窓からぼんやりと外を眺める。
いつもの世界会議。
アメリカがバカな発言をし、イギリスがチャチャをいれる。
フランスはマイペースにセクハラして、ドイツに叱られる。
イタリア兄弟はすでに今夜の夕食の献立について激論を続けている。
ロシアは得体のしれない笑顔を浮かべ、傍らでバルト三国が恐怖に襲われていて。
「全く……もっと楽しい話題にすればいいし。
ピンクの城建てるとか」
ポーランドはつまらなそうに呟くと、窓の外に広がる青い海を眺め……
水面が揺れるのを確認した。
最初は魚か何かだと思ったが、それにしては波紋が大きい。
もう一度、目を凝らして海辺を見つめる。

水面に走る波紋。中心部に佇むのは、美しい髪の少女の姿。
肌には何も身に着けておらず、滑らかな肌を流れ落ちる水がまるで宝石のようで。
輝く太陽を見上げ、大きく深呼吸すると、もう一度海の中へと潜り。

「ポーランド、何か意見でもあるのか? HAHAHA、珍しいんだぞ」
急に立ち上がったポーランドに、少々あっけにとられた様子のアメリカが問いかける。
しかし、彼は返事もせず、椅子を蹴り飛ばし、会議室を飛び出していった。
一同はしばし沈黙したが、ポーランドの奇妙な行動は今に始まったことではないため、すぐに話し合いという名の騒ぎが再開された。


階段を駆け下り、廊下を全速力で走る。
途中、誰かの秘書らしき人物とぶつかりかけるが、どうにか回避して、再び速度を上げる。
建物の外に出ると、まぶしいぐらいの太陽の光に目を細め、すぐに海辺へ視線を向けた。
あまり波もないのに、大きく水面が揺らぐ。それを確認し、もう一度駆け出した。
服が濡れるのも気にしない。海の中へと入り込む。
近づいてくる少女の背中。懐かしい姿に彼は満面の笑みで『彼女』の名前を呼ぼうとし。
「……違う。あいつじゃないし」
肩を落とし、ぽつりと呟く。
その声に少女は彼の存在に気がついたのか、警戒心も無く振り向いた。
「あれ? えっと確かポーランドさん……でしたよね」
振り向いた少女……セーシェルは不思議そうに首をかしげ……そして、一テンポ遅れて現状に気がつき、顔を赤らめた。
現在、彼女は何も身に着けていない。
皆は世界会議をしているはずだし、プライベートビーチの為、まさか誰かが現れるとは思いもしなかったから。
健康的な裸体を手で隠し、首まで水に浸かる。これで少しは見えなくなるはずだ。
熱くなる頬を海水で冷やし、ちらりと彼を見上げた。
いつもとは違い、無表情で水平線を見つめている彼。
『黙っていれば結構カッコいいんだけどな』と彼女は心の中で呟くと、大きくため息をついた。
それから、現状を打破するべく、彼に気がつかれないよう海に沈んだまま、背後に回り……
頭にかかる何かの布。視界が何かに閉ざされた。
「それ着ればいいし。もう濡れてるから気にせんでいいよ」
視界をさえぎったものに手を伸ばす。どうやら先ほどまで彼が着ていた上着らしい。
ためらい気味にそれを手に取り、胸元を隠して立ち上がった。
「えっと、あのあ、ありがとうございます」
「ほんと、気にせんでいいし。そんな身体見たって面白くないしー」
いつもの明るい口調に戻った事に、安堵のため息をつき……すぐに彼の言葉の違和感に気がついた。
「ちょっ、そんな身体って失礼ですよ! 一応身体には自信があるんですから!」
「そんならば上着いらないよなーとっとと返すしー」
「うきゃあっ、や、ひっぱんないでください! やだっ!」
楽しそうに笑って上着を引っ張る彼と、奪われぬよう必死に抵抗する彼女。
それは世界会議が終わったリトアニアに発見されるまでじゃれあいは続いたのだった。


「隣、いいですか?」
浜辺に座り、ぼんやりと海を見つめているポーランドを見つけ、セーシェルは声をかけた。
ちょこんと隣に座り込むと、彼が見つめている視線の先を追う。
優しいさざ波の音が辺りを支配する。月明かりが柔らかに揺れる波に反射し、神秘的な光景を作り出す。
「……何、考えているんですか?」
「何って……んー、ピンクのポニーの事」
へらっとした笑みを彼女に向け、すぐに視線を逸らした。
真っ直ぐに見つめてくる彼女の瞳を見たくなかったから。
もう一度、水平線に視線を向ける。
「……言いたくないんでしたらいいんですけれど。
誰かに話す事で楽になれる事もありますからね」
そして二人とも黙り込む。
長い沈黙。
こんな状態ではどうしようもないと思ったのか、彼女は立ち上がって、服についた砂をはたく。
静けさを保ったまま、彼に背を向け。
――スカートの裾が何かに引っかかった。
彼女は振り返り、その原因を探り……小さく息を吐いた。
スカートの裾を握り締めていたのは寂しそうな瞳をしたポーランド。
彼の瞳は水平線を眺めており。
「……ただの昔話なんよ。意味も無い」
口調はいつものように軽い。しかし、明らかに沈んだ声だった。
「昔な、ワルスとサワって奴がいてなー、貧乏な漁師夫婦だったけど、まじいい奴らでさ」
一瞬だけ彼女の方を見る。瞳は深い海のように穏やかな色を湛えている。
彼の横にもう一度座り込み、スカートを掴んでいた手に触れた。
びくりと肩を震わせたが、それだけ。裾は解放され、彼女の手の暖かさに目を細める。
「あいつら馬鹿真面目で、必死に魚とって、でも貧乏で。
それでも頑張って真面目に働いて」
大きく息を吸い、ひたりと水平線に瞳を向けた。
「で、ある日、ワルスの網に人魚がかかったんよ。それが綺麗な人魚でな。
人魚は『川に返して欲しい』ってから、馬鹿正直に返した。貧乏だから見世物にすれば金儲かるのになー」
「そうですね。でも、その馬鹿正直さを持った夫婦が好きだったんでしょ。ポーランドさんは」
静かなセーシェルの声に、彼は苦笑を浮かべて見せた。
「まあな。でな、人魚は感謝して、その夫婦を祝福し……それから豊漁になり、二人は幸せになりましたって」
そこまで言うと、彼は瞳を閉じる。
「俺はその夫婦とも人魚ともマブダチで、良く遊んだし。
あいつらの近くに人が集まって、村が街になって、賑やかになって。
でも……」
彼女の手を振り払い、拳が彼の目元に運ばれた。まるで涙を拭うような仕草。
「……人間って、何であんな脆いん? ちょっと風邪ひいたぐらいであんなにあっさり。
人魚もどっか消えるし。こんな事になるならば、あいつらとつるまなければと。忘れてやろうと思うのに」
「忘れられず、その夫婦が過ごした街を守ろうと頑張っていたんですよね」
「ん。あいつらの事忘れん為に、首都をあいつらの街にして、名前もあいつらにして。
いつ人魚が帰ってきてもいいように、人魚の像も作って」
膝を抱え込み、顔を伏せた。
震える肩を優しく抱き寄せ、背中をぽんぽんと叩く。
それは子供を慰めるような行動で。
暖かな誰かのぬくもりに、彼は大きく息を吸い込み……
彼女の膝に落ちる暖かな何かの感触。
「っ……泣いてなんかないんよ。泣いてなんか……これはアレ。そうアレでアレなんだし」
涙をぽろぽろと零しながら必死に言い訳を考える彼。それをただ抱擁し受け止める彼女。
優しい波の音が彼の泣く声を掻き消してくれ。

 

「……今度、ワルシャワに案内すんよ。マジいい街だから」
彼女の膝の上に頭を預け、手を天に向ける。
もう少しで月すらも手に入りそうなぐらい美しい夜空。
彼の手を優しく包み込み、頬に当てる。
「そうですね。案内してくれますか? 楽しみです」
潮風で少しだけ冷えたほおに、彼の体温は気持ちよい。
彼ももう片方の手を伸ばし、彼女の清艶な髪に少しだけ触れた。
毎日海と一緒の生活をしているはずなのに、全然痛んでいない髪。滑らかな手触りが気持ちよい。
「……ずるいし」
ぽそっと呟いた声に、彼女は一瞬だけ眉を顰め。
首に手を回し、勢いに任せて砂浜に押し倒した。
彼女の瞳に映る月。何が起こったか理解できなかったのか、瞬きを数回。
すぐに現状を把握し、顔を赤らめ、手足をじたばたとさせた。
「へへっ、油断大敵だしー。さーて何をしてやろうかなっと」
にやりと笑みを浮かべ、彼女に顔を近づける。
反射的にぎゅっと目をつぶり。
……肌に触れる何かの感触は中々無かった。
その代わりにきゅぽんと何かを引き抜く音。
鼻先にかすめるのはよく嗅いだ事のある香り。それはよく会議中に使用されていて。
「えっちょっと! もしかしてそれマジック! それも油性の!!!」
目を開け、力任せに起き上がった。顔のすぐ横を通り過ぎたピンク色の何か。
「ちぇっ、折角面白くしてやろうと思ったのに」
つまらなそうに舌打ちする彼。どこから取り出したのだろうか。手にはピンク色のマジックを持っていて。
「あーもう、ポーランドさん! そんなので書いたら肌が荒れるじゃないですか!」
「大丈夫だし。これ、顔料ってやつだし」
どこかずれた発言に、彼もやっぱりずれた答えを返す。
しばらく二人にらみ合い……
「……ぷっ」
「……ふふっ」
どちらからともなく笑いがこぼれてきた。
声を上げ、今度は二人して高らかに笑い声を上げる。
笑いながら砂浜に寝転び、大きく息を一つ。
瞳に浮かんだ涙を指で拭い、ちらりと隣で横たわっている彼の顔を見る。
彼も彼女と同じく楽しそうな顔。
安堵のため息を一つつき、空を見上げた。
「……ポーランドさん。今、幸せですか?」
「もちろん。全力投球で幸せだし」
「……そうですか」
彼の幸せそうな声に、彼女は満足そうに息を吐き……穏やかに流れる波の音に心を委ねる。
海のさざ波の声。頬をかすめるさわやかな夜風。

――そして、遠くで水の跳ねる音――

「……俺は大丈夫。だから、心配せんでいい。なぁ…………」
ぽつりと呟いたポーランドの言葉。誰かの名前を言った気がしたのだが、それを問う気は無い。
心地の良い眠りの波が彼女を襲っているから。
そしてそのまま、まどろみの中へと落ちていき――


「お前達、何で会議に遅刻した!」
次の日、二人そろってしっかりと会議に遅刻し、ドイツにこってりと叱られもしたのだが。
それはそれできっと楽しい思い出の一つになったのだろう。





初出……忘れた
某『世界の車窓から』でポーランドの特集を見ていて、思いついた話だったりします。
ワルシャワには人魚の伝説があるそうで。
中々ロマンティックですね。


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