〜空〜

「きぃぃぃっ!! 私は華麗なる『薔薇』のディストです!!
『死神』ではなく、『薔薇』です『薔薇』!!」
「その不健康そうな顔、死神がお似合いだよ」
 ――いつもの会話。いつものやり取り。
「……ディスト、もっと太陽に浴びた方がいい……です」
「シンクはともかく! アリエッタまでそんなことを言うんですか!」
 ――少し前ならば、煩く感じたかもしれない。
「ともかくって失礼だね。それにアリエッタ、不健康中年なんてほっといた方がいいさ。
それよりも、あっちで手合わせしてくれないかい?」
「……うん……シンク。行こう……です」
「あんたたち、この私を「あ、ライガ達で攻撃はなしだからね」
「……ライガちゃんたち……ダメ?」
 ――もう慣れたというべきか。習慣づいてしまったというべきか。
「――ダメ」
「仲が良いな。よし、この俺も手合わせに参加させてくれ」
「だからこの私を無視す「ラルゴか。いいけど、アリエッタには手加減してあげてくれ」
「――ありがとう……です。シンク優しい……」
「べ、別にただ、アリエッタが怪我すると、業務に支障が出るとか、ライガに襲われるからとかそう考えているだけで……」
 ――特に支障がないから流れに乗っている……のかもしれない。
「そんな照れるな。いいではないか」
 遠ざかっていく声。そこに残されたのは一人の男。
 しばらく一人でぎゃあぎゃあ騒いでいたが、無視されるのは悲しいが慣れきっているため、押し黙り大きくため息を一つ。
「全く、礼儀知らずな方たちですね。この私が華麗な話をしようとしているのに。
 と、いけないいけない。あいつらのペースに飲まれてはいけませんね」
 声を荒げたから、顔はきっと火照っているだろう。優雅な姿を保つため、熱を冷まさなければいけない。
 小声で何かを呟く。すると豪華な装飾のされた椅子は軽やかに空を舞う。喧騒から離れ、青い空の中を散歩するのが、ディスト――いや、サフィールとしての唯一の趣味だった。
 誰もいない空。時折、鳥が興味深げに横をすり抜けていくのも一興。
 オラクル本部にいると感じられない静かな時。
  
 青い空。赤い空。灰色の空。高い空。季節によって表情を変える空。
 それはいつまで見ていても飽きやしない最高の研究材料でもあった。

「……空か。先生と一緒に見上げたかった……」
 空を眺めれば、いつもその言葉ばかり。
 先生と過ごした日々は、いつも灰色の厚い雲に覆われた空だった。
 だから――あんな約束をしてしまったのかもしれない。
 子供時代に交わした叶わぬ約束を思い出し、自嘲の笑みを浮かべる。
 ――ゆーびきりげんまん、うそついたら――――――
「叶えられぬ約束はするものではないですね」
 
 一面白銀の世界。それが日常と化している者達は代わり映えのしない光景。
 そこに一人の少年はいた。
「せんせい〜せんせいせんせいせんせい〜」
 少し危なっかしい足取りで雪の中を駆けてくる。途中、誰もが予想したとおり、しっかりと雪の中へとダイブしてしった。
 瞳に涙が浮かぶが、小さくても男。幼いながらも、好意を抱いている女性の前では涙を流さぬよう、腕で涙を拭い取る。
 ついでに鼻水も袖についてしまうが、照れ笑いをしてごまかしてみた。
「サフィール、そんなに慌てたらいけないわよ。それよりもどうしたの? そんなに慌てて」
「えっとね、ジェイドがね、すっごいものを作ったからさ、見せにきたんだ」
「あらあら、それでわたしを呼びに? ありがとう」
 『先生』と呼ばれた女性は慈愛の笑みを浮かべ、少年の顔を覗き込んだ。
 顔と服に多数の雪がついている。先ほど転んだだけではなく、ここにくるまでに何度も転んだんだろう。
 女性はポケットからハンカチを取り出すと、少年の顔を優しくぬぐってあげる。
 顔についた泥をぬぐい、垂れかかっている鼻水をも拭い取る。
「ありがとぉ。あ、先生のハンカチ汚れちゃったね。僕洗って返すよ」
「そんなのいいわよ。……と思ったけれど、家事の宿題としてやってもらおうかな?」
 時に見せる優しさの中の厳しさ。それも彼が彼女を好む理由でもあった。
「それよりも……ジェイドが待っているんじゃなくて? 一緒に行きましょうか」
「あ、そうだった。うん、せんせー。いこぉ」
 彼女が差し出した手をぎゅっと握り締め、「友」が待つ場所へと向かう。
 大人にとっては他愛も無い距離を一歩ずつ、ゆっくりと彼の歩調に合わせて進んでくれる。
 「友」の元にたどり着くまでは彼女を独り占めできる。それが彼の歩調をさらに遅くしているかもしれない。
 手をつなぎながら、いろんな話をした。
 彼女が働いていた場所。彼女の故郷。彼女の好きなもの。彼女の夢。
 彼が質問をすれば、的確に答えを導いてくれる。だから彼はがんばれる。
 彼女の喜ぶ顔が見たいから、寝る間を惜しんでまで、勉強に励む。
 ――でも、「友」には勝てやしないのだ。「友」は天才で、何事も軽々としてしまう。
 しかし、妬むことはない。うらやましいが、誇らしい。そのような「友」がいることが、最大の誇りだ。
 そう思えるのも彼女のおかげだ。
 彼女と出会うまでは、何をやっても要領が悪く、先をこされ、踏みつけられて過ごしてきた。
 そんな彼の才能を伸ばしたのは彼女だ。
 『ゆっくりでもいいから、やって御覧なさい。きっと出来るから』
 優しい言葉で彼を見守り続けてくれた。失敗しても、諭すことはあっても怒ることはしない。
 だから、彼はここまでがんばってこれた。私塾で2位の座を保てるほどに。
 だから、彼は彼女が大好きだった。彼女の笑顔のためならば、どんな困難にも立ち向かおうと思っていた。
 だから――話をしていたときに見せた一瞬のかげりを見逃さなかった。
「ね、せんせー、雪嫌い?」
「嫌いではないわ。いえ、好きだけど……透き通るような青空が恋しくなっただけよ」
 話の途中で振られた話に、一瞬眉をひそめ、答える。
「すきとおるようなあおぞら……? どこいけば見られるの?」
「んー、雪の降っていないところだったら見れるけど……」
「ううん、ここの街でどうやったら見れる?」
「ここの街で? そうね……雪雲の上にでもいけば見れるけど。それは無理だから」
 万年雪に包まれた世界で、青空を見ようとする少年の言葉に苦笑し、雪の舞う空を仰ぐ。重い灰色の空を
 少年もつられて空を見上げ
「それじゃあさ、僕が発明してあげる。んとんと、おっきな空飛ぶ椅子をさ」
「何で空飛ぶ椅子なんだよ。空飛ぶブウサギのほうがかわいいぜ」
 突如、声がふってくる。周りを見渡すと、建物の二階から顔を出す二人の少年の姿があった。
「あ、でんかだぁ。あのさだってさ、絵本でみたよ。ありじこくにんとそらとぶいすってのを。
 あれかっこいいから、僕のりたかったんだ」
「あれは空飛ぶ椅子だと売りつけられたのが、ただの椅子でしたという話でしょう。
 それも最後には椅子ごと屋根から飛んで、砂の中に埋もれるってオチでしたしね。
 それよりも早く先生を連れてきてください。洟垂れサフィール」
「は、はなたれじゃないやい!! ジェイドの意地悪ぅ」
 活発そうな少年の方が豪快に笑い声をあげる。早くあがってこいと、指示し窓をしめた。
「相変わらず、殿下は脱走なさっているのね。しょうがないわ……」
 笑みの混じったため息を一つすると、彼の前に座り込む。
 彼が握り締めていたハンカチで鼻をぬぐってあげると、優しい瞳を彼にむけた。
「かっこいいわね。空飛ぶ椅子。出来上がったらさ、先生も乗っけてくれるかしら?」
「当たり前だよ。先生乗っけて、この雲の上までびゅーんと行って上げるよ」
 大人から見れば夢物語に過ぎない。しかし、彼の瞳に偽りはない。いつかは実行しようとしているのだ。
 どんな時間がかかっても。彼女の言葉を信じて。
「それじゃあさ、先生と約束しましょうか。空飛ぶ椅子をつくってくれるって」
「もちろんさ」
 二人は小指を絡めると、約束の儀式をした。雪で手は冷たくなっていたが、絡めた指はとても暖かかった……
 ――――ゆーびきりげんまん――――

 ――――しかし、その約束は守られることはなかったのだ。
 空飛ぶ椅子が出来上がる前に、ジェイドの譜術の暴走。
 彼女の家は焼け落ち、彼女も瀕死の重傷を負い……教え子二人は禁忌の術に手をだして――
 

「でも、先生……いつか約束は守ってみせる。
 あの日の宿題も終えていないのだから……」
 返せなかったハンカチが風にゆれる。空のような青いハンカチ。
 彼女のためだけに、勉強し続け、彼女のためだけにオラクルへと入団し……
「禁忌というのは分かっています。けれど……貴女にもう一度会いたい」
 今の彼を見たら、彼女は激しく怒るだろうか。それとも涙を流してくれるだろうか。
 仮定は仮定。いなくなった者の反応までは想像することはできない。
「先生……」
 強く強く彼女の形見を握り締め、声を抑えて涙を……
「ディースートォォッ。メシュティアリカの人形を作ってくれぇぇっ」
「ナタリアの人形もたのむぅぅっ。ううっ、回線きりやがって!! 屑が!!」
 騒がしい日常に引き戻す悲鳴に近い叫び声。
「やれやれ、この私がいないと何もできないんですね。しょうがありませんねぇ」
 先ほどまでの悲哀に満ちた表情から、いつもの自信満々な表情へと一変する。
 地上で騒がしく駆け回る同僚や上司の為にいつもの自分へと変化させる。
「――そう、この薔薇のディスト様にかかれば他愛のないことですからね。
 はーっはははははは」
 ――そして――
 騒がしくも嫌いではない日常へと帰っていく。
「はーっはっはっは、呼びましたか? この壮麗で華麗で優雅な薔薇のディスト様を」
 


初出 結構昔
某六神将スレに投下したものの第一弾でした。


 

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