――赤い――
――熱い――
――同じ顔が天へと手を伸ばす。まるで助けを求めるかのように。
――口を開き、何かを発する。だが、虚しく周りの音にかき消される。
――同じ顔が全て赤い地面に沈み……
――――そして、僕だけが残された。
暗闇の中、少年が飛び起きる。汗で張り付いた前髪。激しい動悸に襲われる胸。
冷たい空気の中、汗で濡れた背中が徐々に冷やされていく。
いつも見る悪夢。自分と同じ顔の最期。
「……キミたちは……僕に何を求めているんだ……」
まだ震える手で顔を覆い隠す。
――もしかしたら僕ではない、誰かが生き残っていたのかもしれない。
もし、そうなっていたら……こんな思いせずに……いれたのに……
窓の外を眺めれば、月が明々と光り輝いていた。まだ宵の内だろう。
「もう、寝れないな」
重い体をベッドから起こすと、小灯台においてある仮面に手を伸ばした。
ここはオラクル本部の端に位置する個室。誰も来ないとは思っていても、仮面を手放すことはできない。
――仮面。ペルソナ。「シンク」という役柄を演じるためのペルソナ。
それを無くしてしまったら――本当に空っぽになってしまう。
「僕は……何のために……」
誰に問うわけでもなく、呟いた言葉。答えを返してくれるものは誰もいない……
食事。鍛錬。部下の訓練。食事。会議。また鍛錬。訓練。また食事。
繰り返される日常。そのことに疑問も何も浮かばない。淡々と終わらせればよいことだ。
「そんなもんか!!
気を張らないと殺られるよ!! 次! 殺す気でこい!!」
部下の兵士との訓練。次から次へとかかってくる者の攻撃を受け流し、払いのけ、避け……
一瞬、シンクの足元が揺らぐ。その一瞬を兵士が見逃すはずも無い。練習用の木刀で首元を狙い!
「そこまでだ」
澄んだ声が響き渡り、兵士を制止させる。声の持ち主は鋭い瞳を持った女性だ。
「今日の訓練はそこまで。兵士は休息をとれ。いつ出動してもいいようにな」
兵士たちはシンクと女性に敬礼をすると、各々休息へと向かう。
「――何イラついている。お前らしくないな」
バランスを崩し、床に座り込んでいたシンクに女性が問う。
彼は憎らしげに彼女をにらみつけ、手で仮面を覆い隠す。
「イラついていないよ。何で僕がイラつかなきゃいけないのさ。
それに僕らしいってどういうことさ。答えてよ!! リグレット!!」
――八つ当たりだ。
そうは分かっていても、溢れ出した感情を抑えきることができない。
きっとあの夢のせいだろう。あの夢のせいで寝不足になって……
子供のようないい訳だと我ながら思う。全部自分が悪いというのに。
リグレットは悪くない。寧ろ、冷静で軍人らしい行動だと思う。
だから――彼はリグレットの顔を見ることが出来なかった。
「ふむ……」
彼女はため息のような声を漏らし、シンクに背を向ける。
「今日は休め。閣下には私から話をしておく」
その声と共に、シンクの上に何かが覆いかぶさる。良く見ると、リグレットが身に着けてる赤い布だ。
「いじけるのは勝手だ。だが、ここでいじけられても困る。顔でも隠して部屋にでも戻れ」
遠ざかっていく足音。部屋から出て行く寸前に、立ち止まり、
「それは食事の時に返してくれればよい。それまでに頭を冷やせ」
そして――訓練場に残されたのはうなだれているシンクだけになった。
空が茜色に染まり、太陽が傾き始める。
自室のベッドの上で横になっていたシンクは起き上がる。
あの後、リグレットに借りた赤い布を手にし、自失へと戻った。
訓練時間だったのが幸いし、他のものに情けない姿を見られることはなかった。
自室に戻ってみるが、ベッドに横になっていても眠ることもできない。
目をつぶればあの日の悪夢を思い出すだけだ。
忘れようとしても忘れられない。忘れたくても忘れてはいけない。
頭を軽くふり、
――今日は誰にも会いたくは無い。しかし、夕飯も仕事の一つ。行かなければ呼び出される可能性もある。それに……
シンクはベッドの横に下げている赤い布に目を止める。
「リグレットに返さないと……な。
行きたくないけれど……いくか……」
思い腰を上げ、自室を出て行く。手にはしっかりとリグレットからの預かり物を握り締めて。
「おい、早く行かないと来ちまうぞ」
「ああ、すまん」
――どこか兵士達があわただしい。皆、食堂に向かっているようだが。
食事時間にはまだ少し早い。食事前に会議があるとも聞いていない。
一人の兵士がシンクの姿に気がつき、敬礼一つする。そして、後からきた兵士と慌てて食堂へと向かう。
「いかん。シンク様がきてしまった」
「俺達も早くいかんと……」
小声でなにやらやり取りをしていたのが耳に入る。だが、どうせ今の自分には関係ないと、割り切って食堂へと歩み始める。
今日に限って雑談している兵士もいない。響き渡る足音はシンクのみ。
一人取り残されたような気がして、思わず足を止めた。リグレットにも、部下達にも呆れられたのかもしれない。もしかしたら見放されたかもしれない。
いつもに増して心の隙間が広がっていくように感じて……
「……馬鹿だな……これ以上失うものなんて……ないさ」
自嘲の笑み。何もかも諦めた表情を見せる少年。
「……もうどうでもいいよ」
今はただ、食事を取ることに集中しよう。眠れない夜をすごせば、また仕事が始まる。
毎日を繰り返すだけ。それだけでいい。
全てを割り切って、シンクは食堂へと歩みつづけた。
「Happy
Birthday!」
――何かの破裂音。頭の上から降り注ぐ紙切れ。兵士達の明るい声。
食堂へ入った時に起こった現象にシンクは言葉を失う。
「ははっ、シンク様、驚いているな」
「当たり前さ、驚かすために俺達も頑張ったんだからさ」
楽しそうに会談する兵士。たくさんの兵士の中から、6人の人影が現れる。
手には様々の荷物を持って……
「驚かせてしまったようだな」
最初に口を開いたのは巨漢の男、ラルゴ。シンクに手渡したのは小さなイヤリング。花がついていて、どう見ても男物には見えやしない。
「すまん。プレゼントを探していると、どうしても娘にやるようなものしか思いつかなかった」
大男が、かわいらしいアクセサリーショップで物色している姿を想像するとかなり奇妙なものだ。
「はーっはっはっは、男がそんなものを貰って喜ぶと思っているんですか」
騒がしい笑い声とともに出てきたのは、ディスト。相変わらず椅子にのったまま、シンクを見下ろし
「青少年にはこれですよ。美少女裸体写真しゅ……」
「何を渡している屑がぁぁっ! くたばれ! 通牙連破斬!!」
ディストが怪しいものを渡しきる前に、アッシュの鉄拳制裁が飛ぶ。
見事な連携漫才に兵士から拍手が起こった。
「よくやったな。アッシュ。
……では、次は私からプレゼントだ」
後ろの惨劇を気にしないかのように、一歩前に出て、後ろ手に隠していたものを差し出した。
「……これは?」
どこかの田舎村で良くみる動物のぬいぐるみを渡されて、思わず疑問を投げかける。
「見て分かるだろう。エンゲーブ限定品、ラヴリィ☆ぶうさぎちゃんだ。かわいいだろう」
――正直言ってあまり可愛いとは言いがたい。しかし、どう言葉を返してよいか迷いかねていたところ……
「次……アリエッタ……です。これ……」
ほんのりと頬を染め、そっと手渡したものは……大きな生肉。ご丁寧にもリボンがかけられていた。
「ライガちゃんたち……このお肉好き……だから……捕ってきてもらった……です」
「あ、ああ、ありがとう……」
あえて何の肉かは聞いてはいけない。そう感じたのか、曖昧な返事でお茶を濁す。
「つ、次は俺か。ほらよ」
アッシュは顔を向けずに何かを放り投げた。慌てて受け取る。そこには小さな箱。
「手短にあったやつだ。わざわざ買いに走ったってことはないぞ。絶対に無いから気にすんな」
箱を開けてみれば……小さな指輪が一つ。
「――えーと、これは……どういう意味?」
とても意味ありげな指輪を手に取り、硬直気味にアッシュに問いかける。
アッシュは懐をあさり、小さな箱を取り出す。渡した指輪とその箱を交互に見ると
「ああああっ、それはナタリアにいつか渡そうとしていた指輪ぁぁっ!! 間違えたぁぁっ!!」
しっかりしているようで、結構抜けているアッシュに兵士から再び笑いがこぼれる。
和やかな空気の中、ゆったりとした歩調で一番前に出てきたのはシンクの上司であるヴァンだった。
「そして――私からのプレゼントは食堂の解放。そして、酒の解放だ。
さあ、皆。祝いの席だ。存分に飲むがいい」
『おおーっ』
ヴァンの宣言で一気に宴会モードへと変化する。
兵士は次々と酒をあおり、場は騒がしくなっていった。
――しかし、シンクには一つだけ分からないことがあった。
赤い布を手にし、リグレットへと歩み寄る。布をぐいっと彼女に押し付け、視線を落とす。
「これ……感謝する」
「ああ、落ち着いた……ようだな」
シンクの落ち着いた様子に、かすかに微笑むと、ワイングラスを傾ける。
「で、聞きたいんだけど……この宴会やプレゼントは何なのさ?」
「誕生日に決まっているだろう。それくらいわからないのか?」
――誕生日?
確かにこの騒ぎ方、プレゼントも誕生日を祝うときの定番だが……
「僕の誕生日……今日ではないけれど?」
シンクの発言に5人動きが止まる。顔を見合わせ、首をかしげ
「閣下に相談したら、それはきっといじけているんだと……」
「妹は誕生日を忘れた時、同じ風にいじけていたから、同じかなと……」
「総長の勘違いか!! たくっ……ボケもほどほどにしろ」
「まあ、気がまぎれたんだったらいいのではないか?」
「……うん、シンク……ちょっと嬉しそう……です」
「結果よければ全て良しですよ」
勝手に結論を出し、また各々酒をあおり始める。
「……もう、勝手だね」
大きくため息をつくまと、椅子に腰掛け、馬鹿騒ぎをいつものように客観的に眺めはじめた。
――馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しい。
でも――少しは見習ったほうが……楽しいかもね。
――服の袖を引っ張られる感覚で我に返る。
いつの間にかシンクの横にアリエッタがちょこんと座っていた。
賑わいの中、どうにか聞こえるぐらいの小声で囁く。
「……あのね……シンク……本当の誕生日は……いつ?」
――誕生日。それはいつなのか。レプリカとして作られた日なのか、「シンク」という名を貰った日なのか……
困惑し、押し黙っていると、アリエッタが顔を覗き込んできた。
「……お誕生日……わからない……です? アリエッタと同じ……です」
――そういえば、彼女は物心ついたころには魔物に育てられたという話だ。
こういう話にどう反応していいか分からずに、再び黙り込む。
「だから……今日、誕生日にする……です。シンクも……アリエッタも……」
「僕とアリエッタの……誕生日?」
「……そう……です」
恥ずかしそうに笑顔を向けるアリエッタに、自然と微笑んでみせる。
「……そう、今日が僕の誕生日……か」
――騒がしい日々。騒がしい毎日。騒がしい仲間。
まあ、それもいいか。
今日は早く寝よう。きっと寝れる。
だから――明日はこの仲間たちの話をもっと聞いてあげよう。
くだらないと思っても、もう少しだけ聞いてあげよう。
――またあの時の夢だ――
――赤い――
――熱い――
――同じ顔が天へと手を伸ばす。
手はマグマに落ちようとしている僕を押し上げる。
――口を開き、何かを発する。
『キミハイキテ』
『ボクタチノブンマデイキテ』
『キミヲヒツヨウトシテイルヒトガイル』
――同じ顔が全て赤い地面に沈み……
でも、誰もが皆笑顔だった。
――――そして、僕だけが残された。
――――そして、皆は僕を助けてくれた。
――――僕は僕たちに命を貰った……
夢から目覚めたとき、一筋の涙がこぼれる。
――ねぇ、もし、神様というものがいるんだったら、お願いだよ。
神様、この時をもう少し。
神様、この時をもう少し。
――『シンク』という存在のままでいさせてくれ――
――馬鹿な仲間たちをもう少し……見守らせてくれ