いつものこと
食事の日常
「イクス、食堂行かね?」
更衣スペースはちょっとした大部屋だ。配属と同時に共有場所の解除キィが伝えられる。何人かで使うその部屋には個々のロッカーがあり、そこの施錠設定は当人に任されている。常々軍服でいるわけではないし、訓練内容によっては着替えもする。動きやすい服装や専用のスーツは配給される。汚れや破損は申請すれば取り替えや修理も可能だ。イクスアインが着替える手順を眺めながらハーノインが口笛を吹く。今この場所にいるのはハーノインとイクスアインだけだ。あれだけの軍属がいて、と思わなくもないが戦闘力の規模が違う少年軍属であることを考えれば仕方ないとも言える。そのあたりの摩擦を嫌ってハーノインたちの方で混雑時を避ける傾向もある。
ハーノインが気後れもなくサポーター姿になるのを見たイクスアインがため息をついた。
「恥じらえ」
「お前しかいないし。男相手に恥じらってもな」
しれっと言い返してから手際良く着替える。イクスアインがなぜだか不満気にするのは後追いしない。紅い襟を整えて鳶色のベルトを肩や腰へ引っ掛けて留め具を嵌める。膝近くまである長靴を調整するように爪先を床で打つ。脱ぎ捨てた着衣をロッカーへ放り込む。扉を閉める前に一式をイクスアインに奪われた。なに? 馬鹿、そろそろ洗濯時期だろう。軍属の管理は厳しいから所持者が曖昧なものは少ない。シャツ一枚にさえコードが刻まれ、パターンを解析すれば個人名が判る。ハーノインは肩をすくめるとイクスアインに任せる。細々としたことはイクスアインのほうが正確だ。まめなのだと思う。洗濯を怠るなら汗臭いと文句を言うな。もれなくついてくる説教はそろそろ辞退したい。
かつんかつんと二人分の靴音が通路へこだます。伸びをするように両手を上へ上げるハーノインの隣にイクスアインはピッタリと付いている。動作やきょろきょろ動く視線で歩く速度が変わると思うのにイクスアインはハーノインを置いて行ったり待たせたりしない。いつも隣にいる。そして耳を引っ張る。ピアスを貫通させているからあんまり引っ張ってほしくない。ちぎれたらどうすんの。
「なぁ今日の献立なんだと思う? 俺、最近は肉ばっかりだからそろそろ魚とか出てきそうな気がするんだけど」
「ハーノは偏食すぎる。好きなものばかり優先して食べるから締めの時期に苦手なものばかりになるんだろう」
残高は有効に使え。軍属である以上衣食住の全てに配給が影響する。食事も管理されていて配給の限度額を超えての過剰摂取は出来ない。このシステムって自動給餌器みたいじゃない? あの時間が来ると餌皿の蓋が開いていくやつ。あれ食べてる途中に閉じることあるのかな? そういうの辛くない? オレは犬じゃないからわからない。つれない反応にハーノインが嘆息した。
申請を受理する機械の前で残高確認と注文をする。イクスアインがしばらくうなったが一大決心のようにパネルを押す。ハーノインも自分の画面を見た。うっやっぱり魚か。食事の交換を申し出ようと隣を見るとイクスアインがもういない。ハーノインはしかたなく食事内容を選んで申請する。そのまま配膳された盆を受け取る。イクスアインが気に入りの場所が空いていたらしくさっさとそこへ腰を落ち着けている。その向かい側へ腰を下ろしながらハーノインが片目をつぶる。イクス、交換しない? 支給後の食膳の行方を管理側は感知しない。盆ごと食事を交換することは推奨されていないが黙認されている。
「ダメ?」
「自分の割り当ては自分で食え」
あっさり拒まれた。イクスアインがフォークを取る。ハーノインはため息混じりに惣菜を突き回す。パンに挟んでガブっと行くかなぁ。栄養配分に気をつける部署の努力を無駄にするな。だって俺魚嫌いだもん。アレルギーがあるならともかく。イクスアインは取り付く島もない。
「女の子もいないし」
食堂を見渡そうするハーノインの脛が思い切り蹴りつけられた。
「いったい…!」
革で固く包まれていても基本的に痛撃に備えないから被害が甚大だ。蹴られた足をひょこひょこ跳ねさせるのをイクスアインは見向きもしない。女の子が駄目ならクリム姐さん。連続で蹴られた。
「蹴ったとこ蹴るなよッ」
声を低めて不平を言ってもイクスアインが食事する手元さえ揺らがない。ちまちまとした食事は栗鼠に似ている。匙やフォークがすくうのは僅かな量で、何度も口と皿を行き来する。
「一気に食えよ」
丸く形どられたそこへハーノインは自分のフォークをぶっすり刺すとそのまま口へ放り込む。イクスアインの灰紫の双眸が見開かれる。同時に口の中へ広がる感触にハーノインが机に突っ伏しそうだ。
「…魚じゃんこれ…」
肉団子かと思ったのに。うべぇと舌を出しそうになるハーノインの前でイクスアインは見開いた目を眇めた。その目縁にはみるみる涙が満ちてくる。
「………最後に食べようと思ってたのに…」
生活を管理される身として愉しみは食事や入浴など限られてくる。そのぶん食らうダメージが深刻なのだ。しおれるように項垂れたイクスアインにハーノインのほうが慌てた。えっ嘘。所在なげにフォークを噛み締めてもイクスアインの食事は進まない。なぁ俺の惣菜取っていいよ? 盆をすり寄せてもイクスアインはしおれたままだ。食事の好みが反対なので噛みあうと思うのにイクスアインは気落ちしたままだ。白身魚好きだろ? フライでよけりゃあるから取っていいってば。肉が嫌なら俺が食うから。惣菜の乗った皿を押しても項垂れたまま身動きもしない。なぁイクス。ごめんってば。ポタージュ飲む?
焦れたハーノインが卵料理を差し出す。イクスアインは初めて顔を上げたがその皿を押し戻す。オムレツはお前が好むだろう、人に寄越すんじゃない。ごめん。べつに。別にと言いながらイクスアインが悄気げている。ハーノインは自分のフォークで白身魚を取り分けると先端へ刺した。
「はい、あーん」
無理矢理に口元へ押し付けるとイクスアインが口を開いてモグモグやる。
「別にいらないもの処分じゃないぞ? イクスは魚好きだよな?」
へらりと笑うハーノインの前でイクスアインはモグモグと口を動かす。まだ食う? ふるふると首を振られてハーノインも食事に戻る。これでチャラな。俺サカナ嫌いなんだけど。イクス、交換じゃなくていいからサカナ食わない? フォークの先端が切り分けた白身魚を細切れにする。ため息混じりのハーノインにイクスアインがふっと吹き出した。顔を背けて笑うのを、ハーノインはむくれたようにそっぽを向く。どうせまだ好き嫌いのあるガキだよ。サカナではない惣菜をまとめてフォークで刺すと口へ運ぶ。もぐもぐ咀嚼しているのをイクスアインが笑い出す。
「お前には頭がさがるな。機関時代から嫌いなものをオレに押し付けてたんだから」
「だって嫌いなんだから」
料理方法にかかわらずハーノインは惣菜に魚が出る度に隣に座っていたイクスアインの皿へあけてしまう。ドサドサと増える惣菜にびっくりするイクスアインの前でハーノインは魅力的に片目を瞑った。イクス、大好き。その一言でイクスアインは顔を赤らめながら増えた惣菜を何とか完食したものだった。
「でもイクスは食べてくれたからさ。ひどいやつだと自分が嫌いな惣菜混ぜて突っ返すんだぜ。よくそれで喧嘩になって懲罰房へ打ち込まれたけど」
でもイクスはいつも食べてくれたから俺は大好きだな。にへ、と笑う顔にイクスアインの目元が紅を帯びる。もごもご動く口元を無視してハーノインがにっこり笑う。肉団子食わないの。いらん…食べるか? 訊かれてハーノインが頷く。魚より肉のほうが好きだ。イクスアインが何故だかプルプル震えるフォークの先へ刺した肉団子を差し出す。たれが垂れないように手を添えるのがイクスアインらしかった。ぱく、と喰いつくと安堵したような顔をする。
そのフォークの先端をイクスアインが生唾呑んで見据える。え、なに? 訳の判らないハーノインが乗り出そうとするのを甲高い声が遮る。
「あー! なにやってんのー?!」
語尾がつり上がるのはわざとだ。顔をしかめるハーノインの隣で小柄な体躯がドサッと座る。軽食を好むクーフィアの食膳は驚くほど偏る。そも、野菜が嫌いなのだという話を聞いた覚えがある。
「なになに? 食べさせあいっこ? ずるいー、ボクも仲間に入れてよ!」
「うるせぇ、違うッつの」
ハーノインの食膳を覗きこんでのしかかるクーフィアを押しのける。まだ残高があったんだ。フライドポテトだよ。食事に出来るなんて最高! 街へ出歩く時しか食べられないのにさ。締め時期に困窮しても助けないぜ。へー、ハーノインは助けてくれるつもりなんかあったの? 決まりきったように跳ね上がる語尾と揶揄にハーノインは不快そうに眉をひそめる。
「クーフィア、食事時くらいおとなしくしていろ」
見かねたイクスアインが口を出す。ハーノインは力任せにクーフィアを押しのけていた。最年長と最年少の体躯差は歴然とする。それでもクーフィアは頑固に張り付いた。なにさ二人であーんってやりあってたくせに。ボクにもしてよ。ハーノインに食べさせてほしいな。あーんと無防備に開くクーフィアの口へ皿ごとフライドポテトを突っ込んでやりたくなる。妥協としてフライドポテトをつまみ食いする。食べないでよ! 山盛りにしといてよく言うぜ。食えんの? 残高使いきったんじゃないのか? 援助はしないからな。大丈夫だもん。塩にまみれた指先をつきつけるハーノインにクーフィアはしれっと言い返す。当然のような顔をして口を開ける。食べさせて。歯並びの良い前歯の白さが憎たらしい。
ハーノインは数本のポテトを摘むとクーフィアの口へ押し込んだ。もぐもぐ、と食べる口元がハーノインの指を吸う。ついた塩をなめているらしく爪の間までさらうように念入りだ。べろり、と紅い舌が指を舐った。仕上げとばかりにぢゅうっと吸われてハーノインは肩を跳ねさせてずり下がった。うっとりしたクーフィアの表情にはまだ消しきれない稚気がある。それでいて恍惚とした顔が舌先を際立たせる。髪の朱さとは違う真紅は艷めくようにハーノインの爪を舐める。
「ねぇ、もっと」
がだん、と盆を跳ねさせる勢いでイクスアインがテーブルを殴った。皿や盆がガチャガチャ跳ねる。睨み上げるイクスアインの苛立ちが判らないハーノインが首を傾げた。どうした、イクス。クーフィアだけがしたり顔でニヤニヤ笑う。ハーノインも罪な人だな。ぺろぺろと指を舐めるのをハーノインが慌てて手を引っ込めた。味なんかしないだろ。するよ。ハーノイン、知ってる? 食事ってセックスと一緒なんだよ? 下品な話題持ち出すなよ。女の人探すハーノインに言われたくないや。だいたいハーノインは女じゃない。女が女さがさないでよ、不毛だな。ぷうっと薔薇色の頬をふくらませるクーフィアの言葉に頷く相槌を打とうとしてとどまる。誰が女だって?
「ハーノ」
声と同時にずいっと突き出されるのはベーコンだ。どこから、と思って探る眼差しの先ではイクスアインのスープが波紋を残していた。フォークで折りたたむように突き刺されたベーコンから脂たっぷりの雫が重く垂れる。ハーノインって肉が好きなの? じゃああげようかなッ。今度は茹でた鶏肉だ。ドレッシングがかかっているからサラダのうえに鎮座していたものだろう。はい、あーんして。クーフィアの笑顔が怖い。イクスアインもクーフィアも退けられるとは微塵も思っていない。ずいずいとフォークを突きつけてくる。お前ら自分で食えよ。たじろぐハーノインの意見はあっさりと無視される。口を開けろ。あーんしてよ。唇や頬まで汚しそうに突きつけられてハーノインが一気にばくんと食べた。スープとドレッシングとベーコンと鶏肉の味がした。どういう料理だ。甘くはないがしょっぱいのか酸っぱいのか珍妙だ。咀嚼するのをイクスアインとクーフィアが子供っぽい熱心さで眺めている。ごくんと喉が動いたところで視線が解けた。お前ら肉ならなんでもいいと思ってない? 唐揚げがあるぞ。チキンソテーは? 話を聞いていない。あ、鶏が嫌? ベーコンは豚肉だぞ。 どうでもいい。カロリーのある料理は残高を多く食うからな。ステーキなんか食べたら何週間も断食だよね。イクスアインとクーフィアの間では了解ごとでもあるのか話が進む。顔を上げた二人がつけつけと言い放つ。鶏肉で我慢しろ。別にくれとは言ってないし。
ハーノインがすねたように自分の食膳へ向かうのを二人が不思議そうに眺めた。ハーノ、魚を食べられるのか? 魚嫌いなの? 魚肉なのに? ハーノインってグルメなの、偏食なの? ただの偏食だ。答えたのはイクスアインである。あーまぁ、そうっぽいよね。フライドポテト山盛りには言われたくない台詞だった。
「ハーノインはジャンクフード好き? 今度の休みに二人で出かけない?」
「からだに悪いものを食わせるな!」
「栄養素が偏るだけだって。たいしたことないよ。ねぇ、駄目? ハーノインってば」
袖を引かれてクーフィアの方を見ればキラキラした紅玉がハーノインを見据えている。喫茶店のコーヒー一杯でお腹いっぱいになれるよ? ただのかさ増しだろう。イクスアインが辛辣だ。クーフィアはそれでもめげない。ジャンクだもん。質より量だよ。でも味が濃いから美味しいはず! 男二人で入っても注目されないよ? クーフィアとハーノで行ったら男二人というより兄弟だな。いちいち辛辣だ。手順も知らない人に言われたくないけど。せせら笑うクーフィアにイクスアインが歯ぎしりする。
諍う二人を放っておいてハーノインは料理を消費する。フォークでクーフィアを指すイクスアインにそれは無作法だと指摘するべきか悩む。クーフィアもフライドポテトをふりふり口へ運んではイクスアインの鼻先へちらつかせる。どっちもどっちだった。野菜と一緒に白身魚のフライを押し込む。あぁやっぱりサカナ嫌いかも。もぐもぐと口を動かす。イクスアインの皿から唐揚げを、クーフィアの皿からポテトを少量かっさらう。肉とかのが美味いなぁ。ごくん、と飲み下した。
《了》