ひそひそと。
「、これどう思う?」
【思いがけない仲介人】
「…わ、わかんないっ」
くるりと背を向け、差し出された紙をろくに見てもないのに早口でそう言った。多分今、コンラッドはきょとんとした顔でこっちを見ている。ついでに、ヴォルフラム閣下や周りの兵士さん達もちらちら見ているはずだ。
「はどうかしたのか?」
「ぼくに聞くな。お前が何かしたんじゃないか?」
「何かって……どれ……」
ああっ、後ろで相談してるっ。しかもどれってなに!
私は内心頭を抱えてしまう。夢の一部が嘘じゃないと判明してからどれくらい時間が経っているのだろう。少しだけのような気がする。ずっと前かもしれないと思う時もある。どっちよ。
なんかうまくいかないわ。
どういう顔をすればいいか全然わかんなくて、さっきからコンラッドをまともに正視出来ない。もし向き合ったら……情けない顔になりそうで。
だって、抱きついちゃったんだよ!?
そこに考えが着く度に居心地が悪くなる。悪い事とかルール違反じゃないのに。
私のした所業はそれだけじゃない。自分の笑えない身の上話をして、そのまま眠ってしまった。寝惚けていたとは言え、なんだか恥ずかしい。コンラッドだってきっと心の中で呆れているわ。
それに…。
「」
「えっ? ……な、なに、コンラッド」
声が裏返りそうになるのを必死に抑えた。顔が引き攣っていないのを願う。
「そっちじゃないよ」
言われて私は瞬きをした。周りの兵隊さん達は確かに私の前を歩いている。
「手分けをして、ユーリとグウェンの消息の手掛かりを探すことにしたんだ。はこっち。俺とヴォルフの三人で」
「……あ、そうなの」
なんか心細いなぁ。兵隊さん達に見捨てられた気がするのは、考え過ぎかな。
……ますます密度が濃くなったよ。
* * *
ともあれ、立ち止まっているわけにもいかないので、しばらくはそのまま歩いた。ここではしょっちゅう目が痒くなる。細かーい砂粒が風に混じって絶えず目を襲う。ずっと雨が降っていない証拠だ。
私達はお互いに必要最小限のことしか話さない。居たか、休憩しなくて平気か。こんなことになっているのはきっと私が黙りがちなのが原因だ。いつもなら自分が一番よく喋っているのは解っている。
私の方が二人より半歩ぐらい前に出て歩いている。だから視線は合わないけれど、時々コンラッドがこちらに心配そうな気配を向けているらしいのがわかった。
普段ならとっくのとうに振り返っているのに。慣れない。そして、辛い。
辛いといえば(と、私は気分を誤魔化そうとする)この町は法力に満ちていて、私はまだしもヴォルフラム閣下は苦しそうだ。それでも陛下を見つけ出そうと必死になっているのだから、なんだか立派。
よっぽど陛下のことが心配なんだろうな。指摘すればきっと否定されるけど。
「……」
陛下のことをずっと考えているヴォルフラム閣下。
そして私はコンラッドのことを思っている。
「どうしたんだ、お前。難しい顔をしているぞ」
「なんでもありませんっ」
でも、並立はしちゃいけないよね。種類が違いすぎるもの。
内心強く頭を振りながら、慌てて訂正した。私は自分の失態を気にしているだけ。それでいて今更謝ったりするのは間が悪いから、歯痒く思っているだけ。
なのになんでだろう。いつまでもループから抜け出せない。
次に進めない。結論が完全ではないと、頭のどこかで何かが叫んでいる。なんだか私、ヤバイ方へ向かっているみたい。今までずっと「だめ!」って自分に言い聞かせていた方へ。だめ。行っちゃだめ。
だって、きっと許されない。
コンラッドは、私のことなんか……。
「おい」
「――――っ、え?」
唐突にヴォルフラム閣下に腕を捕まれて、私は目をぱちくりさせた。ずっと考え込んでいたから、何が起こったのかとっさには判断できなかった。
「…な、なんでしたっけ?」
「少し休むぞ」
いつもなら要領が得ないと怒るのに、ヴォルフラム閣下はさらりと流して大きな建物の影になっている場所を指差した。ちょうどいいことにベンチもある。
けれどすぐにおかしな事に気づいて、私は首を傾げた。
「あれ? ……コンラッドは」
「あいつなら今はいない。他の隊員の所だぞ」
「はぁ…」
何か命令しに行っているのかな? どちらにしろ、緊張していたのに肩透かしを食らった気分だ。
かくして私は閣下と二人ちょこんと椅子に座った。
閣下は腕を組んだまま前方を睨むように眺めていて、押し黙っている。歩いているときにはまだ無視できた、周りの静けさに耐え切れなくなって、私はとりあえず口を開いた。たいした話題は見つからなかったけれど。
「……早くお二人が見つかると良いですね」
「当たり前だ」
「それにしても合流地点の宿屋に泊まっていないなんて、何か起こったんじゃ」
「それは例によってのユーリの我が侭だろう。あいつは旅を娯楽か何かと勘違いしているからな」
「いや、それはどっちかというと貴方じゃ……いえごにょごにょ」
地雷を踏みそうになって口を濁した。危ない危ない。
「……しかしだな、」
「はいなんでしょう」
「お前は人のことを言っている場合じゃないと思うぞ」
隣にいるヴォルフラム閣下はこちらを見ずに、でもきっぱりとした調子で言い切った。けれどその真意は私になかなか伝わりにくい。何のことだろう。どのことを話しているのだろう。
その疑問は、すぐに解けた。
「コンラートに意地を張るだけ馬鹿らしいぞ」
ぶっ。
「……なっ、い、意地なんて張ってませんよー!」
「その取り乱しようでか?」
やけに冷静にツッコむと、閣下は小さくため息をついた。金髪がさらりと揺れる。やけに綺麗だと心のどこかで考えながら私は反論しようとする。でもうまくいかない。なぜって上手な説明が思いつかない。そうこうしている内に、また言われた。
「少なくとも今のお前は頑なにあいつを避けているように見えるぞ」
「さ…、避けてなんか」
さらに言い返しにくくなった。
「お前が昨夜夢うつつだったことくらい、あいつどころか隊の皆が知っている」
それは問題だと思います! 気まずい上に恥ずかしいし。
「でもそれは別に気にすることではないだろう。あれくらいの失敗、誰でも持っている。それに、恥ずかしいことでもない。軽はずみな過去でもないしな」
……。
「滅多にない機会だから、あいつも頼ってもらって嬉しかったはずだし」
「え? なんて言いました?」
「なんでもない」
不意にヴォルフラム閣下は立ち上がった。相変わらず前を向きっぱなしだし、コンラッドも帰ってくる様子を見せない。それでも、次に言われたのははっきりとわかった。
直球の意見。
「とにかく。お前が元気なくてとばっちりを受けるのは、このぼくなんだからな。だから……お前らしくしていろ! いいな!」
飾りなど必要ない、そのしなやかさ。
太陽が強く照り輝いている。光が強ければ強いほど、その陰も濃くなる。
ベンチの寄っている建物の日陰の境目をいつの間にか観察しつつ、私は自然と言葉を漏らしていた。
「ひょっとして、心配してくださっていたんですか?」
「ち、違う! これはあくまでぼくの手間を掛けさせるなってことだ。頼まれるのはもうごめんだ」
「たのまれ…た?」
「あっ、そう、じゃなくてだな……」
聞きとがめると、ヴォルフラム閣下は明らかにぎくりとした様子になった。忙しなく目線を動かすと、くるりと体の向きを変えて、完全に私に背を向けた。でも、その直前に垣間見えた表情はなんというか、…赤くて。
本当に……頼まれたの? だれ、に。
まさか。
「じゃあぼくは、少し見回りに行って来るぞ」
「あ、それなら私も……」
「はここで待っていろ。いいな!」
叫ぶように私を制止すると、閣下は早歩きでその場を去っていった。あんまり陛下達を探しているようには見えないんですけど。
「…えーと」
何か言いかけてやっぱり無駄だと感じて、結局私は小さく息を吐いた。さっきまでの会話をゆっくり反芻してみる。
『今のお前は頑なにあいつを避けているように見えるぞ』
『別に気にすることではないだろう』
『お前らしくしていろ!』
そして。
『頼まれるのはもうごめんだ』
やっぱり、気になる。誰に頼まれたんだろう、あの人は。
それは、兵隊達さんズの内の誰かかもしれない。私は一時期、周りを把握できるような状況じゃなかったって解っているもの。可能性は十分にある。
でもね。
「あれ、ヴォルフは?」
「あ。――コンラッド」
壁伝いに誰かが歩いて来たと思ったら、それは用事を済ませてきたらしいコンラッドだった。彼は辺りを見渡すような仕草をしてから、私に返事を促す視線を向ける。
「見回りに行ってくるだって。私にはここに居ろって」
そう答えると、コンラッドはそうかと呟いて、何気なく私の横に腰を下ろした。それ以上は何も言おうとはしない。やっぱり気を遣ってくれているみたいだ。
でも一つだけ訊いておきたいことがある。心なしか鼓動が早くなった気がしたけれど、覚悟を決めると、私はゆっくりと口を開いた。
「ね、ねぇ」
「ん、なんだい」
「さっき、ヴォルフラム閣下とどんな話をしていたの?」
一呼吸分間があって、彼はいつもどおりに聴こえる口調で返してきた。
「どうしてだ?」
全く、でもなく、特には、でもない返事。
「……なんでもない」
もっと詳しく問い詰めてみたい気もしたけれど、敢えてそうしないことにした。それでも十分だと思った。それでも……私は嬉しいと思った。
――心配して、閣下に頼み事をしたのが彼だったらいいと、思ったから。
そうですよね、私は私らしくいた方がいいよね。
まだ悩みをふっ切れたわけじゃないけれど、照れ臭さも消えないけれど、なんとか頑張ってみよう。それが、私なりの姿勢だから。
「コンラッド」
銀の星を見つめる。
「ありがとう。もう、大丈夫だから」
彼は僅かに驚いた顔をして、それから何も言わずに淡く微笑した。
たったそれだけのことなのに、切なくなった。
* * *
それからしばらくして、ヴォルフラム閣下が何食わぬ顔をして戻って来ることになる。
それまで私とコンラッドは、この街に入ったときに手に入れたという手配書の話をしていた。
先程コンラッドがこっそり見せようとしていた紙だ。そこには私が描いた方がまだマシだと思えるような幼い絵が載っている。文字を読めば、黒っぽい髪で青い目の男の魔族と、人間の女の二人組が追われているらしいことがわかった。この国では許されない恋をしたのだと。
彼は驚くべき事実を口にした。
「この手配書きをくれた奴の話を聞くと、どうもユーリとグウェンが間違われているみたいなんだ」
「えっ?」
「なかなか合流できないのも、そのことが関係している可能性が高い。幸い二人ともまだ逃げているけれど、手錠で繋がれているって言うし」
「…手錠…」
よりにもよって。
「それ、ヴォルフラム閣下はもう知っているの?」
「いや。知らせるべきか、正直迷っている。ただの勘違いっていうのもありだし。それで、はどう思うか聞こうと思って」
ちょっと反省した。こんなことになっているのに、自分のことで手一杯だったなんて。
「それで?」
「うーんそうだなぁ。難しいね。教えた方が、心構えができるかもしれないけど。その代わり下手すると憤死しちゃうかもしれないし、閣下」
「……どうでもいいけど、さらっと言うんだな」
おでことおでこを寄せ合って――くっつけてはいない――うんうん唸っていた、そのとき。
「…………お前ら」
「うわぁっ!?」
いつの間にかすぐそこまで戻ってきていた当の本人に声を上げられ、二人ともびっくりしてしまった。
「あ、あ〜閣下終わったんですか見回り!」
とっさにさりげなく今まで覗き込んでいた紙を隠しながら、努めて明るい声を出す。
ヴォルフラム閣下は超不機嫌な様子でつかつかと近寄ってきた。不審物に気がついた様子はない。けれどジト目と低音で物を言う。
「お前ら、ぼくが必死にユーリ達を探しているときに、何を……」
「な、なにって」
ちょっと話し合いを。
「あのな、いちゃつくのも、いい加減に……げほ」
閣下はそこでいきなり咳き込んだ。どうしたんだと思う間もなく、懐かしい音を出す。
「い、いい加減にするんじゃりー!」
「あ。閣下が砂吐いた」
まさか、昨日の砂がまだ口の中に残っていたの!?
結局その場でヴォルフラム閣下は何も知ることなくうやむやになってしまった。
こうして街は、刻一刻と、夜に近づいていくのだった。
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★あとがき★
前回から随分時間が経ってしまいました。
その間エールを送ってくださった皆さん、本当にありがとうございます!
これからはもうちょっと早く書きますので、見捨てないでください〜。
今回のポイント、砂吐き小説(笑)
ヒロインがどうしても意地っ張りだったので、三男に特別出演をしてもらいました。
…やっぱり、あの人が頼んだんでしょうね。あの人が。
おでことおでこを寄せ合えて、さぞ安心したことでしょう(笑)
次回、ニコラさんが出てきます。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
ゆたか 2005/06/02