最近の朝の日課は、タオルを持って行くことです。



   【朝のひとときに】





「うあー、走った走った!」
 いい汗を流した陛下がへろへろになりながらこちらに向かってくる。ベンチに置いてあったお冷をコップに入れると、ごくごくと一気に飲み干す。

 陛下がこの世界に来てからはや四ヶ月。いつものパターンでいくと魔笛を発見した後すぐに地球に戻れる計算だったのに、なぜかそうはいかず、陛下は仕方なく日々のトレーニングだけは欠かさず続けている。護衛はいつもコンラッドだ。
 私は最初知らなかったんだけれど、二週間目くらいのときたまたま早起きして気が付いた。以来、ランニングのゴール地点で待つようになったというわけ。

「はい、コンラッドも」
「ありがとう、
 陛下に付き合って走ってきた彼にもタオルを渡す。武人として鍛えているから、陛下と比べると汗なんてちっとも掻いていないように見えるのに、コンラッドはいつもタオルを先に求める。対照的だな。
 たまに陛下が意味ありげな半眼の視線を寄越すことがあるけれど、それの意味はわからない。

 あ、そういえば。
「陛下、お客様が来ているみたいですよ」
「へ? そーなんだ。どんな人」
「よく知っている人ですよ」
 答えは知っていたけれど、私は笑ってはぐらかした。どうせすぐわかるし、いろいろ想像した方が楽しいと思ったからだ。気休めにもなるし。

「じゃーさっさと戻ろうかなー」
 呟くと同時に背を向けて歩き出す陛下。慌てて後に倣おうと水差しに手を伸ばそうとすると、コンラッドに先を越された。
「俺が持つよ」
「……ありがとう」
 彼はどういたしましてと言う代わりに軽く笑う。そして空いてる方の腕でちゃっかり私の肩を抱いてくる。まだ慣れないけれど、実はこれも近頃の日課になりつつある。期間にして約二ヵ月半。最初は恥ずかしいと抗議していたんだけれど、あまりに彼が懲りなかったので、私の方が疲れてしまった。
 でもちょっと、実は嬉しかったりして。

「満喫してるねえ」
 陛下が何か言った気がした。今日もいいお天気だ。



       *       *       *



 それから城の中に戻って陛下のお部屋に戻るとき、通りすがった謁見・執務室から賑やかな声が聞こえてきた。陛下がうんざりした声で割って入ろうとする。
「まだもめてんのかヴォルフ、ギュンタ……」
「陛下っ!」
 小麦色に焼けた肌によく似合う、男の子みたいなショートカット。満面の笑みでこちらに駆け寄ってきたのは、私がさっき陛下に申し上げた「お客様」だった。

「ニコラ、来てたんだ」
「お久しぶり! 陛下、お元気でいらした?」
 ニコラは私達のほうにもにっこりと会釈した。私と同じくらいの年だけれど、実は彼女のお腹には赤ちゃんがいる。今のところは順調に育っているみたい。そういえばこの前、ふとした拍子に彼女の話題になって、コンラッドにのんびりと「君も作る気ない?」と言われたことがあった。怒ったら心なしか残念そうな顔をされた。……脱力。
 段階飛ばすのって、もしかして貴族式なの?

「直轄地を通過する用事があるとかで、閣下が送ってくださったの。でも不思議、ヒューブのことをあんなに怒ってらしたのに、あたしにはとてもお優しいのよ」
 ヒューブさんというのはニコラの夫のことだ。本名はグリーセラ卿ゲーゲンヒューバー。ニコラを送ってくれた閣下、グウェンダル閣下の従兄弟でもあって、二十年前に魔笛を捜索しに行ったまま行方知れずになっている。

 そういえば、その人とコンラッドは仲が悪いんじゃないかと以前に感じたことがあった。
 まだ確認は取っていない。今更だから訊かないことにするけれど、ちょっと気になるかも。

 と、思考の流れを一旦止めて、私は少し視線を移動させて声を掛けた。先程から呆れるような言い合いが繰り広げられていたので。
「……そろそろその辺で終わりにしときません? めちゃくちゃ不毛ですよ」
「お黙りなさいっ、のくせに冷静ですよ!」
 嫉妬に狂ったギュンターさんが鼻息荒く叫ぶ。あれ待って今、私のくせにとか言った? どーいう意味なんです。

「ですから何故、あなたが陛下のお部屋で寝起きしているのですか!?」
「ユーリはぼくに求婚したんだぞ? 寝所を共にしたいに決まっている」
「婚約者はあくまでも婚約者であって、伴侶や夫婦ではありません! 婚姻の契りを交わす前に夜を過ごすとは、なななんという破廉恥なっ」
 ギュンターさんは必死で捲くし立て、ヴォルフラム閣下は冷静にも見える低血圧で言い返していた。コンラッドは騒ぎから一歩離れて笑いを堪えているし、陛下は陛下でおれ達男同士なのにーと頭を抱えていた。そんな彼らをのんびり観察…見守る私。

 そしてニコラは一人邪気なく呟く。
「お二人とも何を勘違いをされてるのかしら。陛下にはグウェンダル閣下がいらっしゃるのに」
「「「 それこそ最悪の勘違いだッ! 」」」
 三方向から一斉に否定された。オチとしてはまとまりがいい。
 でも聞けば以前、陛下とグウェンダル閣下は同じ鎖で繋がれていたというから、仕方ないと言えば仕方ない誤解かもしれなかった。訂正されても全然気にしないのは、明らかにニコラの側に問題があるけれど。

 と、ノッカーの鈍い音が数回響き、コンラッドが重い扉を片側だけ開けた。正門を警備している若い兵士さん(ちなみに顔見知り)がすっごい緊張した面持ちで突っ立っていた。
 誰か来たのかな?

「申し上げます!」
「どうした」
「そのっ、魔王陛下にあらせられましてはっ、ご公務以外のお時間とは存じますがっ」
「そんなに畏まらなくても、サクサク言ってくれてかまわないのに」
「はっ! 恐れ入ります!」
 わー、ますます固まっちゃったような。確かにあっさりサクサクとは言えないよね。別に陛下に悪気は全くないんだろうけど。

「陛下にお目通りをと願う輩が、先程、城門に参りまして」
「あ、なーんだ。それなら朝飯済んでから、スケジュール調整してもらうよ」
 すっかり仕事モードに入ったギュンターさんが、落ち着いた口調で会話に参加した。
「そのような用件はまずこの私に」
「ですが……その、ごくごく私的なことですので……できましたら、そのー、お人払いを」
 ギュンターさんやヴォルフラム閣下に睨まれ、いっそう顔を赤くする兵士さん。運悪くこの二人が居たら、そんなのとてもじゃないけど無理だ。それにしても人払いを依頼されるなんて、なんだか雲行きが怪しくなってきたわ。どういうことだろう。

 コンラッドが穏やかな口調で先を促す。
「大丈夫だ。皆、口が堅いよ」
「では申し上げます」
 まるで勇気を振り絞るかのように兵士さんは一旦言葉を切り、声のトーンを上げて一気に申し上げた。

「眞魔国国主にして我等魔族の絶対の指導者、第二十七代魔王陛下のご落胤と申す者が……いえ、仰る方が、お見えですっ!」

「ゴラクイン?」
「ごらくいん……」
 聞き慣れないというかあまりにこの場に似合わない単語を耳にして、思わず陛下に呼応するように反復した。
 ごらくいん? ご烙印、娯楽イン……あぁご落胤。

 ご落胤!?
「え?」
「ユーリ貴様っ、どこで産んだ!? どこでいつ、いつの間に!?」
「なっなに、産んでない、産んでませんったら!」
 振り返る前にヴォルフラム閣下が陛下をがくがく揺さぶっていた。お、遅かったー。あれ、良く考えてみればツッコミどころが。
「あの閣下、陛下は男性なので産めませんよ」
「うるさい! のくせに指摘するなんて生意気だぞ!」
 ……デジャヴュだ。最近同じようなことをよく言われるなぁ。

「産んでいないということは、どこで作った!?」
「なっ、うっ何も、作っていませんッ! だからっ、ゴラクインて何!?」
「わかってなかったんですか陛下」
「貴人が妻ではない女性との間につくった子供のことですよ」

「ああ、上様のゴラクインーとかって時代劇でよく使う隠し子ネタかぁ。あー、だよなあ、上様に隠し子騒動はつきものだよ。後継者争いとかで大変なんだよな……って待てよ?

 まさかおれ? 貴人にご落胤って、おれに隠し子がいたってこと!?」
「はいー」
「その疑惑が」

 私の隣にいたギュンターさんが姿勢を正したまま倒れた。白目を剥いて、きれいな菫色の瞳が見つからない。
「ししっかりしてくださいっギュンターさん!」
「うわギュンターがっ」
「なんてことだ! ぼくの知らぬ間にそんな好色なことをッ! だからお前は尻軽だというんだっ」
 ギュンターさんは早くも痙攣を始めるし、ヴォルフラム閣下は陛下の襟元を掴んで力任せにシェイクする。修羅場のイメージとは少し違ったけれど、大変な騒ぎに変わりなかった。
「すごいわユーリったら。虫も殺さないような顔をして」
「ニコラも……」
 その譬え、間違ってると思うんだけど。

 さすがに冷静なコンラッドが、報告役の兵士の言葉を促した。
「実はもう……ここにいらしています……歴代魔王陛下とそのお身内しか継がれないという眞魔国徽章をお持ちでしたので、お通ししないわけにも……」
「徽章を?」
 身分的にはごく普通の庶民の私には全く知らない言葉が出てきた。その途端ヴォルフラム閣下の表情がさっと変わって、陛下の緑ジャージを掴む手が緩んだ。
 それにしても、すぐそこにいるなら、人払いしたって目に付くと思うんだけどな。

「なあ、なにそれ。王と身内ってことは、ツェリ様の息子のお前は持ってんの?」
「ぼくは父方の氏だから継いでない。確か兄上は持っていたはずだ。第七代のフォルジア陛下から、代々フォンヴォルテール家当主に受け継がれているから」

「でしたらそのガキ」
「うわっ!」
 ギュンターさん、電気ショック喰らったように飛び起きないでください。怖いから。

「……いえご落胤候補は、陛下のお子様ではありません! 陛下はあくまで十六歳にはなられていないと、ご自分でお強く否定されるので、未だ魔王陛下の証である徽章の図案さえできていないのですから」
「では誰の、どこの家の章を持っていたんだ……あっ」
 何か思い当たったらしいヴォルフラム閣下がずかずかと歩く。

「まさかまた新たな兄弟の出現ってわけではなかろうな!?」
 両開きの扉をいっぱいに開ける。閣下たちの母親はツェリ様だから、その思いつきも、あながち間違いではない。

「どいつが……」
 勇んだその視線の先には空間しかなかった。立っていたのは、腰辺りにやっと頭のくる華奢な女の子だったからだ。

 推定年齢は人間に換算して十歳くらい。二分の一成人式だね。魔族なら十五歳で、やっぱり成人式を迎えたくらいだ。
 耳の上で切り揃えた赤茶色の髪は細かく縮れていて、顔立ちははっきりしている。

 私と同じようなことを考えていたらしい陛下が、あることに気が付いた。
「待てよ? 十歳だろ? その子、おれが何歳のときの子供よ? 十歳だとしたら……おれ六歳だよ!? 六歳っつったら一年生じゃん! 一年生っていや友達百人できるかなだけど、まさか子供はできねぇだろ!? やっぱ違う! やっぱそいつ、おれの子じゃ……」
 緊張しているからか、女の子は話を聞いていないみたいだった。大きく息を吸って、叫びながらダッシュする。普通なら感動しそうな再会の言葉を。
「ちちうえぇーっ!」
「ちっ……父上って」


 どうしてかなぁ? 私の目には、そのときがとてもスローモーションに見えた。
 右脇腹に固定している少女の手元が、昇りかけの太陽で金属色に反射したからかもしれない。


「「 陛下っ! 」」
 私とコンラッドの声が重なる。けれど私と違って彼は身体も動かしていて、陛下と女の子の間に割って入って、陛下に向けられた刃を叩き落した。
 敏感に危険を察知したのか、陛下は避けるようにバランスを崩して倒れこんだ。ナイフは軽い音をたててヴォルフラム閣下の足元まで転がる。そのまま子供は兵士さんに羽交い絞めにされた。

 皮肉なことに、上様にはご落胤と同じくらい付き物の、暗殺(未遂)騒動になった。










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  ★あとがき★
  新章の始まりです。
  とはいえ最初の方は外伝とちょこっと繋がっております。朝トレのところですね。
  書けるスペースがなかったのでここで説明を。走り終えた彼がタオルを先に使うのは、
  ヒロインにいつでもタッチできるためです(爆)。汗とか気にするのは紳士のたしなみ♪

  うーん、これからどうしましょ。とりあえずこの後ギーゼラは出さないと。
  この章の目標としてはやっぱ、二人をいかにバカップルにするか、でしょうかね(笑)

  ここまで読んでくださってありがとうございます。
  ゆたか   2005/09/19

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