彼に関する五つの出来事本文サンプル
彼に関する五つの出来事
2 好きに焼いてよ

「知っているか成歩堂」

「何を?」

にぎやかな室内は人の声が飛び交っている。
香ばしいソースの匂いが空腹にじわじわと充満してきて、
二人の視線はだんだん血走ってきた。
とにかくお腹がすいている。
突き出しもビールももう後回しにして、
目の前のものの焼ける香ばしい匂いに、目がくらみそうだった。

「小麦粉というのは爆発するのだ」

「……こんなときにそんな話をふるなよ……」

「砂糖や小麦粉など、粉塵状のものが充満した室内で、
 火花などで点火すると、すさまじい爆発を起こすのだ。ガス爆発と同じ威力がある」

「……へぇ…」

「それを粉塵爆弾といってな、人など簡単に火傷で死傷することがあるのだ。
 建物のドアも余裕で吹っ飛んでしまう。聞いているのか成歩堂?」

「聞いてるよー」

そういいながら二人とも、相手の話など実はまったく聞いていないのはあきらかだった。
目線は二人の前の前にある鉄板の上に注がれている。

今日は二人、お好み焼き店に入ってテーブルに向かっている。
店内はそこそこ人が入っており、ビールを開けているサラリーマンの声が高らかに響いていた。

「でさー、さっきから気になっているんだけど、
 その手にそれ持っているってことはさー、ソレ、ひっくり返すつもり?」

「悪いか?」

御剣は手にしっかりと、お好み焼きをひっくり返す例のアレ
(アレの名は正確にはなんていうのかは成歩堂は知らない。
 ヘラなのかコテなのかそれとも他にちゃんとした名称があるのか?)を強く握り締めて、
目の前の鉄板の上でじりじりと焼けている物体を見つめている。

その視線はかつてないほどに真剣だ。

こんな真剣な顔で見つめられたことって、法廷の外でなんか一度もないんじゃないのか? 
いやいや法廷の中でさえ、こんなに真剣な顔で見つめられたことなんかないんじゃないのか? 
僕よりこのお好み焼きのほうが御剣にとっては真剣に見つめるに値するものなのか? 
…いやいやそんなことはそうでもいいと思うけど、
それよりも問題は目の前のお好み焼きを、自分が食べられるかどうか、ということだ。

とにかく激しく、とっても激しく、不安である。

不安の原因はもちろんこの前の前にいる男の手に持っているもののせいだ。

「…ところでひとつ聞きたいんだけどさ、
 御剣は、お好み焼きひっくり返すのって、やったことあるの?」

「ない!」

「……ないの?」

あんまり真剣に物体を見つめている御剣の表情が、やけに真剣で、
それはまたそれでもいいかも……とか思いつつ、
成歩堂は御剣の返事に危機感をさらに募らせていた。

「ないの…?」

「ないぞ。そもそもお好み焼きを食べるのも初めてだ」

「えええええ??」

 それは初めて聞く事実だ。

「ないの? 一度も? 全然?」

「ないぞ」

「……ちょっと待った! 御剣、その手にある返すやつ貸して!」

「なに?」

成歩堂は空腹が激しく主張し続けるのを説得しようとした。
同じように御剣もそうしているとは思う。

「なんだ」

「そんな初心者にひっくり返すのなんか任せられないから! 貸して!」

「ム」

空腹で不機嫌だったのはお互いさまだった。
お互いさまだったから、当然御剣も怒った。

御剣は自分の手先が不器用なことにかなりコンプレックスを持っているので、
そのあたりを突かれると必ず不機嫌になる。
わかっているが、……わかってはいるが、とにかく今は止めるべきだろう。
自分のためにも、何より空腹で不機嫌になっている御剣のためにも。

「任せられないとはどういうことだ! 君は私を侮辱するのかね!」

「そうじゃないよ。でもはっきり言えば僕は御剣の不器用なことを知っているし、
 出来ないことだって知ってるってことだよ」

「それはどういう意味だ!」

「ひっくり返させるのが怖いってことだよ」

「なんだと?」

御剣ははっきりと怒り出した。
目つきが座ってくるさまは、向かい合わせで見ている成歩堂でも、ちょっと怖かった。
でもちょっとカワイイかも…とか一分くらいは思っている自分もちょっとどうかと思う。

「あー……もういいから! かしてよ」

「断る!」

「ええええ」

なんだか泥滑の様相を呈してきた。
気がつくと、自分たちの言い争いが店の中の注目を浴びているような気がしてきた。
というか間違いなく浴びている。浴びているったら浴びているはずだ。
というかそれが怖くて成歩堂は後ろを振り向くことが出来なかった。

「ちょっと…マジ?」

成歩堂は覚悟を決めるべきだろうか、と思った。

ここで本当は神に祈るべきなのか?

というか僕はこの目の前でじりじりと焼けて、
香ばしいにおいを上げているベーコンキャベツ焼きを、
あきらめるべきなんだろうか……??

でもそんな、そんな、そんなことって……!!

成歩堂がそんなふうに逡巡している間にも、御剣は返すタイミングを計って呼吸を整えている。

ああ、僕は君が好きだけれど、……今の君はなんだか、というかとっても怖いよ!!












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