっとした。けれどこちらに休む暇はあんまりない。レースが始まろうとしていたから。
「そろそろ会場に向かわないと、約束の正午に間に合わない」
コンラッドはなぜか荷物を探っている。衣装を取り出そうとして。そのまま行ってもいいと思うのに。
「陛下は、効果的だから、これ着ますか」
そう言って広げたのは、陛下専用の黒い衣。ニホンの代表的な学生服。
「VIP席で双黒の美形が、黒い衣を纏って悠然と見物してたら、観客は畏怖の念で見上げると思うなあ」
「縁起悪っ、とか十字きられるだけじゃねぇのぉ?」
「はい、これ」
それは一見、ごく自然な流れに見えた。彼は当たり前と言わんばかりにそれを差し出したし、それは今までの話題を変えない物だったから。
……いや、でも私に?
「私も着替えるの!?」
「そりゃもちろん」
「しかもドレス、白色!」
「ユーリの漆黒といい対比になるかなと思って」
「でもなんで、こんなの持ってるの」
コンラッドはただ笑ってた。どう解釈をすればいいのかまったく理解不能だ。
以前のようにツェリ様が持たせたの? それともまさか自分で買ったとか。でも買う、時間は、さすがにないよね〜。いずれにしても、なんでいっつもコンラッドからなのよ……。
「わかった。着るわ……白い服は似合わないと思うけど」
「え、そういう問題?」
陛下がきょとんとなさった。なんでだろう。けれど、あえて気にしないことにしておこう。
「それにしてもコンラッド、珍獣の手配はどうするの?」
今から始まるのが動物同士の追いかけっこだということを思い出して、慌てて訊いてみた。
「あっほんとだ。エントリー動物がいなかったら話にならないでしょ。おまかせくださいなんて大河ドラマの決め台詞使っちゃってさぁ。おれ本人が走るなんてことになったら、ポジションが捕手だからそんなに速くないよ」
「その点はご安心ください。足も速いし愛嬌もあるし、珍獣率も80%以上のとっておきを調達してきました」
私は着替えようと思って隣室に移動し始めた。ドアノブに手を掛け、廊下に出る直前、彼に呼び止められる。
「先に言っておくけど、予測できないアクシデントで万が一負けたときは、卑怯なことをするから」
「……どんな?」
陛下も聞き耳を立てている。
「二人を抱えて裸足で逃走」
肩をこけさせるのが、見えた。
「……さすがに二人は無理だってば」
そもそも、抱えるというよりは、担ぐでは。私は呆れた振りをして扉を閉めた。
ドレスはセミロング丈だった。飾りがあまりないためか動きやすそうだけど、襟元が開いているタイプなのでちょっと寒そうに見えた。ファーも付いてたから、実際はわかんないけど。
「……なんでここまで芸が細かいのかしら」
デザイナーにでもなれるんじゃないの? コンラッドって。
けれど悩む時間はあまりなかった。もたつきながらも急いで着替える。結い上げるのはさすがにやめといた。鏡で最終チェックしている頃、ちょうどグレタちゃんが迎えにきてくれた。
彼女はうっとりと頬を染めて私を褒めてくれた。
「すっごーい! ビジンだよ、!」
「あは、ありがと」
「うん! ……でも、バクチに負けちゃったらどうしよう。昔から花の札で勝てないと身ぐるみ剥がされる、ってユーリがさっき言ってた」
「……あはは、またまた陛下はそんなことを教えちゃって」
花札って。ただでさえこの子の認識は危ういんだから、気をつけてほしい。
また陛下たちのところに戻って、それからレース場に出発することになった。予想通りというか道中注目されまくりで、野次が飛ぶやコンラッドが妙にエスコートしてくれるやで、私の顔の体温は上がりっ放しだった。
「やっぱり似合ってるな、」
「え、えーと……。はいはいありがと」
「あーあ、またやってるよ……。二人とも、みんな見てるから」
「へい……坊っちゃんまで何言ってるんですかっ。別にイチャイチャなんてしてません!」
「そうですよ、ただ俺は、彼女のありのままを褒めてるだけですよ。あ、やっぱり肩が寒そうだな。腕を回してもいいかな?」
「……いちゃついてなんか……自信がなくなってきたわ」
もう何がなんだかわけが判らない。もう賭けなんてしない。
「まぁそれはともかく、結局なにが走ることになったの? 普通の馬じゃだめなんだろ?」
「まあまあ、パドックに待たせていますから」
十年に一度の大催事という、このヒルドヤード歓楽郷・珍獣レースは、テント村を急遽畳んでしつらえた、特設トラックにて開催される。ルイ・ビロンの部下がすごく頑張ったのか、ちゃんと競技場らしきものが出来上がっていた。
その少し手前で、円を描くように歩いている大きい動物がいた。
「ぎゅえ」
鳴き声のようなものを発したのは、獣ではなくヴォルフラム閣下だった。顔を真っ青にさせて、目の前の動物を震える指で示す。
相当のトラウマだ。
「まっまさかその、不貞不貞しい生き物に、ユーリたちの命運を預けるわけでないジャリな!?」
「だからヴォルフ、ジャリ口調が再発してるぞ」
「うっ、うるさいジャリよ! ぼくはジャリジャリなんて言ってないジャリよっ」
私たちの命運が掛かっている生き物は、ベージュと茶色のツートンカラーだった。私はふと、地球の留学先だった中国を思い出した。みんな、元気かな。
あのパンダ、今でも笹を食べてるのかしら。
「そういえば、この砂熊のおかげで、俺とは馬上デートできたんだっけ」
コンラッドがのんびり呟く。詳しくは魔笛編にて。にしても、デートと言っても、あんまり楽しめる状況じゃなかったはずなんだけど。そもそも周りに人いたし。…この人は…。
何はともあれ、砂熊のパートナーが両腕を振って挨拶してくれた。ライアンさんだ。
「陛下ーっ閣下ーっ。(近くまで来て)…陛下、ケイジを紹介します。ほらケイジ、畏れ多くも魔王陛下が、お前の走りをご覧になるそうだ」
「……ていうかさあ、普段サーカスで檻に入ってるだけなのに、こいつ本当に足速いの?」
「そりゃもう猛烈に速いですよ。生まれたときから砂丘で生活しているわけですから、砂地を走り込みするのと同様に、下半身強化ができているわけです」
砂熊のケイジくんは、ライアンさんの五倍は体重がありそうだ。なのに、ライアンさんに身体を寄せてしなだれかかる。鋭い爪の手を、まるでじゃれているかのように擦りつけた。
「わははケイジは甘えん坊さんだなあ。うーんオレの蜂蜜ちゃーん」
なぜかものすごくハラハラする。ううん、本当ははっきりと理由はわかってるけど…。当のライアンさんが笑ってるから、何も言えないわ。
「陛下やコンラート閣下も、御自分のハニーは大切になさってくださいねー。また後で会いましょう!」
さりげなく思いっきり問題発言を耳にしながらも、私たちはVIPの観客席へと追いやられた。何かを言い返す隙もない。
ヒクスライフさんも加わって、一つしかない長椅子に皆座るのは大変だ。一方のルイ・ビロンはと言うと、隣でゆったり構えているけれど。
一般の観客もたくさん来てかなり混雑してきた頃、出場動物紹介の案内が辺りに響き渡った。
「赤コースぅー、世界の珍獣てんこもり、オサリバン見せ物小屋所属ぅー、百六十七イソガイぃー、砂熊ぁー、ケイージーぃ!」
どよめきと拍手が起こる。知らなかった、競技場って、すごい迫力があったのね。陛下も、何やら難しい顔をして唸っている。
「青コースぅー、世界に名だたるルイ・ビロン氏所有ぅー、二百一イソガイぃー、地獄極楽ゴアラぁぁぁぁー!」
「ふうん、地獄極楽ゴアラかぁ」
私は生き物を見物するのは初めてだった。小さな頃に見せ物小屋に連れて行ってもらったりしてたから、まったくの初めてじゃないんだけど…。すごく大きくて、「地獄」と「極楽」のギャップが激しくて、幼心にめちゃくちゃ怖かった。だからあんまり好きじゃないんだよなぁ。
それを思えば地球のコアラなんて極楽極楽ゴアラよ。小さくて可愛くて、何より草食だもの。
ライアンさんの乗っている砂熊ケイジと、つかまってる太い幹ごと搬入されてきた地獄極楽ゴアラがスタートラインに揃った。穏やかな様子のゴアラのほうに騎乗者はいない。斧を持った男の人が三人、周りに立っているだけだ。
「あれのどこが地獄極楽なんだろ」
「よく見ていると楽しいですよ。いわばジキルとハイドってやつです」
行事進行役のおじさんが、右手を高く掲げた。よーいどん、のよーい。そして振り下ろす!
それと同時に、地獄極楽ゴアラのいる幹にも、斧が振るわれる。
彼は枝から落っこちて、その途端に表情を切り替えた。ジキルがハイドに変化した。
「ゴアァー!」
「こっ、こわ」
陛下が呆然と呟いた。私だってやっぱ怖い。…あれ、私たちの目の前にあるゴールラインまで走ってくるのかな…。勘弁してよ。
背中に嫌な汗をしっとり感じつつ、こうしてレースは幕を開けた。
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★あとがき★
やっと珍獣レースが始まりました。
もとい、HPの更新が再開されました。(約3ヵ月ぶりです!)
この間には励ましのメッセージを頂いたりしました。
遅くなってごめんなさい、そして、ありがとうございます!<(_ _)>
ここまで読んでくださって、ありがとうございます☆
ゆたか 2006/10/19