【闇で動く影】





「なっ…なんだ、どこの小僧だ!?」
「通りすがりの小僧です」
 ずずーっとコーヒーを啜りながらエドは平然に返した。

「エドっ、カヤルも、大丈夫!?」
「ああ。……当たり前だろ、やわな右腕じゃないんだから」
 駆け寄るに、エドは苦笑して付け加えた。彼女が握りこぶしを硬く作って、ひたむきに自分を見据えていたからだ。少し心配を掛けすぎたようだ。
 彼女の長い睫毛が不安げに震えている。青い宝石の瞳は近くで見るほどいつでも綺麗だった。
(いきなりで悪い事をしたかな。でも……こんな顔も……)

 しかし、安らぎの瞬間はすぐに過ぎ去る。少年の頑丈な腕による驚愕から立ち直り、怒鳴ったからだ。
「お前には関係ない、さがっとれ!」
(ちっ)
「いや、中尉さんが見えてるってんで挨拶しとこうかなーと」
 エドは内心の舌打ちを悟られないように返事した。言いながら国家錬金術師の証である六茫星の銀時計をちらりと見せる。ヨキはまた目を見開いて青くなる。

「何それ……うわーきれいな時計!」
ってときどき天然だよね」
「え、何が?」
「なにって……ホントに知らないんだ……銀時計」
 とアルがのんびりと会話を交わすうちに、室内の端の方に固まっていたヨキ達軍部チームも話が着いたらしい。さっきまでとは打って変わったような猫撫で声でエドに近寄る。

「部下が失礼いたしました。私、この街を治めるヨキと申します。こうしてお会いできたのも何かの縁。ささ、こんな汚い所におらずに! 田舎町ですが立派な宿泊施設もございますので!」
 どうするのだろうとが見守る中、なにやら考えたらしいエドがわざと明るい調子で応じた。

「…そんじゃおねがいしますかねー。ここのおやじさんケチで泊めてくれないって言うんで。ああ、でもオレだけじゃなくってこのも一緒だと嬉しいんですけどー!」
「え、私も?」
「もちろんですとも! ……いいか貴様ら、税金はきっちり払ってもらうからな!」
「あの、ちょっと」
 間髪を入れずヨキ中尉は二つ返事をすると、ホーリング達には厳しく怒鳴りつけながら二人を店の外に促した。展開についていけないは困ったようにエドを見遣ったが、彼は気にも介さない風で何も言わない。

「ぐわー! ムカつく!!」
 そして五感が鋭い彼女は、カヤルの悲痛な絶叫を耳にせずにはいられなかったのだった。



       *       *       *



「ねえ、ホントにこっちで泊まるの?」
「大丈夫だって。むしろあの場を切り抜けられてよかったじゃねえか。ほら、もう着くみたいだし」
 言いながらエドが指差したのは、大きく広々としていて、立派な建物だった。そして彼の言うとおり、一行は明らかにそこへ向かっているところだった。

(すごい建物。ホーリングさん達はああなのに……)
 中の広間に通されたエドとは、さっそく夕食にすることになった。召使いが何人も来て、白いテーブルクロスの掛かった長いテーブルに食事が置かれる。それらは建物と同様、高級なものだった。

「ささ、遠慮せずに召し上がってください」
 ヨキは二人に、特にエドの方を向いて、和やかそうに勧めた。その作り笑いの様は、軍人というよりも、むしろ商人のように見える。商談モード。いったい何を取り引きしようというのだろう?

「いいもの食べてますねぇ、街はあんな状態なのに」
「いや、おはずかしい話ですが、税の徴収もままならず困っておりますよ」
 無表情なエドが皮肉にも取れる誉め方をすると、ヨキも卑屈に感じられる応じ方をした。
(なんか、変な感じ)
 は何か気迫のようものを感じた。だが、どちらが上手なのかは判らない。他人からはあまり認識されないが、彼女は基本的に策略を練らないタイプなのだ。

「おまけに先程のような野蛮な住民も多く…。ははは、いやまったくおはずかしい」
「ち、ちょっとヨキさん! そんなのって」
「おや、どうかされましたかな?」

 あまりの暴言に耐えられなくなって抗議しようとしただが、意外にもエドに制された。軽く手で宥められ、金色の瞳の閃きを見る。青い瞳は困惑気に揺れる。

「中尉の言うことも間違ってはいない。というか、悪口だろうが陰口だろうが、中尉の勝手だろ?」
「でも」
『わかってるから』
(!)
 彼の動いていない口からあり得ない声が聞こえ、思わずは目を見開いた。その隙にヨキが口を開き、話が流れてしまう。

「どうやら嬢は、気性がお優しいと見える」
「でしょ」
「いやはや、数年後が実に楽しみだ。素晴らしいガールフレンドをもてて、さぞ幸せでしょうな」
「えっ、あ……、別にそういうんじゃっ!」
(なんだったんだろう、今の……)
 ヨキの言葉は今も許せないが、それよりもはただ戸惑っていた。口が利けなかった。初めての感覚だった。それは流星のように、繊細な軌跡を描く。

 の気持ちなど知らずに、ヨキは話を続けている。
「エドワード殿も話がわかるお方ですな。民衆の診方をされるかと思いましたが」
「『錬金術師よ、大衆のためにあれ』ですか? オレはただ単純なことを言っただけです。錬金術で考えてみると、政治と税は『等価交換』の法則に相当します。権利ばかり主張しても、納税の義務を怠っていれば世話はないです。『義務』あっての『権利』でしょう」
「なるほどなるほど。うむ、すばらしい」
 頷きながらヨキはエド達の背後の方に目線で合図を送った。何が起こるのかとは思ったが、エドの傍らに軍人が進み出ただけだった。しかしその軍人は、盆に何かを載せている。

「という事は、これも世の理として受け取っていただけますかな? エドワード殿は国家錬金術師だけあって上の方に顔がきくと思われる。ほんの気持ちですが…」
 それは、小さな袋だった。ジャラジャラと鳴る音からして、中身は金貨だろう。
「これは…いわゆる『ワイロ』というやつで?」
 嬉しさや嫌悪感を示さずに、端から見ると怪訝そうにも取れる無表情でエドが尋ねると、中尉は心なしか陰気そうに笑った。は呆気にとられてその笑いを凝視していた。

 無慈悲な目は強烈に何かを語る。
「『気持ち』ですよ。私は一生をこんな田舎の小役人で終わりたくはないのです。わかっていただけますでしょう?」



       *       *       *



 食事が終わり、とエドは隣同士の客室に案内された。やはり立派な部屋だ。
「あの人嫌い!」
 自分に割り当てられた部屋に入ったは、一人になったと意識した途端、思いっきりふてくされ顔になった。原因はまたしてもヨキ中尉だ。周りに人がいないとわかっている分、容赦はない。
「んもーっイヤイヤイヤイヤぁー!」
 ベッドに飛び込んで、両手両足をばたつかせる。うつ伏せなので声はこもった。かなり長いことそうしていたので、いつの間にかサンダルが脱げてしまった。

「……エドったら、何を考えてるのかな。ワイロ受け取っちゃうし」
 ふとそんな疑問が頭に浮かんだ。エドとはついにじっくり話し合う機会もなく別れてしまい、それぞれの部屋に入った。夜といってもまだ遅い時間ではないのだから、今から隣を訪ねてもいいはずなのだが、なんとなく躊躇われるである。

 彼女にとってエドワード・エルリックはときどき意味不明だった。先程のように、当人にしか判らない行動をやってのける。…本当は彼女自身も少し違う意味でそう思われているのだが。
 中でもついさっきの「声ではない声」は極めつけだった。には手品か魔法のように感じられた。エドは腹話術でも習得しているのだろうか? しかしそんな話は聞いたことがない。

「なんだろなー」
 呟きながらも、疲れが出たのか、そろそろと瞼が重くなってくる。意識が落ちる直前、彼女は最後に無意識に微笑んだ。
「……でも、エドなら大丈夫だよね……――――」



       *       *       *



 その頃エドも、ベッドに寝そべっていた。上着を適当に脱ぎ捨て、両腕を頭の後ろに回して仰向けになっている。ちなみに灯りはもう暗くしてあり、いつ眠っても大丈夫だ。

 彼は、はっきりとは判別できない天井を見つめながら、ポツリと呟いた。
「……もう寝たかな」
 弟のことではない。隣の部屋にいるのことだ。随分困惑させてしまったようだが、怒ってはないだろうか。

「あとで謝っておかないと」
 言葉とは裏腹に、エドは口元を微かに綻ばせた。怒っている、のキーワードで、ホーリングに店から締め出されたときのことを思い出したのだ。初めて会ってからそれなりに日数が経っていたが、怒った顔を見たのはこれまでなかった。
「笑ってたり不思議そうな顔もいいけど、……やっぱ怒った顔も……」
 そこまで考えて、一人で赤くなる。かなり深刻だ。

「あー! なに一人で何ブツブツ言ってる、オレ!」
 わざと荒げた声を出してゴロンと寝返りを打つ。まだ解いていない三つ編みが小さく跳ねる。
 その様子はそれでサミしかった。



       *       *       *



 このまま、一晩が明けるかと思われた。
 炭鉱の街ユースウェルは、夜が更けてどんどん静かになっていく。

 しかしそんなとき、事件は起きた。

 それは許されがたい、冷徹な事件だった。



       *       *       *



「ん……」
 暗闇の中は目を覚ました。目が覚める前に使っていた部屋のランプは既に油が切れている。彼女はがさごそとしながら緩慢に身を起こした。

「まだ夜ぅー? じゃ寝直そ……お?」
 再び眼を閉じようとした途端、彼女の嗅覚が何かを捕らえた。彼女の意識が完全に覚醒する。
 火薬の臭いだ。

(さっきはしなかったのに……。そりゃ軍人の家だから、おかしくはないけど)
 それにしても、どうしてこんな時間に?

 不吉な予感に囚われたは、どこから臭うのか確かめることにした。まず部屋のドアに近づいて、軽く嗅いでみる。しなくはないが、少し弱い気がした。もっと違う場所だと思われた。
「じゃ、窓から?」
 呟いて、今度は反対側の壁に走った。裸足から伝わる絨毯の感触が少しくすぐったい。
 ぴっちり閉まった窓の、木の枠に手を添える。閉じたままの状態で一旦鼻を近づけて息を吸う。眼を軽く見開いて、そのまま静かに押し開けた。

「こっち」
 視界に映った景色には、一見人の気配はなかった。しかし火薬の存在は確かにある。どこかにテロリストでもいるのだろうか。

(……この高さなら、大丈夫か)

 地面との距離を大雑把に把握したは、一つ深呼吸してから窓縁に足を置いた。準備運動もなしに飛び降りる。誤解の内容に述べておくが、「一階からではない」。

 まるで雌豹のようだった。

 途中にある建物のでっぱりを上手に使って、物音をたてずに地面に向かう。スローモーションにも見えたその瞬間、見事に着地した。無表情に立ち上がって、無言で服の乱れを直していたが、一言だけ声が口から漏れ出た。
「あ、サンダル忘れた」
 かなり間が抜けている。

(まっ仕方がないか)
 一人であっさり納得すると、は駆け出した。途中で軍人が何人か警備をしていたが、それをかわすくらい彼女には朝飯前だ。

(どっち? ドコがきな臭いの?)
 街灯もろくにない中、しっかりとした足取りでは走った。だが火薬の追跡自体はうまくいかず、袋小路に入ることが何度かあった。火薬はあっちこっちに移動しているようだ。
(……鼻が曲がりそう)
 あるいは自体の勘が未熟なのか。

 追跡は派手な形で終わった。四度目の行き止まりにあったとき、突然大きな鐘の音が鳴り始めたのだ。何回もカンカンと。
「え!?」
 一瞬わけもわからず身構えただったが、遠くで聞こえる喧騒と妙に明るい光を認識し、さっと顔を強ばらせた。最悪の状況を予想してしまったのだ。
(……まさか……)

 頭で考えるよりも先に夢中で走った。そんなはずはない、何かの間違いだと、必死で自分に言い聞かせていた。だがそこまでやっと辿り着いたとき、彼女はこう呟かざるを得なかったのだ。
「……間に、合わなかった…―――っ!」

 ついさっきまでも居た、ホーリングとカヤルの酒場が燃えていた。










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  ★あとがき★
  どうでもいい話〜♪ ゆたかは火薬のにおいは嫌いではありません。(←危ない人?)
  いや、別にモデルガンとか収集していたりしていませんけどね。花火の印象があるからかな?

  途中からヒロインが忍者みたいです。不思議ちゃんモード炸裂です(?)
  でも書いててすごく楽しかった。別ジャンルの連載ヒロインにはない魅力。あっちもいいけど。
  エドの反応は末期症状のようですね…。良きことです。あ、今「ヨキ」って言っちゃった(欧)
  いつ彼とヒロインがお互いの気持ちを知ることになるのか、私としてもまだ謎です。
  早く幸せになれるといいね!(他人事!?)

  ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
  ゆたか   2005/11/19

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