しるふりでがーかん
 ことしはじめてのゆきがふったひ、ありえったはままになりました。

 ――どこかから何か聞こえた。空耳ではない。
 感覚を研ぎ澄まし、その気配を探る。
 母親に教わった事を思い出す。敵かそうではないか、それを見極めろと。
 風が止み、肌寒い空気。雪が降る香りがする。
 ――早くその気配を探さないと……
 気ばかりがあせる。音が聞こえた草むらをかき分け、それを探す。
 鋭い葉で腕に切り傷を作ってしまうが、そんな事は気にしていられない。
「……見つけた……です」
 ――深い草むらの中、そこで少女は大きな存在と出会ったのだった――
 
「何かアリエッタ、落ち着きないと思わない?」
 六神将定例会議の最中、声を抑え、尋ねたのはクールさが売りのシンク。
「そうだな。少し落ち着きがないみたいだな」
 それに同意したのは父親的存在のラルゴ。
「……良く見ているではないですか。さすが、むっつり仮面」
「誰がむっつり仮面だっ!!」
 しぇんしぇい5割、ジェイド4割、残りは嫌味と薔薇で出来ているディストの言葉に、反射的に突っ込みを入れてしまったシンク。
 ――会議の途中ということをすっかりと忘れて。
「シンク、閣下のありがたい話の最中だ。何か意見でもあるか?」
 真面目さは好評だが、どこかすれていることにも一途なリグレットに一括され、一同は口をつぐむ。
 彼女の後ろにある白板には『たまご丼との神秘の融合術』とでかでかと書いてある。
 会議の内容は……まあ、どう真剣になっていいのか分からない内容だ。
「意見がないのならば、続きをどうぞ。閣下」
「ああ、では――
 そもそもたまご丼にミソは有りか否か。ハチミツなどをいれるという荒業も……」
 いつまで続くか分からない会議に一同は深い深いため息をつく。
 と、そのときだった。
 落ち着きのなかったアリエッタが、顔を赤らめもじもじし始めた。
「あ……ダメ……です。そんな動いちゃ……ん、いやぁ……」
 そういう趣味がないものすら、そっちの道に走らせてしまうような甘い声を漏らし、身を悶えさせる。
 いつも抱いている不気味かわいいぬいぐるみを強く抱きしめた。まるで何かの刺激から耐えるように。
「……あ、ありえったさん?」
 女性であるリグレットですら、思わず頬を紅潮させるほどの声。その攻撃力は劇薬ものだろう。
 そんな声を聞かされた男性陣はただではすまない。
「……風邪でもひいたか?」
 妹命の例外その1が首をかしげて問いかける。
「そういえば、先ほど寒空の下、駆け回っていたみたいだな」
 例外その2、娘命の男が同意する。
「馬鹿は風邪ひかないというのは、嘘か真か実証してくれるみたいですね」
 例外その3、しぇんしぇいとジェイド命な男が楽しげに笑う。
 ――訂正しよう。健全な少年ならばただではすまない。
 現に青少年であるシンクはすごい状況に陥っている。
 例えるならば、『たまご丼殺人事件――赤く染まる仮面。舞い散るカラザ。美人教官が見た湯気の先にあるものは!!』
 ……簡単に言えば、鼻血で周りを赤く染めている状態だ。
 惨状にヴァンは一つ大きくうなづくと
「……では、たまご丼には貧血に効くレバーを入れるということで、解散」
 何の解決にも、何の結果も得られない発言によって会議は終了した。次々と会議室を後にしようとする例外達。
「ちょ……この僕の状況を見て、どうにかし……よ」
「あぁ……だめぇ」
 再度聞こえてきたアリエッタの甘い吐息に、再び激しく血を吹いて倒れこむシンク。
 今度は皆、アリエッタを凝視した。息が荒い。何かを押さえ込んでいるかのように、目を潤ませていた。
 見られていることにきがついたのか、声を抑えようとする。しかし、抑えきれずに声がどんどん大きくなった。
 そして――
「……いっちゃ……う」
 声とともに、ぬいぐるみがアリエッタの腕から転げ落ちる。否、転げ落ちるという表現は適切ではなかった。
 ――ぬいぐるみが自ら歩いていたのだ。歩きにくそうに足をもつれさせ、赤い水溜りへと歩み寄る。
 ありえない現象に、一同はある人物に疑惑の目をむけた。前科(?)があるディストだ。
「とうとう幼女に手をだしたのか……幻滅したぞ。ディスト」
「そうですね、閣下。減給なさってはいかがですか?」
「幼女趣味はいかん。それもあのような怪しいぬいぐるみで、アリエッタにあんなプレイを……」
「きーっ!! 私はそんなことしません!! 私はしぇんしぇいの妄想で一杯一杯……じゃなくて!!
 アリエッタ!! 貴女も何か言ったら……ん?」
 ぬいぐるみが手で顔をかきむしる。布がはがれ、中から綿以外のものが顔をだした。
 ――それは小さな魔物だった。白銀の毛並みと紫の瞳をもった、まだ子供の狼……
「アイスウルフ……」
 誰かが呟いたとおり、それは魔物の一種、アイスウルフだった。
「アイスウルフ。この辺には生息しないはずですけれど……」
 しげしげとその魔物を観察し、ディストが呟く。
 その気配におびえたのか、魔物は牙をむき出して彼を威嚇し始めた。
 そんな魔物をアリエッタは優しく抱きかかえ、頭をなでる。
「……で、なぜこの魔物がここにいる。――アリエッタ」
 厳しい眼差しでヴァンは問う。たとえ小さいとはいえ、魔物は魔物。
 魔物と話せるとはいえ、まだこんな小さくては任務に役にたちそうにもない。
 いや、邪魔以外のなにものにもならない。
 元凶の彼女は顔をうつむけ、小さな声でこんな状況になったわけを語り始めた。
「このこ……さっき見つけた……です。お話きいたら、人間に……つれてこられたって……
 アリエッタ、放っておけなかった……アリエッタと同じだから……ママと引き離された……から」
 うつむくアリエッタの鼻を、狼がぺろりと舐め上げる。途端に沈んでいたはずの顔が、笑顔へと変化した。
 普通ならば心の温まる光景。だが、ここは軍だ。利益があるか否か。それで判断される。
「アリエッタ、ここがどこか分かっているか?」
 冷たい声。鋭い瞳をしたヴァン。このような表情をしている時は、騎士団を纏め上げている存在ということをまざまざと見せ付けられる。
「わかってる……です。でも……」
「分かっているならば、そう行動しろ。そう教えたはずだ
 ――いくぞ。リグレット」
 ただそれだけ言い放つときびすを返す。慌てて後につくリグレット。
 涙ぐんで狼をただ抱きしめるアリエッタの姿に一同はかける言葉すらみつからない。
 ヴァンが部屋から出る寸前、一度立ち止まった。
「――ソレを返すのはずいぶんと先になってしまう。だから、保護はアリエッタに委任する」
「――!! ……そうちょう……」
 振り返り、厳しい表情のまま、アリエッタを一瞥した。
「異論はあるか?」
「ない……です。アリエッタ……がんばります!!」
 笑顔になったアリエッタを確認すると、軽くうなづき、部屋を出て行く。続いて出て行くリグレット。
 狼が尻尾をふり、顔を舐め続ける。
 ――そんな和やかな光景。ラルゴが彼女の頭を優しくなでた。
「……で、その魔物、名前は何にするんだ? これからしばらく付き合うんだから、名前あったほうが便利だろう」
「アリエッタが……つける……です?」
「ああ。良い名前をつけてやれ。母親代わりになるんだから……」
 しゃがみこみ、狼の頭にも手をのばす。が、まだ警戒しているのか、ラルゴに対しては歯をむき出しにして威嚇していた。
「アリエッタがママに……?
 えっと……えっと……雪みたいだから『スノー』……です」
「スノー……か」
 いまだ威嚇している狼の額を、軽く指でつつく。狼……スノーは首をかしげ、ラルゴの瞳を見つめた。
「いい瞳をしている。アリエッタに拾われて正解だったな」
「あー、ファミリーな空気はごめんです。私は次の仕事にうつりますからね」
 わざとらしく、ディストが声を上げる。空飛ぶ椅子で部屋の外へと移動……しようとした瞬間、視界が暗くなった。
 顔に何かふさふさのものが覆いかぶさっていた。白いするどいものが光に照らされ。鼻に激痛が走った。
「痛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
 いつの間にか、彼女の腕からスノーが抜け出し、ディストの鼻にかじりついたのだ。
「こ、この美しい顔に噛み付くとはとーんだ駄犬ですねぇ」
 鼻から血をながし、わめき声をあげるディスト。その横でしっかりとスノーの瞳を見据え、
「……おなか壊すから……あれはたべちゃだめ」
 食事の躾をし始めたアリエッタの姿に、ラルゴはただ苦笑するしかなかった。

 一方、廊下では、足早に去っていく二人の姿があった。
「……閣下。アリエッタの件は……」
「――昔、妹が犬拾ってきたときのことを思い出してな……
 何かあれば、責任は私がとる。自由にしてやれ」
「……はい、閣下。お優しいですね……」
「優しければ、あんな事はいわん。私は……冷酷な奴だ」
「……いえ、お優しいです」
 不器用なヴァンの後姿を暖かく見守りながら、リグレットは次の予定を読み上げたのであった。
 ――ちなみに――
「……だ、誰か血を……
 ああ、パトラッシュ……僕疲れたよ……」
「……んん……お? 会議中寝てしまったみてぇだな。ふぁ〜下らん会議で毎回毎回……って!!
 なんで誰もいぬぇーんだよ!! 終わったんだったら起こせ!! 屑が!!」
 失血しすぎで意識が朦朧としているシンクと、見事に忘れ去られたアッシュだけが会議室に残されたのであった。
 

 るなりでーかん
 スノーとほんぶをおさんぽです。
 スノーは、アッシュのながいかみがきになるみたいで、すがたをみかけると、いつもとびついてこまります。
 でも、スノーとアッシュはなかよしさんです。いつも、けんふりまわしてあそんでくれています。

「屑がぁぁぁ!! 剣の屑にしてやるぅぅぅ!!」
「あぅん♪」
 アッシュが声をあげればあげるほど、スノーははしゃいで襲い掛かっていく。
 さすがに魔物だけあって、動きは素早い。アッシュの剣を寸前でかわし、髪目掛けて突撃する。
「……いい遊び相手だな」
 遠くから、一人と一匹のじゃれあいを眺めていたラルゴが呟く。
「標的がアイツにうつってくれて助かったよ。それまでは、僕の仮面を執拗に狙うんだから」
 今までの苦労を思い出し、仮面を抑え、ため息を一つ漏らした。
「そうだったな。……お、そろそろ時間か」
「そうだね。僕達も行こうか」
 食堂から良い香りがしてくる。もう昼食の時間なのだ。つまり……
「いくぜぇぇ!!」
「くぉぉーん」
 にらみ合い。どちらもぴくりとも動かない。
 しばしの時がすぎ……最初に動いたのはアッシュだった。
「くたばれぇぇ」
「スノー、ご飯……です」
 アリエッタの食事宣言に、スノーは尻尾を振って彼女の元へと駆け寄っていく。
 そうすると、必然的に勢いあまったアッシュが地面につんのめる。
「アッシュも……ご飯……です」
 愛おしい地面との抱擁を楽しんでいる彼に、アリエッタは一言だけ呟くと、先に食堂へと向かった。
「……くっ……3勝12敗……か」
 悔しそうに呟いた彼の言葉に、誰も気がつくことは無かった。
 
 しるふでーがん
 スノーもおおきくなって、アリエッタといっしょのベットでねるのはむずかしくなりました。
 だからディストがスノーのおへやをつくってくれました。
 でも、おうちより、そらとぶいすのほうがすきみたいです。

「………………」
 隙あらば襲おうとしている瞳。彼はただ無言でそれを睨み付ける。
「………………」
 それ――スノーが一歩、また一歩と歩み始める。まるで獲物を狙っているかのように。
「またやっているのか」
 相変わらず、遠くからその様子を見学しているラルゴが呟く。
「標的がころころ変わるね。今日はディストの椅子か」
 同じく、第三者としてその光景を眺めていたシンクが答えた。
「昨日はアッシュに襲い掛かっていたけど……彼どうしている?」
「ああ、『23勝75敗だ』とか呟きながら、ベットで不貞寝しているぞ」
 スノーはどんどん成長していく。最初は両手で抱えられるほどだったが、今やディストの椅子の座を争えるほどの大きさになっていた。
 そう、現状がそうだ。
「……あなたには私が、美しい小屋を作って差し上げたでしょう。何が不満なのですか」
 魔物に言葉が通じるとは思いもしないが、一応は語りかけてみる。
 だが、やはりディストの言葉に耳を貸すこともなく、スノーの視線は空飛ぶ椅子に釘付け。
 尻尾を振りながら、その椅子の角度、距離、高さを目測で計算し、構える。
「ちょ……その姿勢は……ま、待ちなさい! お望みならば同じようなものをつくって差し上げますから!」
「くぉぉーーん♪」
 ――説得もむなしく、スノーはディストに――いや、ディストの椅子に飛び掛り、見事、玉座を手に入れたのだった。
 地面に墜落したディスト。誇らしげに椅子に座るスノー。
「……スノー。怪我しないよう気をつけて……です」
「怪我している私は無視ですか! ねぇ、無視ですか!! 泣きますよ。ええ、泣きますからね」
 その日、飼い犬……もとい、飼い狼に、安息の地を奪われたディストの叫び声が、オラクル本部に響き渡ったのであった。

 のーむでーかん
 あたたかくなってきたので、スノーといっしょにピクニックにいきました。
 ラルゴとシンクもいっしょです。おべんとうももってきました。
 にもつはラルゴがもってくれたけど、ちょっとおもそうでした。

「ラルゴ、無理しないほうがいいよ」
 珍しく、相手を気遣う姿をみせるシンク。
 それもそのはずだろう。三人のお弁当、飲み物はもちろん、スノーの餌まで入っているのだから。
 スノーも拾われて約半年。すくすくと大きくなり続け、今や、アリエッタとシンクを背中に乗せても平気なぐらいに成長した。
 餌は身体に見合った分だけ。そうすると、大量の生肉を必要としてくる。
 ウサギ10羽、ブウサギ2匹、ウォント3匹、マグロ5尾、豆腐三丁。一度にコレくらいは食べるのだ。
 それに加えて、途中で食べるおやつも含めれば、相当の量になってしまう。
「……ぐ、だ、いじょう……ぶだっ!!」
 そうは言いつつも、額に血管が浮き出て、目は血走っている。
 そんな姿をみれば、どんな他人に興味の無い奴でも、労わりの声をかけたくなってしまう。
「……ラルゴ……ここでご飯する……です」
 アリエッタも心配のあまり、昼食を早める提案をした。
 だが、ラルゴは笑顔をどうにか浮かべ、荷物を背負いなおす。
「まだ大丈夫だ。……も、もう少し上で食べるんだろう。
 ここの渓谷には、花が咲き乱れる場所が……く、あって、綺麗らしいではないか」
「……そんなに言うんだったら、止める義理は無いけど。
 無理して倒れても、助けないからね」
 呟くと、シンクは襲い掛かってくる魔物たちを払いのけつつ、先に進んでいった。
 アリエッタの話し合いで納得してくれる魔物も多いが、そうもいかないのが世の常。
 降りかかってくる火の粉を、拳一つで乗り越え、一同は頂上を目指し、歩き続けたのであった。
「……綺麗……です」
 眼下に広がる光景は、まさに絶景だった。
 見渡す限り花畑が広がり、切り立った崖の向こうは広い世界。
 その光景に、ラルゴもため息を漏らす。今までの疲れが一気に取れるような美しさだった。
「ああ、綺麗だな……」
「うん……綺麗だね」
「くぅ〜ん」
 ただ、三人と一匹は美しき光景に見とれ……
 ――きゅ〜
 誰かのお腹の虫の声に、顔を見合わせ笑いあう。
 ラルゴがお弁当を広げる。
 いびつな手作りおにぎりを差し出すシンク。
 美味しそうにお弁当をほおばるアリエッタ。
 スノーはブウサギの生肉をアリエッタに差し出す。慌てて二人に止められたりもした。
 笑い声が響く。
 おそろいの花冠を作ってみたり、大きな空を眺めてみたり……
 幸せな時間。
 幸せな日。
 だが――それは長く続かないことを、アリエッタ以外は気がついていた。
 もうすぐ夏。
 ――別れの夏。それは確実に歩み寄ってくる。
 だから――その日まで。
 アリエッタが喜ぶことをしてあげよう。
 皆の思いは一つであった……

 しゃどうりでーかん
 スノーがげんきないです。
 スノーがくるしそうです。
 スノーが。スノーが。スノーが……
 ごめんなさい。アリエッタ、もうなにかいていいかわからないです。

「スノー! スノー! スノー!!」
 アリエッタ……母の声にスノーは首を上げる。力なく一声鳴くと、また床にへたり込む。
 ――春が過ぎ、気温は徐々に上昇し始めた。優しかった日差しも、日に日に厳しさを増していく。
 夏が近づくにつれ、スノーの元気は失われていった。
 元来、アイスウルフは寒い地方に生息する魔物。火山が近いダアトに存在すること自体、かなり無理なことなのだ。
 食欲もなくなり、毛並みもぱさぱさ。今はもう、立ち上がることすら困難となってしまった。
 しかし、アリエッタの声にのみ、一生懸命に反応しようとするが、それは逆に痛々しく感じるものがあった。
「くぅ〜ん……」
「いいから! 起きなくても……いいよ! アリエッタ、ここにいるから。ここにいるから!」
 懸命にお世話をするアリエッタの姿。誰もが声をかけたいと願うが、かける言葉すら見つからない。
 いや……かけなくてはいけない言葉はある。それがスノーを助ける唯一の方法だ。
 だが、その言葉を発すれば、アリエッタを悲しませてしまう。
 いや、きっとアリエッタ自身もわかっている。
 だから、誰も声をかけられない。
「…………辛いもの……ですね」
 誰かは、スノーに傷つけられた鼻の頭を軽くなで
「…………ああ…………」
 ある者は、自分の髪を玩具にしていた頃のスノーを思い出し
「…………優しさ……か」
 『優しさ』と『冷酷』の意味をまざまざと見せ付けられ、苦悩するものもいる。
「…………もう少し……時があれば……」
 幼きものの辛さを、軽減する術を知らぬことに悔いる者。
「…………花は散る定め……か」
 あの日見た花が、どこか寂しく思え、仮面を抑える。
「スノー! スノー……スノー……ぐす……すのぉ〜」
 呼びかけに嗚咽が混じり始める。あまりに切ない声。
 誰もが耳をふさいでしまいたくなる声。
 だが、彼女を本当に思うからこそ、彼女の声を聞き続けなければならない。
「アリエッタ……」
 ラルゴが決意し、スノーを助ける言葉を発しようとした瞬間。
 あの者の手によって静止させられる。
 鋭い光をたたえた男……ヴァンだった。
「……ラルゴ。……私が担う」
「……総長……」
 泣き崩れる彼女の元へと、確実に歩みを進める。
 目を少しだけ開けるスノーの頭を、大きな手で優しくなで……冷たい声ではっきりと告げる。
「アリエッタ。アイスウルフの保護ご苦労だった。
 これより、飛晃艇によってアイスウルフの搬送を行う。目的地はロニール雪山だ」
 ――その宣言はスノーを助ける唯一の方法。
 ――その方法はスノーとアリエッタの別れ。
「嫌! 嫌! 嫌! 何で! 何でアリエッタとスノーを引き離すの!! アリエッタはスノーのママなんだから!!」
 必死になってわが子を渡さぬよう、スノーを抱きかかえる。
 ――その行為はスノーの命を縮める結果になろうとも……溢れる感情を抑え切れなかった。
 どこか寂しげに一瞬だけ微笑むと、ヴァンは彼女に背を向ける。
 淡々と部下に命令を下す。感情を出さぬよう。
「命令に背く第三師団長アリエッタの身柄を拘束せよ。後に魔物の保護」
 総長の命令は絶対のもの。そして、その命令は他の者にとって救いの一つ。
「すまない……アリエッタ」
「嫌!! 嫌い! 嫌い! ラルゴ嫌いぃぃぃっ!! 総長も大っ嫌いぃぃぃっ」
 ラルゴは、爪を立て抵抗する小さな存在を優しく抱えあげる。
 腕に噛み付かれようとも、絶対に離しやしない。そんな傷よりも、アリエッタはもっと深く傷を負っているのだから。
 兵士達によって、大きな白い魔物はどこかへ連れて行かれる。
「スノー!! スノー!! スノー!! すのぉぉぉー!!」
 姿が小さくなっていく「子」の姿に声がかれるまで叫び続け……
 ――悲痛な叫び声と泣き声はオラクルにずっと響き渡っていた――
 

「アリエッタ……別れはいいのか?」
 飛晃艇の一室でヴァンが問いかける。
「…………うっく……うぐ……」
 その問いに嗚咽だけ。彼女には答える気力もない。
 魔物の搬送が始まって数日が過ぎ、すでに雪山の上までたどり着いていてた。
 スノーは雪の冷たさに徐々に元気を取り戻し、今では食事も軽く平らげるぐらいだった。
 いつ魔物を解放してもよいのだが、ヴァンは命令を下さなかった。
 ――アリエッタが別れを覚悟するまでは。
「もう一度問う。別れを惜しむ時間ぐらいやる。どうするんだ」
 冷たい声。今、同情してはいけない。それはアリエッタにもスノーにも悪影響しか残さない。
「……アリエッタ……スノーと別れたくない……です」
 判っていても、どうしても別離の悲しみをもう味わいたくない。
 だから、別れをつげることができなかった。
 ――もう限界か……
 ヴァンは窓の外を眺める。外は珍しく雪が止んでいた。
 魔物を解放するには絶好の時だ。それに、これ以上、六神将達を本部から連れ出すこともできない。
 最後の決断をしかけた時だった。雪の合間から紫の何かが見えた。
 目をこらしてよく見てみると……
「――アリエッタ。外を見ろ」
 ヴァンの言葉に、溢れる涙をぬぐい、窓の外に視線を落とす。
 白い雪。その中にひときわ白い存在。紫の瞳をしたアイスウルフだ。
 飛晃艇の側を歩き回り、遠吠えで何かに呼びかける。
 魔物の言葉がわかるアリエッタにはわかった。それが何に呼びかけているかを。
「――スノーの……本当の……ママ……」
 ――我が愛おしい子。どこにいったの。愛おしい子、どこへ消えたの――
 謡うように寂しげに。遠吠えは何度も続く。
「……お前ならわかるだろう。引き離された悲しみを。失う悲しさを。
 ――ここにいるものは皆、何かを失っている。
 ある者は娘を。ある者は弟を。ある者は住む場所を。ある者は恩師を。ある者は存在を。
 ……そして、お前も失っただろう。愛すべき親と住む場所を。
 その悲しみを知っていて、お前はあの母親から奪えるのか?」
 優しく諭すヴァンの言葉に、一度大きくしゃくりあげ、涙をぬぐう。
「……スノーと……お別れさせて……です」
 ――決意。愛すべき「子」スノーとの別れ。
「ああ……よく言った……では……用意させよう」
 辛い決断をしたアリエッタの頭を、大きな優しい手がなで上げた。

「……スノー……お別れ……です」
 こみ上げる涙をどうにか抑え、笑顔で送り出そうとするアリエッタの姿。
 その光景があまりにも辛くて、あまりにも寂しくて……しかし、泣いてはいけない。一番泣きたいはずのアリエッタが泣くのを我慢しているのだから。
「くぅ〜ん……」
 只ならぬ空気を感じ取り、スノーはアリエッタの前から離れようとしない。
 鼻を擦り付け、甘えようとする。しかし、アリエッタの優しい手はスノーをなでようとしない。
「スノー……ママが待っている。早く帰る……ですっ!!」
「くぅ……」
 ――懐かしい柔らかい毛並み。それに触れてしまったら、せっかくの決意を失ってしまう気がして
「スノー!! アリエッタは!! アリエッタは……アリエッタはスノーが嫌いです!!
 だから、だから……早く消えてぇ……」
 ――精一杯の強がり。甘い誘惑を払いのけるよう、スノーに背を向ける。
「嫌い! スノー嫌いだから……アリエッタは嫌い……」
 ――そう言い聞かせないと壊れてしまう気がして……
「くぅ…………ん」
 寂しげに一つ鳴き声をあげると……スノーは雪山へと歩み始める。何度も何度も振り返りながら。

「――アリエッタ。もう姿は見えないぞ……
 よくがんばったな」
「……スノー、ママと会えた……です? ……スノー幸せそうだった?」
「ああ……幸せそうだった」
「……スノーが幸せならば……アリエッタも幸せ……です。でも、でも……」
「アリエッタに会えて、スノーは本当に幸せだな」
 優しいヴァンの声。それまで我慢していた涙が頬を伝い……
「……もう泣いてもいいぞ」
 その言葉を合図に……アリエッタは想いを涙へと代える。
 優しく包み込むヴァンの胸で……アリエッタは泣き続けたのであった。
 
 しゃどうりでーかん
 アリエッタはね、ほんとうはスノーのことがだいすきだよ。
 うそついてごめんね。スノー。
 ……またね。スノー……
 
 ――白い雪に身が呑まれる。仲間たちと一緒に。
 先ほどまで母の敵である者たちと戦っていたはずなのに。
 粉雪が視界をさえぎる。もがくが、仲間の姿を追うことはできない。
 声を張り上げる。手を伸ばす。だが、雪の流れの中では無意味だった。
 一瞬の出来事。荒い振動に一瞬意識を失った。
 目を覚ましても、辺り一面は暗闇。暗くて冷たい。
 手足の感覚が麻痺してくる。
 頭に浮かぶのは遠い日の記憶。
 ライガママとすごした日々。総長に拾われた日のこと。イオンについていた毎日。
 ――イオンの側にいられなくなった日。ライガママを……殺された日。
 …………六神将と過ごした楽しい時間。
 ――まだ死にたくない。
「……イオン様……総長……リグレット……ラルゴ……シンク……アッシュ……ディスト
 ……………………アニス」
 大切な人々の名を声に出す。しかし、その声は雪に吸い込まれて消えるのみ。
 口を開けば、冷たい雪が容赦なく押し寄せる。
 辛い辛い辛い。
 手を伸ばしても雪ばかりで……
「……アリエッタ……ライガママのところ……いくね」
 意識が朦朧とする。愛するものの側へと旅立ちの準備をした矢先……
 ――懐かしい声が聞こえた気がした。
 雪のように銀色の毛並みをして、暖かい瞳をした……アリエッタの子ども。
「クォーーン」
 今度ははっきりと聞こえる。
 一塩大きな遠吠えの後、小さな遠吠えが呼応する。多数のマモノの気配。
 懐かしい声が唄う。小さな母への想いを。愛する母を助けようと必死に。
 雪をかきむしる音。重い雪がアリエッタの上から取り払われていく。
 徐々に視界に光が戻ってくる。黒い鼻が、アリエッタの上に乗っかっていた雪を押しのけ、光を作り出した。
「くぅ〜ん」
 ――やっと見つけたよ。アリエッタママ――
 幼い頃と同じように、鼻先を彼女へと摺り寄せる。雪を押しのけたせいで鼻先がとても冷たい。
「……スノー……? スノー……」
 感覚が麻痺した腕をどうにか掲げ、銀色の身体に触れようとする。
「きゅ〜んくぅ〜」
 ――アリエッタママ、僕、言い忘れた事があったよ――
 銀色の身体は、腕に擦り寄り、懐かしい感触に紫色の眼を細める。
「ぐるるるるぅ……」
 ――アリエッタママ、僕はね、ママの事、大好きだよ――
「アリエッタも……アリエッタも……」
 溢れ出す涙をぬぐわずに、銀色の柔らかい毛の中へ顔を埋もれる。
 もう言葉はいらない。
 それは本当の母と子と成りえたのだから。
 血が繋がっていなくても……

 
 のーむりでーかん
 アリエッタがスノーをみつけた。 
 こんどはスノーがアリエッタのことみつけてくれた。
 ひどいこといったのにみつけてくれた。
 スノー……ごめんね。
 ううん、ありがとう。だいすきだよ。スノー。
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    某所の影響で『〜……です』が口癖なアリエッタでした。

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