眠りの淵に落ちてから、いったいどれくらいの時が流れていたのか、よくわからない。
けれどそんなに経っていなかった感じがする。何の弾みか急に目の覚めた私は、寝返りを打とうとして、ふと異変に気づいた。寝台の向こうの端が、やけに遠かった。
「グレタちゃん……?」
彼女がいなかった。
【神出鬼没に】
どこを覗いたっていない。ちなみにグレタちゃんがお手洗いに行っている、というのは考えられなかった。ここの宿はバストイレ付きだからだ。
どう行動すればいいのか少し躊躇った。だって、コンラッドはまだ帰ってきてなかったし、眠ってるかもしれない陛下の部屋に行っていいのかさえ不明だった。ちょっと外を捜せば見つかるかもしれない。イタズラに事を大げさにしてはいけないよね。
「どどどうしよう……」
自分でもはっきりわかるくらいにオロオロしながらも、私は屋外に出た。爪先立ちしているような、危ない心持ちだ。さらに、まだ微妙に目が醒めきっていない。
「あ」
何気に、躓いたりなんかして。
夜と言えど、歓楽郷の活気は衰えることを知らないようだった。他の場所ではありえない賑やかさ。昼間と同じようなノリで、店の者達があちこちで人集めに苦心していた。
「……どこに行っちゃったんだろ」
私はとりあえず港の方まで捜そうと思った。もし私達から逃げようとしたのなら、そっちに向かいそうだ。
…そんなグレタちゃんを想像をするのはイヤだけど。
どうか子供心に夜の街で遊んでみたかったとかの理由でありますように! 祈りながら走り回った。
自分の動きがやけに遅く感じられる。その割に、呼吸が苦しくてすぐに息切れしてしまう。捜すように逃げるように、必死に目を凝らした。
「いない……」
念には念を入れてチェックしたつもりだけれど、彼女の姿はどこにも見えなかった。
船の出入りがない時間帯だからか、港は静かだった。波の音ばかりが響く。それに暗い。なんたって街灯が少ないのだ。海の輪郭がかろうじてわかるくらいで、ほとんどの情報が目に入ってこない。
こんな中彼女が既に海に出ている可能性も無くはなかったけれど、さすがに今はそこまで詳しく調べられない。
「じゃ反対方向に……」
「あ、可愛いじゃん」
「ん?」
まるで私に言ったみたいにはっきり聞き取れる声がした。深く考えないままに振り返って見ると、そこには男の人数名の姿が。
人、いたんだ。
「あ〜やっぱり〜ぃ、超タイプ」
内の一人が、感情を抑えられないと言わんばかりにニヤリと笑う。どこかまとわりつく感じのする目だ。というか、ひょっとしなくても私のこと?
「見る目ないわ(断言)」
「ケンソンしちゃってますます好みー! どう、ちょっと遊ばない」
「やめて!」
腕を引っ張られ、私は思わず叫ぶ。けれど彼らはちっとも構わない。それどころか、周りをぐるりと囲んで行く手を阻もうとしてくる。
や、やばいんでは、これは。
「もっと陰の方へ行こうぜ」
「……っ」
そのとき、本当に切実に、タスケテって思った。
当たり前だけど、この人達はコンラッドとは全然違うと思った。
力強い腕、優しい瞳、爽やかな笑顔。今すぐ逢いたいって想った。甘い考えに浸っている場合なんかじゃないのに。私はいつの間に、彼に頼るようになったんだろう。
けれど、彼は今この場にはいない。なんとか自分で切り抜けないといけない状況だった。
それには、どうすればいいのか?
「いい加減に……しないと」
「えぇ? どうすんの、やっつけるの、オレ達を?」
――『力』を使おうかな。
頭の隅でちらりと考えたときだった。
「おやめなさい、はしたない」
暗闇のどこからか、穏やかで渋みのある男性の声が響き渡ってきた。
「誰だ貴様!?」
私の腕を掴んでいた一人が鋭く叫んだ。私もまだ人がいるとは思わなかったから、どこだろうかと目を凝らす。けど周りは闇ばかりだ。
「やはり簡単には引き下がりませんか」
ため息が聞こえたかと思うと、私の後ろにいる不良男が短い悲鳴をあげた。いきなりうずくまり、激しく咳き込む。どこかを打たれたのだろうか。けれど、私達には、相手の居場所がわからない。
「もう一人いきますか?」
声はあくまで冷静だった。謎の恐怖にかられた男の人達は、悲鳴とも捨て台詞ともつかない叫びをあげる。大した反撃もしないまま、喚きながら去っていった。
波止場は再び静かになった。何事もなかったかのように、私はぽつねんと立っている。私は所在なく視線をさまよわせる。
今一連の出来事は、あっという間に駆け抜けた感じがした。ちゃんとわかる数少ない事実の一つは、私が華麗なる救助をしてもらったということ。まだ顔も知らない誰かに。
「あの〜……どなたか存じませんが〜……ありがとうございます」
さっき自分の後ろが狙われたのだから、そっちにいるだろうと思って頭を下げる。すると、方角は当たっていたのに、なぜか困ったような笑いが返ってきた。
「もう貴女とは以前にお会いしましたよ」
「え?」
ゆっくりと規則正しい靴音が近づいてくる。目を凝らしていると、足元から徐々に声の主が姿を現した。
膝、指、腰、胸板、首、顔――。
《ピカ――――ッ!!!!》
「きゃあっ!?」
闇から突如神々しい光が視界を奪った。余りに眩しくて、反射的に手で目を覆う。ダメージは計り知れない。頭痛さえしそうだ。
……頭部から光線がっ!
「お久しぶりです、『スケさん』」
声は言った。私はまだ目を開けていないけれど、その名前は身に覚えがあった。そして、カツラを外してスキンヘッドでお辞儀という、その斬新な挨拶の仕方も。
確か、あのときも陛下達と旅をしているときだった。陛下にしか扱えないという魔剣(=モルギフさん)を手に入れる行き掛けのことだ。豪華客船の上で私は、この人と一度だけ会っているのだ。
「ヒクスライフ、さん……?」
やっと顔をあげた私に、彼はにっこりと笑った。ヒクスライフさんは、もう頭に素晴らしい毛と帽子を取り付けた後だった。
* * *
「どうして港にヒクスライフさんが?」
「それはこちらの台詞です。あんな暗くて人気のない場所にいたら危ないでしょう」
街の明るい方へと戻りながら、私とヒクスライフさんはお互いの情報を交換しあった。
ぶっちゃけて言うとヒクスライフさんは仕事でここに訪れているらしい。しかも今から商談だ。本当はそういうのは夜が明けてからするのだけれど、なにやら事情があるらしい。詳しいことは聞き出せなかった。
ちなみにさっき港にいたのは、慌てた様子で走っていく見知りの女性――つまり私を見かけたからだそうだ。嫌な予感がしたので後を追ってみて正解でしたよ、と軽いため息混じりのコメント付きで教えてくれた。
うわー、ごめんなさい。
「ふむなるほど、それでスケ嬢は、その女の子を捜していたのですね」
顎に手をやりつつヒクスライフ氏は理解の頷きを示す。
それにしてもスケ嬢だなんて……微妙な響きがするのね。そろそろ本名を教えた方がいいのかしら。でもそうすると、陛下の偽名『ミツエモン』はどうしよう。
「なに、きっと見つかりますよ。この辺は子供の好むような遊び場も多少ありますからね。ここは一つ母親らしく寛容な応対を」
「……私の子じゃないんですけど」
「おや違うのですか……? これは失礼を。あまりに親身に心配してらっしゃるので、てっきりそうなのかと」
いや、普通は誰の子でも心配するものと思うんですが…。
「そうすると、親戚か仕事仲間のお子さんですか? 剣豪カクノシン殿とか」
「もっと違います」
『カクノシン』はコンラッドの偽名だ。彼はこの名前をとても気に入っていたはずだ。あ、チリメンドンヤの方だったっけ。噂をされて彼は今頃くしゃみをしているかもしれない。
…もう帰ってるかな?
話し込んでいるうちに、いつの間にか私たちは、ある大きな店の前に来ていた。
なんだか妖しげな雰囲気がする所…。昼間に港から宿へ向かう途中にも通ったけれど、夜の今はもっとその空気が濃い。中からは明らかにお酒で酔っている笑い声が元気よく聞こえてくる。
はっきり言って、遊びたい男たちが集うための店だ。
「こんなところで、お仕事ですか……?」
立ち止まったヒクスライフさんに、私は思わず不安になって問い掛けていた。仕事内容というものを聞いていないだけに、正直かなり本気で身構えてしまう。
ヒクスライフさんはそれを予測していたらしい。穏やかに笑いながらも、微かに嘆息して言った。
「ご心配なくお嬢さん。私はこの店の主と、この現状についての話をつけるためにきたのです。この店の所有者、ルイ・ビロン氏とね」
「るい・びろん……?」
その固有名詞が頭の中に引っかかりそうになった瞬間、さりげなく話題をすり返られる。
「それにしてもスケ嬢、一旦そろそろ宿に戻られたほうが良いのでは? 子供ももちろん放ってはおけませんが、女性が一人で夜に出歩かれては、他の者も余計に案ずるでしょう」
「え、それは……」
「扉の前に私の従者達を待たせてあります。よければ送らせますよ」
「あの」
ヒクスライフさんはむしろ送らせる気満々のようだ。後に控えている商談のことを思えば、私はどう考えても邪魔な存在だからだろう。それは納得できるから文句はない。多少心残りや興味はあるけど、それは別問題だし。
けれどここで、事態は急展開を見せることになる。
「おい、この女性を宿まで――」
「お待ちしてました、ルイ・ビロン氏が首を長くしておいでですよ」
ツカツカ歩きながら指示を出しかけていたヒクスライフさんを遮るように、従者さんの内の一人が、店の内側に何やら合図を出した。焦りようをみると、すっかりスケジュールが滞ってしまっていたらしい。あぁ、本当にごめんなさい…。
ガラスの向こうのタキシードが、扉を一人ギリギリ入れるくらいの隙間に開けた。ちょっとキツそうだ。店内からは、より鮮明になった喧騒の中に混じって叫び声が聞こえてくる。なんだろう、諍いでも起こって
「今だグレタ、おれの屍を越えていけ!」
――――――――は?
「おや、その声は」
ヒクスライフさんがとても冷静に感じられる声で隙間を覗き込んだ。私も必死に駆け寄る。誰が言ったの、誰に言ったのって目まぐるしく考えながら確かめた。
するとそこには、案の定、予想していなかった人物が。
「……へい……、か?」
「あれ? さん?」
陛下は不思議そうな目で私を見ていた。自分よりもむしろ私がここにいることの方が、おかしいとでもいうように。
そして、ヒクスライフさんの前には、走り出そうとする姿勢のまま固まったグレタちゃんの姿が。
どうして二人でこんな場所にいるのか。そもそもなぜ陛下が外にいるのか。ヴォルフラム閣下と水入らずで休んでいたのではなかったのか。閣下はこのことを知っているのだろうか。閣下もどこかにいるのだろうか。いたとしても、どうして子供を連れてこんな類の店に入ったのだろうか。よりによってなぜこの店なのだろう。そこからなぜグレタちゃんは逃げ出そうとしているのだろう。というかもう何から逃げたいんだろう。誰か、教えてくれる?
「あのー……さーん、これにはワケが」
ふつふつと感情が湧き上がってくる。陛下は何かを取り繕おうとしているみたいだけど、聞く余裕はない。まずは私に言わせてくれないと。
私は大きく息を吸うと、周りが注目するのも構わずに怒鳴った。ここ最近で一番のツッコミ台詞だ。
「 いっ た い なー に やっ て ん で す か――――っ! ! ! ! 」
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★あとがき★
次男が一度も登場してないですね。たまにはこういうのもあるんですね(ヲイ)
しかもヒロインがすっかりキレちゃってます。直前に怖い思いもしただけに怒り倍増ですよ。
無断外出してとんでもない所で発見された二人に合掌です。はい。
ここまで読んでくださって有り難うございます。
ゆたか 2006/05/28