「ただいま帰りました」
彼女が家へとたどり着いたのは、夜も更けた頃だった。
暖かい光に涙が溢れそうになるが、どうにか押さえ込んだ。
ここで泣いてしまったら、みんなに心配をかけてしまうから。
彼女の声に、ばたばたと皆が玄関へと走ってきた。
「お帰りなさい。こちらの作戦はうまくいきま……ハンガリー!!」
一番最初に駆け寄ってきたオーストリアが、彼女の姿を見た途端、声を失った。
頬は赤くはれ上がり、髪はばさばさ、疲れ果てた表情をしているのにどうにか笑おうとしている彼女。
「おかえり〜待ってたよ〜」
その後ろから笑顔で掛けてくるイタリアを手で静止させた。こんな姿を見せられないから。
彼女が見えないよう自分の身体でさえぎると、つとめて平静を装った。
「少々お待ちなさい。イタリアはハンガリーの為に軽い食事を作っていただけますか?
ドイツはグリューワインを。少々ラム酒を大目にしてください。
プロイセンは……」
できればプロイセンにはもう少し休んでいて欲しかったが、
意識が戻った今、おとなしくベッドに寝ている事はできないだろう。
ここで『何もしないで良い』といっても、逆効果だろうから。
「あー、ドイツかイタリアでも手伝っておいてください。邪魔はしないように。
私は冷え切った彼女を湯殿に案内しますから」
動揺を見せぬよう、的確に指示をだしていく。
3人とも少々不思議な顔をしていたが、彼女は疲れたのだろうと判断し、各自指示された事をし始めた。
姿を隠すよう、彼女の肩を抱き寄せ、浴室へと向かった。
浴槽にお湯を張り、シャワーで中を暖める。
その間もぴくりとも動かない彼女に、顔を覗き込んだ。
赤く腫れた頬。虚ろな瞳で、彼を見上げる。つーっと落ちる一筋の涙。
唇が微かに動いた。本当に小さな声で。
「ごめんなさい……私私……」
「いえ……私が悪いんです。貴女一人で行かせてしまったのですから」
唇に優しくキス。鼻先をかすめたのは、誰かの精液の臭い。
「まずは……身体を温めましょう。脱がしますよ」
できる限り優しく、衣類を脱がしていく。
コートを脱がせると、見慣れぬ男物の服。このサイズだと、何となくは予想がついた。
きっとあの真面目な『彼』が服を貸してくれたのだろう。
胸元のボタンをはずす。首筋に見える赤い痕に目を逸らしてしまいたくなる。
しかし、ここでそらす事はできない。
シャツを脱がせ、ズボンを下ろす。いたるところに痣があるのが痛々しい。
「ほら、こちらです」
シャワーの下へと手を引き、移動させる。自分が濡れる事も気にせずに。
熱い水が身体を流れ落ちていく。
男の臭いが水に溶けていく。
それなのに、まだ残っている気がして。嫌悪感に頭がどうにかなりそうで。
「ごめんなさいごめんなさい……」
謝罪の言葉しか出てこない。
戦士としては、名誉の負傷だと思う。
だが、彼の顔を見ると、どうしても女の部分が悲鳴を上げる。
彼の敵に抱かれてしまった。取り返しのつかない出来事に、心身が悲しみにくれる。
だけれども、彼は笑顔で。優しい笑顔で穢れたはずの身体を抱きとめてくれた。
「大丈夫です。私は貴女を愛しています。だから、泣かないでください」
シャワーの下で、唇を合わせる。中にまでは進入しない。できる限り、優しくいたわるようなキス。
唇を離すと、おでこを合わせ、まっすぐに瞳を見つめた。腕を絡め、手のひらを合わせるように握り締める。
「愛しています。愛しています。何度でもいいます。貴女を愛してます」
赤く腫れた頬にキス。首筋の赤い痕にキス。痣を癒すかのように、唇を落としていく。
柔らかい肌、整った指先、豊かな胸。
いつものように愛したい。肌を重ねたい。身体を繋げたい。鳴く声を聞きたい。
けれど、今劣情に流されていたら、あの男と同じになってしまう。
――愛しているからこそ、今は抱けない――
後ろからぎゅっと抱きしめてから、手に石鹸をつけ、彼女の身体を洗う。
豊かな胸をゆっくりと撫で、汚れを落とす。
最初は身体を硬直させていたが、やがて身を委ねるよう、彼に寄りかかってきた。
「ん……はぁ」
甘い声が唇からこぼれ始めた。彼の手に感じはじめたのだろう。
白い泡の中から、ピンクの蕾が顔を出した。蕾を慈しむよう、指で挟み、軽く転がす。
細い腰に手を伸ばし、花弁に触れた。ぴくりと震える身体。
「ふくぅ…やぁ……オースト…リアさぁ…ん」
潤んだ瞳で彼を求める。それに答え、唇をもう一度合わせた。合わせるだけの優しいキス。
唇を合わせたまま、蜜壷に指を進入させると、ゆっくりと中に残った精液をかきだした。
精液以外の液体……新たな蜜が溢れているのがわかる。
絶え間なく収縮を続け、彼の指を飲み込み……
「……ぁ、あぅ…もぅ……くるっ」
声が一段と大きくなり、彼にもたれかかる。
呼吸を整えようとしている彼女の頬にキスをすると、身体を抱きしめ、泡を熱いお湯で流した。
もうこれでいい。
バスタオルを取り、彼女を包む。
彼女を抱きかかえ、脱衣所に出ると、女性物の服と何故か彼の服まで一式揃っていた。
こんな事まで気がきく者といえば、『彼』しか思いつかない。
「……聞かれてしまいましたか」
小さく笑うと、ため息をついた。
そのため息は、愛する者への愛の言葉を聞かれた事への羞恥なのか、
はたまた可愛らしいあえぎ声を聞かれてしまった事への嫉妬なのかは、彼にもわからなかった。
床にバスタオルを敷き、そこに彼女をそっと横たえる。そして何度目かのキス。
その姿はまるで、御伽噺に出てくる王子と眠れる姫君のようであった。
御伽噺と同じように、彼のキスで目覚めた姫君は、幸せそうな微笑を浮かべた。
「オーストリアさん……」
手の甲に、頬に、まぶたに、そして唇にいたわりのキス。
まっすぐに瞳を見つめる。
「……ハンガリー、辛いこと聞きますけれど……笑えますか?」
優しい笑顔がすっと消え、真剣な眼差しで問いた。
この家でゲルマン兄弟はハンガリーの為に料理を作ってくれている。そしてイタリアもいる。
今、ゲルマン兄弟の精神はかなり不安定だ。
もしここで、ハンガリーの辛そうな姿を見れば、彼らは気がついてしまうだろう。
――ハンガリーがロシアに何をされたかを――
特にプロイセンはその事を知ったら、どういう行動を起こすか容易に想像がつく。
その行動を起こしてしまったら……今度こそ、プロイセンはこの世界から消えてしまうかもしれない。
だからこそ、オーストリアは問いたのだ。彼らの前で笑えるかと。
残酷な問いだとはわかっている。
本当ならば、今夜は誰にも会わせず、静かに眠らせてあげたい。
ハンガリーは目をつぶる。
「――正直怖いです。
何かの拍子で、ロシア……さんとの時間を思い出してしまいそうで。
でも、大丈夫」
今度は彼女からキスをした。腕を伸ばし、彼の手をぎゅっと握り締めた。
「オーストリアさんが傍にいます。だから、私、笑えます」
「……貴女は強いですね。でも、無理はしないでください。
いつでも寄りかかっていいんですから――」
――そして、彼は手を肩に回し、強く強く抱きしめた……
「あ、ハンガリーさんだ。ヴェ〜お帰り♪」
「イタちゃん、ただいま♪」
ハグしてくるイタリアを受け止め、頬に軽くキスをしてあげる。
キッチンからは、呆れ顔のドイツと、少々不機嫌なプロイセンも出てきた。
不機嫌な理由はわかる。イタリアを可愛がっているからだ。
同じ理由で不機嫌そうな表情を見せる貴族も後ろにいた。
――すぐに顔に出るのは代わっていないのね――
似ていないようで、結構そっくりな幼馴染達を見つめ、自然に笑顔が浮かんだ。
「はいはい、ただいまね」
プロイセンとドイツにもそれぞれ頬にキスをする。
慌てるプロイセンが妙に可愛くて……ちょっとだけハグを強めにしてみせる。
それに嫉妬するオーストリアも可愛らしい。
「あれ? そういえばハンガリーさん、その頬どうしたの?
それにオーストリアさんもさっきと服が違うような」
妙な所で鋭いイタリアに、うろたえるハンガリーとオーストリア。
すぅーっとプロイセンの瞳が陰った。なにやら悟ってしまったのだろうか。
急いで言い訳を考えようとするが、咄嗟には言葉にできない。更にプロイセンの表情が暗くなり、
「あー、風呂に入ろうとしたハンガリーが、足を滑らせておぼれかけたらしい。
で、オーストリアが助けようとしたってわけらしい。
こんな情けない事、黙っていようと思っていたんだが」
ドイツのさりげないフォローに、気づかれぬようため息をつく二人。
「ふふふっ、何か疲れていたみたい。でも、もう痛くないから大丈夫。心配してくれてありがとうね。イタちゃん」
頬に二度目のキス。頭のくるりんがハート型になる。かなり喜んでいるようだ。
プロイセンの小さな吐息。思い違いに安堵のため息をついたのだろう。
しかし、それを気づかれないようにするため、わざとらしく声をだした。
「ケセセセ、ドジな奴だ。ま、ハンガリーらしいっちゃらしいな」
嫌味な笑い声をあげるプロイセンに、彼女は無意識にフライパンを握り締めていた。
「ちょっとは心配しなさぁぁぁぁいっ!!」
フライパンを持って走るハンガリーに、それから逃げるプロイセン。
呆れ顔で、食卓の準備をするドイツに、楽しそうに笑ってから手伝いを始めるイタリア。
その光景を眺め、オーストリアは満足げに幾度か頷いたのだった。
「あの、オーストリアさん……」
「ダメです」
ぶかぶかのワイシャツを羽織っただけのハンガリーがベッドの上に座り込んでいた。
その横では、楽譜を広げているオーストリアの姿。
彼のブラウスの裾をちょいちょいとひっぱると、首をかしげる。
「オーストリアさぁん」
「ダメです。今夜は身体を休める事が優先です」
甘い声を出してみても、きっぱりと拒否され、抱きしめていた枕に顔をうずめる。
「私は大丈夫ですから。その……私、オーストリアさんが欲しいんです」
「ダメだといっているでしょう。まだ傷もいえていないんですから、しばらくはお預けです」
「そんなぁ……うーオーストリアさんのが欲しいです〜」
「ダメです。貴女の為なんですから」
「わかっていますけど……じゃ、私が気持ちよくさせてあげ……」
「ダメです。気持ちよくなる時は、一緒にといっているでしょう」
「うー……こんなんじゃ眠れませんよぉ。ねぇ、一回だけでいいですから」
「ダメです。ほら、今夜は抱きしめて寝てあげますから、それで我慢なさい」
ぎゅっと抱きしめられ、ベッドに押し倒された。
胸元に顔を押し付ける。独特の男の香りにつつまれ、気持ちが安らぐ。
「むー、じゃあ、どれくらい待てばいいんですか?」
すねた声で問う。
「そうですね。一週間ぐらいですかねぇ」
「えー、一週間もお預けなんですか?!」
顔をあげ、抗議をしようとするが、すぐさま口は彼によってふさがれてしまった。
少し期待はしたが、やはり軽いキスのみ。
「キスもお預けなんですか? もっともっとオーストリアさん味わいたいんです」
「深いキスなんかしたら、私が止まらなくなるでしょう。それも一週間後のお楽しみです」
「止まらなくてもいいのに……」
頬を膨らませる仕草が可愛らしく、頬にもキスを一つ。
「怒らないでください。一週間後にはうんと可愛がってあげますから」
「たくさんですよ。たっくさんオーストリアさん入れてくださいね」
「はい、入れますよ」
「たくさん、一緒にイきましょうね」
「ええ。もちろん」
「たくさんたくさん愛してくださいね」
「もちろんです」
「ずーっとずーっと……」
「ええ、ずっとずっと」
「ヴェスト、部屋貸してくれ」
夜更け、ドイツの部屋のドアをノックしたのは、枕をかかえたプロイセンだった。
少しやつれた顔を見て、何となく事情を察した。
昼間の風呂場での情事、食事後の微妙な空気をまとった二人。
そしてプロイセンの部屋は二人の隣だ。
寝室の壁は完璧な防音壁にはなっておらず、耳を澄まさなくとも隣のようすは耳に入ってしまう。
プロイセンにとって幼馴染のような二人の夜の声を聞くのは、かなり辛いことだろう。
「あー……災難だったな」
「災難も災難だ。あいつら聞こえないと思って、あんなにいちゃいちゃいちゃ……」
自分で言っていてダメージを受けたのか、しゃがみこんで滝のような涙を流し始めた。
「あーもう、一人楽しすぎだ。ケセセセセセ……せせせ」
こう見えても、プロイセンの心は脆い。だからこそ、人一倍強がっているのだ。
彼の家はロシアから開放されたが、このまま一人で暮らさせるのもいろいろ問題はあるだろう。
それならば。
「……兄さん、俺の家にこい。一緒に暮らそうな」
肩をぽんと叩くドイツに、プロイセンはただただ涙を流し続けた。
2009/04/30初出
壁崩壊シリーズ3作目
今度はいちゃらぶらぶもの。
いろんな意味で強いおねーさんは好きです。
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