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歌声が気に入って、一人暮らしは寂しいからと気軽に迎えた。犬や猫と違って留守中に心配しなくていい。友人や家族のように話が出来て、家の事も手伝ってくれる。〈彼ら〉は人間の生活に根ざしたパートナーだったが、形式上はAIを搭載した〈物〉、細かい区分でオートマタの扱いになる。俺はその所有者という立場で、カイトも俺の事を〈マスター〉と呼んでいる。
彼をただの人形や機械のように思った事はない。だからこそ、ある感情を抱くようになってから、人格のない楽器だったらこんなふうに悩む事もなかったのでは、と考えてしまっている。
「休憩ですか? 俺がやります。マスターは座っていてください」
喉が渇いて自分でコーヒーを淹れようとしたけれど、カップを手に取った所でカイトに止められた。さっきまで自分の部屋に居たはずなのにタイミングの良いやつだ。返事もせずにローテーブルの前に腰を下ろすと、程なくしてミルク入りのコーヒーが持って来られた。最初は「勝手にミルクを入れるな」と注意していたが、今ではもう諦めている。
黙々と飲んでいると、片付けを終えたカイトが話し掛けてきた。
「マスター、歌を聞いてもらえますか」
柔らかな笑み。じっと注がれる視線。いつからか、俺に向けられる言葉や動作のひとつひとつが気になって仕方ない。感情は日に日に膨れていく。
「……気分じゃない」
「そうですか……」
カイトは俺の返事に残念そうにしながらも、やめるつもりはないのか、独り言みたいに口ずさみ始めた。
「俺の聞こえる所で歌うな」
「え……」
「聞きたくない」
「……」
今までこんなにはっきりと歌をやめさせた事はない。口を噤んだカイトにほっとすると同時に罪悪感もあった。歌う事がアイデンティティのアンドロイドに酷い事を言っている。だけど聞くのが怖い。これ以上、俺の心を奪うのはやめてくれ。
リビングを出ていくかに見えた姿は、テーブルの横をすり抜けて直ぐ方向転換した。嫌な予感がして振り返った時には遅かった。
「……おいっ、嫌がらせか!? 公園でも行って歌ってくればいいだろっ」
さっと後ろに座ったカイトは、俺を抱え込むようにしてくっ付いてきた。前にもされた事がある。その時は、自分は背もたれだと主張してきたが、今日はシートベルトまで付いているようだ。腰に回された手のせいで身動きが取れない。コーヒーを受け取ったら、さっさと自室に下がれば良かった。
「歌うのは好きです。でも、貴方に聞いて貰えなければ意味がない」
耳に触れそうな程、近くで声がする。落とされた声音は囁くかのようだ。男相手にバカみたいだなんて考えても、心臓はとくとくと速まって言い訳が出来ない。
「分かった、聞いてやるから離せ」
頭突きを食らわせたくても上手く力が入らず、寄り掛かるような体勢になってしまった。ああもう。シートベルトが胸元まで絡み付いてきた。こんな気ままな椅子があるか。江戸川乱歩より恐ろしい。
「嫌々聞いてほしくはありません」
「何なんだよもう! 離せよ、うっとうしい……!」
暴れて振り解こうとした途端、背中の支えが無くなって後ろへ倒れ込んだ。天井が回る。
「うあっ……」
床に頭をぶつけると思って首を縮めたが、衝撃は訪れなかった。
「マスターが素直じゃないのは分かっているつもりです」
後頭部にあるのはカイトの手のようだ。乗られているのだろうか、足の上が重い。起き上がろうと力を込めても、磔にされたみたいに動けない。
「だけどやっぱり、聞きたくないと言われるのは悲しいです」
覆い被さってくる気配。視界が藍色で埋め尽くされる。もっと警戒するべきだった。一瞬、憂いを帯びたかに見えた表情は、直ぐに捕食者のそれに変わった。
「……! おい……、カイトっ!」
俺を組み敷いたカイトは、そのまま首筋に口付けてきた。味わうかのように舌が這い回る。生温い感触。匂いが近すぎて息が詰まりそう。
「バカっ……! 自分が何やってるか分かってんのかっ!?」
「はい」
「はいじゃねーよ! 溜まってんなら一人でやれっ」
過剰なスキンシップをしてくる事はあったけれど、今日はそれを越えようとしている。ぶんぶんと頭を振るとカイトの動きが止まった。ゆらりと顔を上げて、熱っぽい声で言う。
「俺、貴方の事が好きです」
「……っ」
真っ直ぐに渡される言葉。透き通るような碧眼がじっと見下ろしている。どうしてそんな迷いなく言えるのだろう。
「……俺、男だけど?」
「好きな気持ちに、男性だとか女性だとか関係ありません」
カイトはきっぱりと言い放った。高くて大きな壁に見えたそれを軽々と乗り越えてしまう。最初から壁なんてなかったかのようだ。照明は彼に隠れて見えないのに、目の眩むような眩しさを覚えた。
「分かって貰えましたか」
言い終わると共に、服の裾から手を侵入させてきた。話は終わったと言わんばかりだ。押さえ付けられているせいで、ろくな抵抗が出来ない。
「おいっ……! やめろよっ……、俺は好きじゃない……!」
この期に及んで、俺は正反対の声を上げた。そんな簡単に言えるわけがない。理性や観念やプライドが先立って、感情から目を背けさせた。
「マスターが好きだと言ってくれるまでやめません」
「は……!? ……っ、……!」
綺麗な顔が間近に見えてとっさに目を瞑ると、唇に柔らかな感触が降ってきた。顔を背けようとしてもほとんど動けない。ぎゅっと引き結んでいたけれど、わき腹をくすぐられて舌の侵入を許してしまった。本当の暴漢に襲われているなら、噛みちぎってやったのに。カイトにそんな事は出来ない。
「ん……、ふ……」
絡まされる舌が気持ちよくて息がもれてしまう。正直な体がいとわしい。ちらとカイトを窺うと、碧眼に見つめられていて心臓が飛び跳ねた。キスの最中に目を開けているのはずるい。人の事は言えないけれど。顔が赤くなっているような気がして居た堪れない。
「……コーヒーの味がしました」
ゆっくりと口を離したカイトはどうでもいい感想を言いながら、俺の服を捲り上げた。
「やめろって……!」
両腕を上げさせられてするすると脱がされていく。俺だって男なのに全然、力で敵わない。たやすく肌を晒された挙句、服で両手首を縛られてしまった。ああ、強姦されるってこんな感じなんだろうか。
押さえ付けてくる力の強さに相反して、胸を弄り始めた手は驚くぐらいに優しかった。指でくにくにと捏ね回されているうちに、じわりじわりと熱を持っていく。逆らう術もなく、ぴんと張り詰めたのが分かった。
「触んな……っ、きもちわるい……」
虚勢を張って睨み付けると、カイトは薄く笑いながら顔を寄せてきた。さらさらの髪が頬を撫でていく。耳たぶに口付けられて息を詰めると、そっと告げられた。
「……乳首、起ってますよ?」
「っ……、寒いから……」
「それなら、こっちは」
「あっ……、やめ……っ」
言い訳も空しく、中心の熱をするりと撫で上げられて腰がふるえた。こういう時に男は嘘を吐けないから困る。強姦まがいの事をされて起たせてるなんてパラフィリアだ。
「気持ちいいんですよね」
「よくない……っ、いやだっ……」
恥ずかしさでどうしようもなくなって、無意味に否定を続けた。
カイトは体重を移動させながら、片手で器用にスラックスを脱がせてきた。這い出そうとしても隙がない。残る下着も直ぐに取られて、守るものが何も無くなってしまう。神様――。こんな時だけ祈っても助けてくれるはずがないんだ。
腕を押さえ付けていた手が退けられても、直ぐに腰を高く持ち上げられて身動き出来なかった。なんて格好をさせるんだろう。見ていられなくて不自由な両手で顔を覆うと、ひやりとした感触が下腹部を伝った。
「……っ、なに、やめろよ……」
「潤いです」
おそるおそる様子を窺うと、カイトはいつの間にか小瓶を持っていた。どろどろとした液体がたっぷりと体に垂らされていく。潤滑油だ。
「何で持ってんだよ……」
「いつ押し倒そうかって、考えてましたから」
にっこりと笑いながら恐ろしい事を言う。いつもポケットに忍ばせていたのか。カイトにも支配欲や征服欲のようなものがあるのだろうか。
「……俺の事、支配したい?」
「もう少し素直になってくれたらなと思います」
そう言いながら、俺の後ろをふにふにと弄って、ゆっくりと指を侵入させてきた。異物感。逃げようとする腰をカイトが許さない。
「……っ、ん、く……」
丁寧に出し入れを繰り返しながら、ほぐすように中を掻き回される。指の抜けていく感触が、じわじわと気持ちよくなってきて首を振った。内側を探っていた指がある所に触れると、比にならない痺れが走り抜けた。
「んんっ……、は……っ」
「ここですね」
呟く声がしたかと思うと、指を増やされて交互にそこばかり突いてきた。だめだ――。抗えない。
「や、め……っ、あ、あ……!」
腹の底から湧きあがってくる。感じた事のない気持ちよさに翻弄された。一瞬、達したような気がして薄っすらと目を開けると、透明な液に混じって白濁が少し飛散していた。こんなのは知らない。
三本目の指を挿れられてひたすらに撫でられた後、一気に指を引き抜かれて体が跳ねた。カイトのする事、全てに反応してしまう。腕を引かれ、起き上がると、カイトは背後に回ってきた。足枷がなくなったのに、無理な体勢でいたせいで体が上手く動かない。まだ中に指が残っているような感覚さえした。
「こっちに来てください」
抱き上げられるようにして立ち上がると、腰に腕を回された。ゆるやかな拘束だ。カイトが歩き出せば、俺は押される形になって一緒に歩かされる。衣服も纏わず、手首は縛られたまま。一体どこの囚人だろう。
洗面室まで来ると、カイトは俺の体を屈ませ、床に手を付けさせた。四つ這いの体勢だ。そのまま顔を上げて戦慄した。どうしてわざわざ移動してきたのか。目の前には、床まで届く全身鏡があった。
「目を逸らさないで、ちゃんと見てください。マスターが犯されてる所」
劣情を宿して形を成している自分の姿が映し出されて、羞恥に染まった。膝立ちになったカイトは足の間に割り入ると、熱を侵入させてきた。
「う、あ……、あ、っ……!」
奥深くまで飲み込まされていく。繋がっている所が火を灯したみたいに熱くなった。カイトのものにされる感覚。恐怖と愉悦が入り混じっている。
緩々と動き出したそれは、指よりずっと強い快楽を引きずり出した。
「あ、ぁ……っ、あ、う……っ」
杭を打ち込まれるたびに背中がしなって、抜けていくたびに両足がふるえる。『ここ』と言われた所をぐりぐりと抉られると、どうしようもない程、気持ちよくて声を抑えられない。洗面室に膝をついて、動物みたいな格好でカイトに貫かれて善がっている。殻を無くした俺はこんなに卑しいんだ。
「好き……、マスター、好きです……」
「ん……っ、は、ぁ……」
うわ言みたいに繰り返される言葉。好きだと言われるたびに体が反応して、カイトをきゅうきゅうと締め付けていた。
「……っ、マスター……?」
「違う……っ」
とっさに否定をしたって意味がない。気づかないはずがないんだ。隙間もない程、深く繋がっているんだから。
「……好きです」
カイトは俺の反応を窺うように何度も口にした。
「やめろっ……」
「大好き、愛してます」
「ち、が……っ、はあぁっ……」
中が波打っているのが分かった。腹の奥が熱い。じんと広がる甘い痺れに全身がふるえた。
「そんなに、締めないで……ください、マスター」
「知らな……っ」
「俺の事、好きなんですよね。嬉しいです」
「好きじゃないっ……」
恥ずかしい。恥ずかしい。どんなに正反対の事を言ったって体は夢中で反応する。暴かれていく。何もかも。
「……俺にこんな事されて、嫌ですか?」
カイトは動くのを止めて、わざとらしく聞いてきた。
「いやだ……っ、やめ……、あ、ぁ、う……っ」
「説得力ないですね……」
否定の言葉を口にした途端、ぐりぐりと内側を抉られた。ずるい。鏡越しに睨み付けると、カイトが挑発的に笑むのが見えた。そんな顔するのか。初めて見る表情にぎくりとする。
「マスター、後ろだけでイけますか?」
「え……」
「自分で弄れませんよね」
「……っ」
言わんとしている意味を理解して、一瞬で焦り始めた。後ろだけでなんて無理だ。指で弄られた時は少し零してしまったけれど、昇り詰めるには至らなかった。今なお、散らし切れない熱が体内で渦巻いて解放を求めている。
「マスター、俺の事、好きですか?」
今度はにこっと笑いながらそう言った。もう分かっているくせに、わざわざ質問してくる。言わせたいのだろう。天秤がぐらぐらと揺れて、理性と快楽の狭間を彷徨っていた。
「素直になったら楽になれますよ」
誘う声。時々、素直じゃないと評してくるカイトは、俺の言葉をどう受け止めてきたのだろう。いつだか分からないけれど、潤滑油をポケットに忍ばせるようになった時から気づかれていたのかも知れない。
今更、取り繕ったって仕方ないだろう――? 頭の中で悪魔が囁いた。
「……き」
たった二文字。上手く言えないのは喉が渇いているせいだ。
「聞こえません」
「っ……、す、き……」
カイトが好き。認めた途端、全身が火照ってどうしようもなくなった。真っ赤になっているのが鏡を見なくても分かる。
「やっと言ってくれましたね」
「あ、う……っ、いやだ、もう……っ」
あの場所を擦られるたびに中心が濡れるのが分かるのに達せない。涙が込み上げてきて、手首を縛られている服に顔を押し付けた。
「……それで、どうして欲しいですか?」
まだ言わせる気か。憎らしくなりながらも、眼前にちらつく快楽を手繰り寄せたくて声を上げていた。
「さ……、さわ、って……、かいと……っ」
「はい、マスター」
「あ、あぁあ……っ」
畏まりましたというように丁寧な返事がして、中心を握り込まれた。無意識に腰を揺らしてしまって、みっともない。そのまま搾り取るように摩擦されると、解放を待ち侘びていた熱が一気に溢れ出した。大半はカイトの手が受け止めたようだけれど、勢いが良すぎて腹と腿まで汚していた。
「気持ちよかったですか?」
「……」
脱力して倒れ込もうとする体を引き止められた。言いたくない。見て分かるだろう。落ち着きを取り戻してきた脳内に、あらゆる痴態がフラッシュバックする。恥ずかしくて死んでしまいたい。
「マスター、どうして俺の歌、聞きたくないなんて言ったんですか」
「……」
不意に、ほとんど忘れ掛けていた事を問われた。まだ気にしているようだ。黙ったままでいると、もう一度呼ばれた。
「マスター」
「っ……! 待っ、あ、う……っ」
動きが止まっていたから、まだカイトに繋がれているという意識が飛んでいた。敏感になっている中心を擦られながら、内側を突かれて喉が鳴る。
「また起ってきましたね」
「うるさいっ……、あ、っあ……!」
カイトは体を折り曲げて顔を寄せてきた。より深く貫かれるような感覚が襲って、逃げを打とうとする体を押さえ込まれる。
「俺の声、嫌になったんですか」
「っ……、いや、じゃない……」
「それなら意地悪言わないでください」
少し困ったような声が言う。好きだから聞きたくないなんてカイトには分からないだろう。好きになり過ぎるのが怖いだなんて。
「俺は、男で……、お前のマスターなんだよ……」
「はい……?」
「なのに、こんな事されて、んっ、ん……」
「嫌ですか」
「……」
すっかり形を成した熱を弄びながら聞く事か。否定も肯定も出来ずにまた黙ると、カイトは俺の口真似をした。
「いやじゃない?」
撫で擦っていた手を離され、内側を掻き回されると、だらしない体が音を上げてこくこくと頷いていた。
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