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嵐が丘

「今日こそは、話を聞かせてもらうよ」

成歩堂はそう言って御剣の上に覆いかぶさった。
影が御剣の表情を隠す――見えなくて幸いだったと御剣は思った。
今の自分はおそらく、みっともないほど青い顔をしているだろうことだけは確信が持てた。

「何も話すことなどない」

そう答えるのが精一杯だった。
喉が渇く――舌が張り付いてうまく発音できない。
今の言葉はきちんと成歩堂に伝わったのかどうか、御剣にはわからない。

成歩堂の顔も見られない、彼と目線をあわせるのが怖い。

成歩堂が、…自分をどんなふうな目で見ているのかが、……知りたくない。

「何もないの? …本当に?」

そう言いながら、自分に近づいてくる成歩堂の姿が、知らない他人のように見えてくる。

「ない。…何も」

「そう? 君は僕に隠していること、あるんじゃないの」

成歩堂はそうやって伺うように、ソファに座っていた御剣を見下ろしてきた。
御剣は、なぜかうまく顔が上げられない。

視界の隅で、成歩堂の影が形を変えていくのをみじろぎもしないで見ていた。
それしかできなかった。

「そんな、ものは」

ない、と言いたかった。
言ったと思った。
言ったはずだった―――手にしたグラスの表面が小刻みに揺れている。

中身の酒がこぼれるかもしれない、と頭のどこか冷静な部分が考えていた。
しかし手が動かない。
力が変な部分に入って、うまくゆるめられなかった。

部屋に入れるのではなかった。
 
いくら部屋の外で大声を上げるといわれたとはいえ――
一刻も早く、部屋を追い出せばよかった。
靴を脱いで、ネクタイを緩めるのを眺めているのではなかった。
上着を椅子の背中にかけるのを、けして許すのではなかった――。

「あるでしょ、御剣」

「―――――!」

御剣が顔を上げる。
 
成歩堂はそれを知っていたかのように、さらに上半身を折って、御剣の隣に手をついた。
あやうく額がぶつかるところだった。

「……なに、を」

「先月の、…四日」

そういいながら成歩堂は、御剣の手からグラスを奪い取った。
そんなに力を入れているようには見えなかったが、
それは簡単に御剣の手から離れて、成歩堂の手を経由して、
ソファの脇のテーブルの上に置かれた。
かちんと乾いた音がした。

「覚えてる?」

成歩堂の言った言葉の意味がわからなかった。
数字が頭に入ってこなかった。

「………なんだと……?」

先月の、四日。
成歩堂が何を言っているのか、御剣はしばらくわからなかった。
わかりたくなかったのかもしれない。

「先月の四日だよ、御剣。今日は二十九日だから、二ヶ月―――八週間前、かな」

意識は危険を察知してもすぐに動かない。
感情と理性が渦巻いて御剣の意識を押し流す。
 
鼓動が高まる――喉が渇く。

もう一度、頭の中で繰り返す。
 
先月の四日。
 
それは――――。
 
ようやく数字が頭に入ってくる。

先月の、四日。
それは――――あの日ではないか。
成歩堂がなぜそれを知っている……?

そんな馬鹿な。

御剣は、自分の隣にいる男を、その時初めて、心底恐ろしいと思った。











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