| 「……咲夜、咲夜。おーいメイド長」 呼び掛ける声に気づき、紅魔館のメイド長『十六夜咲夜』は顔を上げた。 視界に映るそこは見慣れた自室。 ベッドがあり、小さなテーブルがあり、その他の家具が生活しやすく配された、十六夜咲夜の部屋だ。 「どうしたんだ、ボーっとして」 声の主は『霧雨魔理沙』だった。二組のカップとティーポット、クッキーの盛られた皿が載ったテーブルを挟み、向かい合う形でベッドに腰掛け、咲夜を見ている。 「なんでもないわ」 「そうか」 取り繕うように言い、咲夜はテーブルからカップを取り上げて口付けた。熱過ぎない程度にまで冷めた紅茶が咲夜の意識を覚ましていく。 当主の『レミリア・スカーレット』が出掛け、ちょうど仕事も片付いて暇となったところに魔理沙が遊びに来たのだ。『パチュリー・ノーレッジ』の住む地下大図書館でもなく、『フランドール・スカーレット』のところでもなく、彼女のところに。 咲夜は『暇を持て余さなくて済む』と魔理沙を部屋に招いて迎え、そして、今に至る。 「――だからな、人が増えれば支出が増えるのは当然の事であって、責めるべき点はじゃないんだな。むしろそこを責めるタネにしちゃダメだぜ。それは理不尽ってもんだ」 関係者でもない魔理沙が彼女らしくなく、地下大図書館の希望予算と実際に支給される予算との差額について色々と不満、要望を述べていた。地下大図書館の主であるパチュリーか、実務を握っている『小悪魔こぁ』からそのテの愚痴でも聞いたのか。 あるいは紅魔館全体の運営予算を握っている咲夜に対し、図書館サイドから魔理沙を介しての遠回しな抗議なのかもしれない。 「理不尽も何も図書館が人員を増強したのは貴女のせいでしょ。泥棒猫さん」 咲夜の返しに魔理沙が「う」と詰まる。 『紅霧事変』以来、紅魔館に出入りするようになった魔理沙は、“人の物を死ぬまで借りる”という困った悪癖を持っていた。『人間よりも妖怪の方が長生きなんだからいいだろ』などと当人は小理屈をこねているが、持っていかれる側からすれば当然いいわけがない。さらに困った事に魔理沙はちょっとした注意やお咎めでホイホイ諦める程やわではなく、むしろ実力行使で失敬していくきらいさえあった。 本の類いを殊更に好む魔理沙によって特に被害を受けた地下大図書館は、対抗すべく人員を増強。切り札として対霧雨魔理沙を想定した戦闘小悪魔を錬成、戦線へ投入。 これにより魔理沙は図書館への手出しを止めたものの、図書館は維持費の掛かる戦闘小悪魔を内に抱える事となっていた。 ――つまり、全ては魔理沙に起因するのである。 「……まあ、そういう見方もできるな」 明後日の方向に視線を逃がし、魔理沙は紅茶を口にした。 「他にどういう見方が出来るのやら」 「いやいやこういう見方だってあるんだぜ」 そう言って論説を広げ始める魔理沙に咲夜はくつくつと笑った。 敵対に近い状態でありながらも、魔理沙と紅魔館および地下大図書館は完全な敵対関係には至っていない。一緒にお茶を飲む程度には友好的だ。 それは魔理沙が越えてはならない一線を弁えている事と、さりげない気遣いなどで貸し借りを上手く相殺しているためである。 例えば『相手にとって掛け替えの無いものには決して手を出さない』、『何かを失敬していっても次に逢う時には失敬したものに匹敵、あるいはそれ以上の価値があるものを持参する』などといった具合に、魔理沙はそれなりに筋を通している。加えてその憎めないキャラクターに拠るところもあるのだろう。 咲夜は、自分をカバーする自説を――恐らくは即興で――紡いでいる魔理沙を観察する。 艶があって滑らかで、思わず梳きたくなる金髪。 恐れを知らない透き通った瞳。 王子様役もお姫様役もこなせる、不敵な笑みの似合う顔立ち。 そして、黒の魔法使いらしい服装に包まれた、態度とは裏腹の小さく細い身体。 ふむと咲夜は一人納得した。これであの性格ならそうそう憎まれまい。 「というわけだ。納得したか?」 「ええ」 短く相槌を打つ咲夜だったが、納得するどころか殆ど聞き流していた。魔理沙の自説を聞いたところで現状が変わるわけでもない。 「じゃ、少しは便宜を図って欲しいぜ」 「はいはい」 気のない返事をして魔理沙と自分のカップに紅茶を注ぎ足し、駄賃代わりにお茶請けのクッキーを食す。チョコチップのほの甘さが心地よい。 「ああ、そういえば咲夜に渡すものがあったんだった」 おかわりを口にした魔理沙は、湯気の立つ紅茶に記憶を呼び覚まされたように言ってカップを置いた。そしてスカートのポケットから木で出来た小箱を取り出した。 「どうやって入れたのよ、それ」 小箱といってもちょっとした大きさがあった。少なくともスカートのポケットに入るサイズではない。 「手品ってやつだぜ。もっとも咲夜には負けるが」 ニッと笑い、魔理沙は紐で閉じられた小箱の封を解いた。蓋を開けて咲夜の前に置く。 小箱の中には見る者の目を奪う煌きがあった。 「これは?」 「銀が手に入り難くなってきたから他の材質を試したいって言ってたろ」 それは鋭利で短い刃。十六夜咲夜の代名詞にして愛用の得物。 「霧雨魔法店特製の魔法銀を使ったナイフだ。よかったら試してみな」 黒白の魔法使いが得意気な表情を浮かべた。 「くれるの?」 「お試しだからな」 咲夜はナイフを取り上げた。軽く握ってみると驚くほど手に馴染む。普段使っている物とまるで遜色がない。 慣らしがてらに手指の先だけで弄ぶ咲夜に、魔理沙は「気に入ってもらえたか?」と聞き、「悪くないわ」と咲夜は答えた。 右手からナイフを消し、空の左手から出現させる手品を見せて、咲夜はナイフを置いた。 「ありがと。使わせてもらうわ」 「ん。どういたしまして」 魔理沙はニッと笑い、咲夜から天井へと視線を移した。そして照れ臭そうに言う。 「じゃー、さ……。ご褒美、くれないか?」 「ご褒美?」 聞き返す声に「ん」と少女が唇を指で叩く。目をつむり、顔をほのかに赤くして。 そこでふと、咲夜は自分と魔理沙がそういう関係であることを思い出した。言葉を交わし、唇を重ね、身体さえも重ねる間柄。 それなら――いや、そうでなくてもやぶさかではない。 咲夜は身を乗り出して唇を合わせた。 「んっ……」と魔理沙が小さく声を漏らす。 右手を伸ばして魔法使いの頬に触れた。びくりとする少女に咲夜はそのまま手を進める。小さな耳を掠め、細い項をくすぐり、柔らかな金髪を指で梳き、小動物を愛でるように魔理沙の頭を撫でる。 「ふぅ、ん……っ」 唇の間から吐息が漏れた。咲夜のものではない。瞳を閉じ、頬を染めて身を任せる魔理沙のものだ。 (初々しいわね) 普段の疾風怒濤ぶりが嘘のような乙女らしさ。それが酷く可愛らしい。 長いようで短い時間が過ぎ、咲夜は唇を離した。ご褒美の終わりに魔理沙がゆっくりと瞳を開く。 吐息が触れ合う距離でメイドと魔法使いの視線が重なる。そして、魔法使いが恥ずかしそうに目を逸らした。 「今日は、その……しないのか?」 と、赤らめた頬を指で掻きつつ魔理沙。その様に咲夜は薄い笑みを浮かべた。 「したいの?」 逆に問う。いじわるだな、と思うものの止める気はない。くつくつと笑う咲夜に、魔理沙は「いじわるだぜ」と小さな声で言い、彼女をさらに楽しませた。 「そうね、今日はいじわるにしましょうか」 そう言って咲夜は置いたナイフを取り上げた。 |