灰色の世界。
封じられた世界。
笑っていた自分はすでに遠く。



「ねぇ、君は僕のものだよ」

――煩い

「僕の物なんだから、強くないとダメだよ」

――黙れ

「ねぇ、聞いてる? 君は僕の物。だから、言う事聞くんだよ」

――だから、黙れ。




 暗い家の中、彼は目を覚ます。物音のしない室内。
 まばたきを数回。しかし、目に映るものは変わりそうにない。
 身体が重い。動けない。動きたくない。
 だが、動かないといけない。自分のためにも。

「……だりぃ」
 ベッドからのっそりと抜け出すと、重い身体を引きずってキッチンへと向かった。
 騒然としたキッチンには淡々と食材が並んでいる。どれも調理しなくても食せるものだ。
 パンとヴルストだけ取り出すと、単品のままかぶりつく。
 味気ない食事。いや、もう味はしない。
 食事というよりは、ただ、栄養を身体の中に入れているだけなのだから。
 食べなければ、いつかは滅んでしまう。もし、滅んでしまえば、全てはアイツのモノになってしまうだけ。
 それだけは避けたい。たとえ、この先、アイツに支配されようとも、『自分』を保っていたい。
「……情けねぇな」
 嘲笑を浮かべる。
 以前はあんなに力を持っていたのに。この様はなんだ。
 以前は全てを兼ね備えていたのに、今となっては情けない自分が存在しているだけ。

 ――このまま消えてしまえれば、どんなに楽か。

 何度その考えが浮かんだか。その度に、自分の中に残された誇りが邪魔をする。

 半分しか食べれなかったパンを机の上に置き、再びベッドに横になった。
 

 目をつぶれば思い出される昔の光景。すでに色もなくなっているが、幸せだった毎日。
 もう何もしたくない。その思い出の中だけで生きていたい。
 目を開けなければいい。そうすれば、夢の中で生きていける。
 いつものよう大きく呼吸をし、意識を深い暗闇の中に手放した。



『あー、もう、何馬鹿な事やってるのよ!!』

 懐かしい叱咤が聞こえた気がして、目を覚ました。

 ――昔、よく馬鹿をして、ハンガリーにどなられたりしたっけな……

 オーストリアをからかい、ハンガリーにフライパンで追い掛け回され、ヴェストに呆れられる。
 その時は、いつまでもこの関係のままだと思っていた。
 こんな灰色の世界に取り残されるとは思ってもいなかった。
 久しぶりに聞こえた懐かしい声。少しだけ気分がよい。
 ここでもう一度目をつぶれば、またその夢が見れるかもしれない。
 もう一度目をつぶる。またその夢が見れるよう祈りながら。

 ――コン、コン――

 音の無い部屋で、何かが窓を叩く音。
 眠りにつきたいのに、邪魔する音に眉をひそめた。そして無視を決め込む。

 ――コンコンコン――

 再び聞こえる音。今度は少しだけ強く。
「あーもう、煩い!!」
 枕を床に投げつけ、音の原因を探る。
 音は窓辺から聞こえた。どんよりとした夜空が映し出される窓。そこに、それはいた。
 小さな藍黒色をした鳥が首をかしげる。ツバメだ。
 なぜ、こんな所に……と、興味がわき、思い身体を引きずって、窓辺に向かった。
 鉄格子のように重い窓を開き、ツバメに触れる。ツバメは逃げようとしない。逆にくちばしを擦り付けてきた。
「はははは、逃げねぇのか」
 可愛い仕草に、頬が緩む。
 懐かしい感覚を思い出し、彼の動きが止まる。
 久しぶりに笑った気がした。もうどれだけ笑っていなかったのか。
「ありがとな。で、お前はなんの用事だ? ……ん?」
 ツバメの足元を見れば、なにやら小さな手紙がくくってあった。
 破かないよう、慎重に開き、中の文字を読む。
「……あ……」
 息を飲んだ。そこには短い文章しかなかった。

『馬鹿! 引きこもってないで出てきなさい! 私の家の扉、開いておいてあげるから』

 名前は記入されていない。しかし、わかる。この筆跡は……


 「ハンガリー……」

 彼は飛び出した。裸足のまま。
 冷たい夜の空気。誰もいない街並み。そこをただ走り続ける。
 足が痛い。息が苦しい。だけれども、足を止める事はできない。
 もう少しで、もう少しで懐かしい者に出会える。

 ――もう少しなのに――

「どこ行くのかな?」

 前に立ちふさがったのは、無垢な悪魔。
 笑みを浮かべて、首をかしげる男。
「君は僕の物なんだよ。その足もその手もその腕もその瞳も。全部全部僕の物なのに……
 どこに行くの? 勝手に行くなんて許さないよ」
 足がすくむ。その冷たい瞳に見つめられると、凍りついたかのように身体が強張る。
「……黙れ。俺は俺だ。俺以外の奴が俺を支配できるわけねぇ」
 声をしぼりだすが、声も身体も震えていたのははっきりとわかった。
 男は楽しそうに笑うと、彼の腕をつかんだ。強い力で。
「そんなに怯えなくてもいいじゃない。ね、僕と一緒に暮らそうよ」
 男の唇がゆっくりと自分の名前を口にしようとしている。
 この男に名前を言われてしまったら、言霊に縛られてしまう。
 ああ、この男には逆らえないのか。
「プ……」
「プロイセン!! こっち!!」
 男の言葉をさえぎる様に、女の声が響き渡る。
 前を見れば、金色の長い髪をなびかせる懐かしい女性の姿。
「早く! こっち来なさい!」
 領域ぎりぎりに手を伸ばし、彼の手を求めていた。
 その手に触れたかったが、身体に力が入らない。つかまれた腕の力が強まる。
「君は僕の物。だからダメ」
 動こうとしない彼の姿に、彼女は言葉をつまらせる。搾り出すようにもう一度叫んだ。
「馬鹿! あんたは本当に馬鹿よ!! 馬鹿馬鹿馬鹿!」
 指の先までしっかりとのばし、彼の手に触れようとする。あと少しの距離だが、届きそうに無い。
 その距離がもどかしく、彼女の瞳に涙が光った。
「……ばかぁ……」

 腕を振り払う。

 足を踏み出す。

 手を伸ばす。


 握り締める。強く握り締める。


「すまねぇ……」
 感謝の言葉を短くつげると、彼女の手を強く握り締め、彼女の土地へと駆け出した。

 灰色の世界に一人残された男は、先ほどまで彼をつかんでいた右手を不思議そうに見つめる。
「なんで……みんな僕からはなれていくのかな……」
 寂しげな声。その表情までは彼にはすでに見えなかった。


 「お前、なんでこんな事を」
 男の手から逃れ、静寂に守られた一室に駆け込むと、呼吸を整える間もなく、彼は問う。
 彼女は溢れそうになっていた涙を、見られないように手のひらでぬぐい、
「……オーストリアさんやドイツさんが心配してたから。ただそれだけ」
 そっけなく言ってみせるが、声は震えていた。
 あの男相手にこんな大胆な事をやらかしたのだから、恐怖心は大きかったのだろう。
 握り締めていた手を離し、震えている肩に触れようとする。が、久しぶりすぎて恐怖がつのる。

 ――もしかしたらコレは夢で、触れてしまったら壊れてしまうのではないか――

「大丈夫。私は消えない。壊れないから」
 心の中を見透かすかのよう彼の手を両手で優しく包む。
「……あったけぇ……」
 懐かしい人のぬくもり。誰かの体温。
 悲しくなんてないのに、涙が次から次へと零れ落ちる。
「ああもう、いつからこんな泣き虫になったのよ。まるで小さい頃のイタちゃんね」
 小さい子を慰めるよう、頬にキス。涙を唇でぬぐってやり、唇にも軽くキス。
「ほら、泣き止みなさい。ね……」
「お前こそ……泣いてるじゃねーか」
「ふふっ……泣き虫がうつったかな」

 もう一度、唇を合わせる。涙で少しだけしょっぱいキスだ。
 そして泣きながら二人は重なり合う。
 お互いの体温を感じる為に。お互いの鼓動を確かめるために。
 暖かい手のひらを合わせる。少しだけ大きな彼の手。
 二人とも剣を握っていたから、決して綺麗な手ではない。豆がつぶれた後も切り傷もある。
 幼い頃、喧嘩もした。素手で殴りもした。
 だからこそ、よく知っている手。
「もう……あの時より、やせたんじゃない?」
「お前の料理が懐かしくてな。食事が喉を通らなかったんだよ。
お前こそ、ちょっとやせたか? 胸が少し……」
「馬鹿」
 彼のほっぺをつまむ。顔が奇妙に歪んだ。その顔に彼女は思わず噴出し、彼も釣られて笑い出した。
 笑っていても、涙は止まりそうにない。

「馬鹿でいいんだよ。馬鹿やってるのが俺らしいんだろ」
 徐々に感覚が戻ってくる。失いかけていた自分が色鮮やかに蘇る。
「そうね。あんたらしいわ。馬鹿ですけべでひねくれてて、でもまっすぐで……」
 泣いている彼の顔をぎゅっと胸で抱きしめる。強く強く。
「なんで……こうなっちゃったんだろうね……」
「……なんでだろうな」
 理由はわかっていた。だが、あえてその事を口にしない。
 その代わりに、お互いの呼吸を確かめ合う。
 傷だらけの胸元。見慣れた古傷に唇を落としていく。
 見慣れぬ傷も増えており、彼女の顔が悲しげに歪む。
 悲しみを払拭するよう、彼も彼女の胸元に唇を落とす。
 赤く痕が残った。占領した証だ。
 もっと占領したい。唇は身体を降下していき、蜜壷へとたどり着く。
 あふれ出す蜜をすすり、それから自分自身を突き立てる。
 体温が気持ちいい。誰かの暖かさが気持ちいい。
 気持ちよいはずなのに。
 涙が止まらない。
 止める事ができない。
「いいの。久しぶりに……泣き顔見せて」
 情けないとはわかっている。

 だが――幼馴染の限りない愛に、彼はもう少しだけ泣いた。



「さて、行きましょうか」
 まだ日も昇りきっていない夜明け、彼女は手を差し出した。
「行くってどこにだ?」
 あの家から抜け出せ、彼女と会えた事だけで、もうすでに彼は満足しきっていた。
 それ以上の望みは無かったのに、差し出された手を前に、疑問しか浮かばなかった。
「オーストリアさんの家に決まっているでしょ。さ、もうひと仕事」
「だから何でだ?」
「いいから」
 煮え切らない彼の手を自分から握りしめると、立ち上がらせた。
 ふと、彼の足元をみれば裸足だったということに気がつく。
「足大丈夫? もう少しなんだけど……」
「コレくらい、なんてことねぇよ。お前にフライパンで殴られた時にくらべれば」
 復活してきた嫌味に、彼女はくすくすと笑いをこぼし
「じゃ、行くわよ」
 二人は駆け出した。手をしっかりとつないで。
 今度は離れ離れにならないよう。

 オーストリアの家の前。
 開け放たれた扉。
 そこで彼を待っていたのは、懐かしい顔振り。
 思わず足が止まる。戸惑いの表情を見せる彼の背中をバンッと強く叩くと、手をひっぱった。
 一歩、二歩。そして扉の中へと到着した。
 震える肩に優しい手が次々置かれる。

「おかえり。兄さん」
「お帰りなさい。全く、もう少し私を頼ってもいいのではありませんか?」
「ヴェェェェェ!! お帰りだよぉぉっ」

 抱きついてきたイタリアに戸惑い、言葉を失う彼に、彼女は微笑んだ。
「お帰りなさい……ほら、貴方も言わなきゃいけない言葉があるでしょ」
 長年言えなかった言葉。言いたくても、相手がいなかった言葉。
 再びあふれ出した涙とともに、彼はその言葉を搾り出した。



「ただいま」





2009/04/23初出
壁崩壊3部作
幼馴染同士の話。
所謂、ピクニック事件をイメージしてます。





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