〜鮮血〜

 視界が赤く染まる。
 腕に生暖かい液体がはじけ飛ぶ。
 鉄の匂い。
 崩れ落ちる人『だったモノ』
 慣れきった光景。

「裏切り者の始末、完了だ」
 仕事終了の報告をする。
 いつもの会話。この次の言葉は聞かなくても分かる。
 上司にあたるモノの顔すらみずに、背を向けた。
「ああ、ご苦労。次の任務があるまで、休んでいろ」
 尊敬していたモノの言葉。過去の自分ならば、激しく喜んでいたのかもしれない。
 聞きなれた言葉。やりなれた任務。
 すでに麻痺してきた感情。

 熱いシャワーが身体を包む。腕についた血が流れ落とされていく。
 身体を覆っていた血の匂いが水に溶けて流れていく。
 しかし、手に染み付いた罪までは消えることが無い。
 こっちの世界に来て、何十、何百との人間を斬ってきたか。
 幼い子供。老人。腹に子を宿した女も斬り捨てたこともある。
 斬る理由はただ一つ。オラクルに反したモノの始末だ。
 ――最初に命を奪ったのはどんな奴だったのか。それすらも記憶にない。だが、毎晩のように夢に見る。殺した者達の叫びを。
 鏡に映る自分の顔。
 髪を下ろしているせいか、やや幼く見える。いや、まだ成人していないから、少年といっても差し障りは無い。
 前髪を下ろしていた過去の自分を思い出す。
 『ルーク』と呼ばれた時代。幸せだった頃。血すら見ることも無かった頃。
 今は自分の代わりに、あの幸せな世界で暮らしているだろう『レプリカ』。
 『レプリカ』とそっくりな自分の姿にたえきれず、鏡の中の自分に拳を振り下ろす。
 自分の姿にひびがはいり、欠片となってタイルの上に散らばった。
 紅い染みが鏡の上に広がる。鈍い痛み。自らの拳から滴る「生きている証」。
「――屑……が!!」
 憎らしげに呟く言葉。その言葉は誰に向けたものなのか、それすらも理解できずにいた……

 


「……アッシュ……痛い?」
 いつものように食事を取り、いつものように自室へと向かおうとしていた矢先、声をかけてきたモノがあった。
 奇妙な人形を抱きかかえ、いつもおどおどとした表情を見せている少女。
 何度か顔を見合わせてはいるが、話したのは数回のみ。あまり接点のない少女だったのだが……
「何の用だ」
「……痛い?」
 彼女の問いかけに、ふと手を眺める。先ほど傷ついた手を治療していなかったのだ。
 多分、彼女が言っているのはこのことだろう。
「これか? これくらい痛くはない」
「それじゃない……です。泣きそうな顔……痛いよぉって……」
 手を握り締め、心配げな顔で彼を見上げる。おどおどしている表情が、どこかいじめているような錯覚にとらわれる。
「それではないというんだったら何だ! 怪我など痛くも無い!!!」
 反射的に声を荒げて彼女の手を振り払う。だが、すぐに後悔の念に襲われる。
 ――これではただの八つ当たりではないか。それにここは食堂。周りの奇異の目が気になる。
 そう思い直し、彼女の顔を見ると
「…………痛い……?」
 手を払われながらも、まだ他人のことを心配する彼女。……まっすぐに自分を見つめる存在。
「痛く……ないから……心配するな」
 ――寧ろ心配なんてするな。俺のことを構うな。全てがうざい……過去の俺も今の俺も……全て。
「……やっぱり……痛い……です。……心」
 ――心? 心が痛いだなんてそんな事ありえるはずが。
 彼女の言葉に思考回路が閉ざされる。
「……アリエッタ……わかる……です。ライガちゃんたち、悲しくても……泣けない。
 でも……寂しそうな瞳する……です。今の……アッシュと……同じ」
 声だけが頭の中に響き渡る。

 ――泣けない? 寂しそう? 誰が? なんで俺が? そう、何で俺が。なんで俺はこんな場所にいる。
 俺は今頃母上たちのいる家で。いや、家にはルークがいる。では俺は誰だ。
 俺は――アッシュで、燃えカスで……俺が屑で……俺は要らな……

 思考が突然中断させられる。
 彼の紅い髪を彼女が引っ張ったからだ。バランスを崩し、しりもちをついてしまった。
 これは怒りを表面に出してよい行為だろう。息を大きく吸い込み、怒鳴りつけようとした瞬間……
 ――ぺろ――
 目元に暖かい感触が生まれる。横を見れば舌をちょこっと出した彼女の姿が目に入った。
「あ?! え?!」
「ライガちゃんたち……アリエッタが泣いていると涙をぬぐってくれた……
 暖かい舌で涙……拭いてくれた……そうすると……アリエッタ元気になった……です。
 だから……アッシュも元気だす……です」 
 あどけない顔で彼に笑みをむけた。
 つまりのこと――彼の目元を彼女が舐めたわけで――


 食堂中の視線がアッシュに注がれる。無論、六陣将もいたわけで。
「ほう、仲がいいんだな」
「ちっ、撮影機材もっていれば、あの決定的瞬間を取れたというのに」
「デバカメはやめといたほうがいい。ん? シンクどうかしたのか?」
「……いいや、何でもないけど。
 ――アッシュ、ちょっと手合わせ付き合ってくれないかな?
 あんたに断る義理はないよね」
 殺気ともとれる気を放ちつつ、アッシュに近づいてくるシンク。
 いつものアッシュならば、歯牙にもかけなかっただろう。
 しかし、アリエッタの思いがけない行動に困惑していた。
「ま、待て。俺はそんな事はする気は、いや、してくれたというか、ともかく、そんなつもりは」
「問答無用!! 双撞掌底破!!」
「待てって言っているだろうが!! ロックブレイク!!」
 成り行きで始まった六陣将同士の戦い。最初は慌てて逃げていた兵士も、被害の無いところで楽しそうに観戦し始めた。
「おおっ、疾風のシンク様と渡り合えるとは……」
「アイツ確か、特務師隊長だよな。名前はたしか……」
「アッシュ。鮮血のアッシュっていったよな。なんかクールで近づきがたいかと思っていたけれど」
「照れている姿を見ると……まだ若いんだよなぁ」
 兵士たちの勝手な言い分を耳にしながらも、アッシュは反論すらできそうな状況に無い。
 どういうわけか、あのシンクが自分に襲い掛かっているのだ。どうにかこうにか攻撃を受け流しているが、平行線のまま、戦いは終わりそうにも無い。
 騒ぎの原因となったであろうアリエッタの姿を横目で探す。
 彼女はすぐに見つかった。体格の良い男の後ろに守られていたからだ。
 金髪の女性に頭をなでられながら、ことの成り行きを見守っている。
「冷血かと思っていたが、意外と熱い奴だったのだな」
「リグレット……違う。アッシュ、優しい人……です。ただ、出せないだけ……です」
「ほう。……しかし、どうするか。シンクが暴走していると止めようが……」
「ハーッハッハッハ、とめるならこの薔薇のディストに……ぐげべが!!」
 空とぶ椅子に座っていた青年は、戦いの余波を食らって沈没。とたんに食堂が笑いに包まれる。
「さっすがディスト様。華麗にオチを決めてくださる」
「さすがは死神ディスト様!」
 食堂に流れる穏やかな空気に、我を取り戻したのか、シンクの動きがぴたりと止まる。
 緑色の髪かき上げ、大きくため息を一つ。
「僕としたことが……どうかしていたらしい。休戦としようか」
 にこやかに手を差し出し、握手を求めてきた。
 アッシュは乱れた息をどうにか整えつつ、手を差し出す。
「あ、ああ。……っ!!」
 握り締めた手にかかったのは殺意に近い感情。そしてかなりの力。しかし、それを表情に出さないシンク。
 ――こいつは侮れん……
 心の中でそっと呟くと、手を振りほどく。
 騒動の終結に見学者はちらほらと業務に戻っていく。辺りは戦いの余波ですごい状態だ。
「さ、解散だ。そこの兵士、食堂の片づけを頼む」
「はっ、リグレット様。了解しました」
 近くにいた兵士に片づけを一任すると、リグレットは食堂を後にする。
 食堂を出る前に一度振り返ると、アッシュに向かって一言。
「このことは閣下に報告しておくからな。修理費はアッシュ持ちだろう」
「ぐっ!!」
 思わぬ攻撃に押し黙るアッシュ。その横を他の六陣将達が通り過ぎていった。
 ――そして、食堂に取り残されたのはアッシュ……と、いまだ沈没しているディストだけだった。


「くっ!! なんで俺があんな奴らに!!」
 熱いシャワーを頭から浴びる。熱くなる身体とは反比例し、心が静まってくる。
 身体のいたるところについた擦り傷。なぜか少しお湯に染みた。コレくらいの傷など、慣れきっているはずなのに。
 しかし、その傷の痛みが、今現在生きていることを深く感じさせる。
 この傷をつくったのは、シンク。原因となったのはアリエッタ。その他六陣将や兵士たちも……
 初めて同僚の顔をじっくりと見た気がする。こんな機会無ければ、彼らとずっとすれ違っていただろ。
「……屑が……」
 再びその言葉を口にする。今度はどこか優しい笑みを浮かべて……
 ――今日は良く寝れそうだな――
 襲ってきた気持ちの良い眠気を感じ、アッシュはシャワーの栓を閉じた。

 

 


 ――そして数ヶ月――

「閣下、たまご丼が出来ております」
「うむ。どれ……むむっ、中々腕を上げたな」
「光栄であります。閣下」

「えっとアアア、アリエッタ、散歩しししししないかい?」
「……うん……ライガちゃんも……いっしょ……です」
「ライガも? ……ま、いいけどさ」

「私の大親友のジェイドは……」
「いやいや、娘のメリルはとても優雅で……」
「そうそう、優雅なのは私と良くあっていてですね……」

 ――我ながら馬鹿馬鹿しい上司や同僚に恵まれたものだと思っている。
 しかし、この馬鹿馬鹿しい空気もどこか暖かく感じられる自分がいた。

『まあ、こんな空気も悪くないか……
 なあ、レプリカ。こっちはこんな状態だ』
『こっちはな……ん、ナタリア、そんな格好で戦うのやめろよ……ティアまで水着で……』
『ナナナナ、ナタリア? 水着だとぉぉぉっ!!』
『あ、やべ。秘奥義だせそうだ。一旦斬るぞ』
『レプリカ! おい、レプリカ!! もっとナタリアの状況を説明し……ちっ!! 切れてやがる!! 屑が!!』


 ――馬鹿馬鹿しい空気に完全に染まった自分。それもまた良し……か。

 そして、彼は今日も無駄に叫び声をあげる。
「ナタリアの人形もたのむぅぅっ。ううっ、回線きりやがって!! 屑が!!」

六神将第二段
某所では、総長はたまご丼というシスコンでした

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