褐色肌の女の子は兵士さんに抱えられてどこかへ連れて行かれてしまった。といってもたぶん牢屋だ。国王暗殺は未遂でもすごい大罪だけれど、あんな小さな子が極刑にならなくて正直ほっとした。
 そして暗殺は免れたものの、身体を無理に捻ってしまった陛下は、軸足を捻挫させてしまった。
「この国の最高の名医を、大至急、王城に呼ぶのです!」
「……できれば精神科医も」
「おっおれは大丈夫だからギュンター! さん、治してくれる?」
「はい……」
 いくら鈍感でも傷つく。どうせ私は名医どころか医者ですらありませんよー!



   【儀式のそのときに】





「すみませんでした、。私としたことがつい我を忘れてしまって……」
「いいですよもう……」
 手先の光が絶えないよう注意しながら簡単に答える。我を忘れたならしょうがない、ただしギュンターさんの場合陛下といるときはいつもそうだと思うけどね。
 何はともあれ治療だわ。陛下には座ってもらって、私はその前にしゃがみ込んで注意深く手をかざす。心にダメージを受けたにもかかわらず集中することができた。いや、冗談だけど。

 ヴォルフラム閣下が少し驚いたように口を開いた。
「変わった治癒術だな。言葉で相手の気力を引き出さなくていいのか?」
「はい。これ、魔術じゃありませんし」
「え? そうなの?」
 今度は陛下が目を見開かれた。心底意外そうだ。

「お二人とも知らなかったんですか?」
「まあな。今まできちんと見る機会がなかったしな」
 閣下は当たり前だと言わんばかりの口調でうなずく。そう言えばそうかもしれない。私が血盟城に来て治したのは、国境近くに住む男の子ブランドン、矢人間があだ名のリック、…砂漠の中の施設にいた瀕死の赤ちゃん。あと休暇中に尋ねた町や村の人達。コンラッドの掌を治したこともあった。でも、そのどの場面にも、陛下と閣下はいない。あっウソです、陛下はいたこともあったけれど、隣でじっくり見ている暇なんてなかった。
 あれ、でも、陛下は王様だから、誰かからもう聞かされていると思ってたんだけどなぁ。グウェンダル閣下とか。

「陛下。私が地球に行ったっていうのはご存知ですか? 三年もの間、中国で気功の勉強をしたんです。この術はあれを応用していて」
「きこう? ああそうか、全ての物には『氣』があるとかいうあれ? それだったらなんとなくわかるような、……ってえぇ!? 地球!?」
 妙に長いノリツッコミだったけど、陛下の驚きは本物みたいだった。どうして知らなかったの? 誰が知らせなかったの? ギュンターさん? グウェンダル閣下? ウルリーケ様?
「……コンラッド?」
「ごめん。忘れてた」
 なんとなく名前を呼ぶと、彼は爽やかに笑ってあっさり謝った。余計わからないし。

「中国っていうとコンラッドとはえらく別ルートだったんだなあ。コンラッドはアメリカ大陸止まりだったんだろ?」
「はい」
「出発は一緒だったんですけどね。ちなみに簡単な医学も学びました」
「へえーなんか留学生っぽい」
「おい、さっきから何を話しているんだ……。しかも今更な」
 確かに。

 のどかな雰囲気に不安を感じたのだろう、ギュンターさんが少し切羽詰った様子で口を開いた。
、陛下は大丈夫なんですか!?」
「はいー、特に心配することは……」

「あら?」
 開きっぱなしの扉の向こうから怪訝そうな声が割って入ってきて私は思わず顔を上げた。手元の光がお留守になる。
 そこには、ひどく色の白い肌と緑色の髪の女の子が、口元に手を当てて立っていた。

「その光……オレンジの髪に灰色の瞳……『光の』?」
「? あなたは……」
「あれ? きみ、どっかで会ったことがある?」
 素っ頓狂な陛下の一言で、女の子は軽く目を見開いてから微笑んで敬礼した。
「これは陛下。挨拶もなしに大変失礼致しました! …お会いしたことならあります。畏れ多くも陛下はわたしの仕事場で、お手を汚してくださったのです。それも敵味方の区別なく、慈悲の心を皆にお与えになった」

「ああ! あのときの衛生兵!」
「えいせいへい……」
「ああ、さんは後から来たから会わなかったんだな」
 そうだろうそうだろうと言わんばかりに頷きながら、陛下は分かり易く説明してくださった。
「最初におれがこっちに来たときにさー、ブランドンの村で怪我人の治療をしてたんだよ」
 言われてそのときのことを思い出してみる。あのとき私は到着してすぐに陛下の元に行ったし、そのあともブランドンの治療や魔術で体力を消費した陛下の付き添いで忙しかった。だから野戦病院には行けなかった。
 今考えたらコンラッドが私を助けるために斬った人もいたしなぁ。

「同じ治す者として、あなたのことはよく話題になってるんですよ。神出鬼没、暗中飛躍! 治癒術の仕組みについての解釈も人によって違うし」
「……スパイか忍者のキャッチコピーですか?」
「すっぱい?」
 なんだろう、四字熟語のチョイスに違和感があるわ。自分としては至って普通に生活しているつもりなのに。

 あっしまった、『癒しの緑』に集中しなくちゃ。
「説明は苦手なんですけど、よかったら観ます? そんなにナゾなのなら」
「え? あ…、よろしいでしょうか、陛下」
「いいよいいよー、たいした重傷じゃありませんが」
 女の子はさすがに陛下の手前少々躊躇っていたようだけれど、当の本人がかるーくOKを出したので、安心した様子で近寄ってきた。ヴォルフラム閣下やギュンターさんがそれを見ても何も言わなかったのは、微かに不思議には思った。
 それでも私はいちいち口を挟む気にはなれなかったし、彼女の視線も真剣だった。

「そういえば、名前は? 私は。知ってるみたいだけど」
「ギーゼラです」
 短く応える。白い軍服が眩しい。
「これからよろしくね」

 彼女が実はフォンクライスト卿ギュンターの養女で、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムの幼馴染であるという、いろんな意味で衝撃的な事実を知る少し前のことだった。



       *       *       *



 馬に乗って緩やかな坂道を登っていく。目的地まであともう少し。行き交う人々に片手を上げて挨拶しながら進んでいく。
「みんな歩いてる。おれも降りて歩きたいよ」
「足が完全に治ったらね」
 私の横でコンラッドと陛下が話している。陛下は例によってコンラッドの後ろに相乗りしてて、私は一人で乗っている。それは仕方ないことだし、別にいいはずなんだけど……なんだか気が散ってしまう。
 本当に同性に興味はないんだよねぇ、陛下?

「大丈夫です、今だけですよ。すぐに元どおり走れるようになるから」
「……判ってるけどさ」
 たった今私に性癖をこっそり疑われたばかりの陛下は、不安げに言葉を濁して押し黙った。毎日朝トレをしているだけに、身体の不調に余計敏感なのかもしれない。

 時を二時間ほど遡って、途中で意外なお客さんは入ったけれど、怪我自体はちゃんと治った。
 けれど今は工作でいうノリで仮止めしたような状態だ。すぐに酷使したらまた捻挫する可能性がかなり高い。だから。

 若いけれどステッキ生活。

 陛下のお供をすることになったのは「喉笛一号」。ちょっと危険な響き(?)だけど、杖に名前があるっていうのは新鮮だ。ちなみに頭の部分をシュポンと抜くと、なんと花が出ちゃう仕込杖。

 これでただでさえ憂鬱気味な陛下はますます落ち込んでしまい、見兼ねた私とコンラッドが外に連れ出そうとして今に至ります。
「それにしても、こっちの方に来るのは久しぶりだなー」
「へえーどれくらい?」
「かれこれ三十五年くらいです」
「……そりゃまた。随分久しぶりなんだね」
 陛下は妙な間を置いてから苦笑いをした。きっと質問したことを後悔したのだろう。そりゃ私、ヴォルフラム閣下と同じくらいの年ですからねー。

 山道を登り始めて三十分ほど経ったとき、突然視界が開けて冬空がいっぱいに見えた。到着だ。
「さあ降りて。足に負担をかけないように」
 コンラッドに言われ、陛下は杖を使って慎重に体重をかけて降りた。山の上は展望台になっているので、そっちの方へゆっくり歩いていく。そこからは血盟城の後姿も見える。

「へえー! なんか遠足思い出すよ! 天覧山の公園で昼飯食ったんだよな」
「気をつけて、ちゃんと喉笛一号を使ってください」
「判ってるって。やっぱ山の頂上まで来るとさぁ、山びこ聞かずにはいらんないよなッ」
 陛下は片手を頬に当てられ、半分メガホンで息を吸う。脇にいた子供とほとんど同時に。

「やっ……」
「うっふーん!」
 一拍おいてエコー。

 なぜか全ての動きが固まった陛下。最初の掛け声を皮切りに、あちこちで山に向かって叫ぶ声がする。うっふんうっふん、うっふっふ。
「どうかされたんですか?」
「何故こんなことに」
「頂でのメジャーな掛け声なので。日本はどんな感じですか?」
「やっほーだよ」
「そのまんまですね」
「色気の欠片もない」
 陛下は半眼になって何か言いたげそうにした。ちなみに心なしかコンラッドもちらりと見てきた気がしたけれど、私はうっふん叫びません!

 肩をすくめ彼は、琥珀色の液体の注がれた一口サイズの銀色のカップを陛下の方に差し出した。それを何気なく口にした陛下は咳き込む。
「さっ、酒じゃんこれッ」
「身体が温まると思って。もうすぐ十六歳なんだから、そろそろ慣れておかないと。もどう?」
「私はお酒苦手だからいいよ。むしろ危険」
「そうかー危険なのかー、じゃなくて! あのなっ日本人はなっ、二十歳までは禁酒禁煙なの! まあそんな法律がなくっても、おれは身長の伸びる可能性が残されている限り、成長促進を妨げるブツはやんないけどね」
 健気な言葉に思わず微笑みたくなる。陛下らしいな。

「そうか、日本は二十歳で成人でしたね。この国では十六で大人とみなされるものだから」
「十六で? 早くねえ?」
「さあどうだろう。他と比べたこともないし」
 双黒の魔王が何を考えているのかわかってしまって、私は寒風から守るように襟元を寄せながら口を開いた。
 魔族の寿命は、人間の約五倍。成長ののろさも五倍。

「さすがに三歳児じゃないですよ、陛下。十歳くらいには見えますー。そうだな、ちょうど今朝の自称ご落胤の女の子くらいに」
「女の子だったんだ!?」
「気付かなかったんですか?」
 コンラッドも笑いながら言葉を引き継ぐ。
「魔族の成長に関しては一概にはいえませんが、俺は異なる血が流れているせいか、十二歳くらいまでは人間ペースだったな。そこから先はえらくゆっくりだったけど」
「ふぅんそうなんだ、やっぱり変則的になるんだね。ヨザックさんとかもそうだったの?」
「……そうだね……」
 あれ?

「でっでもさー! それなら成人式はどんな感じなんだ? ハメを外した若者が暴れたりしないのかな、あーでも十歳児ならどっちかと言うと学級崩壊みたいになるのかー」
 どこか慌てた感じの陛下が早口で捲くし立てる。なぜか落ち込んだ様子のコンラッドはそれでもゆっくり丁寧に説明を始めた。
 えっ、落ち込んだの!?

「この国では十六の誕生日に、先の人生を決めるんです。自分がこの先、どう生きるのかをね。軍人として誓いを立てるか、文民として繁栄を担うか。あるいは偉大なる先人の魂を守り、祈りの日々を送るのかを。決めなくてはならない事項は人によって様々です。グウェンもヴォルフも、父母どちらかの氏を選ばなくてはならなかったし、俺は十六で、魔族の一員として生きることを決めた……人間側としてではなく」

 柵に体重を傾けて、景色ではない遠くに視線を向けている。声の中に後悔が発見できなかったことで、私は正直ほっとしていた。
 だってそのとき彼が「人間側」を選んでいたら、逢えなかったかもしれない。それに、こうしてせっかく出来た、大切な人、なのに、去ってしまうことを望まれたら……。
 引き止め切れるの、私は?

「一生のうちに一度は、その後の運命のかかった決断をしなければならないときがある。魔族にとってはそれが十六の誕生日なんです」
 重みのある言葉をさらりとまとめて、彼は説明を終えた。そして不意に私の方を見ると、僅かに首を傾げてから笑みを深くする。いけない、見つめ過ぎたかな。
 ちょうどいい位置にあった眞王廟を見る振りをして目を逸らす。顔、赤くなってないかな。

 と、そんなとき、同じ方向を眺めていた陛下が妙に神妙な様子になって、ちょっぴり珍しい殊勝な事を言った。コンラッドとは反対側の隣にいる陛下に視線を移す。
「じゃあおれ早く十六になんないと」
「何故?」
「ギュンター困ってそうだしさ」
「陛下……」
 何か言えるはずだと思い、私は口を開きかけた。開こうとした。そのときだった。

「そんなはずがアラスカ」

 ――――はい?
「い、今なんて言った?」
 何かの間違いだと思いたかった。けれど引き攣りがちの陛下が恐る恐る質問しているのはどうしようもなく私の背後で、それに答えようとして息を吸う気配がしたのはとても近かった。
 ふ、振り返られない。寒気で身体が強張ってしまっている。

「あっ、あーいいっ、もう一度言わなくてもいいっ!」
「元気がないみたいだから、ちょっと笑わせようかな、と」
「ああーそうか、そうだったのかぁ!」
 今度こそ答えたのはやっぱりコンラッドで、私はがくりと柵に乗せている自分の腕に顔を埋めた。そうだったのね、そういうことだったのね。

 コンラッドって、親父ギャグ派だったんだー!

「あれ? どうしたんだ、
「……なんでもない」
 ただ、すっかり脱力してしまっただけ。私とは対照的に陛下は必死だった。
「コンラッド、今後一切笑わせようなんて考えなくていいから。いいか? 金輪際だからなっ!?」
「いやだなあ、一回スベッたくらいで。もう一度チャンスをくださいよ」
「よっよよよよしっ! もいっかい、もいっかいだけだかんなっ」
「いいですか? そんなことアラ……」
 回数の問題じゃないよ!?

「あーっもういいっやっぱいいっ! おれもう元気だから、元気じゃないの足だけだから!」
「じゃあ、足首も元気になりに行きますか」
 いきなり気になる発言をすると、彼は柵に寄りかかったまま器用に、まだ顔を伏せている私の肩を軽く抱いて身を乗り出した。小声でも私達にちゃんと聞こえるようにだ。内緒話をしなくても聞いている人なんていないのに。

「捻挫が癖にならないように、しばらく姿を晦まそうか」
「晦ますってどこへ」

 彼はアメリカ用語を使ってスマートに笑った。見たわけじゃないけれど判るよ。
「リハビリテーションです」


 それはいいんだけどね、コンラッド。
 そんな耳元で、アメリカンジョークはやめてね!










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  ★あとがき★
  アラスカネタは、一応親父ギャグ分類ですよね?(笑)
  彼のファンとしては避けては通れない関門をなんとか制覇です。
  ちなみに私はどんなものでも冗談と判ったらとりあえず笑う派です( ̄ー ̄)ニヤリッ
  別に作り笑いでもないですけどね。周りが全くの無表情だと逆に焦ってみたり…。

  さあ、次からやっと彼らが旅に出てくれます。
  原作を読み返してみると、ヒルドヤード編は意外と夢を書きにくいです。
  なんというか、ヒロインが隙間に入りにくいというか…。うまく説明できませんが。
  彼女には頑張って欲しいところです。いや、頑張るのは私か。ふう。

  ここまで読んでくださってありがとうございます。
  ゆたか   2005/10/05

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