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「今日はわざわざありがとうね、ナルホドくん」 「遠いところをどうもありがとうございました」 きちんと夏の着物を着付けた二人の少女に、ふかぶかと頭を下げられて、 成歩堂はどこか照れくさいような心地がした。 「…こちらこそ、お世話になりました。涼しくてよく眠れたよ」 「そうですか? それは嬉しいです」 成歩堂の言葉に春美がぱっと顔を上げる。 いつも頭の上でまとめている髪を、今日は少し下ろして三つ編みにし、 かわいらしい透明な花のかんざしでまとめている。 その姿は、まるで人形か何かのようだ。大人びた口調が、逆に子供っぽく、愛らしい。 「まぁあっちは暑いからね〜。ここは夜寒いくらいだけど。 ナルホドくん、お腹出して寝冷えしなかった?」 「子供じゃないんだから、そんなことしません」 「そう? ならいいけど。トイレ行けた? 離れのトイレって少し怖いんだよね、遠いし」 「それはこっちのセリフだよ」 そう言って笑う真宵も、普段の髪型を少しかえて、 てっぺんのお団子に花のついたかんざしが刺してある。 着物の柄も涼しげな鉄線の花が描かれていて、着慣れているせいかのか、 その姿は、年齢相応の大人っぽさが漂っていた。 口を開けば、中身はいつもと同じだけれども。 「そろそろバスの時間だから送ってくよ」 「あ、いいよ、真宵ちゃん。まだお祭りの後片付けで忙しいんだろ?」 「大体のことは本家の後見さんがやってくれるから問題ないよ。 私は宵宮のときに本殿に座っているだけだし。本当は今日の夜が本宮だから、まだ準備あるけど」 「そうなんだ」 「成歩堂くんはお神楽見ていかないの?」 「今日は別のお墓参りがあるから」 そう言って成歩堂は部屋を出る。 八月の中旬のお盆の時期、倉院の里はやはり里総出で迎え火の用意をする慣わしがあるそうだ。 その間は村の夏祭りの時期で、見に来ないか、と誘われた成歩堂は、 一晩宿をもらって、里に逗留していたところだった。 里の盆の行事は、近隣では結構有名らしい。 普段は人気のない里の中に、実家に戻ってきた人の姿以外にも、 観光客らしい一般の人の姿も、数多く見ることができた。 盆の入りの迎えから中日までの間に、こまごまとしたいくつかの行事がある。 最後に送り火と共に厄払いの神楽が行われ、 それをめあてにやってくる人で、里はいつになく賑わいを見せている。 神楽は普段入れない奥宮の舞台を使い、それに合わせてずいぶん前から踊りの練習をしているらしい。 今年の舞い手に祝辞を与える係が綾里の本家の役目で、 真宵は今年からその末席の係を務めることになったようだ。 ただ見ているだけなんだよ、と真宵は言うが、緊張しているんだろう。 成歩堂は迎え火の祭礼を見学し、 宗家のものではなければ入れない内の院まで特別に見学させてもらったりした。 そこは綾里本家の関係者が祭りのとき以外は入ってはいけない場所らしい。 そしてなにより、自然の多いこの里は、 成歩堂の普段暮らしている街よりもずっと夜が涼しく、快適で健やかな眠りを得ることが出来た。 昼間も、肌にねばつくような湿気がないので、日陰に入るとかなり気持ちがいい。 夏の間の疲れがふっとぶようだった。 「残念だけどお墓参りじゃしょうがないね。そうだ、はみちゃんも来る?」 「わたくしも同伴してよろしいのですか真宵さま!」 「じゃ、そこのバス停までね」 両手に一見可憐な花のような少女を二人連れて、成歩堂はバス停まで歩いた。 バスは三つ先の停留所から始発で、バスを待っている人が数人いた。 成歩堂は二人に見送られてバスに乗る。 走り去ってゆくバスに向かって手を振る二人を見ながら、 成歩堂は今日の予定をぼんやりと考えていた。 成歩堂の元に、行方不明だった御剣が戻ってきてから二年が過ぎた。 御剣は、成歩堂と再会したあの冬の、DL六号事件の後、ほぼ一年行方不明だった。 その後、いきなり戻っていたと思うと、今度は半年もたたずにまた国外に出ることになった。 今度は正式な研修だったので、居所がわからない、ということはなかったが、 激務なのは相変わらずで、連絡も疎遠になりがちだった。 その御剣が、成歩堂が巻き込まれた事件のために、帰国したのが今年の春。 あわただしい帰国だったから、事件が解決するとすぐに、御剣は元の国に戻って行ってしまった。 半日だけの自由時間を、全部成歩堂と過ごすことに費やしてくれたのが、 彼の精一杯の譲歩だったのかもしれないが。 御剣を思う十五年よりも、御剣に逢えて、 関係を取り結ぶようになってからのほうが短いのに、 逆になったような気がするのはどういうことだろう、と成歩堂はいつも考える。 御剣を思う気持ちが友情ではなく、それを越える感情であると気がついたのはいつだったのか。 少なくとも、御剣の姿を始めて真正面から見たときには ――自分は初めての一人の法廷で、がちがちに固まったいたのだけれども――、 少なくとももう、恋は初まっていたのではないか、と思う。 目が追いかける、目が探す。 姿を、声を、名前を。 そうしているうちに、成歩堂は御剣といつも、 どこかしら目が合うことに気がついて、その視線の意味を知ったのだ。 互いに熱を抱えた視線を交わらせて、近づけばどうなるか知っていた。 御剣はどうだったのかわからないが、少なくとも成歩堂は知っていた。 ―――御剣に触れたいと思っている、と。 そうして触れた御剣が、今度は逢えないあいだの無聊を慰め、 また逆に会えないあいだの寂寥をつのらせる。 募る思いの強さに比べれば、肌を合わせた回数など少ないほうだ。 もっと御剣の肌に触れたいし、声を聞きたいし、見ていたい。 そんな思いだけが、募るばかりでやるせない。 こんな思いを自分だけが感じているようでじれったくてしょうがない。 御剣のいる異国はずいぶん前から、長いバカンスシーズンに入っているはずだ。 なのに、帰国の連絡もなければ、近況の報告もここ一ヶ月は届いていない。 まだ仕事してんのかなぁ…、向こうの時間は何時だろう? そんなことを考えて、成歩堂は空を見上げた。 バスの冷房は効きすぎる。 緑は深すぎて、日差しは強すぎた。 そして空は青すぎた。 世間は夏過ぎて、幸福すぎた。 少なくとも成歩堂にとっては。 |
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