――あの日から、俺は戦いに明け暮れた。

「次!! 俺に殺られたい奴はかかって来い!!」
 彼が身を置くのは、いつも戦場。
 昔は大切な者を守るため。今は――何のためにここにいるのだろうか。
 ――オラクル騎士団――そこに身を置き、スコアを遵守できるよう戦っているのは……神の皮肉か。
 彼の妻はスコアに殺された。なのに、なぜ戦っているのだろう。
 赤い血が飛び散り、苦しみあえぐ声。数々の兵士が、人の手によって命を絶たれる。
 ――それがスコアの導きなのか。
 スコアという運命に抗う者……それはオラクルにとって、排除すべき存在。
 スコアを否定するものは、オラクルの敵。オラクルの敵は彼が始末する。だから命を奪う。
 だが……それすらもスコアに詠まれているのかもしれない。スコアを否定して、そのスコアに殺されるということも。
 ――なら、ここで俺が命を落としても、それはスコアに……

 そんな事を思ったときだった。

 戦いの中、集中力を欠くことは命取りである。
 ――自分の胸に、銀色の刃が突き刺さっていく……
 ずいぶんとゆっくりと感じた。
 痛みは感じない。刃を中心に熱さが広がっていく。
 喉元に鉄の香りが広がる。何度も感じたことのある味。
「や、やったぞ……黒獅子ラルゴをこの手で……」
 歓喜する若い兵士。それは敵。
 無意識に、その刃を向けた兵士へと鎌を振り下ろす。
 飛び散る血。断末魔の声。何かが崩れる音。

 熱い熱い熱い……

「これも……スコアの定め……か? なぁ、シルヴィアよ……」
 巨漢が力を失い、地面へと膝をつく。
 胸に突き刺さった剣をどうにか引き抜き――視界が暗転した。

「ラルゴ様!!」

 ――誰かが自分の名を呼ぶ。
 ――もういい。俺は疲れた。静かに……寝かせてくれ。

 

 

 

 荒れ果てた大地。悲鳴と怒号が飛び交う地。
 ――記憶にある。あれは……
 どこか夢のような光景。自分はあの時、地面の上で見ていた。
 ――ああ、これが走馬灯というものか。
 どこか冷静にその戦場を眺める。

 女が一人、荒れた大地を駆け抜ける。後ろから一人の兵士が追い立てる。まるで狩りを楽しむかのように。
 足に疲労がきたのだろう。女が躓いて転ぶ。胸に抱いていた何かを守るかのように、しっかりと抱きしめ、兵士を睨み付けた。
 兵士が楽しそうに剣を振り上げる。殺戮を望むかのように。
 剣が振り下ろされ……その剣が何かに跳ね飛ばされる。
 銀色の大きな鎌。それが無法者の剣をさえぎったのだ。
 鎌の持ち主は灰色の髪をした男。手に持った鎌が小さく見えるほどの巨漢だ。
「非武装の女性に刃をむれるとは!! 兵士の風上にも置けん!!」
 鋭い眼光が兵士を見据える。その眼光だけで大抵のものは逃げ出すだろう。
 だが、ここは戦場だ。下っ端の兵士は、人を何人殺せたかで価値が決まる。それが、本来守るべき存在の女子供であっても。
 敵国に存在している以上、それは兵士にとって絶好の獲物にしか過ぎない。
「お前!! キムラスカの味方をするのか!! そいつはキムラスカ人だぞ!」
「否! 一般人である以上、それは守るべき存在だ。それを理解できん愚か者は、とっとと消えろ!!」
 強い口調で兵士を諌める。だが、若い兵士の興奮は冷めそうにもない。
 男は愛用の大鎌をかまえてみせる。明らかな殺意を込め、低い声で兵士に語りかける。
「……女性の前で紅い華を咲かす趣味はないが……
 お前が考えを改めぬならば、しかたがない……」
 気だけで、弱いものは怖気つくだろう。兵士は小さくうめき声を上げると、剣を収めた。
「ちっ……」
 舌打ちをすると、兵士は男の前から走り去っていった。


 その場に残されたのは、男と女。
 女はハニーブロンドの美しい髪をしており、若草色の大きな瞳には涙が浮かんでいた。
 仕方が無いだろう。敵国の兵士に襲われ、助けられても敵国の者。
 それも、自分の姿は女子供には怖がられる事が多い。
 踵を返し、彼女に背を向ける。
「……ここは危険だ。街へ帰れ」
 出来る限り優しく、これ以上女性をおびえさせないように。
 立ち去ろうとしたとき、服の裾を引っ張られる感覚に振り返った。
 彼女はまだおびえの残る瞳のまま、しかし、しっかりと彼の瞳を見つめ、声を絞りだす。
「あ……ありがとうございます。おかげで助かりました」
「礼はいらん。とっとと家に帰れ」
 そっけない言葉。短い言葉の中に多くの優しさを秘めている。
 彼女が立ち去るまで、その場を離れようとしない。いつ自分と同国の者が攻めてくるか分からないから。
 街はすぐ側。女の足でもそうはかからないはず。
 しかし、女は動こうとしなかった。動こうとしている気配はあるのだが。
「……街のすぐ近くまで送ろう」
 きっとあまりの恐怖に腰を抜かしたのだろう。彼の言葉に、恥ずかしそうに一つうなづいた。

 ――それが彼女……シルヴィアとの出会い。
 彼女の家に招かれ、一時の宿を貸してもらい……
 彼女と交流を深めていった。
 その後、彼はキムラスカへと亡命した。彼女の側にいるために。
 彼女はとても優しく、とても気丈な女性だった。マルクトに多くの友人を殺されたにもかかわらず、彼を受け入れてくれた。

 
 ――そして――春


「ねぇねぇ、バダック。ほらほら、ここ、綺麗でしょう」
 淡い桃色のワンピースを身に纏い、花畑を駆け抜ける。
 まだ戦時中とはいえ、首都の近くは安全性が高いのか、街を抜け出してはこのような場所に遊びに来ていたらしい。
 様々な花が咲き乱れる中、どこか場違いな気がして、顔をしかめている男がひとり。
 大きな足で花をあまり踏み潰さないよう、できるかぎり花を避けて歩み寄っていく。
 その姿はどこか滑稽で、彼女はころころと笑いをこぼす。
「バダックってば優しいのね。でも、そんなところも素敵だわ」
 とろけるような甘い笑み。その笑みに微笑を浮かべ、すぐに表情を硬くする。
 ――あの事を伝えなければいけない。妙に緊張する。初めて戦場に向かった時よりも、緊張していた。
「……バダック?」
 不安げに彼女が顔を覗き込んできた。固まっている彼を不思議に感じたのだろう。
 大きく息を吸い、懐から小さな箱を取り出す。しっかりと彼女の顔を見つめ、声を出す。
「――シルヴィア……」
 手も声もきっと震えていただろう。大の大人が。
「……愛している。一緒に……いて欲しい」
 飾り気の無い言葉。それが精一杯。
 彼女はの反応は……ただ目をつぶっていた。何も喋らずに……
 草花がこすれる音だけが辺りを支配し……彼女がやっと動き出す。
 一歩一歩彼に近づいてきて……
「……ね、しゃがんでみて」
 彼女の言葉通り、目の前で膝をつく。目の前に優しい微笑みが広がり……
 ――唇に柔らかく甘い感触。
 少し潤んだ瞳が彼を見つめ……
「これが……私の答えよ」

 ――そして二人は結ばれた――


 二人で生活をするようになって、環境は随分と変化した。
 一番の変化は子供が出来たことだろう。
 子供のため、彼は傭兵の仕事にせいをだす。やがて「砂漠の獅子王」と異名をとるほど活躍する。
 戦場では強くも優しい獅子のように、戦地を駆け巡り、家に帰れば妻に尽くす日々。
 それはとても満たされた日々だった……
 そう――あの日までは。 

 

「スコアによれば、明後日あたり産まれるんですって」
「すまない。産む時に一緒にいられなくて」
「いいの。あなたはあなたのお仕事してきて。待っているから」
 幸せそうに微笑む二人に、手伝いに来ていた義母も笑みを返す。
「大丈夫よ。私かいるからさ。でもシルヴィアも幸せね。いい人で」
「ええ、幸せよ。それよりも……母さんも忙しいんでしょう。
 もう少しで王女様が産まれるって話じゃない。私のことはいいから」
「ダメよ。初孫なんだから、しっかりと抱かせてよ」
 暖かい親子の会話。家族の記憶が薄い彼には、少々場違いのような気がし……部屋を出て行こうとした時……
「あ、まってよ」
 大きなお腹を抱え、ドアの近くにいる彼の元へと歩み寄っていく。お腹を優しくなで、
「この子の名前、付けていって。あなたにつけて欲しいの」
 突然のお願いに、彼はしばらく沈黙する。何やら歌のようなことを口にして
「……メリル」
「え?」
「メリルってのはどうだ。古代イスパニア語で『光に咲く花』という意味だ」
「まあ、あなたがプロポーズしてくれた場所に咲いていた花ね」
 彼女の言葉に、彼は顔をほんのりと赤らめる。精一杯のプロポーズだったが、どこかぎこちなくて、いつにたっても情けなく感じていた。
 そんな彼が可愛くてしょうがないのか、くすくすと微笑むと、顔を上に向けて背伸びをしてみせる。
 出かける時の儀式。まだくすぐったくて彼にはなれそうにも無い。
「……いってくるよ」
 少ししゃがみこみ、彼女に顔を近づける。軽い口付け。柔らかい香りが、戦い前の緊張を抑えてくれる。
「……ん、早く帰ってきてね」
 満足そうに微笑むと、彼女は手を振って見送ってくれた。


 ――それが彼女を見た最期の姿だった。


 産まれた子は、スコア成就のために奪われ

 ――やめてくれ! これ以上思い出したくない!!

 彼女は心身喪失の状態になり

 ――もう、あの光景は見たくない!!

 ……冷たい海に抱かれて……命を落とした……

 ――俺は……俺は……俺が……あの時に……

 

 

 

 

 ――暗闇。
 ――そうか、先ほどのは走馬灯。それならば……俺はシルヴィアに会えるのか……

 安らかな暗闇の中、彼は身を横たえ……

「私はまだあなたに会いたくなかったんだけどな」

 懐かしい声。目を開ければ、懐かしき妻の姿。あの日、失った姿のまま、そこで優雅に微笑んでいた。

「シルヴィア……これは……」
「まだ死出の旅路ではないからね。これは夢。……そう、まだあなたは生きているんだから、夢よ」
 ころころと変わる表情。頬に暖かで柔らかい感触。
「まだあなたとは会えない……もう少し、待っててね」
 幼子を諭すかのように、彼の髪を優しくなで上げる。
「あなたはまだ……やらなきゃいけないことがある。ほら、耳を済まして」
 彼女が空を見上げる。視線を追えば、暗闇の中、一筋の光が見えた。
「あなたをまっている人がいる……ね、だから……目を覚まして……」
 急速に薄れ行く彼女の姿。慌てて彼女の腕をつかむが、光となって闇に解け始める。
「シルヴィア!! 俺はお前に謝らなければ……」
 それでもなお、光をかき集めるように両手を広げる。それが無意味だと分かっていても。
「何を謝るというの。あな……たは悪……くないん……だから……」
 彼女の声すらもかすれ始める。二度目の別れ。
 どうしようもなく、宙をかきむしる。
「…………あなた……愛しているわ……」
 それが最後の言葉。そして彼女の姿は掻き消えた。


 ――彼女が消えた闇は……ひどく苦しくて。ひどく寂しくて。
 どこにこんな弱い感情が詰まっていたのかと、自問するほどで。


 ――ラ……ル……ゴ――

 暗闇から響くもう一つの懐かしき声。

 急速に光が彼を包み込み、強い痛みが身体を支配し始め。

 

 

 目が覚めたとき、広がったのは見覚えのある天井。
「……ここ……は……?」
 胸の傷が痛む。
 ――そういえば、あの時、敵に胸を貫かれ……
「ようやく目を覚ましたかい?」
 聞こえてきたのは、同僚の声。声の主を探せば、自分の側で椅子に腰掛けている少年が一人。
「シンクから連絡を受けてきてみれば……黒獅子たる者が、なんたる体たらくだな」
 今度は女性の声。壁に寄りかかり、鋭い視線でこちらを見ている。
「……ここは……」
「アリエッタに感謝するんだね。ここまで運んできてくれたのは、彼女のライガたちだから」
「はーっはっはっは、血相変えて、アリエッタに知らせに行ったのは、どこの仮面でしたっけねぇ」
 からかうように言う嫌味っぽい声に、シンクはそっぽを向く。
「今は一人でも減ると任務に支障がでるからね。それで連絡したまでだよ。
 にしても、ディスト煩いよ。アリエッタが起きるだろう」
 よく見れば、アリエッタはラルゴの足元で眠りに落ちていた。しっかりとラルゴの手を握ったまま、涙のあとを残して。
「……アリエッタは、ずっとお前についていた。起きたら礼を言っておくように」
 そっけない態度でリグレットが部屋を退出しようとする。
 が、ドアを開けようとして動きが止まった。ドアの外に向かって話しかける。
「……アッシュ、心配ならばはいってくればいいだろう。そんな何時間もそこにいなくても」
「ば!! ……俺は奴がどうなろうと知らん!!」
 足早に部屋を離れる足音が響き……
 自然とラルゴの顔に笑みが浮かぶ。
 ――皆、自分が傷つき、倒れたとき、心配してくれていた。
 いつ目を覚ますか分からなくても、ずっと側にいてくれたのだろう。
 それは皆の顔をみれば分かる。皆、疲労した顔をしているからだ。

「今日は閣下のご慈悲で、皆、訓練は中止だ。各自、休息をとるように。
 特にラルゴ。お前はしばらく任務からはずす。――早く傷を治せ」

 冷たいような言葉の中に広がる、優しい言葉。

「ん……じゃあ僕も寝ようかな。……ディスト、変な高笑いで起こさないでよ」
「はーっはっはっは、変な高笑いとはしつ……」
「……ふみゅ……ディスト……煩い……です」
 表に出さない優しさ。隠された優しさ。手のひら一杯の優しさ。

 いつものように騒がしくなりつつある日常。

「……また出会えたときには……にぎやかな仲間たちの話を聞かせてやるから……
 もう少し、待っていてくれ」
 胸に出来た大きな傷をゆっくりとなでながら、静かに呟いた……

 
 ――愛しきシルヴィア。次に出会う時には、たくさんの話をしてあげよう。
 ――愛しきシルヴィア。だから、まだ見守っていてくれ……
 ――俺と……素直ではない仲間達を……


 

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