「こ、混浴」
忘れてたよー!
【内緒話の部屋に】
「……行かないの?」
傍らではグレタちゃんがアヒルのおもちゃを抱えて立っていた。こちらを見て不思議そうにしている彼女が着ているのは、紺色のシンプルな水着、陛下の育った国的にはスクール水着、そう水着!
「ど、どうしよう〜」
「なにが? 水着の寸法を間違えちゃったの?」
心配してもらったけれど、サイズはぴったりだった。グレタちゃんとお揃いのそれは、ブカブカでもきつくもなく、私の身体をぴったり包み込んでいた。そうではなくて、お風呂にわざわざこんなものを着なきゃいけない理由が問題だった。
混浴だから。老若男女、そう特に、性別関係なく一緒に入るなんて。
「あーどうして忘れてたのかしら。こんなの、有名なことなのに」
頭を抱えて、ゆるゆると座り込んだ。隣で同じく水着に着替えていた人が、どうしたの具合が悪いのと訊く。慌てて笑って首を振る。
あれでも、もし本当に病気だったら、温泉に入らなくてもいいのかなぁ。いややっぱり入りたいけど。
プロポーションさえ良かったらな。今まで服で隠せてたようなところがあったけど、これじゃ完全に身体のラインがわかってしまう。
ぐだぐだと考えて少しでも時間を忘れたかったけど、そうもいかなかった。
「早く行こうよ!」
「…………、はいはい……」
すっかり乗り気なグレタちゃんに手を引っ張られ、私は内心泣きそうになりながら浴場の入り口へ連れられた。
* * *
見渡す限りのお風呂、お風呂、お風呂。浴槽によっていろんな効能つき。私は、それだけでお得そうな湯気を吸い込んで、心を落ち着けようとした。
賑やかな浴場の向こうの入り口から、男衆三人連れが出てきた。陛下とヴォルフラム閣下は黄土色の尻尾つき水着だったけれど、なぜかコンラッドだけ競泳型水着だった。
「じょ、女子はスクール水着なのかー」
棒読み陛下。ちなみにこの水着は特に年齢を問わないので、女子という認識は少し間違っている。
「でもまだそっちの方がいいかもなー。こっちなんてほら、こんな恥ずかしい黄土色だしさ……」
「あははー……。でも、似合いますよ?」
「嬉しくないっ!」
陛下はずんずん歩いて行ってしまう。とりあえず手近の湯の中に入ってしまおうとしたみたいなんだけど、あっけなくヴォルフラム閣下に止められた。
「何をしているユーリ、そこは美人の湯だぞ? それ以上美しくなってどうするんだ」
「びじん? ねぇ、あれに入ろうよっ!」
お風呂がすっかりキョリを縮めたのか、グレタちゃんがニコニコ笑って言った。こういうところはやっぱり女の子だわ。考えは私も同じだった。
「そうだね♪」
「え? そんなの、別に入らなくていいのに」
意外なことを聞いたと言わんばかりにコンラッドが口を開く。それは、あまりに、当然だと言わんばかりの口調だった。
最初意味が理解できなくて、私は彼の顔をまじまじと見つめた。
や、やっぱりこんな体型じゃ、少し入ったくらいじゃ駄目なのかな。
悲観的にはなりたくないけれど、どうしてもそっちに考えがいってしまう。コンラッドがそんな酷いことを言うはずないじゃない! ……たとえ頭の中でそう思っていても。
それとも、自分に正直であるために、告白しちゃうとか。ズバリじゃなくても、遠回しにとかトカ。あぁ、どうなの!?
埒が明かなかったので、私は恐る恐る彼に尋ねてみた。
「……なんで?」
「ヴォルフに同じ。もう綺麗だよ」
「え」
偶然傍にいた知らないおじさんが、小さく口笛を吹いて通り過ぎた。盗み聞きしてたんですか。脇腹の傷を見るに、あの人は刀傷の湯に行きそうだ。
と、いうことを、あとで気づいた。
実際は、とてもシンプルな言葉を、ゆっくり分析してただけ。
間を置いてから爽やかにコンラッドは続けた。
「……グレタもだよ?」
「……あ、なんだ」
「じゃ、俺は、坊っちゃんの近くにいるから」
彼は軽い足取りで離れて行った。なぜか何かに負けたような徒労感がする。取り残された私とグレタちゃんは少し黙って、ほぼ同じタイミングで顔を見合わせた。
「……ど、どうしよっか、私達」
「……ちがう所に入ったら?」
グレタちゃんは美人の湯に行く姿勢を変えない。
「えぇっ、私だけ!?」
「だってグレタのはただのお世辞だもん。取って付けただけだもん。だから、グレタはそのまま入っていいと思う」
「私のもお世辞よ? コンラッドってば、いつもあんなこと言うけど」
「でも……あの目は本気だよ」
私は軽く受け流そうとしたのに、グレタちゃんは意味深なことを言って受け付けなかった。つい訊き返してしまう。
「ほんき?」
「うん。愛の眼差しだよ。今夜は帰したくないっていうかー」
「あいっ……こんや!?」
どこでそんな言葉を覚えたんですかこの子は!?
「じゃーまたねー。グレタ一人でも平気だから」
「あ、あのちょっと」
止める術もなく、グレタちゃんは本当に一人でお風呂に入ってしまった。脱力してしまって、どうするべきか私は途方に暮れる。なんだか、浴場に来る前にためらった理由を再確認してしまった気分だ。
……どうしろって言うんですか、私に。
* * *
迷った挙句、とりあえず無難そうな肩凝りの湯なんて入ってみた。年寄りみたいとも思ったけど、慣れない頭脳労働をした後の身としては意外と効いた。私、疲れてたのねー。
元はといえば陛下の捻挫の湯治に来たわけで、陛下は完全に足を治したいからと、なんと二時間以上も入った。男の子としては大変がんばった方だ。
とはいえずっと一つのお風呂ではなくて、いろいろ替えたみたいだけど。そのくらい私にもお安い御用だ。でも、肩凝り以外にも眼力やら柔軟やら試していたら、うっかり茹でタコ状態になってしまった。夕ご飯を食べ終わった今でも、少し足元がふらついている気がする。
「ふう」
「お疲れだな」
二つあるうちの一つのベッドにうつ伏せで寝転がっていると、そうコンラッドがからかってきた。誰のせいだと思ってるのよ。……別に違うけど。
ここは宿のツインルーム。ツインだけど、グレタちゃんも一緒で、三人で使っている。陛下とヴォルフラム閣下は隣の部屋だ。
もう特にやることはなくて、各自で休憩タイムだ。グレタちゃんは私と同じベッドの中に入ってお休み中。なんだかんだいって疲れちゃったんだろう。
「よく眠っているみたいだな」
「うん」
いつのまにか、私は寝転がったまま彼女の髪をなでていた。細かいウェーブのかかった髪は、絹のようにつややかで柔らかい。
そしたらコンラッドもベッド脇に屈んで、背後から私の髪をなでてきた。変なの。撫で合い大会じゃないんだから。
「コンラッド?」
「なんだか仲間外れにされてる気がして」
「してな……」
言われたことがワケわかんなくて可笑しくて、振り向きざまに訂正しようとしたら、突然唇が塞がった。これで何回目かの、不意打ちのキスだった。
耳の横で彼の手がくしゃりと音をたてた。それに妙に気をとられて、私は我に返るタイミングを見失う。コンラッドとの視線は短く結ばれたままで、またくっついたり離れたりした。
「……やっぱり怒る?」
三度くらいそうして、コンラッドが最初に呟いたのはこの言葉だった。
私がいっつも怒るからそう言ったんだろうけど、それだけ聞くとすごく情けないような響きがあって、私は思わず笑ってしまった。彼はむっとしたような顔をする。
「笑わなくても」
「ご、ごめんなさい。でも、先にそれ訊くから」
コンラッドはしばらく私を眺めていたけれど、やがて溜め息をついた。立ち上がって自分の荷物を探り出す。……何をしているのかな。
「……どうしたの?」
「ちょっと用を思い出したよ。出掛けてくる」
彼は素っ気なく返した。そして、支度を終えて部屋を出て行こうとする。心なしか早歩きの彼に、ちょっとだけ不安を覚えた。
「コンラッド。――――怒っちゃった?」
なんだか、もう二度と帰ってこない気さえした。そう考えたら思わず言葉が口をついて出た。焦ったため、体勢も、自然と身を起こした状態になる。
コンラッドは驚いたように立ち止まって私の方を振り向いた。しばらく見つめあう。でも、その後なぜか彼は嬉しそうに笑った。
「いつもとは逆のパターンだ」
「え?」
「君がしょんぼりしてる」
私が何か言い返す前に彼はドアノブに手を掛けた。卑怯だ。コンラッドは去り際に言い残す。
「本当に用事だよ。昔の部下が、この街に来ているらしくてね。それに、……ん?」
不意にコンラッドは話すのをやめた。視線をそらして耳を澄ましている。私もなんとなくそれに倣ってみた。不審な音が聞こえたのは、隣の部屋だった。
「何かしら。すごい衣擦れ。着替えてるにしては、ちょっと規則的過ぎだし……。あ! もしかして陛下達、何者かに襲われてるんじゃ!」
「いや、これは……」
慌てる私を制するようにコンラッドはのんびり呟いた。まるで、明日の予定でも考えているように。
「シーツ、の、乱れる音、かな?」
「しーつ?」
それはどういう状況なのかって問いただす前に、わかってしまった。微妙な姿勢で止まってしまった私を、彼は心中の読めない表情で見守っている。
時計の針が、カタコトと鳴る。
「ね、寝相が悪いとか!」
「……いってきます」
コンラッドは今度こそ本当に部屋を出て行った。扉が静かに閉められ、私は伸ばした人差し指をゆっくり折り曲げるしかなかった。
うう、アメリカンジョークのつもりだったのに。
「ううん、それは嘘だけど……でも、絶対コンラッドってば、私をからかってるもの、あの顔……」
私だって一応いろんな事を知ってるのよ。シーツが乱れるって、どういうことなのかって、ぐらい。
「……///」
もう、どうしてこんなときに限って、陛下と閣下はそんなことをしちゃうの!?
そりゃ婚約者同士なら当然かもしれないけど、……って私は何を考えてるのよ!? 駄目、子供の教育に悪いわ! ここにはグレタちゃんがいるのに。それに何より、私とコンラッドは……恋人なワケで……っ。
「やっぱり期待してるのかな。あの人……」
「だれが?」
誰にも聞かれないと思っていた独り言に相槌を打たれ、私はびっくりして声の方を見やった。とはいえ、それはすぐ隣で。
「グレタちゃん? あ、ごめんね起こしちゃった……?」
「ううん。最初から起きてた」
彼女は寝返りを打って、こちらに顔を向けた。あどけない眼差しが無邪気に見据えてくる。
「さっきの人のこと嫌いなの?」
「え!? そ、そんなことないわよ」
「でも、ブツブツ何か言ってたし」
不幸中の幸いというか、ブツブツの内容までは聞き取られなかったらしい。私はまた寝転がって、グレタちゃんに答えた。
「……嫌いじゃないよ。それどころか……反対」
「愛してるの?」
「あ……。グレタちゃんってば、変にストレートよね」
さっきといい、言葉のチョイスが絶妙だわ。普通、「嫌い」の反対は、単に「好き」だと思うんだけど……。
でも、私にはそれを否定することはできなかった。それは、相手が子供だから、という気安さが手伝ったのかもしれない。
「ねえ、そうなの?」
「……そうねっ。でも、コンラッドには内緒よ? 調子に乗るもの」
「どうして言ってあげないの?」
「どうしても」
「だって、がそう言ったって知ったら、絶対喜ぶのに!」
グレタちゃんは興奮して叫んで、そんな自分に驚いたように黙り込んだ。
「……だって、愛されてるのは、幸せなのに」
「グレタ、ちゃん……?」
彼女はどこか遠い目をしていた。思い出している表情。ひょっとしたら、何か辛い経験をしたのかもしれない。
私からそれを問い詰めるなんてことは、できないけれど。
「――そうだね。言えたら、いいね」
「うん」
「あっでも、それならグレタちゃんも言わなくちゃね」
「なにが?」
「さっき、やっと私のことを名前で呼んでくれたでしょ?」
「……あっ……それは……」
グレタちゃんは言葉に詰まってしどろもどろした。今更気づいたって、遅いのよ。
「陛下のことも、呼んであげてよ。それだけできっと喜ぶから。私の名前を呼べたんだから、できるわね?」
「え……でも」
「大丈夫よ。陛下はあなたのことを受け入れてくれる」
それがいいことなのかは判らない。暗殺を図ったこの子に、そんなことを勧めていいわけは、無い筈だけど。
いいのよね?
「さ、もう寝ましょう。明日もお風呂よ。明日こそは、必ず美人の湯に浸かってみせるわ!」
「……」
「ん?」
「は……あの人、コンラートのこと、どれくらい好き?」
宣言と同時に、都合良く眠気で心地よくなってきた耳に、グレタちゃんの躊躇いがちな声が入ってきた。私は欠伸をしながら喋った。
「そうね。……とても好きよ。教えちゃだめよ。……まだ」
「ずっと一緒にいたい?」
「ええ」
「じゃぁ……もし行方不明になったら?」
「どこへでも捜しに行くかな」
グレタちゃんはその答えに満足したみたいだった。ふうん、と呟いたっきり、顔をそむける。静かに覗いてみると、彼女は目蓋をぴったりと閉じていた。
「おやすみなさい」
私は呟いた。さらに睡魔が近づいてくる。抵抗せずに、眠りの淵に落ちていった。
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★あとがき★
キスだけでも素直になれないヒロインの心境を書いてみました。
それを導き出せるグレタの存在っていったい……(笑)
お風呂って(プールもだけど)当然肌の露出がありますよね。
ヒロインぐらいにウブだと、それさえもおっかなびっくりで、
つい本音が出てしまうのではないかと思って。
…つか、テマリ様の挿絵に私こそが平常心ではありません(爆)
ここまで読んでくださってありがとうございます♪
ゆたか 2006/03/02