縦書きと横書きの変更
「カイト、椅子」
「はい、マスター」
ガジェットを手にしたマスターは、ラグに座って俺を呼びつけた。読書をする際の背もたれが欲しいようだ。これに関しては開き直ったようで、俺が片付けなどですぐに反応できないでいると「早く来い」と催促するまでになった。作業中でも構わずくっ付いているせいで、居ないほうが落ち着かなくなったというのが彼の文句だ。
実際、それで集中し始めるので慣れとは素晴らしいものだが、うわの空のまま何も手に付いていない時がある。そういう場合、本当はレポートを書く必要があるわけでもなく、読書や仮寝がしたいわけでもない。
マスターの言葉はときどき鋭利な刃物のように思えたが、パターン認識してしまえば分かりやすかった。最近では態度も少しやわらいできたが、まだはっきりと示せないことも多いらしく、まごまごしているのでいじらしくて堪らない。裏向きに出されたカードをひっくり返せば、ハートのキングが姿を見せるのだ。
「……思ったんだけど、お前椅子してる時、退屈じゃないの」
「楽しいですよ。マスターのこと考えてますから」
「あっそ……」
「今は何がしたいのかなとか、何を思っているのかなとか」
「ふーん……」
気のない返事をして、思い出したようにガジェットに指を滑らせる。その手をやんわりと掴むと、びくっと肩を揺らした。こういう反応も愛らしい。
「俺は今、次のページに行きたいんだけど?」
考えているなら分かるだろうと含ませて、そのまま動かないでいた。
そんなに強く握っているわけではない。「邪魔すんな」と振り払われる時も多いが、今はそうしない。ただじっと俺の行動を待っている。予測はだんだん確信へと変わっていく。
「読んでいないのに?」
「読んでるよっ」
「それなら、主人公はどうしてすぐに家に戻ったんですか?」
「え……、っ……、……鍵、忘れたんだろ」
「ほら、読んでないじゃないですか」
「ページ飛ばしたかも」
「音読しましょうか」
「いらんわ」
「それなら――」
ガジェットを取り上げてローテーブルに置いた。振り返ったマスターのこめかみに口付けると、反射で避けようとする。
「おい……」
体は拘束していない。逃げたければどうぞ、という構えを見せても、彼はそっぽを向いたままだ。耳下に唇を押し当てて吸い上げると、こくっと喉仏が動いた。
「マスターのしたいこと……、してもいいですか」
「なに……、俺は本が……」
下から覗き込むようにして問い掛けると、しらを切られた。
もう何度か肌を重ねているし、夢中になっている時は堪え切れない様子で「好きだ」と漏らしてくる。その時の愛しさと言ったら筆舌に尽くしがたいほどで、望むことがあるなら何でも叶えてあげたいと思う。ただ頷くだけでいいのに、自分から誘ったような形になるのが厭なのだろう。
「佳一」
「っ……」
大事に名前を呼んで、そっと口付けた。普段はあまり呼ばないようにしている。特別な時間だけだ。それが意味することはマスターも分かっていて、これ以上知らない振りはできないようだったが、搾り出すように言った。
「そんな、ん……、思って、ない……っ」
「ふふ、……そうですね、俺の願望です」
素直になりきれないマスターの鎧が一枚、また一枚と剥がれていくさまを見るのも、今では楽しくなっていた。
「佳一の部屋に行ってもいいですか」
「勝手に行けば……」
「はい」
「あ……っ」
そっけない返事も予定調和だ。二の腕を引いて立ち上がらせた。そのまま抱き上げ、連れていくことも出来るがしない。マスターが答えを示す余地を残すためだ。指を絡めて歩き出しても振りほどかれなかった。
ベッドに腰掛け、マスターの出方を窺ったが、俺を凝視したまま佇んでいる。繋いだ手が少し汗ばんできた。複雑な感情がしがらみになって、甘えるという行為を難しくさせているようだった。
「佳一」
はっとした様子のマスターを両足の間に引き寄せ、抱きしめた。こわばるかと思われた体は弛緩し、肩に手を乗せてきた。視線はゆるがない。溶けるのではないかというほど、じっと注がれる。体を捕まえているのは俺なのに釘付けにされているような感覚だ。
「いやですか」
「……。……や、じゃ、ない」
あえて訊ねてみると躊躇いながらもそう言った。仕草や表情で分かるようになったとはいえ、言葉にしてもらえるのはとても嬉しい。たった一言で気持ちが上昇して、伝えずにはいられなくなった。
「大好きです」
「――」
口元が小さく動いた。何か発したようだが、聴覚のよい俺でも一音も聞き取れなかった。声に出していないのだ。二文字……、いや三文字の言葉だ。すべて円唇母音で「お」「え」「お」だった。二文字目はおそらく歯茎はじき音、三文字目は両唇鼻音で間違いないはず……、
「俺も?」
聞き直すように問い掛けると、さっと目を逸らした。合っていたようだ。何とか「いやじゃない」とは言えても、「大好き」に同意するのは面映ゆいらしい。ああ、もういちいち可愛い人だ。
唇をやわく食むと、ちらと舌を覗かせてすぐに引っ込めた。無意識なのかは分からないが、時々こうして誘惑してくるのでドキドキする。
舌を絡ませながら、カットソーの裾に手を差し込んだ。二本指で挟むようにして乳頭の周りを刺激していく。マスターはこそばゆいのか、もぞもぞと動くが、起ち上がったそれにはあまり触れないようにした。ほんのときどき爪でかすめると、それだけでビクッと反応した。
「ん、ッ……、は……」
眉根を寄せて身をふるわせる姿は、ずっと眺めていたくなるほど甘美だ。困っているような視線を感じたが、気づかない振りをした。
「カイ、ト……、そこ、もう……、っ」
「もう少し……、触らせてください」
「っ……」
「あ、……佳一?」
そこそこ強い力で腕を掴まれ、やめさせられた。焦らしすぎて怒らせてしまったかと様子を窺ったが、耳まで赤くして落ち着かなそうにしていた。
マスターがして欲しいことの見当はついている。ずっと胸ばかり愛撫していて、ボトムが苦しそうなのは分かっていたから。そのまま俺の手を昂りに導いて「触って……」なんてねだられたら、即座に脱がせて口に含みたい。
妄想している間にぐっと腕を引かれたため、ベッドから腰を浮かせた。
「カイト、立て……」
「あ、はい」
「目、つむってろ……っ」
「……? はい」
言われたとおりにすると、マスターの両手が腰にあてがわれた。何だろうと思う間もなく、下着ごとスラックスを下ろされたから驚いた。脱がせてくれるのは想像していなかった。だけど、これなら脱がし合う流れにできる。どんな表情をしているのか気になったが、まだ目を開けていいと言われていない。せっかくの機会だ。委ねてみたい。
「見るなよ……?」
「はい……」
念を押されて少し緊張した。鎖骨にマスターの髪が触れてくすぐったいと思っていると、猛り立った中心を掴まれた。手の感触だけではない。ぴったりと接触しているのは、おそらくマスターのそれだ。両手で一緒に握り込まれて、そのまま摩擦し始めた。
「……! ッ、佳一……?」
「ん、っ……」
不意に大胆なことをしてくるから、くらくらする。思わず目を開けそうになって、ぎゅっと眉根を寄せた。肩先に頭を乗せられているため気づかれなさそうだったが、しばらく様子を窺うことにした。この悦びの時間を噛み締めていたい。
俺も手を重ねることも考えたが、そのままでいるとマスターが俺を使って自慰をしているように思えて興奮した。
「……っ、カイト……」
ああ、だめだ。そんな切なそうに呼ばれたら。
「目を開けても……?」
返事はなく、不規則な息遣いが聞こえるだけだ。はっきりと否定はされなかったので瞼を上げると、マスターはやはり下を向いていた。二人の昂りがくっ付けられ、擦り上げられている。両手はどちらとも分からない腺液でぬれている。なんて淫靡な眺めだろう。
ぱくぱくと開けたり閉じたりしている厭らしい口を、指先でこね回した。
「あっ、あ、あぁ……っ」
掠れ声をあげながら、腺液を滲ませ滴らせた。可愛い、可愛い。
俺が見ていると分かって手を止めてしまったが、臀部を掴むと、腰を落としながらじりじりと両足を広げた。首まで薄紅色に染まっている。こうして応えてくれると本当に嬉しくて、何も分からなくなるほど気持ちよくなってほしいと思う。
二人で膝立ちになり、濡らした指をつぷっと挿し込むと、悩ましそうに身をよじらせた。
「ふ、ぅ、んん……っ」
「手、動かして、擦ってください」
「っはぁ……、あぁ……」
何を思ったのか、俺だけ握り直して愛撫し始めた。自分で弄っているのを見られたくないのだろうか。ここまで来たら同じだと思うけれど、マスターの中では恥ずかしいことなのかも知れない。
「いっしょに……」
「……ッ!」
耳に吹き込むと、ひゅっと息を呑んだ。声を気に入ってくれているのは何よりの幸福だ。躊躇する間を与えないように耳輪を食んで催促する。唾を飲み下す音が続き、再び二刀を合わせて擦り始めた。
「うう、ん……っ、あ、は……」
漏れ出る声も、しなる姿態も、色めく表情も、何もかもが扇情的だ。加えて、絡みつく手は間違いなくよいところを衝いてきて、中心はじんじんするほど熱くなっていた。
「けーいち、ベッドに……」
「あッ……」
拡げるように動かしていた指をいっきに引き抜くと、びくびくっと肢体をふるわせた。火照っているのはマスターも同じで、吐息をもらしながら唇を舐っていた。反射的に口付けていて、舌を入れようとしたところで、ベッドに上がってからにしようと思い出した。
夢中で床で愛撫しあっていたため、移動しましょうと促したつもりだが、マスターは上半身だけベッドに伏せると腰を反らせた。恥骨が突き出され、紅く膨らんだ蕾があらわになる。なんて刺激的な格好だ。
昂りの先をつんつんと押し当てると、いざなうかのように花開いた。もう早く、中に入りたい。少しずつ頭部だけ挿し入れると、きゅうきゅうと締め付けてきて、それだけで堪らなかった。
「はあぁ……、けい、ち……」
「っ、ん、んぅ……」
腰をくねらせてなまめかしい。そのまま押し進めようとして、潤滑油を足していなかったことに気がついた。興奮しすぎだ。少し落ち着かなければ。深呼吸しながら一度、繋がりを解いた。
「なんで、抜、くなよ……っ、あ……、そのっ」
「っ……!」
内部温度が一瞬で上昇してアラートすら見えた。小瓶を取り落としそうになって、とっさにその場で静止した。ときどき投げ渡される言葉は、おそろしいほどの破壊力を持っている。
「……痛くないですか」
「い、たくない、から……、……っ、カイト……」
上擦った声が耳をくすぐる。顔を覗き込もうとしたら、懸命に両腕で隠そうとした。うなじに口付けると小犬のようにふるえた。
「言ってください」
潤滑油をたっぷりと垂らし、再び花弁をつつくと、喉を鳴らして搾り出すように言った。
「……、お、く……、こ、すって……、っ……」
「仰せのままに」
マスターの声が全身に染み透って俺を支配した。この体も手足も目も口もすべて彼のためにある。それが喜ばしくて愛しくて、深く打ち付けた。
「あっ、あう……っ、はあ、あぁっ」
「っけいいち……、愛してま、す……、っ、愛、して」
「んっ、あ、ぁ、てる……、す、き、……きぃ」
短く吐露されるたびに、内側が熱くうねって絡み付いてきた。堪らない。言葉にすることで、より高ぶらせることに気づいているだろうか。そうして我を忘れるほど気持ちよくなってしまえばいい。
「ッかぁいと、……っく、……い、きた……っ」
マスターは熱に浮かされた様子で、俺の方に首を回した。息を荒らげながら、ちろちろと舌を覗かせて上唇を舐っている。ああ、口付けたい。煽るのがうますぎる。マスターが情欲に素直になったら、俺は白旗を振るしかないことを知るべきだ。体を起こさせて唇を食むと、舌を差し出してきた。
「んう……、っふ、あ……、ひぁッ、あ、あ……っ」
だらだらと濡らしている中心を握り、親指で先端を擦り付けると、白濁が弾けるように飛散した。ひときわ強く締め付けられて一瞬動けなくなった。
「う……、く……っ」
じんと熱くて目眩すら覚える。どうにか遣り過ごして昂りを引き抜くと、マスターはぶるぶると身震いした。
力の抜けた体を持ち上げ、二人でベッドに乗り上げた。ぼうっとしているマスターを正面から抱き締めると、決まりが悪そうにしながらも背中に腕を回してくれた。
「腹にあたってんの……」
「佳一が誘惑するから」
「っしてない……」
「はぁ……っ、けーいち、可愛いです」
「こするなバカっ……」
「ずっと、顔、見たくて……、我慢した、んですよ」
「……いいから、しても……、つづき……、すれば……」
細く掠れた声で途切れ途切れに発した。熱に任せて口走るよりも気恥ずかしいようだ。甘い蜜に誘われて、片膝を掬い上げると横を向いてしまった。
また潤滑油を足して蕾をつつくと、すぐに反応して吸い付いてきた。
「これ……、いやらしいです……」
「っなに、うるさい……」
頭部を押し込み、口付近で出し入れを繰り返していると身をよじらせた。
「も……、それ、やだ……」
「……奥が、いいですか?」
「知らないっ……」
素面だとやっぱり素直に言えなくなってしまうんだ。可愛い。何をやっても可愛くて仕方ないから、もうお手上げだ。
ぐぐっと奥に挿し入れると、マスターは切なそうに眉を寄せた。
「あぁ……、はあ、けーいち……」
「ん……、うん……っ」
「気持ちいい、どうか、なりそうです……」
「うん……、いいよ……、なっ、て……、っは、あ……」
「け、い……、ち……、っ……」
もういきそうだと告げようとした途端、マスターが腰を押し付けてきた。ああ、抜かなくていいんだ、出していいんだと脳が理解するより先に、どくどくと熱を溢れ出していた。
「あ、あ……っイ、って……、けい……っ」
「っ……、は……、カイトだって――」
マスターが何か言ったが、心地よい波に飲まれて掻き消えた。髪に指を差し込まれてくしゃくしゃと掻き回されている。伝わる感触すべてが幸せで、愛しい人を強く抱きしめた。
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