「海は広いな大きいな〜♪」
 他にする事が全く無くて、とりあえず口ずさんでみる。作詞作曲不明、けれどどこか懐かしい感じのあるメロディーだ。

 本当に広いや、とぼやきそうになる場所に私はいた。大海原の中、首を傾げたくなるくらいに豪華な手漕ぎボートに乗っている。ギュンターさんが率先して漕いでいるので、楽だけれど。

「…ギュンターさん、本当に陛下は海から生まれるんですか?」
「間違いありませんとも! 私の心がそう告げています。ああ、陛下の御霊が私を呼んでいる!!」
 よく考えれば根本的に間違っている質問にも、眞魔国の王佐は力強く頷いた。それにここに陛下が現れると予知したのはウルリーケ様だし、陛下はあんまりギュンターさんを呼んでいない気が…。まぁ、無理に夢を壊す気はないけれどね。



   【サンド・ベア】





「あ、いた」
 隣に座っていたコンラッドが不意に声を上げた。指を差した方を眺めていると、確かに陛下が、死に物狂いで泳いでいるのが見えた。

 …あれ、陛下を追うように泳いでいる大きい魚って。
「三角形の背鰭……。サメ?」
「だろうな」
「絶対食べられると思ってるよね、陛下」
 地球のサメは肉食だから。こっちのはベジタリアンだけれど。
「なんですって!? おのれ、魚の分際で陛下になんということをーっ!」
 血相を変えたギュンターさんがオールを振り回す。いや、ベジタリアンですから!

「どっ、どうにか、助かった……危うく喰われるとこだったよっ」
 案の定勘違いをしていた陛下は、無事に船に上がれて本気で安堵していた。その必死の様子に、私とコンラッドは思わずくすりと笑ってしまう。

「そんなに怯えなくても、あいつは人を襲ったりしませんよ」
「へ? だって鮫だよ、ジョーズだよ!? おれの右足をかじろうとしてたんだぞ!?」
「かじりませんよ陛下。こっちの鮫は海草が主食ですから」
 それを聞かされた陛下はぐったりとコンラッドに寄りかかった。そう言えば陛下はいつもこちらの生き物事情に泣かされている気がする。以前海賊に襲われたときも、ネコの鳴き真似をしようとしてゾモサゴリ竜の真似をしてしまった。ちなみに竜は絶滅危惧種だったりする。

 海水でずぶ濡れの陛下がTシャツを脱ぐ。私はつい条件反射で後ろを向いてしまう。
 久しぶりに会ったからか、背後では陛下とコンラッドの会話が弾んでいた。…お姉さん、ちょっと寂しいよ。誰よお姉さんって。
「少し筋肉つきました?」
「少しどころじゃないよ。ほらチカラコブ! ほーら上腕二頭筋!」
「では新しい剣を贈らないといけないな。今度は成人男子用の立派なやつを」
「そんなもんいらないよ」
「じゃあ何を……」

「ぎゃああああああ」
 なんとも形容しがたい叫び声に視線を向けると、ギュンターさんがどうしましょーのポーズを取っていた。ジョーズ君が仲間を呼んだらしい。何匹も来ている。
 もう。サメは人懐っこいから、遊んで貰ってるって思われたんだわ、きっと。



       *       *       *



 浜の近くに建っているお城に入って、陛下が着替えていると、ヴォルフラム閣下がいつにもまして不機嫌そうに登場した。

「ギュンターっ! ユーリを迎えに行くのが兄上だけというのはどういうことだ!? 婚約者であるこのぼくに何の報せもないとは、バカにするにもほどが……」
 足音荒く踏み込んできた閣下はまだ上半身裸の陛下を見て、なぜか渋い顔をした。
「……ユーリお前、腕と顔だけ色が違うぞ? 悪い病か、呪いにでも……」
 陛下はユニフォーム焼けをしている。

「呪いって何だよ、失礼だなっ」
「あ! それにこの場には、もいるじゃないか! こんな所で裸になるなんて何考えてるんだ、この浮気者!」
「いえ、私は後ろ向いてるんですけど……」
 実は外に居た方がいいのかなーでもなんか不自然だよなー、なんて考えていたりして。

 ヴォルフラム閣下が陛下の頬をつまみ、思いっきり横に引っ張った。突然の事に、陛下がつままれたまま声を上げる。
「ひててててっ、がっきゅううんこ」
「本物だな?」
「本物だよ」
 閣下は視線だけをコンラッドに向けて簡潔に尋ね、彼もまた簡潔に答えた。
「ということは、兄上が迎えに行ったというのは、誰だ?」
「偽者かな」

「手をお離しなさいヴォルフラム! 陛下のお綺麗な顔に痕でも残ったら承知しませんよッ」
 べりっと効果音の付きそうな勢いで、ギュンターさんが陛下と閣下を引き離しにかかった。余計に痕が残りそうだ。でももうお馴染みの光景でもある。

「なんらのよ、いったい。偽者とか本物とかって。確かにおれは王様として、かなり胡散臭いとは思うけどさぁ」
 陛下、言いたい事はわかりますが、なんかピントがぼけてます。

 ギュンターさんは決まり悪そうに咳払いをした。本題に入るんだわ。
「実は……陛下の御名をかたる不届き者が現れたのです」
「え!? 渋谷有利原宿不利だって!?」
 何も聴くのにうんざりしているあだ名を言わなくても…。

「いえ、そこまで詳しくではございません。我が国の南に位置するコナンシア、スヴェレラで捕らえられた咎人が、魔王陛下だなどいうふざけた噂が流れて参りまして。我々としましては、そんなはずはないと取り合わずにおりましたが、処刑の日取りが決まったことで些か不安に……あの、万が一その咎人が、本当に陛下でいらしたらと……」
 口篭もるギュンターさんに代わって、コンラッドが説明を引き継いだ。
「つまり、もしも俺達の知らないうちに、陛下がこちらの世界、それも眞魔国以外の土地に着かれていいて、部下もなくお一人で困り果てた結果、やむなく罪を犯し捕らえられたのだとしたらどうしましょう、これは真相を突き止めねばならない。ということで改めて我々でお呼びしたところ……」
「おれはバンドウくんと握手しながらスターツアーズ真っ逆さま、と」
 握手してたんですか、イルカと。

「けど、こうやっておれを呼べば済むことなのに、なんで探しになんか行ったわけ? しかもよりによって……」
 陛下は、たぶん無意識に言葉を切った。きっと迎えに行った人物の人となりを思い出したのだろう。
「……グウェンダルが」

「そうなのです。おのれの分を弁えぬ愚かな人間など、処刑されたところで我々には何の関係もございません。ですが、陛下の……」
「そっくりさん?」
「はい、そのそっくりさんが、魔王にしか使いこなせない特別な物を所持していたという情報が入ったのです。魔族の至宝ともいうべき貴重な物で、二百年ばかり前に持ち出されて、以後行方が判らなくなっていたのですが、その情報が事実なら、ぜひとも我々の魔族の手に取り戻さねばなりません。二十年前に探索の者を放ったのですが、彼がグウェンダルの係累なので」
 ギュンターさんは順序だてて説明する。説明ってこうすればいいのかぁ。なんか、難しいな。

「誰だった?」
 コンラッドが質問した。けれどその顔色はなんだか良くない。答えを聞きたくないような、そんな印象を受けた。
「グリーセラ卿です。グリーセラ卿ゲーゲンヒューバー」
「ああ、ヒューブか」
 何気なさそうに呟くけれど、その息遣いはなんだか不協和音だ。過去に何かあったのかな。こんな彼は珍しい。私はまだ後ろを向いているけれど、あとでそれを訊いてみたい気持ちになった。

 事態が把握できたらしい陛下は、ぽつりと感想を漏らした。
「じゃあ今度の宝物は、おれじゃなくても持ち歩けるんだ。手が痺れたり噛みつかれたり、ゲロをリバースしたりしないやつ」
 …モルギフさんの事よね、それ。魔王の宝物がああいう生きたモノばかりだったら、ちょっと大変かもしれない。

「そうですね……持ち歩くことは可能でしょうね。お吹きになれるのはこの世で陛下お一人ですが」
「吹く!?」
「ええ。スヴェレラで目撃されたのは、魔族の至宝『魔笛』でございますから」

「魔笛か!」
 ヴォルフラム閣下が弾んだ声で会話に参加した。
「父上からお聞きした話だが、それはもう素晴らしい音色だということだ。天は轟き地は震え、波はうねって嵐を呼ぶそうだ」
「う、牛は?」
「牛はモサモサ鳴くばかりだが」
 なんだ、飛ばないのかー。

 コンラッドが話を進めようとして、口を開いた。
「処刑される罪人の持ち物を、慈悲深く棺桶に入れてくれるかどうか」
「どーいうこと? 看守が没収しちゃうってこと? それにその、棺桶って……殺されちゃうのか!? おれのそっくりさん! 殺されるほどの凶悪犯罪やらかしちゃったのか!?」
「いいえ、確か、無銭飲食だとか」
「無銭飲食ぅー!?」
 そんな、陛下のドッペルゲンガーさんが、無銭飲食で処刑? 浮かばれなさすぎるわ。あ、まだ処刑はされてないけれど…。

 外からは相変わらず波の音が聞こえる。まだ嵐は来ない、静かな満ち引き。
 絞り出すように陛下は声を出した。らしい、真っ直ぐさのある視線だ。ちなみに色は黒。
「……助けないと」
「はあ?」
「おれの偽者を助けないと!」


 誰にも見えないはずのアングルで、私はこっそり笑った。こうなると思っていたから。それはたぶんコンラッドも同じのはずだ。行きますよ、また国境を越えてお供に。

 と思っていた矢先。
「……ところでさ」
「なんですか? 陛下」
「今回はやけにさんが静かだなあ。どしたの、どこか体調でも悪いの?」
「Σえ!? 酷いですよそれ、説明の邪魔をしちゃ悪いって黙ってたのにっ!」
 なけなしの学習能力を生かそうとした結果、要らぬ誤解を作ってしまったらしい。
 難しいなー。……ところで私、もう前向いていいですか?



       *       *       *



 スヴェレラの罪人は偽者だということを直接話しに行こうとする私達を目にして、グウェンダル閣下はやっぱり眉を顰めた。皆まとめて連れて帰れとコンラッドに言ったくらいだ。
 それでも陛下の気持ちが変わるわけはなく、渋々同行を許す形になった。


 途中で砂丘も通過するので、熱さ対策に白っぽい布を頭から被った。アラビア風だ。

 まぁ、それでも暑いものは暑いもので。
「くっついてないと落ちるぞ」
「だってあちィんだもんよー」
 ヴォルフラム閣下の馬の後ろに乗っている陛下は、そう言って風を作る努力をしていた。こうも熱気のある空気だと、あんまり期待はできないけれど。

「陛下、そんなに暑い暑い言ってたら、余計暑くなりますよー? あ、今三回も言っちゃった」
「だって本当のことじゃん。さんはなんで涼しい顔してんだよ?」
「涼しくはないですよ。気にしないよう頑張ってるってだけで」
「……それは具体的に、どんな努力?」
 努力というよりか、性質かな?

 しばらくはそんな調子で時間が流れた。
 私達が今乗っている馬は、国境近くでスヴェレラの軍団に家畜の入国は時間が掛かると言われたため、それまでのを引き返らせて現地で買ったものだ。おとなしく乗らせてくれるか心配だったけれど、とりあえず順調だ。
 けれど、不意に陛下が不思議そうな声を上げた。

「あれーなんかかーわいいものがー、砂の中央でバンザイしてるぞー?」
「何がだ? ぼくには見えないぞ」
 ヴォルフラム閣下が片眉を上げた。私も目を凝らしてみたけれど、何も確認できない。

「どんなものですか?」
「パンダだよ、パンダ。夏色バージョンで、茶色の保護色になってるけど」

「「 パンダ!? 」」
 私とコンラッドの声が重なった。それって……「ここ」のパンダは!

 がくんと派手な音がする。すぐ前の兵士が、馬ごと姿を消した。いや、正確には姿を消したんじゃなくて、砂の下に落ちた。
「うわ、何ッ!?」
「砂熊だ!」

 巨大なアリ地獄に、周りの人達が次々と呑みこまれていく。私だって例外じゃない。
「へいか」
 必死に視線で探すと、陛下はグウェンダル閣下とコンラッドにどうにか助けられていた。かなりギリギリだったけれど。

 それなら、大丈夫だよね。

!」
 聞き慣れた声を聞きながら、私の意識は急速に遠のいていった。太陽に焼かれた砂がとても暑い。
 もしも砂熊に遭遇したら、息をできるだけ止めて、抜け道を見つけて……。










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  ★あとがき★
  今回はあんまりヒロインが活躍(?)してませんね。
  話的には大して進んでいないのですが、キリが良いのでここまでにしました。
  それにしても旅に出るまでが長いなぁ…。余計な心配されてるし。
  この章も思いっきり楽しみながら書くつもりなので、土台くらいにはなるかもしれないけど。

  ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
  ゆたか   2005/03/29

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