おいたが過ぎたね


   だって知りたかったから

 限られた少年たちしか使わない更衣室は手狭だ。特例的に高い戦闘力の少年が集められている。それぞれがそれぞれの年齢で鳴り物入りだ。年長の部類に入るハーノインだが軍属というくくりでみればまだ若い。軋轢や摩擦を避けるために別室が用意された。もともと高い戦闘能力を維持するための訓練のレベルや頻度は一般兵と時間割が合わないのでちょうどいいと思う。ハーノインはよく知りもしない大人が畏怖や侮蔑や軽視の眼差しをしきりに向けることに倦んでいた。艦の管制室へ居てさえ場違いな幼さは据わりが悪い。戦闘中に考えることはないが作戦完遂の後の弛みにそれは滲み出る。訓練用の軽装のままでハーノインは汗が引くのを待つかシャワーを浴びるかで茫洋と迷った。隣のロッカーではエルエルフが着替えている。
 エルエルフの肌はおどろくほど白い。髪も薄く透ける銀髪で額もうなじも出さない品の良さを備えた。ハーノインより年少だが正直な感覚として戦闘で勝てる気はしない。自分の力量と冷静な分析力、対応力。教科書を飛び越える判断力は恐ろしいくらいだ。出身はハーノインと同じであるはずだが上官の覚えもいい。麗しい見た目と無視できない戦闘力は陰口さえ超越して伝説と化す。比較対象にならないことを慰めにするつもりはないが現実が見えないほどアホでもない。戦闘機の操縦だけではなく白兵戦も一級だ。近接戦闘になると真っ向から飛び込んでしまうハーノインをエルエルフはあっさりいなした上に投げ飛ばす。ずるずると叩きつけられた床の上で逆さまになった視界に映るエルエルフは息さえ乱さず人形じみた。思い出すと背中が痛い。レベルをきちんと知っているから与えるダメージの計算もする。むやみやたらと反発しないが意見も言う。
 紫水晶の双眸は静謐に静まっている。隠しもせずに覗きこむとちらと動いてハーノインを見た。エルエルフは肌も髪も白い。髪は毛先へ行くほど灰蒼の深みを帯びた。伸ばしたらグラデーションが見れるかもしれない。
「なんだ」
口元を弛めてハーノインがニヤつく。エルエルフと同期のアードライが基本的にハーノインたちを率いる。そのアードライとエルエルフが交渉を持っているのは彼らの間では知れ渡っている。アードライは隠しているつもりだろうが見れば判るし、そのあたりの察知能力は各々低くない。最年少のクーフィアでさえゲーム片手に揶揄する。面白いのはエルエルフがなにもしないことだ。アードライに曝すでもなく手を貸すでもない。クーフィアの揶揄にさえその怜悧な表情は揺らがない。ちょっとからかってみようかな。
 ハーノインの体が傾ぐ。ロッカーの蓋を挟んで唇が重なる。丈はまだハーノインのほうが優位だ。紫水晶が一瞬驚いたように集束したがすぐに平常を取り戻す。はねつけるでも積極的になるでもなく終わるのを待っている。唇のふくよかを舐めて歯列をつつく。開けろという仕草にエルエルフは従順だ。おとなしくしているエルエルフの舌を絡めて吸い上げた。濡れた吐息を交わす。素直だな、と思っていると不意打ちでエルエルフが食んでくる。二人の唇が紅くなる。奥底からじりじり燃える欲の熱が移動する。更に深く食もうと離れた瞬間にハーノインの首根っこが強く引っ張られた。猫の子を吊り上げる要領で引っ張られる。不満に濡れた唇をすぼめると綺麗に磨かれた眼鏡のイクスアインが不機嫌そうに睨んでいた。
 イクスアインはどうやら着替えの途中だったようで軽装と軍属が奇妙に混じった格好だ。肌を出さないのはイクスアインの信条でむやみに緩まない彼らしい。
「ハーノイン」
ハーノインを略称で呼びつける彼の変化にやりすぎたかなと肩をすくめた。ハーノと呼ぶイクスアインがフルネームで呼ぶのはたいてい叱りつける時だ。気がつくとクーフィアが好んでする携帯ゲーム機の効果音さえしていない。訝しんで周りを見ればクーフィアとイクスアインは明瞭に不機嫌だし、アードライは握り締める拳が白い。エルエルフだけで遊ぶつもりだったがアードライの気に障ったようだ。だからといって撤回や弁明をする気はない。罪悪感も欠如した。
「…マジ?」
 叫びだす前の仰け反りにアードライの揃った髪が幕のように揺れる。アードライは淡紫の髪を顎のラインで揃えている。ざっくりとナイフで切り落としたようなのにちゃんとした散髪に行っていることは判る。うつむくなりに仰け反るなりに髪が揃うから腕がいい。長く伸ばした前髪は片目を覆い、反対側は三つ編みに結っている。エルエルフとはまだ違う白皙の美貌だ。エルエルフより鋭い印象があるのは眦が切れ上がっているからだろう。きつく睨みつけるような顔立ちなのだ。なりに見合ったヒステリックさはお墨付き。ハーノインは耳をふさぎそうになるのを密かに抑えた。
「――何をしている!」
「キス」
「貴様は黙れぇえぇえぇ!」
しれっと返すハーノインにアードライがわめきたてた。エルエルフは我関せずと着替えや支度の続きを始めている。アードライは蒼白にエルエルフへ詰め寄る。どういうことだ、オレに至らぬ点があるのか。不満があるなら改善する! 必死だ。乳白の肌が紙のように白くなっている。俺からキスしたんだけどなんでエルエルフに訊くんだ? アードライの隻眼が泳いだ。エルエルフは何も言わない。さきほどまで重ねていた唇の熱ささえ片鱗もない。汗も火照りもなく前髪や襟足も肌に張り付いていない。訓練の汗を拭ったままに清浄だ。
 「こっちも訊きたいね。どういうことだ? この尻軽」
「興味あるなー。ハーノインてばなんでそんなビッチなの」
「言葉選べよ」
同年代で丈も同じ程度のイクスアインはハーノインを吊り下げる手を緩めるつもりはないらしい。服が伸びるだろ。引っ張られたシャツの裾がまくれて覗くへそや腹をクーフィアが撫でたりくぼみへ指を入れたりする。ぞわぞわする。払い落とすとシャツの中へクーフィアの幼い繊手が滑りこむ。
「エルエルフ。人のもので遊ぶのはやめてもらおう」
「ハーノインはボクのものでもあるよ」
「黙れ、チビ」
嘆息して放ったハーノインの台詞にクーフィアがその髪と同じ程に真っ赤に火照った。燃えるような紅の短髪をクーフィアは練色のターバンのようなものでまとめている。そこかしこから収まり切らない紅い毛先が跳ねている。チビってどういう意味さ。返答次第じゃ容赦しないよ。たいだいなんだいキスなんかして。そんなにしたいなら出なくなるまでいかせてあげるよ。セックスしたいわけじゃない。キスって擬似的なセックスっていう説を聞いたことがあるよ。ガセだよ。
 目の覚める青い髪が揺れた。イクスアインは長めに髪を揃えていくが、まっすぐ垂れないようで時折うんざりした様子で伸ばした髪を耳へ引っ掛ける。紺紫の双眸は理知的なのにメガネを掛けてみる視界でハーノインには理解出来ない言動が相次ぐ。
「エルエルフ。この馬鹿を誘惑しないで欲しいんだが。極まった相手がいるのに不誠実だ」
「そ、そうだぞ」
交渉の立場と主導権は反比例しているようでアードライは攻めあぐねているようだ。交渉の時の上下と普段の強弱は違うようだ。アードライの動揺と正反対にエルエルフは言いよどみさえしない。黙ってアードライを見据える。それだけでアードライは言葉をなくして、うぅとかあぁとか呻いて窺うようにエルエルフを見つめるのだ。
「おい、イクス」
「ハーノは黙ってろ」
愛称で呼ぶとつられたようにイクスアインも愛称を口にした。クーフィアが紅玉の唇を尖らせたことにイクスアインは気づいていない。ハーノインも言う気はない。クーフィアがハーノインの髪を引っ張った。ハーノインの髪は山吹と栗色で明確に色分けされている。前髪を上げるのはかろうじて保つプライドだ。軽口も調子の好さも媚に入らないのはその辺りの自意識の差だ。
「はーの」
不慣れな綴りや音韻をエルエルフが口にした。イクスアインほど自然ではないのは呼び慣れていない差だろう。イクスアインとクーフィアの顔色がさっと変わる。当のハーノインはなんだと聞き返す。
「近接戦闘時に白兵戦へ持ち込み過ぎる。勝敗の割合が持ち込みと噛み合ってないからもう少し確実に勝てるだけの腕になってから喧嘩を売れ」
「ハーイ」
あとは遠距離時にわずかだが左へ寄る。手元ではミリでも着弾時には桁が違う誤差になるぞ。軍属で共通の敬称を含めた掛け声と仕草で返事をするハーノインからエルエルフはさらりと流す。アードライは揃えた髪を震わせて耐えている。
 「え、エルエルフ! ――ッ…そ、の」
アードライの三つ編みが揺れる。そういえばこの三つ編みをエルエルフが結ってやっているって噂があったなあ。彼らが同じ寝床で寝起きしてもハーノインの認識に齟齬や修正はない。それぐらいで揺らぐような行儀の良い環境ではない。戦闘機に乗って前線へ繰り出すと生死は間近だ。見栄もひとりよがりも打ち砕かれるだけだ。無表情にアードライを眺めていたエルエルフが不意に笑んだ。たおやかで桜色の爪をした指先が衣服を捌くようにすっと伸びた。細くて関節が目立たないのは水仕事の経験が少ないからだ。かわりに数多の体液にまみれている。その汚辱を感じさせない細い手だ。アードライの頤を抑える。そのまま紅く熟れた唇が重なった。三つ編みの揺れや髪のなびき、集束するアードライの牡丹色の双眸。紙のように青白かった皮膚はみるみる艶を取り戻して紅く火照った。口笛を吹くハーノインをイクスアインが襟を引っ張って黙らせる。一番年少のクーフィアは照れもしない。
 アードライとエルエルフの間には言葉にしなくても確立した何かが存在した。窺うアードライの目線にエルエルフは正直だ。エルエルフは何も鎧わずにいられるほど強い。それでいながら粗野でも野卑でもない。欲望の在り処が判らないのだ。無い、とは思わないが露骨にさらけ出さない。明確な実力がものを言う軍属で成り上がらないもののほうが少数だ。上位に行きたくなければ消極的になってミスを繰り返せば事が足りる。エルエルフのそれは緻密で正確だ。その確率はハーノインたちを率いるアードライさえ凌駕する。数を感じさせないだけの実力に裏打ちされてエルエルフは揺るがない。アードライ。その一言で決まる。アードライの中に響いただろう声は玲瓏と響いた。
「耳をふさぐものがないな」
「どうして」
クーフィアにハーノインが肩をすくめた。礼儀だよ。イクスアインまで嘆息する。エルエルフの紅くて蠱惑的な朱唇がアードライの紅く火照った耳元で蠢いた。
 礼儀って何さ。わからないなら黙ってればいいだろう。わからないから訊くんじゃない。クーフィアとハーノインの諍いにイクスアインが肩を落とす。両方共黙れよ。三人の目の前でエルエルフの華奢な体躯がアードライへ乗り上げる。唇を舐る舌の紅さは艶めいた。二人とも白皙の美貌であるから鑑賞にも耐える。乏しい光源では二人とも白髪に見えるがよく見ると違いがあるのが判る。アードライはヘリオトロープの艶をもつ髪だしエルエルフは透けるほど透明度の高い銀髪だ。瞳の色は双眸共に紫の系統であるのは面白い。ハーノインはありふれた己の色合いを思い出す。髪こそ山吹と栗色の相対比で明確だが双眸はありふれた碧色だ。珍しくもないし珍重もされない。肌も白というより健康的に灼けている。日に焼けたら黒くなるタイプだろう。華奢や繊細とは遠いなりであることは幼い時から承知している。だから軽薄に女性へ声をかけるし同性同士の交渉さえなんとも思わない価値観を帯びた。髪と目の色は容易に取り繕える外観の中で始末の悪い部類だ。
 「ハーノ」
イクスアインが頤で示す先でアードライとエルエルフの裸身が蠢いている。二人の玉を帯びた雲母引きの肌が照る。アードライの白い歯がエルエルフの耳を食む。なんだか妙な気分だな。思わずつぶやくとイクスアインがハーノインの首筋を撫でた。その気になったか? クーフィアにいたってはシャツをたくしあげて胸へ吸い付く。なぁあの二人ってどっちが突っ込むんだろ。アードライだよ。断言かよ。イクスアインとクーフィアが二人だけに通じる眼差しを交わす。見れば判るよ。俺には判らない。だってハーノインはネコだから。
 「おいたの懺悔を聞こうか」
頸骨のくぼみをイクスアインの微温く滑った舌先が舐る。
「ちょっと後悔してるな」
「キスを?」
「お前らがいるとこでしたことをだよ」
「ツメが甘いんだよ」
イクスアインがシャツを脱がせる。クーフィアは粗野に紐を解く。エルエルフの高い嬌声が聞こえた。ハーノインは揺すられるたびに声を殺す。惑いも気後れもないエルエルフの声がひどく刻まれる。喉が慄えた。密閉空間に性が満ちた。


《了》

いろいろ詰めた               2013年8月4日UP

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