私達が眞魔国から旅に出る前、あの子はふと明るく呟いた。
「あぁ、あの人は今頃どこで何をしているのかしら」



   【混乱の隙間に】





 コンラッドがチラリと視線をやったのは、部屋の奥で待機しているボディガード達だった。
 合わせて四人いる。その中で、一人だけ籠を頭から被った風変わりな人物がいた。地球で観たニホンの時代劇で、いそうな。真似でもしてるのかと思った。

 つられるように観察していると、その男の人が突然動いた。

 室内を素早く横切って、一気に私達の方へ近寄る。長くスラリとした剣を引き抜いて、煌めく切っ先を振り翳した。その様子はとてもよく観察できた。
 だって狙われていたのは、私だったんだもの。

「っ!」
 あまりに信じられなくて、驚きの声すら出ない。ううん、それ以前にそんな暇もない。私はただ呆然と眺めていた。

《ギィ―――…ン……!》
 視界一面が水色に染まった。

 ……水色?
「コンラッド!!」
 誰かの叫び声ではっと我に返ると、彼の大きな背中が至近距離にあった。
 相手の長剣をギリギリで受け止めている。体勢がきついのか、両手を使っている。片刃を抑える左手が血に滲んだ。

 どうして。
さん!」
 腕を掴まれ、私は闘いの場から引き離された。目に写るのは、心配そうな陛下と、険しい表情のヴォルフラム閣下。

「怪我はないようだな」
 迅速にチェックを入れると、ヴォルフラム閣下は、私と陛下を庇うように自分の後ろに押しやった。視線は既に前方へ向かっている。

 私は、正視することができない。
 ただ頭の奥底では、痛いほどの現実が突きつけられていた。その現実は、コンラッドが誰かと命を賭けて闘っているのだと言ってた。震えが止まらない。
 剣のぶつかり合う音が、ガンガン耳に残っていく。

「コンラッド……」
 目眩がして、私は思わず瞼を閉じた。



       *       *       *



、しっかりするんだ!!」
 目を開けた。でもひょっとしたらそうじゃなくて、焦点が定まっただけかもしれない。

 彼に肩を揺さぶられていた。いつの間にか私は座り込んでる。私の顔を見つめてくるコンラッドを見つめ返しているうちに、今の状況を思い出す。彼は、今まで……。

「怪我しているじゃない!」
「かすっただけだ」
 コンラッドは心底平気そうな口振りだった。確かにひどくものではない。けれど、気持ちが納得できなかった。頬に細い線が走ったような傷にそっと触れる。
 静かに放つ緑色の光は、すぐに効果を表して消えた。

「……ありがとう」
 コンラッドは私が触れている手をそのまま包んだ。彼の頬と手の温もり。紛れもない現実だ。

 生きている。

「よかった……」
「コホン」
 声が乱入してきて驚いた。わざとらしい咳払いに振り向くと、あさっての方を向いたヴォルフラム閣下の姿が。
 周りにギャラリーがいるの、すっかり忘れてた…。

「あああのー」
 何ともいえない気まずい雰囲気にたじろいで、視線をさまよわせた。ヒクスライフさんのちょっと困ったような笑顔なんかが垣間見えて、ますます焦る。

 そんなとき、コンラッドの後ろの床に誰かが横たわっているのに気がついた。
 ゆっくりと覗き込んでみて、思わず息を呑みそうになる。男の人が倒れていた。顔半分に昔負ったらしい火傷の痕。胴が血で真っ赤だったけれど、一応止血はされていた。

「この人……さっきの……」
「ああ」

 無意識に出た呟きに彼は答えてくれた。すぐに駆け寄って治療したいという衝動を、ぐっとこらえる。私はこの人に命を狙われた。それだけならまだしも、コンラッドまでもが危ない目にあった。その事実が、私を躊躇わせる。

 しかし、瀕死の男の人には既に付き添っている子がいた。
「グレタちゃん……? なんで」

さん、あの人実は、ゲーゲンヒューバーなんだ」
「え?」
 確かに知っている名前なのに、理解するのに時間が掛かった。

 瞬きをして思い当たる。それって、魔笛を探してニコラと恋に落ちた、ゲーゲンヒューバーさんのこと? どうしてそんな人が。しかもコンラッドと剣を交えたなんて…。

「そんな……」
「グレタに徽章を預けたのもヒューブだそうだ。グリーセラ家に代々伝わるものだろう」
 コンラッドが淡々と続ける。彼は今どんな気持ちなんだろう。きっと複雑だろう。私がそれを追求する権利は、ないけれど。

 私は彼と一緒に立ち上がる。一度触れ合った手はまだ繋いでいる。
 グレタちゃんが、今にも泣き出しそうな顔をして私の方を見た。
……ヒューブを助けて」
 掠れた声で訴えかけられる。

「おねがい……。ヒューブ悪い人じゃないよ。だから助けて」
 私は一歩踏み出そうとした。でも声を発することはできなかった。コンラッドに肩を掴まれて、動きを制されたからだ。その上、横から声が割って入る。

「うあひゃひゃひゃひゃ」
 大変不愉快をそそる笑い声だ。黙って視線を逸らすとそこでは、案の定、ルイ・ビロン氏が喜色満面でこちらを観察していた。

「金も要らなきゃ女も要らぬ」
「……んだよ、そんじゃ、も少し背が欲しいのかよ」
 陛下が手厳しいのかよくわからない意見を言う。その姿を見て私は、どこか心に引っかかるものを感じる。
「賭けの対象が見付かったよ。戦利品としてミツエモン殿と、」
 ルイ・ビロン氏が陛下を指差して、すぐにその方向を変える。

「『光の』がいただけるのなら、西地区の権利書を賭けてもいい!」
 あやまたず、私の方へ。

「おい、ちょっと待てよ!? さんじゃやっぱ女だろ、つーかなんでおれたち……」
「坊っちゃん坊っちゃん、サングラス取れてる」
 さっきから感じていた違和感がやっとわかった。すっかり漆黒の瞳がオープンになっちゃってるわ。身を乗り出そうとする陛下に告げると、慌てた様子で落ちていた色眼鏡を拾っていた。もう隠したって意味ないと思うけどね。

 私はルイ・ビロン氏に向き直った。十年ほど前のある過去が脳裏に蘇る。あのときとは場所も状況も違うけれど、私はこの人と一度会っていた。
 どうしてもっと早くに思い出さなかったんだろう。無意識に気づかない振りをしていたのかしら。
 あの私に向けるいやな目つきは、昔と変わらないのに。

「やっぱり覚えていたんですね」
「その髪と瞳の色の組み合わせ、加えて魔族特有の長命。ほとんど変わらぬ容姿を見れば、一発で思い出すわ。それに、言い逃れのできぬ何よりの証拠、『力』をたった今使ったであろう?」
 コンラッドが微かに息を呑む気配がする。私が『力』を使った相手は彼だから。別に後悔はしてないから、ちらりと彼を視線を送ってコンタクトした。
 …気づいてくれるといいけど。

「贅沢な賭けですね。私だけではなく、坊っちゃんもなんて。普通こういう場合は一人でしょう?」
「おや不服かな? 贅沢ではあるまい! 地区の権利書だって、相当高価なものだよ。それに、『誰にも仕える気はない』とつっぱねていたはずのお前でさえ傘下に入る双黒殿だ、さぞかし有能なんでしょうな、実に興味深い」

 双黒殿って…。結局そこが、ポイントなんでしょ?

 拳をきつく握りしめる。さっきから怒ってばかりだわ。よく考えてみると、ルイ・ビロンという単語が出てきた辺りからずっとだ。この人は昔も今も、あからさまに私を道具という視点で眺めていた。きっとそれを意識するよりも早く体が反応している。
 絶対に受け入れることなんてできない。

「決めましたぞヒクスライフさん! この生ける秘宝たちを賭けるのなら、こちらも権利書を持ち出そうではないか。これであっさりぽんと解決ですな」
 ……道具から秘宝に昇格? いやいやいや。

 妙なポイントに注目してしまった私をよそに、ヒクスライフさんは毅然とした態度でそれを断る。
「珍しい能力や容姿にばかり気をとられ、立派な若者を二人も賭けの対象と見ようとは! ルイ・ビロンも里が知れたものよ!」
「なるほど」
 ルイ・ビロン氏はゆっくりと立ち上がってこちらに歩み出た。

「せっかくこちらから勝負を持ちかけたのに、応じる覚悟はないわけですな。それではこの件はさっくりぽんと忘れて、ご訪問もなかったことといたしましょう。それにしてもこの男ときたら、いきなりふらりと現れて仕事をくれと言うから用心棒として雇ってやれば、こちらの安全を守るどころか、いらんことをしてくれる」
 ルイ・ビロン氏は動かないゲーゲンヒューバーさんの頭を靴先で蹴った。グレタちゃんが短い悲鳴を上げる。陛下が声を荒げた。
「よせよッ!」

「ほう、お庇いになるか。どうやらお知り合いのようだが、知人にさえ命を狙われるとはヒクスライフさんのご友人にも面白い方がいらっしゃる。おい、お前達、この目障りな物を片付けておけ」
 目に余る所業はまだ続く。いったいいつまで?



       *       *       *



 ――私の『力』のことを、自分でもそら恐ろしく感じることがある。
『癒しの緑』なら、確かに人から感謝されもするし、あって良かったと思う事だってあるけど、それだって所詮は魔術ではない。生まれは平凡な魔族なのに。

 本当にただの、魔族なのに。

 何度も今みたいな取引に巻き込まれそうになった。その都度自分を呪った。疑った。どうして私なの? こんなの大嫌い。誰よりも自分が理解していない代物を、売るだなんてもってのほかだった。

 けれどそんな思いも最近は少なくなっていた。
 私は、血盟城での暮らしに慣れ過ぎたのね。王城付きともなれば、いくら高位の貴族であってもそう簡単には近づけられない。その状況に甘えきってしまった。
 これからもいつか自分一人で生きていかなきゃいけないのに。


(……
 あ。


 俺のことを忘れてる、と、言われた気がした。



       *       *       *



「……ちょっと待てよ」
 陛下がかなり頭に血が上っている口調だ。それなりに付き合いの長い仲だから、これからの陛下の言動は手に取るようにわかる。どちらにしても賭けは行われるに違いない。陛下自身の身を景品にしてでも。
 それなら。

「西地区だけなら、私だけで足りますね?」
 後姿の商人の動きが一瞬固まった。私は構わず続ける。

「やっぱり二人では多すぎですよ。だって坊っちゃんなら、地区どころか国一つを取れそうですよ。絶対割に合いませんよねぇ」

「……おい、何を言っているんだ」
「そうだよ! なにもさんがそんなこと!」
 年下の上司さん達がすごい形相で止めにかかる。けれど、不思議と今の私には効かない。自分でも何を考えているのやらさっぱりぽんだ。…でも、どこかこれでいいような予感がしていた。
 だってまだ手は繋がっているから。

「正直こんな得体の知れないものの何がいいか解らないんですが」
 これ見よがしに掌をオレンジの光で包んでみる。ルイ・ビロン氏はじっとそれを見つめている。
「このままじゃ埒が明きません。西地区の権利と、私の今後の一生を賭けましょう。もしあなたが負けたら……もう私の『力』を取引に使うのは、一切なしです」

「ほう、そちらから頼りがいのある言葉が聞けるとは思わなかったよ。しかし、いいのかね? ヒクスライフさんは断ってしまわれたのだが」
「私からの申し出です。ヒクスライフさんは関係ありません。……十年来の決着をつけましょう」

 ルイ・ビロン氏は豪快な笑い声を上げると、急にその発作を止めた。
「面白い! そこまでして己の『力』を遠ざけたいか! よかろう、世界に名だたるルイ・ビロンが、その勝負受けて立ちましょう。ではお前達、さっそく準備に取りかかれ。十年に一度の大催事だ! 珍獣レースといきましょう!」

 珍獣レースぅ? 周りの皆は異口同音にその単語を繰り返している。
 私はそっとコンラッドの方を覗いてみた。彼は私を見ていた。決して穏やかな表情ではない。なぜどうしてと、その瞳が強く訴えていた。当たり前だろう、だって私は今、たとえ彼と離れてもいいと宣言したも同然なんだから。

 自分でもこの決断をしたことはすごく不思議だった。ついさっきまでは、思いつきもしていなかった。信じられないくらいに急成長の、決心。

 それでも取り消しをするつもりにはなれなった。
 あのねコンラッド。ぼんやりと考える。負ける気がしないんだよ。あなたが一緒にいると考えたら、負けるなんて思えなかった。負けちゃいけない理由があるのが心強かったの。
 勝とうよ。そしてまた、眞魔国に帰りましょう。

 まだ明かしていない心の内を、彼がどう思うのか。
 それだけを少し気がかりにしながらも、私は掌の温かさを意識した。









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  ★あとがき★
  今回のヒロインがなんか意味不明ですみません…。これはいったいのろけているのか。
  ルイ・ビロンに相当怒っておりますね。
  でもどう解釈してもビロンがいい人である余地は見つかりませんでした。
  ヒロインがマジ切れてヒロイン像を壊さないよう頑張ります!(苦笑)

  ここまで読んでくださってありがとうございます!
  ゆたか   2006/06/16

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