日差しが目に沁みそうなほど眩い。
 吸い込まれそうな青は雲ひとつない快晴の空模様。天に高く昇った太陽が燦々と光を振りまいて世界を白昼に照らしていた。
 地に広がる湖は降り注ぐ陽光を反射してきらめき、風は光る湖面を撫でて周囲に涼をもたらす。
 涼風の吹く岸辺では妖精の少女達が思い思いに水と戯れる姿が見てとれた。
 平穏な風情のここは幻想郷は危険区域の一つ『霧の湖』。
 自然を好む妖怪や妖精が集い、涼を釣りを楽しむ場所だ。人間にとっても楽しむにはよい場所なのだが立ち入る余地はあまりない。
 何せ危険区域である。妖精の悪戯で湖に落ちてでっかい魚に食べられそうになるなどはまだ序ノ口で、酷いのになると帰って来ない。妖怪にさらわれたとも喰われたとも知れぬ。伊達に危険区域に数えられているわけではない。少女然とした三人組の妖精が水遊びをしている光景からはとてもそうは見えなくとも。
 快晴の影響か今日の湖は冠である霧を被っていなかった。霧に隠れる事も多い紅い洋館が湖畔に佇んでいるのが見てとれる。門の前では長身で髪の長い美女がアコーディオンを鳴らしていた。
 空を行く鳶のぴーひょろろといった鳴き声と、アコーディオンの奏でる『上海紅茶館』がBGMのように湖一帯に響き渡る。
 ――穏やかな昼下がり。
 その風情を切り裂くように、箒に跨った黒白の魔法使いは湖へ飛び込んできた。
 上空から流れ星のように急降下。湖面スレスレで機首上げ、水平飛行。魔法使いは音もかくやといった速度で湖上を飛翔し、衝撃波で水轍を作り妖精達を吹き飛ばし、空へ向かって急上昇。嵐の様に駆け抜けていった。
 ひっくり返り全身をずぶ濡れにした三人組が滴を落としながら目をぱちくりさせる。
「ま・ち・や・が・れえーーっ!」
 続く怒声に妖精達は顔を向け、その間を通り抜けた高速飛行物体――氷精を胸元に抱えた風精――が纏った衝撃波によって再び吹き飛ばされた。
「ごめんなさいねえー」
 水音を立てる妖精達へ向けた謝罪の言葉が尾を引いて高空へと舞い上がっていった。先を行く魔法使いを追って妖精コンビは空を飛ぶ。
 魔法使いは金髪を靡かせて後方を顧みた。腰に抱きついたおかっぱ頭越しに追跡者の姿を目視。そして二本の氷柱が放たれたのをさらに認めた。無誘導のロケット弾よろしく迫る長さ一メートル余りの氷柱に、魔法使いは左へロールを一つ。側転の要領で身体一つ分逃れた真横を氷柱が貫いて飛んでいく。おかっぱ頭の短い悲鳴を背中で聞いて、今度は右へローリング。続けて放たれた氷柱を一瞥もくれずにかわしてみせた。背中に目でもあるように。
「にゃろ……! 大ちゃん! もっと近づいて! もっと!」
「ンモー」
 気のない返事をして風精は速度を上げた。背にある二枚一組の羽が鋭角を作り、風を集束させてさらなる速度を叩き出す。
 ごぉっ、と音を立てて迫る妖精コンビに後席のおかっぱ頭が慌て、魔法使いは不敵に笑んだ。
「おちろーっ!」
 言い様に氷精が放ったのは先ほどからの氷柱ではなく氷の散弾だった。霧のように微細な氷の弾幕が景色を冷たく歪ませる。
 爆発的に拡散する氷弾は点ではなく面で目標を撃つ。それは威力の減衰が早く射程に欠く一方で、近距離においては恐るべき制圧力を発揮した。
 ――だがそれは有効範囲内に目標が居ればの話である。
「あれっ、いない!?」
 歪んだ景色の向こうに居たはずの魔法使いは、弾幕の影に入った一瞬で忽然と姿を消していた。手応えのなさと墜ちていく影のないところから撃墜したわけではないのは明らかである。
「どこにいった!?」
 氷精は慌てて視線を巡らせる。
「――秘技、横転コルク抜きってね」
 が、時既に遅し。
 魔法使いは巧みな空戦機動で妖精コンビの背後へ遷移していた。それこそ魔法のように。
 後ろを取られた事に気づいた獲物が逃れようと回避機動を取る。だが魔法使いは既に攻撃を放っていた。星屑を詰めた魔法のミサイルが二発、妖精二人へそれぞれ飛翔し――
「「あ」」
スカートの中、妖精の足の親指と親指の間へ入り込んで、――炸裂。
「ぴぎゃっ!」
「あうんッ!」
 それで決着した。
 推力を失った二人の妖精は被弾箇所を両手で押え、内股になって身体を丸めた状態でゆるゆると高度を落としていく。
 魔法使いとおかっぱ頭は落伍していく二人へ視線を向けた。追い越し様、悔しそうに見上げる氷精と魔法使いの目が合う。
「……おぉぼえてろよぉ……!」
 涙目で言う氷精に魔法使いは「すまんな」と左手の動作と合わせて短く言い、箒の推力を引き上げた。
「霧雨魔理沙ぁ!」
 星屑の尾を引いて、彗星のように『霧雨魔理沙』は飛び去っていった。



   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 稗田家が、幻想郷に生きる人々の安全を確保する為に幻想郷縁起の編纂を始めて、既に千年以上。
 幻想郷の年号で第百二十一季、九代目阿礼乙女である『稗田阿求』は歴代九冊目となる幻想郷縁起の編纂を完了し、公開を開始した。
 イラストや横文字を積極的に取り入れた新しい幻想郷縁起は好評を博し、公開から一ヶ月で、人間と妖怪を合わせた総人口の半数余りが目を通していた。
 稗田家はこの結果に満足した。
 そして公開から幾許かの時が過ぎた。
 第一期編纂で記載から漏れた妖怪、新たに姿の確認された妖怪、そして外界からやってきた神と人間。
 幻想郷縁起の穴とでも形容すべきそれらの存在を受け、阿求は幻想郷縁起第二期編纂へ向けて行動を開始した。
 第一期の編纂ではある程度広く知られる妖怪を主な対象としていたため、人里からあまり出歩かなくとも情報が入手できたが、第二期ではそうもいかなかった。
 記載から漏れた妖怪とは、即ち余り知られていない妖怪であり、必然的に人里では情報に乏しい。
 新たに姿の確認された妖怪も、人に知られてから日が浅いため情報が少ない。これは外界からやってきた神と人間にも同じ事が言えた。
 人里で満足に情報が得られないのであればその妖怪がいる場所へ行かなければならない。
 だが、これには危険が伴った。
 妖怪は主に幻想郷に存在する危険区域を住処にしている。そこは妖怪の領域であり、迎撃の用意も覚悟の完了もなく踏み入る事は許されない。それは、命取りになる。そして阿求は転生の術と求聞持の能力、そして歴代御阿礼の子の記憶を一部引き継いでいる以外は普通の人間と殆ど変わらない。そんな非戦闘員の少女が単身で危険区域へ赴き妖怪の調査を行うのは、「わたしを食べて」と言っているのと大差がない。
 危険を回避し、安全を確保する為の本を綴る為に危険へ直面し、帰らぬ人では笑い話にしかならない。
 そこで阿求は護衛として魔法のなんでも屋を雇った。霧雨魔理沙という名の彼女は、なんでも屋の看板を掲げているが得意な仕事は妖怪退治というツワモノさんである。幻想郷縁起の英雄伝にも載っているところからもその実力は推して知るべし。
 第二期編纂開始のきっかけにもなった彼女を、阿求は働きぶりからそのきっかけとなった一件以後も継続して雇っていた。魔理沙の方も報酬の払いが良かったので継続して雇われていた。理想的な雇用関係といえよう。

 ……阿求が雇用関係以上の感情を魔理沙に対して抱きつつあった事を除けば。







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