縦書きと横書きの変更
「マスター、おかえりなさい」
「ただいま」
足音を聴きつけて玄関扉を開けると、マスターはふわっと顔を綻ばせた。俺のマスターは素敵だ。帰宅後だからといって身嗜みは崩れていない。メルトンコートのボタンをきちっと留めて、背筋を伸ばして立っている。
その場で抱きしめたいと思ったけれど、早く部屋に上がりたいだろうとか着替えたいだろうとか考えてしまって、結局、鞄を受け取るために手を差し出した。
しかし、マスターは一歩こちらへ踏み出しただけで動かない。楽しそうに俺を見つめながら訊いてきた。
「カーイト、したいことあるだろ?」
「え、あ、その、」
「いいよ」
まさか気づかれたのかと、まごついていると甘やかな声が続いた。それがパルス信号のように全身を走り抜け、瞬く間に彼を両腕の中に収めていた。捕まえた肩が小さく揺れて、ふふふと笑みをこぼされた。
「俺、そんなに態度に出てしまってましたか……」
「うん、可愛いやつめ」
後頭部に手を差し込まれて、髪をわしゃわしゃと掻き混ぜられた。細く長い指が肌をかすめていく。気持ちいい。
首を傾げて顔を寄せると、マスターも自然と目を伏せた。そっと唇を触れ合わせるだけにし、そろそろ離れなければと思ったが、名残惜しくて瞼にも口付けた。
「……お風呂、支度できてます」
「ありがと。待て、な」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、耳たぶをすっと撫でてきた。こそばゆさと共に、じんわりと熱を点していく。息が詰まってうまく返事ができない。ただ頷きながら鞄とコートを受け取り、バスルームへ入っていく背中を見送った。
マスターのすること全てがとても魅力的で、恋人で居られることがいまだに夢のようだった。毎日が奇跡の連続だ。
チルアウトできるメロディーを口ずさみながら、夕方のニュースを眺めていると、風呂上がりのマスターが隣に腰掛けてきた。ほかほかと温かな空気をまとっており、良い香りがする。ショートレイヤーの髪はすでに乾かされていて毛先が少し湿っている程度だ。
「カイト」
「っ、はい。……?」
耳元で声を掛けられて胸がひゅっとなった。ぎこちなく振り向けば、マスターの左手の平が差し出されていた。何か渡すものがあっただろうか。急いで記憶を探ったが、これといった頼まれごとはなかったはずだ。どうしようと思っていると、マスターはにこにこしながらゆっくりと言った。
「お手」
「あっ、はいっ」
意味を理解してさっと自分の右手を重ねた。笑みを深めたマスターはとてもキュートだ。もしかしたら天使なのではないかと思うけれど、天使は心を惑わしたりしない。
「おかわりは?」
「はいっ……」
「いいこ、いいこ、っん……」
頬を撫でられたらもう落ち着いていられなかった。両手を捕まえて、血色のよい唇に吸い付いていた。一度、二度、見つめ合いながらもう一度。バードキスを繰り返しても足りなくて唇を食んだ。
「……わるいこは嫌いですか」
「ふふ……、……好きだ」
愉しげに目が細められ、色めく視線を注がれる。なんて芳しいのだろう。俺はあっさりと絡め取られてしまう。大事に胸に留めながら、背中と両膝に手を回した。
「肩に掴まってください」
「また連れてってくれんの? かっこいいなーカイトは」
にやりとして戯れのように言われたけれど、それでも嬉しい。この後のことをシミュレーションしながら、自室へ向かう途中、首筋にチリッと刺激が走った。マスターの唇が押し当てられている。
「痕付かない。残念」
「ああ……、本当に残念です……」
「腕に俺の名前でも刻んでもらおっか」
「いいですね、それ」
「冗談だよ」
素晴らしいアイデアだと思ったのに、マスターはくすくすと笑っていた。少ししょげていると、すっと耳に口を寄せられた。
「そんなんしなくても俺のだし」
彼が所有者であること以上の意味を感じて、抱く腕に力がこもった。彼のもとに在ること、こんなに近くに居られることに拝謝した。
綺麗に整えてあるベッドに下ろして、空調機を確認した。窓は閉まっているし、タオルはすぐに取れるところに置いてある。サイドテーブルの引き出しにはジェルもスキンも入っている。照明を少し落として、ディフューザーでマスターの好きな香りに。それから小さめに音楽も掛けておこう。
これらを一分以内に完了すると、また愉しそうな声がした。
「慣れてる」
「え……、やり過ぎましたか」
「至れり尽くせりで惚れそう」
「もっと好きになってください」
「これ以上? 死んじゃうよ」
ベッドに上がって顔を寄せると、鼻先を甘噛みされた。そのままじゃれるように脱がせ合い、すぐに一糸まとわぬ姿になった。マスターは少し白皙で端整な体付きだ。湯船で温まったからか、火照った感じはあるが中心は落ち着いている。自分だけ、すっくと反応してしまっているのが気恥ずかしい。
「……痕付けてもいいですか」
「うん、付けて」
思わず齧り付きたくなるような首筋に唇を当てて、ちゅっと吸い上げた。薄紅色に滲み出した箇所が、じんわりと色濃くなっていく。俺の愛しい人だという印が浮かび上がって、ほっと息をついた。
「どう? 見えづらいけど……、うん、上手だ、っ……」
マスターが下を向いている隙に肩を掴んで押し倒した。一瞬、驚いていたが慌てた様子もなく、目を細めて俺を見上げてくる。
彼のすべてに触れたい。持て余しそうな熱を伝わすように、胸部に指を這わせた。前回の記録はこまかに分析してある。特に反応のよかったところをじっくりと愛撫し始めた。
「っ、ん……」
白いプレートにたくさんの角砂糖が乗せられていて、次々と口に含んでいく感覚だ。どこを掬っても甘くて幸せで、もっともっと欲しくなる。
「マスター……」
「あ、っ……、あ……、んん……っ」
初めは目を伏せて声を出さないようにしていたが、体がくったりしてくると共につやめく声を漏らすようになった。肌は汗ばみ、浅く呼吸を繰り返している。良かった、気持ちよくなってくれているようだ。
気づかれないように下腹部へ移動し、膨らんだ中心を舐め上げると、掠れ声を上げて腰を引こうとした。
「や、ぁっ……、あぁっ、待っ、カイト……っ」
頭部を少し吸い上げると、ひんっと喉を鳴らしてふるふると首を振った。
「いきそう、なるから……」
消え入りそうな声でそう言うと、思い出したように口を抑えた。兎みたいに耳まで赤くしている。可愛くて可愛くてずっと眺めていたい。
だけど、むやみに辱めたいわけではないのだ。制止を振り切るのはよくないと判断して解放した。ジェルも取れるし、丁度良い。
「なんか……っ、急にうまくなった……?」
「本当ですか」
褒められて喜んでいる間もなく、とんでもない声が続く。
「どこの誰としたんだよ」
「するわけないです! 童貞ですっ」
「ふ、ははっ」
詰め寄る勢いで宣言すると、おかしそうに噴き出した。それで冗談だと分かったが、簡単に翻弄されるので困ってしまう。
「マスターのことはすべて憶えているので」
「……頭ん中、俺でいっぱい?」
「はい」
「そっか、照れるなー」
一瞬、はにかんだように見えたが、すぐにキュートな笑顔を浮かべた。
あまりお喋りしていると高めた熱が引いてしまう。クッションを敷くため背中に腕を回そうとしたら、自分で腰を上げてくれた。弓なりにしなる肢体が色っぽい。白い内腿に口付けたくなって吸い付くと、見る見るうちに赤い花を咲かせて嬉しくなった。
ジェルをたっぷりと手に取り、口の回りをマッサージし始めたが、すでに柔らかくなっているのを感じた。
「指、入れてみますね……?」
「ん……、風呂でちょっとだけ、準備したから」
思い掛けないことを告げられて手が止まった。あまり気にしていなかったけれど、言われてみるといつもより入浴時間が長かったかも知れない。
慎重に人差し指を挿し入れたが、すんなりと飲み込まれた。俺が垂らしたジェルとは別に内側がとろとろとしている。
「時間で溶けるもの入れてましたか」
「言うな、結構恥ずかしい……」
「嬉しいです……、俺のこと考えてくれて」
指を折り曲げて中を探ると程なくして胡桃を見つけた。座標軸で言い表せるほどしっかりと位置を把握しながら、くるくると刺激した。
「ああぁ……っ、そこっ……、だ、め……!」
「いいところですよね」
「あ、あっ……、ん、うー……っ」
中指も増やしてすりすりと擦りながら、少しずつ押し広げるような動きも加えた。痛くないだろうかと様子を窺うが、切なそうに目を細めて甘い吐息をこぼしている。両脚をふるわせ、粘液を滲ませる姿はあまりに扇情的で、もっと夢中になってほしいと思った。
「っもう……、いい、指……っ入るだろ……?」
視線を感じて自分の腹部を見ると、それは滴るほどに興奮していた。無茶な質量ではないと思うけれど、マスターがつらくないといい。
どこもかしこも溢れるほどに濡らした。スキンを被せた頭部を押し当て、これからマスターの中に入るんだと思うと高ぶってきた。こくっと唾を飲み下す。鼓動がどくどくと速まるのを、何度も深呼吸して落ち着かせた。
小さな変化も見逃さないようにしなければ。焦らず、ゆっくりゆっくり。少しずつ押し進めていく間、マスターは目を伏せて眉根を寄せていた。
「痛くないですか……?」
「ん……、大丈夫……」
「無理、しないでくださいね……」
「っほんと、平気だよ……、少し苦しいってか……、違和感みたいな、それぐらい……」
マスターの意識とは別に、体内は反射で押し返してくるが、それが頭部に絡み付くかのような動きをもたらして溜息が漏れた。
張り詰めた熱がじわじわと飲み込まれていく。内側は蕩けそうなほど柔らかくて温かい。腰は密着し、汗ばんだ肌が重なり合う。すべて収めきると、マスターは下腹部を見つめて小さく微笑んだ。
「すごい、これ……」
「マスタァ……っ」
彼の中に居るんだという実感が、じんと広がっていく。ふわふわして心地良いような、じっとしていられないような、えも言われぬ幸福に包まれた。嬉しくて、無性に恋しくて、高ぶる感情を抑えがたかった。
「う、っ……、く……ぅ」
「カイト……? ふ、ふっ、泣くほどいいか」
「嬉し、くて……、ごめ、なさ、マスター苦しいはず、っなのに……」
「んー……、俺も、嬉しいから」
背中に腕を回され、より密着しながらそう囁かれて、またぼろぼろと涙が溢れてきた。手を繋いだり、口付けたり、それだけでも奇跡のように思えるのに、こうして肌を重ねて繋がっている。怖くなるほどの幸せだ。
「どう……?」
「あったかくて、やわらかくて……、もう、っ……、いきそうで、」
「ふふ……、いいよ、動いて」
くらくらしながらマスターの熱に指を絡めると、予想外だったのかとっさに全身に力が込められた。その拍子に体内もきゅっと締め付けられ、痺れるような波が押し寄せてきた。抗いがたい。身を委ねてしまいたい。
胡桃を押すように突きながら、中心の筋を擦り上げると、引き攣れたような嬌声が上がった。
「っひあ、や、やぁっ……! あっ、あう……っ、ん、んんーっ」
「マスタァっ……、マスたあ……っ」
眩む視界に体液が白く飛散するのが見えて、強く腰を押し付けた。堪えていた熱が勢いよく噴射する。しばし解放感に浸って胴震いした。
「はぁ、っ……、ごめんなさ……、最後痛かったですよね……」
「大丈夫だって、カイトがすごいことするから、わけ分かんなくなった」
「良かったです……」
「一生懸命、腰振ってるのエロかった」
「……マスターもすごく可愛くて素敵でした」
「……。まあ、いいけど……、……もう一回する?」
スキンを外して処分し、マスターの肌を清めている間に、また首をもたげ始めていた中心を指摘されてしまった。理性に監視を任せたところで、反応してしまうものはどうしようもない。落ち着きたい。落ち着いてほしい。
「いえっ、治まりますから。これ以上は負担が――」
「口でしよっか」
「……! 本当にそれは、あの、一年後とかもうそれぐらいの時に――」
「そんなに嫌か。ずるいな」
「嫌じゃないです! 嫌じゃないから、だめなんです」
「ああ、それ分かるかも……。しょうがないな。じゃあ、見てるから」
「許してください」
ふふふっと楽しそうに笑い出したマスターに、ああ、この人が大好きだと改めて思いながら、俺も釣られて笑った。
MENU