第一回



        *


「ごめん、タイプじゃないから」


 二十二年間の人生で初めての告白は、この一言であっさりと撃沈した。
「あ、あの……」
 増田冬彦(ますだ・ふゆひこ)は汗をぬぐいながら口をパクパクとさせた。
 小動物を思わせる瞳を呆然と見開き、目の前の女を見つめている。
 明倫館大学のキャンパスの裏手で、増田は一世一代の告白を仕掛けた。
 伝えた言葉はシンプルそのもの──『僕と付き合ってください』だった。
 その返答が冒頭の台詞だ。
 ここまで容赦なく、
 ここまで完膚なきまでに、
 ここまで徹底的に、
 告白を断られるとは考えていなかった。
「あ……う……」
 増田は呆然と立ち尽くし、金魚のようにひたすら口をパクパクさせ続けている。喉がカラカラに渇いて、次の言葉がうまく出てこない。


 このままじゃ駄目だ、雰囲気を変えるような何かを言わなければ──


 気持ちばかりが空回りしていた。
 目の前がぐるぐると回るようだった。完全に思考がクラッシュし、パニック状態となる。
「と、友だちからでもいいんだけど……」
 かろうじて口にできたのは、その一言だけだった。
「だーかーらー、友だちになるのも嫌ってことよ。空気読んでよ」
 彼女……近藤美咲(こんどう・みさき)は怒ったような顔で言い放つ。
 美咲は私立明倫館(めいりんかん)大学に通う二十歳の女子大生だ。増田と同じ経営学部に所属している。
 活動的なポニーテールがよく似合う娘だった。
 ツリ目気味の瞳が特徴的な、勝気な美貌。
 露出の多いいわゆるイケイケ系の服装をしている。ショッキングピンクのキャミソールに太ももまでがあらわになったミニスカート。豊満な胸の谷間やなまめかしい脚線美を、惜しげもなく露出している。
(顔もスタイルも抜群なんだよなぁ)
 増田はうっとりとした気分で彼女を見つめた。彼の理想を体現したような容姿だった。こうして向かい合うだけでため息が漏れてしまう。
 彼女のヌードを想像して、いったい何十回オナニーしたことか……
 美咲は、二十二年間の人生で増田が初めて好きになった女性だった。中学のときはアニメに夢中でクラスメートの女子にはあまり興味がなかったし、高校は男子校だったのでそもそも回りに女がいなかった。
 大学に入ってようやく──一年のときに英語の授業で同じクラスになった美咲と出会ったのだ。
 以来、二年間ずっと恋焦がれてきた。二十二年間の人生でやっと迎えた、遅い初恋だった。
 その二年越しの思いのすべてが、いま粉々に打ち砕かれていく……
「そ・れ・とっ」
 偉そうな態度で、腰に手を当てた。ポニーテールを美しくしならせ、さらに衝撃的な言葉を解き放つ。
「あたし、他に好きな人がいるんだよね。あんたと違ってカッコいいし、スポーツマンだし、スマートだし」
「そ、そんな……」
「はっきり言いましょうか。デブオタ童貞はタイプじゃないの」
「そんなぁ……」
 絶望のどん底に突き落とす一言だった。
 増田は丸っこく面長の顔だちで、広がった鼻はどこか豚を連想させる。お世辞にも美男子とは言えない、冴えない男だった。
 おまけにデブだ。
 丸々と太った腹部はすでに中年の貫禄を宿している。腕と足が短いせいもあって、ビヤ樽と陰口をたたかれるほどの体型だ。女性にモテるようなタイプからはもっとも程遠い外見だった。
「少しは自分のルックス考えなさいよねっ。デブオタは身の程ってものを知らないんだから」
「ひ、ひどい……」
 辛らつな言葉にショックを受けながらも、視線はつい美咲の肢体へと向けてしまう。
 形のよい乳房がショッキングピンクのキャミソールを勢いよく押し上げている。美咲がずい、と前に踏み出すと、双乳がリズミカルに跳ねた。
(おおっ!)
 煽情的な乳揺れに、思わず前かがみになった。
 見事な曲線を描いた双丘は、美咲の呼吸に合わせて緩やかに上下している。胸元が形よく盛り上がっていて、布地の内側から今にもはじけてしまいそうだ。
「ちょっと、あたしの言ってること、聞いてるの!?」
 よだれを垂らしそうな顔で胸元を見つめていると、怒声を浴びせられた。
 びくっと硬直し、あわてて顔を上げる。
 美咲が柳眉を逆立てていた。
「身の程を知りなさい、このデブオタっ」
「に、二回も言った……」
 増田は太った体を揺らし、後方によろめいた。
 言葉のナイフで心の隅々までをズタズタに切り裂かれていく。
 もはや再起不能だった。
「ひどいのはどっちよ。あんたなんかに告白されて、あたしも迷惑してるんだから。あたし、そろそろ次の講義があるから行くね。それじゃっ」
 ポニーテールを激しく揺らして美咲が去っていく。増田はベンチにへたりこみ、空を仰いだ。


        *


 その日の夜。増田は大学からアパートへの帰り道にコンビニへ寄った。
 コンビニ弁当を買い、スナック菓子をまとめて五袋ほど購入。さらに夜のオカズにと十八禁のエロ本も買い物籠に放り込む。エロ本の表紙は増田好みの強気そうな女の子のグラビア写真だった。胸の形もいい。
 おまけにどことなく美咲に似ている。
 家に帰り、包装から開けて読むのが楽しみだ。
(今夜は振られた腹いせに、このエロ本で思いっきり抜くぞぉ。表紙の女の子を美咲だと思って)
 そんな情けない気持ちも混じっていたが、ともかく増田はうきうきした気分でレジに向かう。
 そこで思わず硬直した。
 レジの前にいたのは女性の店員だった。
(あれ、いつのまにこんな子が入ったんだ? 男の店員ばかりだったはずなのに……)
 しかもかなりの美人だ。増田は赤面した。
 こんなことならエロ本は別の店で買うんだった、と後悔がこみ上げる。といっても、今さらレジに出したエロ本を引っ込めることもできない。
 穴があったら入りたい、とはこういう気持ちのことを言うのだろう。
 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、女性店員は機械的な動作で商品を清算していく。
 増田は彼女にちらりと目を向けた。
 眼鏡をかけた黒髪の娘だ。ショートカットにした髪形が清楚な印象を受ける。清らかな容姿とは裏腹に、制服の上からでも分かるほどグラマラスな体つきをしている。
(うわ、胸デカいな……)
 女店員の双丘は『凶器』といってもよかった。
 ロケットのごとく前方に突き出し、制服の胸元を突き上げている。体の動きに合わせてぷるん、ぷるん、とリズミカルに揺れる。
 美咲が美乳なら、彼女は巨乳タイプだった。サイズ的には爆乳といってもよいほどだ。
 物理的な破壊力さえ伴いそうな二つの乳房のインパクトに、増田はめまいにも似た感覚をおぼえる。
 眼鏡っ娘で巨乳──
 強烈きわまりないコンボだった。
 と、


「どこを見ているんですか」


 怪しい視線に気づいたのか、女性店員にいきなりにらまれた。眼鏡の奥の瞳が、怒りに燃えている。真面目そうな顔をしかめ、今にも怒鳴りだしそうだ。
 二人の間で気まずい空気が流れた。
(こ、怖い……)
 増田はびくびくとしながらとりあえず頭を下げる。平謝りだ。
「す、すすすすすみませんっ」
「もう、いやらしい目で見て。これだから男の人は」
「す、すすすすすみませんっ」
「いちいち謝らなくていいです」
「す、すすすす……みません」
 なんだか今日は、女の子にキツイ言葉をかけられ通しだ。
「まったく」
 女性店員はまだブツブツと文句を言っている。それからぶっきらぼうな口調で付け足した。
「全部で千五百円です」
「は、はい、すみませんでした」
 増田は謝りながら、慌てて金を差し出す。何の気なしに名札に目をやると『篠原真由(しのはら・まゆ)』とあった。


        *


 八畳一間、ユニットバス付きの小さなアパートの一室が増田の下宿先だ。
「見事に振られたよなぁ……はあ」
 増田はアパートに戻るなり、大きなため息をついた。
 全身の力が抜けていくような気持ちだった。


 ──はっきり言いましょうか。デブオタ童貞はタイプじゃないの──


 美咲の言葉が脳裏から離れない。
 これ以上文句のつけようのない、完全無欠な拒絶の言葉。
「やっぱ、デブオタじゃ彼女なんてできないのかなぁ……一生童貞のままなんて嫌だよ」
 もう一度ため息をつく。
 気晴らしにネットでもやるか、と増田はパソコンに向かった。
 と、自分宛に新着メールが届いていることに気づく。


【脅迫ネタ・メールでお届けします】


「なんだこれ?」
 増田宛に無料サービスが当たったとある。
「無料サービスか」
 まあ無料ならとりあえず試してみて損はないだろうけど。
「一体なんなんだ、脅迫ネタって……物騒なタイトルだな」


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「適性検査……?」
 増田は首を傾げたが、やがて思い出した。そういえば、前にネットで見かけた心理テストを受けたことがあった。
 あれが適性検査だったらしい。
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「これ……は……」


 説明を読むにつれ驚きの気持ちが高まっていく。
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 まあ、信憑性の怪しいサービス内容だが、試してみても損はなさそうだ。
「……でも脅迫なんかして大丈夫かな」
 ふと現実に帰りつぶやく。


 ──少しは自分のルックス考えなさいよねっ。デブオタは身の程ってものを知らないんだから──


 美咲のキツイ言葉が脳裏に浮かんだ。
「いや、僕だってひどい言葉で傷つけられたんだ。あの女に目に物見せてやらなきゃ」
 これを使えば、憧れの美咲をモノにできる──
 興奮で心臓が早鐘を打った。
「美咲……美咲が僕のモノに……!」
 美咲の顔や抜群のスタイルを思い浮かべて、たまらず勃起してしまった。
 ──その晩、増田は彼女をネタに三回オナニーしてから寝た。


        *


 パソコンのモニターが明滅し、室内を薄暗く照らしている。
「食いついてきましたわね。次のサンプルが」
 部屋の主は小さくつぶやき、ほくそ笑んだ。
「増田冬彦──この間の適性検査を見る限りでは、なかなか興味深い心理構成をしていましたわ、ふふ」
 円らな瞳が爛々と輝く。
 明滅する画面をじっと見据え、ふたたびつぶやく。
「私が与える情報を、あなたはどのように利用するのかしら? 音霧咲夜(おとぎり・さくや)のときみたいに……私を愉しませてくださいな。存分に、ね」
 しなやかな指先がキーボード上を軽やかに動き回った。
 画面に浮かび上がったのは、ひとりの女子大生の情報だった。
 身長、体重、スリーサイズは言うに及ばず、家族構成や住所といった基本情報、初恋の相手からロストバージンの日時まで。
 ありとあらゆるデータが次々に現れる。
 まるで魔法のようだ。あらゆる情報源に瞬時にアクセスし、必要なデータを抜き取り、収集していく。
「近藤美咲……」
 年若い少女の声が部屋の中にこだました。
「彼女が最初のターゲット、というわけですわね」




 第二回に続く〜

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