俺は甘いぞ?
私の糖度
情報のやり取りはアルヴィンにとっていつもどおりだ。今日は珍しく買い手のガイアスが直々に顔を出した。たいていはガイアスの下階級が代わりに聞く。ふらふらと留まりどころを知らない情報屋風情に統治者が顔を出すことはないというのが決まり文句だ。ガイアスが承知しているかどうかは関係ない。周りにはそう見えるということだ。そのガイアスが珍しく部屋へ飛び込んできた。相手をしていたものは驚いたしガイアスの後ろから給仕らしいものが駆けてきたが、それらをガイアスは一瞥と抑える仕草だけで引き下がらせた。特に目玉商品はなかったアルヴィンのほうが恐縮した。売り込もうにも大した品はない。
形式的に出された紅茶が冷めていく。手を付けないつもりでいたから居心地が悪い。ガイアスはソファに腰を下ろして肘掛けに片肘立てて胡乱にアルヴィンの言葉を聞いた。尊大な仕草と態度だがガイアスがやると不自然さがないので困る。それだけの実力はある。
「…今んとこは、そんな、感じ」
もたつくアルヴィンにガイアスは紅い目線を向けて短く言う。
「…茶でも飲め。結構な待遇だ」
皮肉にしか思えない。アルヴィンは言われるままにカップを取った。冷めているが美味いことは美味い。待遇とはこの茶葉のレベルか。対応したものよりガイアスのほうがアルヴィンを軽視しているのかと思うと眉がよる。アルヴィンの顔を見てガイアスはふっと笑んだ。
「馬鹿にはしてない」
むせそうになるのをガイアスは助けもせず姿勢を変える。何度も居心地悪そうに重心を左右に移動させては元の位置へ落ち着く。肘をついていたのは落ち着き具合のせいらしい。体の具合を求めるほどガイアスが何にそわそわしているのか意味が判らない。さっさと退散したほうがいいかなと思っているとガイアスから水を向けてきた。
「…お前は茶菓子を好むらしいな」
「あぁ、甘いモノは嫌いじゃないぜ。絶対欲しいとは想わないけど」
「お前がくると知らせを受けてから店を探すが間に合わない」
「別にいいよ、菓子なんかなくても」
情報屋のやり取りに天下のガイアス様がそこまで心を砕いていたとは知らなかった。侮蔑さえ込める一言にガイアスはなにか言いたげだ。
「まぁでもおたくのとこで食う菓子は美味いよ。金かかってるって言うか。材料で値が張ると買うの大変なんだよ。あんまりしょっちゅう食うと周りから嫌がられるし」
褐色の肌が少し動いた。紅い目線から角が取れる。ガイアスは言葉少なな分態度や空気が明瞭に変わる。アルヴィンは機嫌が直ったらしいと肩をなでおろした。アルヴィンは目の前の紅茶のゆらぎを無意味に見据えた。さっさと退散したいのだがガイアスは明確にそれを阻んでいる。たぶん、帰るって言ったら止められる。それでいてガイアスは目的を言わない。何か隠しているのは確かだが統治者であるガイアスが腹に一物あったところで悪いわけではない。しかも周りが何もしたり言ったりしてこないあたりで、それがそう一大事というわけでもないらしい。国を揺るがすようなら周りが止める。ガイアスの側近は馬鹿ばかりではない。
そのうち好みの菓子へ話が移る。果物を生で食べるか。果物ね、俺は桃がいいな。好きなんだよ、ピーチパイ。ピーチパイ? 知らねぇの。桃をさ。ピーチパイは知っている。…好きなのか。好きだぜ。旅の途中でも見かけたら食いたいなぁって思うし。洋菓子って高いよな。
「だったら食べて行け」
「へ?」
ガイアスが席を立つ。そのまま奥へ消えるから、これで対談が終わりなのかと思うのに外套を預けた給仕は顔さえ見せない。目線と言葉で聞いても給仕は静かに頭を下げてお待ちくださいとだけ言う。紅茶のおかわりはご入用ですか。時間かかるの。すぐに淹れてまいります。違うよ、ガイアスだよ。お手間は取らせないと。お帰ししてしまったら怒られますのでどうか。薬草茶などいかがでしょうか。アルヴィンは追求をやめてソファに沈んだ。薬草って? ローズヒップなどが有名かと。あぁ、そういうの。
食い下がる給仕にアルヴィンは思いつくままに注文をつける。給仕はお待ちくださいと断って引き下がる。一人で残されてしかもやることさえない。給仕がポットを携えて戻り、カップごと取り替える。ただいま主がまいりますので。暖かそうに湯気を上げるカップは取り替えられても最高級の銘柄だ。
「待ったか」
低いガイアスの声に目を上げて仰天した。ガイアスが両手で持っているのはパイだ。芳ばしい香りや甘い匂いがする。そういえば何も食べてないな。ぐぅ、と音を立てる腹の虫にアルヴィンが泡を食うのをガイアスは楽しそうに見ている。引き結んでいるはずの口角がつり上がっている。
「待ったようだな」
「うるせぇ」
素早く控えた給仕がナイフで切り分けようとするのをガイアスが短く言いつける。給仕は頭を下げてパイの上で指先を滑らせて指示すると、切り分けるナイフをガイアスに預けて引き下がった。
「え、なに?」
「ピーチパイだが」
「わかんねぇよ」
「桃をもらったし俺は凝る方だ」
余計に判らない。ただ目の前のピーチパイは蠱惑的にアルヴィンを誘惑する。焼き色も艶やかに口の中の感触を想像するだけで涎が垂れそうだ。
「食っていいの」
「食べ物は食べるためにある」
ガイアスは給仕の指示したとおりにパイを切り分ける。中の具材や生地の偏りもなく上手く分けられている。取り皿の銘柄より上に乗ったピーチパイのほうがアルヴィンには重要だ。食事を後回しにしてよかったかも。
「うわうわ、いただきまっす」
フォークを用意しようとしたガイアスより早く指先で掴んで頬張った。パイ生地の食感も中の果物も最高の状態だ。母親の作ったピーチパイが一番好きだとしても遜色ないといえるだろう。露店で並んでいるものは外気にさらされる時間を考えて作られるから少し質が落ちるのだ。
「美味い」
はふぅっと艶めいた溜息を零して潤んだ紅褐色を向けるとガイアスの紅い目がじっと見ていた。
「本当か」
「本当かって、おたくも食えよ。美味いぜ。このくらいの味だったら立派に商品になるぜ」
アルヴィンは景気よくピーチパイを消費する。これを食事にしてもいいと言わんばかりの詰め込みようにガイアスは手早く切り分ける。
「はぁー…幸せだなー…」
「クリームを付けて食べると美味いと聞いたから」
ガイアスはいそいそと白く泡立ったクリームを持ちだしてパイに添える。ほんのり桃色がかっているような気がする。皿にのせられるままに食べているだけなのにこうも味が違う。先ほどとは違う食感と味わい。クリームの甘みや水分がパイと上手く噛み合っている。
「すげぇ、うまい!」
尻尾がついていたら千切れんばかりに振っているのが見えるようだ。口元を汚しながらアルヴィンがパクパクと消費していく。幸せそうに目を閉じているのをガイアスがほっとしたように見る。
「本当に好きなようだな」
「あぁ、ピーチパイは好きだぜ。子供の頃に腹壊すくらいに食ったから」
「限度を知れ」
「わかってるよ。あぁ、でも美味いなあ…これ…」
ガイアスの顔が、笑う。灼けた肌と黒髪で目立たないが、赤い目は優しげに眇められる。その顔はどこまでも包んでくれる慈愛にも似て。
愛して、くれてる
「…なに?」
「可愛いと思っただけだ」
「馬鹿にしてんのかそれ」
「本音だ」
余計にたちが悪い。モゴモゴ言いながらアルヴィンは目線をそらす。ただピーチパイは本当に美味かった。
「アルヴィン?」
ガイアスの低い声がアルヴィンの名を呼ぶ。その響きが震わせる。震える目蓋をガイアスの紅い目が映す。アルヴィンは指を舐めてから目を向けた。
「ほめている」
「真顔で言うことじゃない」
むっとして言い返すアルヴィンにガイアスが笑う。
「いや、だが…」
アルヴィンが黙る。言いたいことがあるなら言えという催促だ。ガイアスは遠くを見るように目を眇めた。紅い目が、アルヴィンではない何かを見ていた。
「腹一杯になるというのは、幸せだ」
それはきっと飢えることを知ってる人の顔。手に入らないものや手からこぼれてしまったものがある、人のこと。見蕩れていたのか見入っていたのか判らない。ただ次にガイアスが動いたときにハッとして口の中へパイを押し込んだ。美味いことが泣けると思った。
「美味いか?」
「美味いよ」
もぐもぐいって指まで舐めるのを見ていたガイアスがアルヴィンを押し倒す。
どさ、と長椅子へ押し倒されるアルヴィンがガイアスを見る。桃の香りをさせる指先でガイアスの唇を押さえる。ガイアスはその手をとって口付ける。装備の割に華奢な手だ。銃と剣だからな。そういうことではないんだが。じゃあどういうことだよ。判らないなら構わない。目より紅い舌先が覗く。燃える篝火のそれは不意に覗いてアルヴィンを驚かせる。装備は宿で外してきた。旅の装備そのままに訪ねていたらただの不審者として追い返されるところだ。
「…お前は、訊かないんだな」
「なにを」
ガイアスは何も言わなかった。ただ静かに微笑んだ。
「腕をふるったかいがあったか」
「は?」
「ピーチパイを作るのは初めてだった」
目を瞬かせるアルヴィンにガイアスは不遜に言った。
これから嫌になるほど食わせてやる
《了》