イジメテミタイ本文サンプル
空より蒼き瑠璃色の


「悪いな、今出かけているんだ」

 その言葉に落胆した表情をしてしまったのだろう。
 神乃木の答えが、御剣の表情に変化を与えたのを見た。
 彼自身はそれを隠そうとしているつもり…なのかもしれなかったが、成功したとは言い難い。

「…そうか」

 そのまま踵を返して階段を下りていこうとする御剣の行く手を、
 薄い紺のシャツがさえぎる。

「おっと、もう帰るのかい? ずいぶんせっかちなんだな」

「…神乃木荘龍」

「所長と――成歩堂と、なんか約束でもしてるんじゃねぇのか?」

「別に…ただ、近くに来たから寄っただけだ」

「……そうかい?」

 また、神乃木は口元を少し上げた。おかしいのかそうでないのか、彼自身にもよくわからない。
 案の定、御剣は不審そうに眉を潜めた。

「せっかく来たお客さんに、一杯のコーヒーもいれずに返すなんてのは、俺の主義に反するんでね。
 仕事は終わってるんだろ? ……入りな」

 眉間に皺が寄る。これは御剣の癖だと、神乃木は気がついている。
 どうでもいいこともきちんと考えている、という姿勢を他人に示しているように見える。

「そうだな、…それなら」

 やっぱり言い訳が必要なんだな。
 神乃木はわかりやすい御剣の態度を、口元に少しだけ笑みを増すだけでかわした。
 それを見て御剣がまた少し苛ついているだろうことも、わかっていた。
 中に入るよう誘うと、御剣はいつものようにまっすぐに来客用のソファに座る。
 そこが自分の定位置だ、とでも言うように。――素直なものだ。

「ちょっと待ってな。…成歩堂は、あと三十分くらいしたら戻るって言ってたぜ。

 上着でも脱いで座っててくれ」

「了解した」

 言われたとおりに御剣は上着を脱いでソファの隣に置き、深く腰掛けてほっと息をつく。
 なんだかひどく疲れているのは、死人のように白い横顔から、うかがい知ることが出来た。

 御剣の仕事がいかに激務なのかは、かつて神乃木も同じ仕事をしていたから少しは知っている。
 成歩堂もここ一ヶ月ほど、立て続けに仕事が入ってきており、
 休日返上で仕事が続いている。
 当然のことながら、神乃木も同じように、せわしない毎日を過ごしていた。
 流石に、ここしばらくは二人だけでは手が足りず、里に戻っている真宵になんとか頼んで、
 週に二日ほど、緊急の手伝いに来てもらっているような始末だった。

 今日は、コーヒーを少し薄めにしたほうがいいな。
 署のくそまずく水のようなインスタントでも、何杯も飲んでいたら胃が荒れる
 ―――神乃木はそう思いながら、豆を挽いた。

「待たせたな」

 神乃木荘龍はそう言って、御剣の前にカップを置いた。

「ありがとう」

「冷めないうちに飲むといいぜ」

 神乃木はそういって向かいの席に座った。彼の手にしているのは、いつもの愛用のマグカップ。
 そこにも同じ褐色の液体が、たっぷりと注がれていた。

「…子猫ちゃんだから猫舌だってわけでもないんだろ?」

「…大丈夫だ」

 神乃木が、御剣をそんなふうに呼ぶのは、今に始まったことではない。
 思えば、そろそろ両手の指をすべて折るほどの昔――御剣にとっては一昔前から、
 彼は御剣をそう呼んだ。

 御剣は、当初は律儀に反対し、断固として拒否の声を上げてきたものだったが、
 何度言っても神乃木は呼び方をかえることはなく、
 対する御剣のほうが先に折れて、その呼び名を享受することになってしまった。
 まぁ、慣れればそれも、親しみを込めた愛称である…と思えなくも、ない。
 その呼び方は、自分がまだ子供扱いされているようで、
 御剣には、いささか不愉快に感じる部分があるのは確かではあった。

 だがそんな不快感も、神乃木の入れた飲み物の、芳醇なる香気には綺麗に消えた。
 どんなに遊びめいた口調であっても、確かにコーヒーを入れる神乃木の手業は見事だった。
 外でいくばくかの金銭を払っても、ここまで質の高い飲み物を得るのは難しいだろう。
 その香り、その味わい、そして何よりその暖かさに、
 御剣は張り詰めていた気持ちがふっと揺らぐのを感じた。
 体中の力が抜ける。

 そういえば、最近ものを味わったことがあまりなかった。
 芳醇な味わいのコーヒーを、ゆっくりと味わって飲み干し、カップを置く。
 ふと目を上げると、さっきまで、目の前のソファに座っていた男の姿がなかった。
 御剣がしばらくあたりを見るともなしにぼんやりしていると、
 奥のドアが開いて、手に何かを持った神乃木が出てくる。

「ずいぶん、顔色がよくなったじゃねぇか。……よかったな」

「…そんなに、酷い顔をしていたのだろうか」

「ん、まぁな。紙みてぇな、真っ白い顔してたぜ。
 …成歩堂はすぐ来るらしいから、ちょっとばかり待っててくれねぇか。時間はあるか?」

「ああ…かまわない」

「ちょっと寒いかもしれねぇからな、これを、膝にかけるといい」

 そういって神乃木は、大き目の毛布を差し出した。

「ちょっとここ数日、空調がおかしくてな。
 …風の流れ具合が、どうにもうまく調節できなくて、そこのソファは少し寒いんだ。
 修理が来るのは早くて来週になるんでね、悪いが今日は辛抱してくれ。
 俺は、こっちでまだ少し仕事が残ってるから、待っててくれたら、子猫ちゃんの話に付き合うぜ」

「…貴様の話は、ろくでもないことだと相場が決まっている」

「つれないねぇ」

 そういって、神乃木は毛布をばさりと広げて、御剣の頭からかぶせる。

「何をする!」

「子猫ちゃんには毛布って決まってるのさ」


 そういいながら神乃木は、飲み終わったカップをさっと手にして背を向けた。



         











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