横暴だと思った。残酷だと感じた。
「人間なんて、どうしようもない生き物なのよ」
美しいが悲観的な姉の言葉が、不意に彼女の耳に蘇った。
【密かな決意】
宿屋は既に半分ほど炎に呑み込まれていた。それでも強烈な光線が、の瞳にくっきりと影を残す。
「? なんで来てるの!?」
腕を引かれて彼女が我に返ると、アルフォンスが覗き込んでいた。
「アル……。その、様子を見にきたら」
「いいから! ここにいちゃ危ないよ!」
しどろもどろしていると、肩をがっしりと掴まれて、建物の炎から遠く引き離された。は、所々に雑草の生えている広い道路の反対側に、ぺたりと座った。それでも瞳は、紅蓮の色を捕らえ続けることができた。木が焼け焦げる臭い。せわしく響き渡る警鐘の音。肌でうっすらと感じる熱気。近所の者達はもちろん皆飛び起きていて、怒号を交わしながら消火活動をしていた。
(ヨキさんの家から外に向かっていた火薬の臭い……そして、追いかけていたら遭遇した、火の事故?)
は少し冷静さを取り戻して、今の状況を分析してみた。できるだけ公平であるように。しかし、ヨキに都合の良い結果には至らなかった。
(タイミングが良すぎるよ! 私……もし私が、もう少し早く気づいていたら……何かできた?)
「そ、そうだ! ねえアル、ホーリングさんやカヤルは無事なの!?」
はっとしてが叫ぶように尋ねると、アルフォンスはしっかりと頷いた。
「大丈夫だよ。今は混乱してるけど、怪我人もないみたいだ。……だからって安心はできないけどね」
体の大きい鎧の彼は、火を消す手伝いをするために、絶対に近づかないでと念押しをしてから去って行った。はまた一人になる。
(……体が、動かないよ……)
落ち着いたような心細いような、とても複雑な気持ちだった。どうすればいいのか、よくわからない。いや、所詮非力な少女と認識されている彼女には、許されていることが少ないのだ。今だって誰も声を掛けようとはしない。
それでも何かをしなければと、彼女自身の脳が訴えていた。何ができるだろう。必死に頭を働かせる。手をついた地面に生えていた雑草を、無意識に強く握り締めた。
ふと、彼ならどうするだろうと感じた。
「そうだ……言わなきゃ……」
この事件の犯人であろう、ヨキ中尉に。
は力を込めて立ち上がった。裸足を踏み出し、歩き出す。最初はゆっくりだった歩調はだんだんと速度を上げ、彼女はとうとう走り出した。
高熱が、まだ背中に届いている気が、しながらも。
* * *
「中尉さん! どういうことですか、これは!」
ヨキの家に戻ったは開口一番そう叫んだ。行きとは違い、堂々と二人の門番の前に立ちはだかる。とっさの訪問者を門番達は制そうとするが、それよりも目を白黒させていた。何時間か前に、確かにここを通って入った少女なのだ。それがなぜ、また外から来るのだろう?
「どうして、どうしてあんなこと……」
「ちょ、ちょっと君、待ちなさい」
「離し…てっ!」
「うわあっ」
は拘束の手からもがき、渾身の力を込めて突き放した。彼女より体が大きくて屈強なはずの一人の門番が、バランスを崩して尻餅をついた。
「おい、何を手加減しているんだ!?」
油断して手助けをしなかったもう一方が仰天する。はその隙に建物の中に走った。
「なんの騒ぎだ!?」
「女の子が中に侵入している!」
「はえーぞこりゃ!」
騒ぎはどんどん大きくなる。はどんどん奥に進む。家主の寝室は一番奥というのが相場だろうと高をくくって、階段を駆け上った。スカートという、動きにくいはずの服装などものともしない。どんどん見張り達を引き離していった。
最悪の場合でも、片っ端からドアを開けて見つけようと思っていただったが、最上階の廊下に、果たして目的の人物はいた。階下の異変に気づいて出てきたのだった。
「これはいったい……嬢!?」
「ヨキさん! あの火事はどういうことですか!?」
「いやはや……。なんの、ことですかな?」
訴えるの目の前で、ヨキ中尉は微かに目を泳がせてから、能面のような笑顔を見せた。その反応でもはやどう考えても、腹の中に一物を抱えている様子だ。少なくともはそう確信した。
「やっぱり…―――」
「っ、どうした!?」
尚も言い募ろうとした瞬間、怪訝そうな問い掛けが重なって、は反射的に振り返った。後方にいたのはエドワードだ。走ってきたのか、肩で息をしている。
「これはこれはエドワード殿! それがですね、今いずこかで火事が起きたらしいのですがね」
「っ!」
動きを止めたに隙を見たヨキが先手を取った。予想もしていなかった言葉に、エドワードは唖然とする。ヨキは尚も早口で捲くし立てる。
「嬢が、その火事は私のせいだと言い張るんですよね。事故だろうに。いやはや、困った」
「証拠ならあります! 火薬の臭いがしました!」
「臭い? ……気のせいでしょう。そんなもの、いたしませんので」
わざとらしく、鼻を動かす仕草をするヨキ。ははっとした。匂いというものは、時間が経てば、いくらでも風で流れてしまうということを。
「何か勘違いをされたのでしょう」
狡猾な男の言葉が、彼女の胸に冷たく突き刺さる。辺りが静まり返ったように思われた。
「オレの連れが迷惑をかけてしまったようで、申し訳ありません」
「――エド」
の背後で衣擦れの音がした。エドワードが頭を深く下げたのだ。ヨキが慌てたように返答をする。
「いえ。ご理解をいただけたのならば……」
「、部屋に戻ろう」
「でも……」
「いいから」
有無を言わせず、の手を掴んで引っ張る。視線は合わなかった。は無意識に呼吸を一瞬止める。それから力なく俯いた。始終サンダルを履かなかった白い足が、煤や埃で真っ黒に汚れていた。
(そんな……やっぱり人間って、ラスト姉さんの言う通りなの……?)
――美しいが悲観的な姉の言葉が、不意に彼女の耳に蘇った。
* * *
その翌朝、二人は連れ立って焼け跡に行った。
「行こう」
の部屋を訪れたエドワードの、どこか気まずそうな誘いからだった。
宿屋は全焼だった。まだ薄い黒煙が、辺りに焦げついた臭いをさせていた。家屋が崩れてしまったので、昨夜までの面影もない。
残骸の前で、ホーリングの妻が静かに泣き崩れていた。その様子を遠回しに見守るようにして、常連客だった者達が口々に言い合う。
「ひでぇ……」
「昨日の夜、ヨキの部下が親方の店の周りをうろついてたの、俺見たぞ」
「畜生……汚ぇマネしやがる……」
「……」
エドワードはそれらを見ていて、何事か考えているようだった。しかし不意に歩き出す。
「っ? エド?」
「兄さん?」
とアルフォンスは驚いてエドワードに呼びかける。しかし彼は振り返らない。黙ってその場を離れていく。二人も仕方なくついて行った。
ホーリングやカヤル達の姿は、あっという間に見えなくなった。
「兄さんってば、本当にあの人たちを放っておく気なの?」
腑に落ちないエドワードの態度に、堪りかねた弟が問い掛ける。何気ない言葉なのだが、は思わずびくりと反応してしまった。立ち止まる。
「エド……」
「アル」
の呟きに気づかなかったエドワードが、やっと口を開いた。目の前にある貨車に積まれた石の山を指差して続ける。
「このボタ山(※石炭以外の悪石)どれくらいあると思う?」
「? 1トンか……2トンくらいあるんじゃない?」
「よーし」
エドワードは出し抜けに貨車によじ登った。は唖然として、それを眺めている。さらに彼は言った。
「今からちょいと法に触れる事するけど、二人とも見て見ぬふりしとけ」
「へ!?」
「……それって共犯者になれって事?」
一呼吸置いて、躊躇うようにアルフォンスが言う。見当がついたらしい。には何のことだかさっぱりわからない。
「ダメか?」
貨車の端のほうにバランスよく立ち上がり、エドワードは勢い良く両の手の平を合わせた。練成のポーズだ。弟はそれにため息をついて、鎧をギシリと軋ませた。
「ダメって言ったってやるんでしょ?」
「ね、ねえエド! いったい何をするの!?」
話についていけないが慌てて尋ねると、十五歳の錬金術師は、振り向いてニッと笑った。彼女もよく知っている、自信を感じさせる表情だ。
「見てろよ、、」
辺りに練成反応の青い光が迸る。
「この落とし前は、オレがつけてやる…―――」
* * *
石をすべて金塊に変えたエドワードは、それを惜しげもなくヨキ陣の所へ持っていった。突然そんな物を持って来られて、放心している一同に向かって、さらりと伝える。
「炭鉱の経営権を丸ごと売ってほしいんだけど、……足りませんかねえ?」
「めめめ滅相もない!!」
二つ返事をする中尉に、自分名義の権利書と、「穏便に譲渡した」という内容の念書を貰い、エドワードは早々に引き上げる。
その後について行きながら、は彼に尋ねた。
「ねえエド。これじゃああの人、めちゃめちゃ得してるよ……?」
「そうはいかせねーって。まあ見てろよ」
* * *
次に向かったのは、ホーリング達の集まる場所だった。
殺風景な、薄暗い倉の中だった。何やら物騒な雰囲気の中、場違いなほどに明るい声で登場するエドワード。
「はーい皆さん、シケた顔ならべてごきげんうるわしゅう☆」
「……何しに来たんだよ」
「あらら、ここの経営者にむかって、その言い草はないんじゃない?」
「てめ何言っ……」
殺気立つ傍に居た男に、エドワードはすかさず獲得した紙切れを提示した。眼前に突きつけられて男は目を白黒させる。すぐには何も言えなかった。
「……これは…」
「ここの採掘・運営・販売その他全商用ルートの権利書」
「なんでおめーがこんな物持って……あ――――!!名義がエドワード・エルリックって!?」
「そう! すなわち今現在! この炭鉱はオレの物って事だ!!」
「なにぃ!!?」
「……とは言ったものの、オレたちゃ旅から旅への根無し草。こんなものなんてジャマになるだけで……」
相手を驚くだけ驚かしておいて、何気なくエドワードは口調を変えた。これから本題に入るのだと、もなんとなく察知する。慎重そうにホーリングが尋ねた。
「……俺達に売りつけようってのか? いくらで?」
「高いよ?」
金髪金目の経営者が、にやりと笑う。
それから彼は、権利書の価値をあれこれと説明しだした。権利書に使われている紙は高級羊皮紙で、箔押しは金。保管箱は翡翠を細かく砕いたものでデザイン。職人技。その鍵は純銀製。などなど。
「ま、素人目の見積もりだけどこれ全部ひっくるめて――」
『親方んトコで』
(あ)
ははっと耳を澄ます。不思議な彼の声が聞こえた。また聞こえた。
そして気づく。エドワードが、やりたかったことを。
「親方んトコで一泊二食三人分の料金――てのが妥当かな?」
「はは……はははは、たしかに高けぇな!!」
あまりの急展開に、奇妙に静かな部屋の中、ホーリングの大笑いが打ち響いた。そして叫ぶ!
「よっしゃ買った!!」
「売った!!」
エドワードはバンッと音を立てて、権利書をホーリングの前にある樽に叩きつけた。取引、成立だった。
* * *
「、眠らないの?」
アルフォンスに声を掛けられて、は顔を上げた。
炭鉱の権利が移って、何時間も経った。周りには、祝いで酔いつぶれて眠っている人々がいる。エドワードもその中にいた。腹を出して眠っていたので、先程アルフォンスに「だらしないなぁもう!」と愚痴られながら毛布を掛けられていた。そんなこと彼は、自覚してもいないのだろうが。
「うん。まだ眠れない……」
「びっくりしたでしょ。兄さんトントン話を進めちゃうから」
壁に寄りかかって座っているに、自らも合わせながら、アルフォンスは続けた。現在はまた夜だが、灯りで辺りは明るかった。鎧も鈍く光る。
は膝を抱え込みながらも、はっきりとした意識で呟いた。
「あのねアル。私、最初、エドがなんでヨキさんのことを責めないのか、わからなかったの」
自分の考えを整理するためにも、彼女は誰かに伝えたかった。それに応えるように鋼の錬金術師の弟は、黙って聞いている。
「責めないんじゃ、なかったね。ちゃんと仕返ししたもん。そういうやり方もあるんだね」
「兄さんのは、かなり乱暴だけどね」
「そうなの?」
思い出して彼女は、ふふふと笑った。そうかもしれない。彼が権利書を売ったあと、ヨキが血相を変えて飛んできたのだ。金塊がすべてただの石に戻っていたからだ。
ヨキは資産を失った。おまけに軍人としての資格もなくす。エドワードがヨキの「無能っぷり」を、上の方に申告するからだ。ダブルパンチである。
「私、エドに逢えてよかった。あっ、もちろんアルもだよ?」
「いいよー、そんな取って付けたセリフ」
「本当だってば。……まだ、大丈夫だよね」
「? 何が?」
「ううん、こっちのこと」
ごまかして、はこっそり考え込むのだった。昨晩思い出した、姉の言葉。彼女は、それにだけはどうしても抵抗したかったのだ。
それは、誰にも知られてはいけない想いなのだが。
「明日は、セントラルだよね? 楽しみ!」
「そうだね」
心中とは裏腹に、は明るい声を出して空を見上げた。星が視界に広がる。それはとても美しかった。
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★あとがき★
新年明けましておめでとうございまする、です。
今年は良い一年を……ヒロイン達は過ごせるといいですね(欧)
それは管理人にかかってるってか? 厳しいね!(欧U)
この回から雰囲気ががらりと変わったようで、恐縮です。
一応、あれこれ考えてはいるのですが…。まだ至らない部分がありますね。
もっと上達するよう努力しようと思います。今年の目標! イエイ!
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
ゆたか 2006/01/01