※筆者ゲーム未プレイです、ご注意、ご容赦ください


 あなたの目線とその意味


   あなたに贈る前になくしてしまった言葉があります

 カツンと冷たい音がした。振り向いても其処には何もないし誰もいない。耳の奥で唸る音がするのも慣れた。条件さえ揃えば半永久的に動き続ける心臓は無機物で、それでも生み出される熱量があって、それで体の端々はちゃんと老いていくのだ。シュヴァーンは硝子戸棚に映った自分の姿を無感動に眺めた。髪や髭が伸びる。まだ生きていた頃のように洗顔や洗髪をし、体を洗浄する。ただ体を洗う度に、この心臓が誤作動で止まらないかとか。水に濡れても平気なのだという高性能に驚いたりする。裸になる関係でなければ外観からシュヴァーンの相違を読み取るのは難しい。知っているならともかく、予備知識なく接している人間から指摘を受けたことはなかった。冷たい心臓はいっそ清々しく規則的だ。
 皮膚がチクチクと痛むような気がして目線を戻すとアレクセイの紅い双眸がじっとシュヴァーンを見上げていた。アレクセイの部屋にシュヴァーンが呼びつけられて定例の報告や指示を仰いでいる最中だ。ダミュロン? 不用意なそれは受け取るシュヴァーンの側にも不意である。今はシュヴァーンです。淡々と返すことが出来たのは奇跡だ。長く伸びた髪はシュヴァーンの表情を薄暗く隠した。榛色の髪は毛先へいくほど重たく黒く色を変える。清々とした碧色の目は濁ったままだ。無垢で無邪気な勢いは消えた。ただこなすばかりのものがそこに居る。
 アレクセイの白銀の髪が透ける。仰々しい衣装は使う色も強いものが多いからアレクセイの髪で隠れる部分が透けるようだ。肌も白い。紅い瞳は時折血のように濁って凝っては重たく揺らいだ。
「ダミュロン」
「ダミュロンは死にました」
予測できたことである。アレクセイの清々さは時折結果を予見させる。正直なのだと思う。政を運ぶ上ではどれほどの汚れも底辺も駆け引きも、気にしないし厭わないのに、こういう私的な部分で彼はひどく幼いのだと思う。許したものを彼はきっと永遠に赦し続けるのだろう。

「騎士団長。ダミュロンは、死にました」
あの戦争で。大規模な戦闘の犠牲になりました。

ごく、とアレクセイの喉が鳴った。高い襟は首を覆って見えなくさせているから判らない。だがその喉仏が生唾を飲む動きで震えただろうことは想像がつく。アレクセイのペンを持つ指先が痙攣した。流麗に綴られていた文字は滞り、宙空で洋墨に浸した銀の先端は重たく垂れる。
 ペンが静かに置かれた。受け皿へ使われなかった洋墨の滴が溜まっていくのをシュヴァーンは黙って眺めた。
「ダミュロン」
「違います。俺はシュヴァーン・オルトレインです」
泣きそうだと、思った。眉を寄せて慄える口元。眇められた眦はいつその拘束を振り払って落涙するか判らないほど揺れる。湖面のようにシュヴァーンを映して静かに彼は泣いていた。シュヴァーンはもう一度口を開いた。俺はシュヴァーン・オルトレインです。唇の朱さが冷えていく。乳白の肌は紙や蝋の無機物の白さを帯びる。蜜色に透ける髪はもう人造物だとしか思えないほど遠く隔たった。泣き出さないのは、それで解決するとは考えられないしアレクセイが考えていないからだ。無駄なことをしないのは、無駄だからではなく無駄であるという指摘を受けるのが怖いからだ。

意味など無いと言われたくない

――俺も、そうか
ダミュロンはあの時に死んだ。心臓を貫かれて。帰る故郷は消え去った。生命維持活動でさえ代替で補わなければならず、ダミュロンをダミュロンとして識っている仲間ももう、いない。この体を維持する理由を問われたら、俺は応えることが出来ない。見上げた天井はうつろに黒い。四隅から闇が融けだしてじわじわと空間を喰っていた。闇が垂れると、思った。
 指先が神経質に組んでは解かれるのを眺める。シュヴァーンの中ではもうダミュロンはいなくてシュヴァーンになっている。そう心がけている。シュヴァーンでもダミュロンでも、構わないのだが。ずいぶん気軽に言ってくれるとシュヴァーンは心中で嗤った。ダミュロンがシュヴァーンになるために捨てたことも堪えたことも。それでもそれを表情に出すことはない。冷静で正確で見識も広い。それがシュヴァーンだからだ。
「辛いかね」
「いいえ」
「苦しいか」
「いいえ」
アレクセイの表情がぐらりと揺らいだ。傾いで沈む先は砂穴だ。明確に呑み込まれると見えているのに手の施しようもない。その堕ちていくさまをシュヴァーンは見守り続ける。

「後悔は、していないか?」
「していません」

問いが終わるやいなやにシュヴァーンは返答した。簡潔で単純な返答だ。シュヴァーンはその担う仕事の習性として問われた以上の情報を提供したりはしない。訊かれないことには応えない。アレクセイの表情は険しいままだ。アレクセイは知るということの責任を識っていて、言わないということに気遣いがあるときもあるのを識っている。
「騎士団長」
シュヴァーンの声は揺るがない。冷静で低く淡々とした声。
「俺はシュヴァーン・オルトレインです」
 シュヴァーンでもダミュロンでもいいとは言い草だ。口の端を吊り上げそうになるのを堪えた。
「俺はなるべくしてなりました」
それは権威というより事実で。任意であり強制だ。弛みと緊張を繰り返して揺らぐアレクセイの顔は奇妙に美しい。シュヴァーンが口を開くたびに期待に華やぎ切りつけられる言葉の痛みに慄える。繰り返しているのにアレクセイはシュヴァーンへの感情的な期待や裏切りに倦むことはない。シュヴァーンはアレクセイに会うごとにダミュロンを消さなければならない。任務に没頭すれば自分が誰であるかなど迷いはしないのに。アレクセイの中で『ダミュロン』はまだ息をしているのかもしれなかった。
 会う度にシュヴァーンはダミュロンの鏡像を目の当たりにする。不意に見せられる己の反射であるはずの像が食い違う。アレクセイに悪気がないことは余計に性質がわるかった。『ダミュロン』の映った鏡を見るごとにシュヴァーンはそれを割った。それでもアレクセイは次に会うときは新たな鏡を引きずってくる。不毛な繰り返しだった。
「あなたのくださった名前です」
「あなたのくださった過去です」
「あなたのくださった未来です」
必要なら具体的に論ってもいい。シュヴァーンが話す度に美しい顔は儚く歪み沈痛に堕ちていく。蜜色の髪は白濁して俯けば顔を隠す。泣いているのかもしれないしそうではないかもしれない。隙があれば足元を抉り取られる立場で渡り合うアレクセイが早々涙を見せるとは思わないが二人の経緯は複雑だ。一様に善悪はつけられないし、互いに自ら選び取った手段だ。そのとおりだ。アレクセイがゆっくりと口を開いた。上げられた顔に歪みの欠片もない。シュヴァーンを見据える紅玉の強さに背筋が慄然とする。追い立てた獲物に噛み付かれたときはこんななのだろうか。怯むシュヴァーンにアレクセイは薄く笑んだ。

「君が私を恨んでくれたら、まだ」

シュヴァーンは無感動にそれを受け止めた。
 それでも。その眇められた紅さは澄んで気高く儚くて美しい。ひどく、遠い。騎士団長という肩書きは変わらないはずなのにあの大戦以降のアレクセイはまるで別人だ。

別人になったのはおれの方なのに

「生活はどうだ」
「障りありません」
短いやり取りで、それでも何かが詰まっている。アレクセイの目は澄んでシュヴァーンを見つめあげる。硝子球のようだと思いながらそれを反射する。もういっそ心臓だけではなく人格さえも書き換えてくれればよかったのに。
 「わかった」
「失礼します」
絞り出したアレクセイの言葉にシュヴァーンは事務的に返答した。一歩下がって一礼する。騎士団の伝統に則った作法だ。部屋を出ようと取っ手を掴んだ時に玲瓏とした声が響いた。シュヴァーン。うつろに半身を開いて顔を向けるシュヴァーンに、アレクセイは咎めもしない。暗い部屋でぼやりと曖昧にとろけるアレクセイは白かった。私は君に謝らなければならない。相槌さえも打たないのを気を悪くするでもなく続ける。

「君の髪が伸びた姿を美しいと思ってしまうのを赦してほしい」

「……お褒めに預かり光栄です」
アレクセイは興味を失くしたように腰を落とすと明かりをつけて机へ向かう。シュヴァーンはそれを視界に留めたまま再度礼をすると部屋を辞した。
 
真意など知りたくなかった
情緒は排除しなければならない
そうでなければ

「死者は何も望まない」
言い聞かせるようにつぶやいて口の中で転がす。目蓋を閉じる。熱く痺れる感覚があってそれを押し殺し塗りつぶすことに専念する。昏い碧色の深淵が覗いた。黙って歩き出す靴音が冷たく響く。誰も止めない。

俺が行動を起こしたら、何か変わっていたのか?


《了》

なかなか終わらなかった          2013年6月2日UP

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