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 誕生日だとか記念日だとか、これといって特別な事はない休日の朝だった。強いてあげるなら、さっきニュースで『仕事も恋愛も絶好調! ラッキーカラーはブルー』とキャスターが陽気に言っていた事ぐらいだが、マスターは占いなんて信じちゃいない。自分の星座も知らないぐらいだ。
 朝食で使ったボウルもグラスも食洗器に突っ込み、特にやる事がなかったカイトは、ガジェットを片手にソファで寛いでいた。ビルボードで最新情報を確認した後は、ブックマークを順に閲覧するのが日課だ。マスターの欲しがっていたソフトウェアが割引になってるのを見つけて、あとで教えてあげようと思っていると、ちょうどやってきた彼は唐突に宣言した。

「今日は一日、カイトの下僕になる」

 ラグに正座してそう言ったマスターは、とても良い笑顔を浮かべていた。
 突拍子もない言葉に驚いたカイトの手からガジェットが滑り落ちた。毛足の長いラグが音もなく受け止め、室内は一瞬、しんと静まり返った。

「え……、ど、どうしたんですか、マスター……?」

 カイトの動揺は色濃く、自分も正座しようとしてラグに膝を突いた途端、「痛っ」と呻き声を上げた。ガジェットを踏ん付けそうになって慌てて拾い上げたが、特にダメージはなさそうだ。大体、今はそれどころではない。ソフトウェアが15%引きになっている画面もそのままに、ガジェットをテーブルに追い遣ってマスターの様子を窺った。

「いつもして貰うばっかりだし、俺も何かしたいなって」

 穏やかな休日の始まりを一変させた当の本人は、普段カイトに「何か歌って」とか「どっか遊びに行こ」と言う時と同じテンションで説明した。

「それは嬉しいですけど……、下僕ってそんな極端な……」
「俺をこき使えるんだよ? 嬉しくないの?」

 マスターは気さくな人でカイトに尊大な態度を取ったりはしないが、時々、無理難題をふっかけてくる。所有者という意味ではカイトは従う側だったが、下僕のように扱われた覚えはないし、不満なんてなかった。

「いつも好きでやってるだけで、こき使われてると思ってないので……」
「えー……」

 不満そうなのはむしろ、カイトの殊勝な返事を聞いたマスターだ。
 いたずらが失敗した時のような顔をする彼に、カイトは「あっ」と思い当たった。以前、マスターがくれたアイスクリームにレッドペッパーが入れられていた事があった。あまりの辛さにさすがに怒声を上げたら、心底嬉しそうにしていたのだ。彼は結構、子どもっぽいところがある。

「……マスター、下僕ごっこがしたいんですね」
「あ、バレた? だって面白そうだろ」
「うーん……」

 何も下僕にならなくてもいいのでは、と難色を示すカイトに、マスターは仕方ないなと呟いて立ち上がった。

「じゃあ、命令だ。カイト。俺を下僕にしろ」

 膝を突いているカイトを見下ろして、主人らしく言い放った言葉は矛盾していた。

「ふっ、は……! そんな命令聞いたことないですよ」
「新しいだろ? ほら、してほしいことは? 俺に命令して、カイト」

 ソファに戻れというように腕を引っ張られたカイトは、マスターに従って遊びに付き合う事にした。
 しかし、下僕にするような命令なんてまるで思い付かない。掃除も洗濯も普段からやっているから部屋も綺麗だ。わくわくして命令を待っているマスターに困って、ひとまず無難な頼み事をしようと思った。

「……アイスクリームを取って来てください」
「はい、カイトさん」

 今度、スパイスを入れてきたら何て叱るのがいいだろう……、あれこれ考えながらリクエストしたカイトは〈さん〉付けで呼ばれてびくっとした。
 楽しそうにキッチンへ向かったマスターは、直ぐにカイトの一番好きなバニラアイスを取ってくると、ラグに正座して差し出した。命令どおりにアイスクリームだけだ。

「あの、スプーンもお願いできますか……?」
「そこは『普通は一緒に持って来るだろ。役立たず』って罵るところだ」

 遠慮がちに言うカイトに、マスターは手本のようにして言ってみせた。確かに気は利いていないがそこまで言わなくても、とカイトは思ったが、だからわざとスプーンを持って来なかったんだなと分かった。

「……罵られたいんですか?」
「下僕ですから」

 自ら罵られようとする下僕はそう居ないだろうと思っていたが、そういう趣味の人が居るのは否定できないし、何より今、目の前で素敵な笑顔を浮かべている彼がそうしたいようだった。本来、彼は〈マスター〉だ。カイトは倒錯した感情を覚えた。

「……。……それなら指で、食べさせてください」
「はい、カイトさん」

 カイトの中では無茶な要求をしたつもりだったが、軽く頷いたマスターは早速、カップの端から指を突っ込んで抉り出そうとした。

「……っ、冷た……」

 冷凍庫から出してきて3分と経っていないアイスだ。掴んでいる手の熱で縁の部分は少し溶け始めていたが、指で掬い出すのは容易ではない。

「スプーンを持って来なかったマスターが悪いんですよ」

 意地悪く言ったカイトは内心ハラハラしていたが、言われたほうは一瞬、口元を綻ばせた後、直ぐに顔を引き締めた。

「はい……、どうぞ」

 人差し指と親指でどうにか掬い出せた分が、カイトの口元へ運ばれた。ほとんど溶けている。指ごと口に含まれて吸い上げられたマスターがうっとりと微笑んだ。

「ん……。……溶けたアイスなんか寄越して嫌がらせですか?」

 カイトは『使えない』というように、アイスで汚れた手をぴしゃっと払い除けてみせた。こんな粗暴な振る舞いは初めてだ。マスターは「ごめん」と小さく謝りながら、鼓動がどくんどくんと跳ね上がっていくのを感じた。大好きな声が刺すように冷たいのに、心地良く響いて、もしかして自分は被虐的な嗜好があったのかなと思わせた。

「もういいです。今度は口移しで食べさせて」
「はい、カイトさん」

 アイスは先程よりだいぶ柔らかくなっていて、カップの端を利用すれば、舌で掬い上げるのもさほど難しくなかった。夢中で舌を動かしている間に顎と頬を汚していたが、下僕っぽくていいかもと気にしなかった。
 カップを手に持ったまま、カイトの膝に乗り上げたマスターは、冷たい唇にそっと口付けた。絡み合った舌があっという間にアイスを溶かしてしまって、甘い香りと唾液だけが口内を行き来していた。

「んっ、ん、ぅ……」

 欲を浮かべた黒目にカイトは捕えられ、いつもの調子でマスターの胸に手を這わせようとしたが、今日は自分が主人だったと思い出した。肩を押して距離を取らせようとすると、マスターは大人しく身を引いて、カップをテーブルに置こうとした。

「置かないで。俺にください」
「はい……」

 カップを渡して正座に戻ったマスターは、次の指示を待っているようだった。キスの余韻で息を上げたまま、じっとしている姿は驚くほど健気だ。カイトは愛らしいとは思いこそすれ、嗜虐心は湧いて来なかったが、下僕に徹しようとしているマスターの期待に応えたいと思った。

「したいですか?」

 こくっと頷いて素直に答えるマスターの可愛さといったら。カイトは早くも、ぐらつきそうになったが心を鬼にして言ってみせた。

「それなら、その気にさせてみてください。俺はアイス食べてますから」

 にこっと笑い掛けた後は、知らん振りを決め込んで舌で食べ始めた。
 マスターは吸い寄せられるように、カイトの膝の間に割り入り、ボトムを寛げさせた。兆し始めている熱を見つけるとうっとりとして、直ぐに口に含むと愛撫を始めた。

「あ、ふ……、んっ、ん、ぐ」
「ッは……」

 尖らせた舌が弱いところを的確につつき、吸い上げて、カイトは熱い息をこぼした。早くアイスを食べ終えておかないと、飲み物になってしまうかも知れない。
 程なくして硬さも大きさも申し分なくなると、口を離したマスターは、あろうことか頬ずりした。その姿はあまりに純粋で、ただただ屹立した雄に夢中になっているようだった。

「……!」

 カイトは驚きすぎて嬉しいなんて思う余裕もなかった。頭の中でまさかと否定しようとしても、今なお、続けられようとしている光景は見た事もない程に淫猥だ。思わず、マスターの髪を掴んで引っぺがしていた。

「痛っ……」

 上がる悲鳴にカイトは咄嗟にごめんなさいと言いそうになったが、ぐっと堪えた。まだ半分ぐらいアイスの残っているカップをテーブルに放って、次にすべき事を伝えた。

「自分で慣らせますよね? マスター」
「は……い……」

 マスターは自分でも想像していなかったくらい興奮していて、浅い呼吸を繰り返しながら、何度も唾を飲み下していた。普段優しくされている分だけ荒々しい振る舞いは際立ち、垣間見える雄の姿に、得も言われぬ劣情を覚えた。
 ふらふらしながらジェルを取って来たマスターは服を脱ぎ捨てて、ソファに手を突いた。足を広げて、たっぷりと濡らした指を迷う事なく後ろに挿し入れると、拡げるように動かしながらカイトを見上げた。顔も耳も真っ赤だ。『その気にさせる』というのを実践しているようだが、さすがに羞恥心が勝るようだった。

「く……、んんっ、あ……っ」

 堪えかねたのか途中で目を伏せ、俯いてしまったが、あまりに扇情的な姿に先に顔を背けたのはカイトだ。この後、まだやって貰おうと思っている事があるのに、直ぐにでも押し倒して貫いてしまいそうだった。

「カいと……さ……」

 まだ許して貰えないのかというように細々と呼ぶ声に、「いいですよ」という返事がした。
 マスターが薄っすらと目を開けると、手招きしているカイトが居た。中央で形を変えている熱量に、どうしようもなく体が疼いて、ああ早く挿れてほしいと思った。
 カイトの膝に乗り上げ、首に絡み付いたマスターは喘ぐように息をしながら問い掛けた。

「挿れていい……?」

 耳を甘噛みしながら言うマスターに、これ以上お預けを食らわせる忍耐力はカイトにはなかった。普段、がっついてしまうのはカイトのほうなのだ。触れてもいないのに熱を上げているマスターを突き放して、一体、何をさせればいいというのか。我慢比べで敗北するのは目に見えていた。

「どうぞ……」

 カイトは動かず、勝手にしてくださいというように身を投げ出した。
 これでも今日は本当に辛抱している。あられもない姿を見せるマスターを愛したくて堪らなかった。

「あ、ぁ……、んっ……ぅ」

 許可を貰って息をこぼしたマスターは、カイトの熱を掴んで自ら腰を落とし始めた。欲しい、欲しい。気持ちは急いていたが、じわじわと侵食していく感覚が全身を支配して、なかなか進められないようだった。

「まだ半分です。マスター」
「んぐっ……、あ、あぁっ」

 重力の助けを借りて一気に腰を下ろすと、一瞬の衝撃の後、爪先から痺れていくような感覚がぞくぞくっと湧き上がった。背筋を突き抜けていくそれは痛みではない。中心の熱から透明な体液がとろとろと零れ出した。

「よくできました」
「あうっ……、んっ、んく」

 カイトがご褒美のように一度だけ突き上げると、マスターはびくびくと体をふるわせてそのままへたり込んだ。まだ達してはいないけれど、全身がふわふわして力が入らないようだった。

「挿れただけですよ。自分で動いてください」
「ん……っ、は……ぁ、ハ……」

 息の乱れたまま落ち着かないマスターは、ゆるゆると首を横に振った。

「ごめ……、うごけない……」
「恥ずかしいですか……?」

 目に涙を溜めながら訴えた言葉は弱々しく、いい加減、自分だけ動いている事が厭になったのかとカイトは思った。

「違、て……、……き、もちよすぎて……、動けな……」

 目を伏せた拍子に、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。中はヒクヒクと反応して次の刺激を求めていたが、膝が立たなかった。
 カイトは何て可愛い事を言うのだろうと思ったが、もう少しだけ辛抱してみる事にして冷たい言葉を投げ掛けた。

「……そ、れなら……、ずっとこうしてるしかないですね」
「うぅ……、っ……」

 マスターは何とか腰を動かそうとしたが、前後に少し揺らすぐらいしか出来なかった。欲しいのはこんな刺激じゃない。暴れる熱が早く、早くと急き立てたが、どうにもならなかった。
 取り乱したマスターは、カイトと繋がっているにも関わらず、両手で自らを握り込むと、上下に擦り始めた。散々、後ろでイかされてきた体には全然足りなかったが、何もしないよりはマシだった。
 理性を失くして自慰に耽り始めたマスターに、カイトは興奮した。自分で扱いているところを見るのは初めてだ。後ろを慣らすのも一人でやって貰ったが、あれは指示したからだし、『その気にさせる』という大義名分があった。だけど、今はどうだろう。欲に溺れたマスターが、自らこんな姿を晒している。興奮しないはずがなかった。

「自分だけ良くなろうとして」
「あっ、や、カイトっ……!」

 カイトが手を掴んで止めさせると、マスターは半狂乱になって悲鳴を上げた。〈さん〉付けするのなんてとっくに忘れている。マスターは真っ赤になりながら、カイトの耳元でとっておきの甘い声を出した。

「おねがい……、カイトので掻き回して、ぐちゃぐちゃにして……」
「ッ……」

 ずくんと腰が疼いて、カイトは求められるままに突き上げていた。
 ほら、我慢比べは敗北だ。マスターに敵ったためしがないのだ。

「あ、ああっ、ん、はぁっ……」
「涎垂らして……、汚いですよ? マスター」
「ッん、ん、きもち、い、くて……」
「これ……ないと、マスター、イけないんです、ね」
「カィ、が、そうした、ん……、俺は、カイトの――……ッ」

 言葉は嬌声に飲み込まれた。マスターは痙攣したみたいに小刻みに体をふるわせた。ぴ、ぴっと二度に渡って熱を溢れ出させ、互いの腹を濡らした。体内は荒波のようにうねって、マスターの中が熱情で充たされた。
 下僕になんてならなくたって、とっくにマスターはカイトのものだ。カイトは与えられるばかりではなく、与える事も出来ていたのだとはっきりと感じた。
 今日はまだ始まったばかりだ。あと何回、知る事が出来るだろう。気を失ってしまったマスターを抱き締めながら、未来に思いを馳せた。



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